FIA GT選手権








































FIA GT選手権
カテゴリ
グランドツーリングカー
国・地域
国際
開始年
1997年
最終
ドライバーズ
チャンピオン

GT1: ミハエル・バーテルズ、アンドレア・ベルトリーニ
GT2: リチャード・ウェストブルック
最終
チーム
チャンピオン

GT1: ビータフォン
GT2: AFコルセ
最終
マニュファクチャラーズ
チャンピオン

GT2: フェラーリ
公式サイト
fiagt.com

FIA GT選手権(エフアイエー ジーティーせんしゅけん、FIA GT Championship)は、国際自動車連盟(FIA)が管轄する、GTカーによるレースの名称。1997年から2009年まで開催されていた。




目次






  • 1 概要


    • 1.1 日産の参戦




  • 2 日本開催


  • 3 歴代チャンピオン


  • 4 注釈


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





概要




レースの様子


1996年一杯で国際ツーリングカー選手権(ITC)が終了することにより、FIAはそれまでBPRという団体が主催して1994年に発足した「BPR GTグローバルシリーズ」(鈴鹿1000kmもシリーズの1戦に加わっていた)という国際耐久シリーズをFIA直轄とし、1997年より「FIA GT選手権」としてスタートさせた。FIA直轄としては、1992年のスポーツカー世界選手権(SWC)終了以来、5年ぶりの耐久レースの復活である。ITC終了で戦いの場をなくしていたAMG・メルセデスは、急遽GT1マシンを製作しこのシリーズにワークス参戦した。


初年度はメルセデスのほか、ポルシェ、BMW(マクラーレン)、パノス、ロータスがワークス参戦した。ワークスが主流のGT1クラスにはセミプロトタイプとも言えるメルセデスベンツ・CLK GTR、ポルシェ・911 GT1、マクラーレン・F1-GTR LMが参戦した。そのほかにもプライベーター仕様のマクラーレン・F1 GTRやパノス・エスペランテ GTR、ロータス・エリーゼ GT1も参戦し、GT2クラスではクライスラー・バイパー GTS-Rとポルシェ・911 GT2の白熱したバトルが展開したほか、マーコス、モーガン、サリーンも参戦し、開催国も欧州以外に日本、アメリカを含む事実上の世界選手権と呼べるシリーズとなった。


初年度はGT1、GT2マシンを含め常時35~52台のマシンが参戦していたが、翌1998年には、各メーカーの相次ぐ撤退により、1999年にはGT1クラスが廃止されGT2(GTと改称)主流のレースとなり(クライスラー・バイパーGTS-R、リスター・ストーム、フェラーリ・550マラネロなど)、翌2000年からはアジア・北米ラウンドがなくなり欧州ラウンドのみとなった。またこの年からフェラーリ・360モデナやポルシェ・911 GT3などが参戦する下位カテゴリー、N-GTクラスが新設されている。


2009年は、GT1(旧GT)クラスではマセラティ・MC12、アストンマーティン・DBR9、シボレー・コルベットC5・C6R、ランボルギーニ・ムルシエラゴ R-GT、フォード・GT、GT2(旧N-GT)クラスではポルシェ・911 GT3-RSR(996型、997型)フェラーリ・F430、G2クラスでは、ギレ・ベルティゴといったマシンが活躍している。伝統のスパ・フランコルシャン24時間レースもシリーズの1戦に加わっているが、年々参戦台数が少なくなっている。そのような中でニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(NISMO)は、2009年にGT1クラスへ日産・GT-Rでの参戦を発表し、実戦での車両開発する目的で同年に賞典外ながらスポット参戦した。


2010年からGT1クラスはFIA GT1世界選手権へ移行し、並走のGT2クラスにはヨーロッパ選手権のタイトルが与えられることになった。




日産の参戦


2010年からスイスの「Swiss Racing Team」とイギリスの「Sumo Power GT」からそれぞれ2台ずつ、計4台のGT-Rがエントリーした。日産にとっては約20年ぶりのFIA世界選手権シリーズへの参加となる。しかしこのFIA-GT選手権はワークスでの参戦が認められていない。日産及びNISMOはあくまでも、プレイベーターへの技術支援というスタンスである。そして2010年第2戦のシルバーストン・サーキットではジェイミー・キャンベル・ウォルター / ウォレン・ヒューズ組(Sumo Power GT)のドライブするGT-Rが優勝し、GT-R勢に初優勝をもたらした[注釈 1]



