1984年の野球
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< 1984年 | 1984年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.1.5 オールスターゲーム
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
2.12 12月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 広島東洋カープ | 75 | 45 | 10 | .625 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 73 | 49 | 8 | .598 | 3.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 67 | 54 | 9 | .554 | 8.5 |
4位 | 阪神タイガース | 53 | 69 | 8 | .434 | 23.0 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 51 | 71 | 8 | .418 | 25.0 |
6位 | 横浜大洋ホエールズ | 46 | 77 | 7 | .374 | 30.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 75 | 45 | 10 | .625 | - |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 51 | 15 | .557 | 8.5 |
3位 | 西武ライオンズ | 62 | 61 | 7 | .504 | 14.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 58 | 61 | 11 | .487 | 16.5 |
5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 21.0 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 44 | 73 | 13 | .376 | 29.5 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月13日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 2-3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月14日(日) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 5-2 | 広島東洋カープ | |
10月15日(月) | 移動日 | ||||
10月16日(火) | 第3戦 | 広島東洋カープ | 8-3 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月17日(水) | 第4戦 | 雨天中止 | |||
10月18日(木) | 広島東洋カープ | 3-2 | 阪急ブレーブス | ||
10月19日(金) | 第5戦 | 広島東洋カープ | 2-6 | 阪急ブレーブス | |
10月20日(土) | 移動日 | ||||
10月21日(日) | 第6戦 | 阪急ブレーブス | 8-3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月22日(月) | 第7戦 | 阪急ブレーブス | 2-7 | 広島東洋カープ | |
優勝:広島東洋カープ(4年ぶり3回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 衣笠祥雄 | 広島 | ブーマー.W | 阪急 | | |
最優秀新人 | 小早川毅彦 | 広島 | 藤田浩雅 | 阪急 | | |
首位打者 | 篠塚利夫 | 巨人 | .334 | ブーマー.W | 阪急 | .355 |
本塁打王 | 掛布雅之 宇野勝 | 阪神 中日 | 37本 | ブーマー.W | 阪急 | 37本 |
打点王 | 衣笠祥雄 | 広島 | 102点 | ブーマー.W | 阪急 | 130点 |
盗塁王 | 高木豊 | 大洋 | 56個 | 大石大二郎 | 近鉄 | 46個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 谷沢健一 | 中日 | 231個 | スティーブ.O | 西武 | .443 |
最優秀防御率 | 小林誠二 | 広島 | 2.20 | 今井雄太郎 | 阪急 | 2.93 |
最多勝利 | 遠藤一彦 | 大洋 | 17勝 | 今井雄太郎 | 阪急 | 21勝 |
最多奪三振 | 遠藤一彦 | 大洋 | 208個 | 佐藤義則 | 阪急 | 136個 |
最高勝率 | 江川卓 | 巨人 | .750 | 石川賢 | ロッテ | .789 |
最優秀救援投手 | 山本和行 | 阪神 | 34SP | 山沖之彦 | 阪急 | 25SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 山根和夫 | 広島 | 今井雄太郎 | 阪急 |
捕手 | 達川光男 | 広島 | 藤田浩雅 | 阪急 |
一塁手 | 谷沢健一 | 中日 | ブーマー.W | 阪急 |
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 大石大二郎 | 近鉄 |
三塁手 | 衣笠祥雄 | 広島 | 落合博満 | ロッテ |
遊撃手 | 宇野勝 | 中日 | 弓岡敬二郎 | 阪急 |
外野手 | 山崎隆造 | 広島 | 高沢秀昭 | ロッテ |
山本浩二 | 広島 | T.クルーズ | 日本ハム | |
若松勉 | ヤクルト | 蓑田浩二 | 阪急 | |
指名打者 | L.リー | ロッテ |
オールスターゲーム
詳細は「1984年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
第56回選抜高等学校野球大会優勝:岩倉(東京都)
第66回全国高等学校野球選手権大会優勝:取手二(茨城県)
大学野球
- 第33回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第15回明治神宮野球大会優勝:駒澤大
東京六大学野球連盟優勝 春:法政大、秋:明治大
東都大学野球連盟優勝 春:亜細亜大、秋:駒澤大
関西学生野球連盟優勝 春:近畿大、秋:近畿大
社会人野球
第55回都市対抗野球大会優勝:日産自動車
第11回社会人野球日本選手権大会優勝:住友金属
メジャーリーグ
詳細は「1984年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ:デトロイト・タイガース(4勝1敗)サンディエゴ・パドレス
ナショナルリーグ東地区優勝:シカゴ・カブス
- ナショナルリーグ西地区優勝:サンディエゴ・パドレス
アメリカンリーグ東地区優勝:デトロイト・タイガース- アメリカンリーグ西地区優勝:カンザスシティ・ロイヤルズ
