中川郡 (十勝国)
中川郡(なかがわぐん)は、北海道(十勝国)十勝総合振興局の郡。
人口43,975人、面積1,778.05km²、人口密度24.7人/km²。(2018年9月30日、住民基本台帳人口)
以下の4町を含む。
幕別町(まくべつちょう)
池田町(いけだちょう)
豊頃町(とよころちょう)
本別町(ほんべつちょう)
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 郡発足までの沿革
2.2 郡発足以降の沿革
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記4町から幕別町の一部(忠類各町)、豊頃町の一部(湧洞・長節・大津・打内および大津各町)を除き、下記を加えた区域にあたる。
帯広市の一部(桜木町・以平町および泉町の一部)
河西郡中札内村の一部(元更別・上札内・南札内の各一部)- 河西郡更別村の一部(上更別・更南・勢雄および更別・弘和の一部)
河東郡音更町の一部(長流枝・長流枝幹線ほか概ね士幌川流域[1])- 河東郡士幌町の一部(下居辺および概ね士幌川流域[1])
- 河東郡上士幌町の一部(概ね居辺東[1])
足寄郡足寄町の一部(概ね利別川以西および平和・共栄町・上利別・上利別本町・大誉地)- 足寄郡陸別町の一部(トマム)
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の中川郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。中川郡北部(現在の足寄郡足寄町の利別川以西に相当)にある芽登温泉は蝦夷の人々の間では古くから知られていた。
江戸時代後期、中川郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年中川郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年中川郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年以降は仙台藩領となった(6藩分領)。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して中川郡が置かれた。郡名の決める際に松浦武四郎は当郡を「下川郡」と命名し、開拓使公文録でも「下川郡」であったが、その後現在の中川郡に変更されている。変更の経緯は明らかになっていない。十勝国では、他にも現在の上川郡、十勝郡で郡名が変更されている。
郡発足以降の沿革
明治2年
8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、十勝国および中川郡が設置される。開拓使が管轄。
8月28日(1869年10月3日) - 静岡藩の領地となる(北海道の分領支配)。
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての中川郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治20年(1888年)6月 - 釧路郡外十一郡役所(釧路阿寒白糠足寄川上広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治22年(1890年)1月 - 釧路郡外十郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治24年(1892年)3月 - 釧路郡外十二郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)
- 7月 - 河西郡外五郡役所(河西河東上川中川十勝当縁広尾郡役所)の管轄となる。
11月5日 - 郡役所が廃止され、河西支庁の管轄となる。
- 明治39年(1906年)4月1日
北海道二級町村制の施行により、以下の町村が発足。(3村)
凋寒村(二級村) ← 凋寒村[一部]、蝶多村[一部]、十弗村、様舞村、誓牛村、信取村、蓋派村、居辺村(概ね現・池田町)
豊頃村(二級村) ← 豊頃村、安骨村(現・豊頃町)
幕別村(二級村) ← 幕別村、止若村、咾別村、白人村、別奴村(概ね現・幕別町)
- 凋寒村・蝶多村の各一部が河東郡音更村、旅来村が十勝郡大津村の各一部となる。
大正2年(1913年)4月1日 - 凋寒村が改称して川合村となる。- 大正4年(1915年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、本別村、押帯村、勇足村、幌蓋村、負箙村、嫌侶村の区域をもって本別村(二級村)が発足。(4村)
- 大正6年(1917年) - 人口:30,242名。マラリア患者:188名。
- 大正8年(1919年)4月1日 - 川合村・幕別村が北海道一級町村制を施行。
- 大正10年(1921年)4月1日 - 本別村の一部(南部地区を除く)が分立して西足寄村(二級村)が発足。(5村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 本別村が北海道一級町村制を施行。
- 大正14年(1925年)4月1日 - 川合村の一部(大字居辺村の一部)が河東郡川上村に編入。
- 大正15年(1926年)
- 4月1日 - 幕別村の一部(大字幕別村・別奴村の各一部)が河西郡大正村に編入。
7月1日 - 川合村が改称のうえ北海道一級町村制・町制を施行して池田町(一級町)となる。(1町4村)
昭和7年(1932年)8月15日 - 河西支庁が改称して十勝支庁となる。- 昭和8年(1933年)
5月1日 - 本別村が北海道一級町村制・町制を施行して本別町(一級町)となる。(2町3村)
6月1日 - 池田町の一部(大字居辺村の一部)が河東郡士幌村に編入。
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)
9月15日 - 幕別村が町制施行して幕別町となる。(3町2村)
10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道十勝支庁の管轄となる。
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 幕別町の一部(勢雄および弘和の一部)が河西郡更別村に編入。
- 昭和25年(1950年)4月1日 - 西足寄村が町制施行して西足寄町となる。(4町1村)
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 西足寄町の一部(字斗満の一部、63m2、252戸、1,863人)が足寄郡陸別村に編入。
- 昭和30年(1955年)4月1日(3町1村)
- 西足寄町が足寄郡足寄村と合併して足寄郡足寄町が発足し、郡より離脱。
- 豊頃村が十勝郡大津村の一部(大字当縁村の一部[2])を編入。
- 昭和40年(1965年)1月1日 - 豊頃村が町制施行して豊頃町となる。(4町)
平成18年(2006年)2月6日 - 幕別町が広尾郡忠類村を編入。- 平成22年(2010年)4月1日 - 十勝支庁が廃止され、十勝総合振興局の管轄となる。
脚注
- ^ abc相次ぐ町名変更のため、公開資料を用いての境界線の比定は難しい。
^ 現在の湧洞・長節・旅来・大津・打内および大津各町。
参考文献
角川日本地名大辞典 1 北海道- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)
関連項目
- 松前藩
- 箱館奉行
- 商場(場所)知行制
- 場所請負制
- 北海道の分領支配
中川郡 (曖昧さ回避)
- 中川郡 (天塩国)
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