日本開催


1997年、1998年の2年間、鈴鹿1000kmがFIA GT選手権のシリーズの1戦として開催された。500kmが中心だった当時の選手権では異例の長距離レースであった。メルセデス、ポルシェ、BMWのワークスチームも来日し参戦している。1998年の優勝車メルセデスCLK-LMは、グループC時代と比べ遜色のないタイムで1000kmを走破している。この時期ル・マンに参戦していたトヨタ・日産は、それぞれトヨタ・GT-One TS020、日産・R390と言うGT1マシン(ル・マンのACO規定とFIA規定は若干異なる)を保有していたが、シリーズ参戦していないと言う理由などでこの母国ラウンドには参戦できなかった。この時期の国内メーカーのル・マン参戦マシンを日本のファンは直接見ることができなかったのである。1999年には鈴鹿1000kmはFIA GT選手権から外れた。



歴代チャンピオン

























































































年度
カテゴリ
GT1
GT2

1997

ドイツの旗 ベルント・シュナイダー

イギリスの旗 ジャスティン・ベル

1998

ドイツの旗 クラウス・ルドヴィク
ブラジルの旗 リカルド・ゾンタ

モナコの旗 オリビエ・ベレッタ
ポルトガルの旗 ペドロ・ラミー

GT

1999

モナコの旗 オリビエ・ベレッタ
オーストリアの旗 カール・ヴェンドリンガー

GT
N-GT

2000

イギリスの旗 ジュリアン・ベイリー
イギリスの旗 ジェイミー・キャンベル=ウォルター

フランスの旗 クリストフ・ブシュー
フランスの旗 パトリス・ゲースラール

2001

フランスの旗 クリストフ・ブシュー
フランスの旗 ジャン=フィリップ・ベロク

イタリアの旗 クリスチャン・ペスカトーリ
フランスの旗 デヴィッド・テリエン

2002

フランスの旗 クリストフ・ブシュー

フランスの旗 ステファン・オルテリ

2003

イタリアの旗 トーマス・ビアッジ
イタリアの旗 マッテオ・ボッビ

フランスの旗 ステファン・オルテリ
ドイツの旗 マルク・リープ

2004

イタリアの旗 ファブリツィオ・ゴーリン
イタリアの旗 ルカ・カッペラーリ

ドイツの旗 サッシャ・マーセン
ドイツの旗 ルーカス・ルーア

GT1
GT2

2005

スイスの旗 ガブリエーレ・ガーデル

ドイツの旗 マルク・リープ
ドイツの旗 マイク・ロッケンフェラー

2006

ドイツの旗 ミハエル・バーテルズ
イタリアの旗 アンドレア・ベルトリーニ

ブラジルの旗 ハイメ・メロ

2007

イタリアの旗 トーマス・ビアッジ

ドイツの旗 ディルク・ミュラー
フィンランドの旗 トニ・バイランダー

2008

ドイツの旗 ミハエル・バーテルズ
イタリアの旗 アンドレア・ベルトリーニ

イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー

2009

ドイツの旗 ミハエル・バーテルズ
イタリアの旗 アンドレア・ベルトリーニ

イギリスの旗 リチャード・ウェストブルック


注釈




  1. ^ 実際には決勝レースを3番手でフィニッシュした22号車 Sumo Power GTのジェイミー・キャンベル・ウォルター/ウォレン・ヒューズ組だったが、レース終了後の車検で、トップでゴールした7号車 ヤングドライバーAMRアストンマーティンDB9(ダレン・ターナー/トーマス・エンジ組)が技術規則違反のため失格、またHexis AMRのトーマス・アカリー/フレデリック・マコヴィッキィ組はドライブスルーペナルティを3ラップ以内に受けなかったため15秒のペナルティを課されたことにより、初優勝となった。



関連項目



  • モータースポーツ

  • ル・マン24時間レース

  • スパ・フランコルシャン24時間レース

  • 鈴鹿1000km

  • SUPER GT

  • BPR GT選手権

  • グループGT1 (90年代)

  • グループGT1

  • グループGT2



外部リンク




  • FIA GT公式サイト (英語)


  • FIA GT1世界選手権 公式サイト (英語)









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