アレッサンドロ・ネスタ
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モントリオール・インパクトでプレーするネスタ(2013年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | サンドロ | |||||
ラテン文字 | Alessandro NESTA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | (1976-03-19) 1976年3月19日(42歳) | |||||
出身地 | ローマ | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1985-1993 | ラツィオ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-2002 | ラツィオ | 193 | (1) | |||
2002-2012 | ミラン | 224 | (7) | |||
2012-2013 | モントリオール・インパクト | 31 | (0) | |||
2014-2015 | チェンナイイン | 3 | (0) | |||
通算 | 451 | (8) | ||||
代表歴 | ||||||
1995-1996 | イタリアU-21 | 9 | (1) | |||
1996-2006[1] | イタリア | 78 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2016-2017 | マイアミ | |||||
2018-0000 | ペルージャ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アレッサンドロ・ネスタ(Alessandro Nesta, 1976年3月19日 - )は、イタリア・ローマ出身の同国代表の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。イタリア共和国功労勲章受章。現在はペルージャ・カルチョの監督を務めている。
目次
1 経歴
1.1 クラブ
1.1.1 ラツィオ
1.1.2 ミラン
1.1.3 モントリオール・インパクト
1.1.4 チェンナイイン
1.2 イタリア代表
1.3 指導者
2 評価
3 エピソード
4 個人成績
4.1 クラブ
4.2 代表
5 タイトル
5.1 クラブ
5.2 代表
5.3 個人
6 脚注
7 外部リンク
経歴
クラブ
ラツィオ
1985年にラツィオのユースアカデミーに加わり、17歳でトップチームデビュー。その後10代後半から主力として活躍。20代前半でラツィオのキャプテンを任された。1998年のコッパ・イタリアではACミランとの決勝戦でゴールを奪い、その年のセリエA最優秀若手選手賞に選ばれた。1999-2000シーズンのスクデット獲得の際にも中心選手として貢献した。
ミラン
2002年、ラツィオの財政難が原因で移籍金3000万ユーロでACミランに移籍。当時ラツィオのシンボルであったネスタの移籍に対してラツィオサポーターが抗議行動が起こった。しかし移籍する際のネスタのコメントとして「移籍するならばそれはラツィオの実りのためだけにだ」という言葉を残した。
移籍初年度、UEFAチャンピオンズリーグ、コッパ・イタリアを獲得した。その後も高いパフォーマンスを見せて、多くのタイトル獲得に貢献しているものの、2006-07シーズンに肩を怪我した。2008-09シーズンにも怪我が再発し、そのシーズンのほとんどを棒に振った。この怪我で一時は引退を考えたという[2]。2009-10シーズンはレギュラーとして高水準のプレーをみせ代表復帰も囁かれた[3]ものの、結局シーズン途中で負傷したこともあり23試合の出場に終わった。
モントリオール・インパクト
2012年5月10日に10年間所属したミランを退団することを発表。7月5日にモントリオール・インパクト移籍が発表された[4]。
2013年11月7日に現役引退を発表した[5]。
チェンナイイン
2014年11月27日、同胞のマルコ・マテラッツィが選手兼監督を務めるチェンナイインFCで現役復帰[6]。2015年に再び現役引退。
イタリア代表
イタリア代表としては1996年10月5日に行われた1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のモルドバ代表戦でデビュー[1]。1998 FIFAワールドカップではグループリーグのオーストリア代表戦にて負傷し、決勝トーナメントは不出場に終わった(イタリアはベスト8敗退)。
2000年にオランダとベルギーで共同開催されたUEFA EURO 2000では全6試合に出場すると[1]、チームの準優勝に貢献し、大会優秀選手に選出された[7]。
2002 FIFAワールドカップではグループリーグのクロアチア代表戦にて負傷し、決勝トーナメントは不出場に終わった(イタリアはベスト16敗退)。2006 FIFAワールドカップでは、グループリーグのチェコ代表戦にて負傷し、決勝トーナメントでの出場は叶うことはなかった。ドイツワールドカップにてイタリア代表は24年ぶり4度目のワールドカップ制覇を成し遂げたが、ネスタ自身としては前2大会も含め不本意な大会となった。
2006年10月11日に行われたUEFA EURO 2008予選のグルジア代表戦が最後の代表出場となり[1]、2007年8月1日に代表引退を表明した[8]。イタリア代表としての通算成績は国際Aマッチ78試合出場0得点[1]。
指導者
2015年8月31日、北米サッカーリーグに2016年から新規参入するマイアミFCの監督就任が発表された[9]。同クラブはミラン時代の同僚パオロ・マルディーニが共同オーナーを務めている。
2018年5月14日、ペルージャ・カルチョの監督に就任した。
評価
ミランのOBであるフランコ・バレージは「ネスタのいないミランは考えられない」とミランにおけるネスタの重要性を表現した[10]。ミランの監督のマッシミリアーノ・アッレグリはネスタを「イタリア史上最高のDF」であり、チームで最も優れた選手であると評価した[11]。
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2016年8月) |
- 同じくローマ出身であり、若くしてライバルクラブであるASローマのキャプテンとなったフランチェスコ・トッティとはライバルであり、よき親友、常に比較されていた。
