オレカ







ブーツェン・エナジー・レーシングのオレカ・03(2011年)


オレカ (ORECA, Organisation Exploitation Competition Automobiles) は、フランスのレーシングチーム・コンストラクター。1973年にAGSのマネージャーであったユーグ・ド・ショーナックが設立した。2015年時点で社員数110名の小さめの企業だが、ラリー・スポーツカーレース・ツーリングカーレースなど幅広いジャンルでメーカーのワークス活動を請け負った。これまでにBMW、マツダ、ダッジ、プジョー、トヨタ、セアトの名を背負ってFIA世界選手権にエントリーし、その全てで成功を収めてきた。




目次






  • 1 フォーミュラカーレース


  • 2 スポーツカーレース


  • 3 ラリー


  • 4 ツーリングカーレース


  • 5 参照


  • 6 外部リンク





フォーミュラカーレース


1972年から1989年はフォーミュラを中心に活動し、ヨーロッパF2やF3ではルネ・アルヌー、アラン・プロスト、ジャック・ラフィット、ジャン・アレジといったドライバーが同チームから出走。ヨーロッパF2で2回、フランスF3選手権で11回ドライバーズ・タイトルを獲得した。



スポーツカーレース


90年代からスポーツカーレースやGTカーレースに集中し、フランス・スーパーツーリング選手権にはBMWのワークスチームとして参戦した。


1991年にル・マン24時間でマツダ・787Bで総合優勝。のちにダッジのワークスチームとなって1997~1998年にFIA GT選手権GT2クラスタイトル、1999年にはFIA GTの総合タイトルを獲得。1998~2000年にル・マン24時間クラス優勝、2000年にデイトナ24時間に総合優勝、セブリング12時間でクラス優勝をするなど多くの成功を収めている。


2005年のル・マン24時間レースにはアウディ・フランスの支援を受けアウディ・R8で参戦した。その他にも2006年にはサリーン・S7Rでル・マン・シリーズに参戦した。チームのサリーン・S7Rはスパ・フランコルシャンで優勝している。


オレカはダッジと共同でダッジ・バイパーの競技車両を開発し、2006年から2007年にかけてGT3カテゴリーで100以上のカスタマーが同車両を使用した。


長年レーシングチームとして成功を収める一方、ショーナックはコンストラクターとなる夢を叶えるために2007年にクラージュ・コンペティションを買収。2008年には第一号となるオレカ・01を開発した。01はP1カテゴリー参戦のために開発され、デビュー戦の2009年のスパ1000kmレースに2台がエントリーした。


2009年にはフォーミュラ・ル・マン用にFLM09を開発した。これはその名が意味するようにフォーミュラ・ル・マン・カップのみに使用される車両であったが、2010年にアメリカン・ル・マン・シリーズを含む他の3つの耐久シリーズへの参加も可能となり、LMPCクラスで参加することとなった。この考えは小規模チームが耐久レースに参加できる手頃なプラットフォームを入手できるようにするための物であった。


オレカはカスタマー仕様のプジョー・908 HDi FAPの供給を受け、セミワークスとして2010年のル・マン24時間レースにも参戦、また残りのル・マン・シリーズのレースにも参加し、アルガルヴェでは総合優勝、ファクトリーチームを抑えてタイトルを獲得した。


2011年、オレカは2010年仕様のプジョー・908で、最新型のプジョー・908を破りセブリング12時間レースで優勝した[1]。また、2011年の新レギュレーションに合わせた新型シャシー、オレカ・03を導入した。03はP1クラスに投入された01とは対照的に、P2クラスに投入された。


2012年からはトヨタの新型LMP1車両、トヨタ・TS030 HYBRIDの運用チームに選ばれ、TMGとのジョイントでWEC(FIA 世界耐久選手権)に参戦。20人ほどのスタッフを送り込んでおり、ショーナックもトヨタレーシングの一員としてWECに帯同している。2014年にはアウディ・ポルシェを打ち破って、WECのドライバーズ・マニュファクチャラーズの2冠に輝いた。


2015年LMP1のレベリオン・R-Oneとモノコックの基本設計を共有するオレカ・05を投入。ル・マン24時間レースで、KCMGがポール・トゥ・ウィンから優勝を飾っている。これはオレカのオリジナル開発のマシンとしては初めてのル・マンクラス優勝だった。またこの年から始まったLMP3のパッケージの販売もオレカが担当している。


2016年、シグナテック・アルピーヌにアルピーヌA460としてOEM供給しているオレカ05が圧倒的な速さを見せつけ、WECとル・マンの両方を制覇した。


2017年にACOによってコンストラクターが4社(オレカ・オンローク・ダラーラ・ライリー&マルチマティック連合)に絞られたWECのLMP2ではフル参戦の全チームがオレカ07を選択しており、オレカへの信頼とサポートの厚さを伺わせる。また速さと信頼性を兼ね備えたオレカ07はル・マンでも猛威を振るい、LMP1のエントラント減少とトラブル多発に助けられ、総合でもポルシェLMP1に次ぐ2位の好成績を収めた。このため、ACOは翌年のシャーシ開発を4社のうちオレカだけ禁止するに至った[2]。またこの年北米IMSAのLMPCクラスが廃止されたことで、FLM09は9年間の長きにわたる役割を終えた。


2018年には北米のIMSAでもアキュラと共同開発したDPiマシンを投入する他、レベリオン・レーシングがLMP1復帰にオレカと共同開発したシャーシを再び投入するとみられている。




ラリー


オレカはラリーにも積極的に参加しており、1990年にラーダのファラオ・ラリー総合優勝の支援をしている。また氷上レースのアンドロス・トロフィーにアラン・プロストがカローラで出場する際も支援をしていた。


2003年にはルノー・クリオ S1600でJWRCでドライバーズタイトルを獲得した。


現在はWRC2をメインに参戦しており、WRCに復帰する前のトヨタの育成ドライバーを走らせていたこともある。また、ステファン・サラザンがラリーチームを作る手助けもした。


2017年にはR4キットカーをFIAから委託を受けて開発、2018年から販売する[3]


この他シュコダやシトロエンのグループRエンジン、世界ラリークロス選手権のプジョーのエンジンも開発を担当している。




ツーリングカーレース


ポルシェ・カレラカップやルノー・クリオカップ、アウディのフランスでのカスタマープログラムを請け負っている。


WTCCにもセアトのオペレーションで参戦し、2008年にイヴァン・ミューラーと共にドライバーズタイトルを獲得した。セアトが撤退した後はラーダのTC1マシン設計・開発、エンジンの開発に携わった。なおラーダとはTCRでも提携をしている[4]




参照





  1. ^ ““大穴”オレカ・プジョーがセブリング制覇! HPDが2位”. オートスポーツ (2011年3月20日). 2016年3月24日閲覧。


  2. ^ オレカ、LMP2“性能調整”に異議。「1社のみ開発できないのは不公平以外の何物でもない」


  3. ^ オレカが開発中のR4キット、最初の購入者はスペインのチーム


  4. ^ The Lada Vesta TCR is ready to battle



・AUTO SPORT(オートスポーツ) 臨時増刊 ル・マン24時間2015(三栄書房 2015年7月8日発刊)



外部リンク


  • 公式ウェブサイト



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