- 人格者としても知られ、その実力も相俟ってチームメイトやクラブ関係者からの信頼は厚い。
- サッカーもさることながら、学業の成績も優秀であり、サッカー選手になるか弁護士になるかを本気で悩んでいた。
- 少年時代にASローマからスカウトされた(スカウトマンは元イタリア代表DFフランチェスコ・ロッカ)が、父親が同じローマのラツィオの熱狂的なファンであったことから、これを断ったという逸話が残っている。
- かなりのゲーム好きで、左手親指の付け根付近が腱鞘炎になり手術した際、ウイニングイレブンのやりすぎで悪化したと報じられたが、本人は否定している[12]。
2006 FIFAワールドカップでの優勝メンバーの一人であるネスタは、他のメンバー、マルチェロ・リッピ監督と共にイタリア大統領からイタリア共和国功労勲章を送られている。
個人成績
クラブ
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1993-94 | ラツィオ | セリエA | 2 | 0 | 0 | 0 | |||||
1994-95 | 11 | 0 | 1 | 0 | |||||||
1995-96 | 13 | 23 | 0 | 2 | 0 | ||||||
1996-97 | 25 | 0 | 4 | 0 | |||||||
1997-98 | 30 | 0 | 9 | 1 | |||||||
1998-99 | 20 | 1 | 2 | 0 | |||||||
1999-00 | 28 | 0 | 2 | 0 | |||||||
2000-01 | 29 | 0 | 1 | 0 | |||||||
2001-02 | 25 | 0 | 1 | 0 | |||||||
2002-03 | ACミラン | 29 | 1 | 5 | 1 | ||||||
2003-04 | 26 | 0 | 4 | 1 | |||||||
2004-05 | 29 | 0 | 3 | 0 | |||||||
2005-06 | 30 | 1 | 2 | 0 | |||||||
2006-07 | 14 | 0 | 0 | 0 | |||||||
2007-08 | 28 | 1 | 0 | 0 | |||||||
2008-09 | 1 | 0 | 0 | 0 | |||||||
2009-10 | 23 | 3 | 0 | 0 | |||||||
2010-11 | 26 | 0 | 2 | 0 | |||||||
2011-12 | 17 | 1 | 1 | 0 | |||||||
通算 | イタリア | 417 | 8 | 39 | 3 | ||||||
総通算 | 417 | 8 | 39 | 3 |
代表
- 出典[1]
イタリア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1996 | 2 | 0 |
1997 | 7 | 0 |
1998 | 7 | 0 |
1999 | 6 | 0 |
2000 | 13 | 0 |
2001 | 5 | 0 |
2002 | 10 | 0 |
2003 | 7 | 0 |
2004 | 10 | 0 |
2005 | 5 | 0 |
2006 | 6 | 0 |
通算 | 78 | 0 |
タイトル
クラブ
- ラツィオ
UEFAカップウィナーズカップ(1998-1999)
スクデット:(1999-2000)
コッパ・イタリア:(1999-2000)
- ミラン
- スクデット:2回(2003-2004、2010-2011)
- コッパ・イタリア:(2002-2003)
UEFAチャンピオンズリーグ:2回(2002-2003, 2006-2007)
FIFAクラブワールドカップ(2007)
代表
UEFA U-21欧州選手権(1996)
FIFAワールドカップ(2006)
個人
- セリエA最優秀若手選手賞(1998)
UEFA欧州選手権2000 UEFA選定大会優秀選手(2000)- セリエAディフェンダー・オブ・ザ・イヤー:5回(2000, 2001, 2002, 2003, 2005)
UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:4回(2002, 2003, 2004, 2007)- FIFA 100
FIFProワールドイレブン:2回(2005, 2007)
脚注
- ^ abcdef“Alessandro Nesta - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/nesta-intl.html
^ goal.com (2009年1月22日). “ネスタ:「引退を考えていた」”. 2009年10月2日閲覧。
^ ネスタ、3月に代表復帰も? Goal.com 2010年2月15日
^ ネスタがMLSへ モントリオール移籍が決定 Goal.com 2012年7月6日
^ 元イタリア代表DFネスタが現役引退を発表…20年間のキャリアに幕 サッカーキング 2013年11月8日
^ 元イタリア代表DFネスタがインドで現役復帰…チェンナイインと正式契約 サッカーキング 2013年11月29日
^ “UEFA Euro 2008 Information (PDF)”. UEFA.com. p. 88. 2018年12月1日閲覧。
^ ロイター.co.jp (2007年8月2日). “サッカー=イタリア代表DFネスタ、代表引退を表明”. 2009年10月2日閲覧。
^ 元イタリア代表のネスタ氏が米で監督に…盟友マルディーニ氏とタッグ」 SoccerKing 2015年9月1日
^ バレージ氏:「ネスタのいないミランは想像できない」 Goal.com 2010年11月26日
^ 「ネスタはイタリア史上最高のDF」 2011年1月16日
^ livedoorスポーツ (2005年10月12日). “ネスタ 左手負傷の原因はプレイステーション?”. 2009年10月2日閲覧。
外部リンク
- ACミラン公式
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イタリア代表- 出場大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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