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月7日 - 【MLB】ルイス・アパリシオ、ドン・ドライスデール、ハーモン・キルブリューのアメリカ野球殿堂入りが、全米野球記者協会の投票によって決定。
1月17日 - ロッテは巨人の福島知春を金銭トレードで獲得したと発表[1]。
1月23日 - 野球体育博物館に表彰される野球人を選ぶ競技者表彰委員会が開かれ記者投票の開票を行うが、得票の75パーセントを獲得した候補者が出なかったため「該当者なし」の結果に[2]。
2月
2月6日 日本ハム相談役の三原脩が急性心不全のため世田谷区の自宅にて午後10時40分死去[3]。
3月
3月8日 - 【MLB】ピー・ウィー・リースとリック・フェレルのアメリカ野球殿堂入りが、ベテラン委員会で決定する。
3月31日 - プロ野球はパ・リーグが開幕[4]。
4月
4月4日 - 選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場において行われ、東京都の岩倉高がKKコンビ(桑田真澄・清原和博)を擁する大阪府のPL学園を破り初優勝[5]。
4月6日
- プロ野球のセ・リーグが開幕。
- 南海の門田博光が大阪球場での対阪急1回戦の九回裏に適時打を打ち、プロ通算1000打点を達成[6]。
4月13日 - 【MLB】エクスポズ・ピート・ローズが、タイ・カッブに次ぐメジャーリーグ史上2人目の通算4000本安打を達成。
4月16日 - 大洋はジム・トレーシーの退団を発表。起用法を巡って監督の関根潤三と対立し球団に対して退団を申し入れていた[7]。
4月22日 - 広島が広島球場での対ヤクルト6回戦に8-3と勝利し、球団新記録となる11連勝[8]。
4月25日 - ロッテの有藤通世が川崎球場での対近鉄3回戦の6回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[9]。
4月27日 - ヤクルトスワローズは監督の武上四郎が成績不振と健康上の理由から休養し、ヘッドコーチの中西太が監督代理を務めると発表[10]。
5月
5月5日
近鉄バファローズの鈴木啓示が藤井寺球場での対日本ハム7回戦に先発して4勝目を挙げ、プロ通算300勝を達成[11]。
広島東洋カープの山本浩二が後楽園球場での対巨人4回戦4回表に安打を放ち、プロ野球史上19人目の通算2000本安打を達成[12]。
5月7日 - 近鉄はダン・マネーの退団を発表。マネーは家族がホームシックにかかりアメリカに帰国することを希望し退団を申し入れ、慰留に務めた球団も断念したため[13]。
5月10日 - 横浜大洋ホエールズの平松政次 が横浜スタジアムでの対広島戦の3回表に山根和夫から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[14]。
5月18日 - 日本ハムの柏原純一が後楽園球場での対南海7回戦で9号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[15]。
5月22日 - ヤクルトは代理監督の中西太が神経性の不整脈発作によるめまいで欠場し、一軍投手コーチの土橋正幸が代理監督を代行務める[16]。
5月24日 - ヤクルトは土橋正幸が代理監督に就任したと発表[17]。
6月
6月9日 - 近鉄の加藤英司が藤井寺球場での対南海10回戦の9回裏に、2-3とリードされた場面で金城基泰から5号逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[18]。
6月11日 - 近鉄の柳原隆弘が対南海11回戦の9回裏に二死満塁の場面で代打で起用され、1号逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、近鉄は9日の南海戦(10日の同カードは雨天中止)に続いての2試合連続サヨナラ満塁本塁打で勝利[19]。
6月15日 - ヤクルトは代理監督の土橋正幸を監督に昇格させたと発表[20]。
6月21日
- 中日の大島康徳がナゴヤ球場での対ヤクルト13回戦の5回裏に17号本塁打を放ち、プロ通算250号本塁打を達成[21]。
- 阪急の水谷実雄が平和台球場での対西武16回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[22]。
6月28日 - 日本ハムファイターズは監督の植村義信が辞任したと発表[23]。
6月29日 - 中日は横浜スタジアムでの対大洋12回戦で1回表から9回表まで毎回得点を記録、プロ野球史上4度目。試合は22-9で中日の勝利[24]。
7月
7月3日 - 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト12回戦の三回表に12号本塁打、四回表に13号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[25]。
7月4日
- 巨人は神宮球場での対ヤクルト13回戦で、1試合8本塁打の球団新記録[26]。
- 近鉄の谷真一が後楽園球場での対日本ハム15回戦の四回表に1号満塁本塁打を打ち、これがプロ野球通算1000本目の満塁本塁打となる[27]。
7月5日 - 近鉄の有田修三が後楽園球場での対日本ハム16回戦に7番・捕手として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[28]。
7月7日 - 巨人がナゴヤ球場での対中日16回戦に1-2でサヨナラ負けし、これで対中日戦14連敗となる[29]。
7月11日 - 巨人の河埜和正が札幌円山球場での対広島13回戦の八回裏に5号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[30]。
7月12日 - 西武の東尾修が西武球場での対南海16回戦に先発して五回表に山本和範に死球を与え、パ・リーグ新記録となる通算140与死球となる[31]。
7月16日
- 南海の門田博光が大阪球場での対日本ハム17回戦の6回裏に安打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[32]。
- 阪神の佐野仙好が広島市民球場での対広島16回戦の一回表に7号本塁打、八回表に8号2点本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[33]。
- セ・リーグは東京・銀座の連盟事務所で理事会を開き、今年限りで退任するセ・リーグ会長の鈴木竜二の後任に、元日本鉄道建設公団総裁の川島広守を選任[34]。
7月18日 - 近鉄の柳田豊が平和台球場での対ロッテ20回戦に先発し、7回3失点で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[35]。
7月19日
- プロ野球の前半戦が終了。セ・リーグは中日、パ・リーグが阪急が首位で折り返す[36]。
- ロッテのレロン・リーが平和台球場での対近鉄21回戦の三回裏に16号2点本塁打を打ち、プロ野球通算200号本塁打を達成[37]。
7月24日 - オールスターゲーム第3戦において読売ジャイアンツの江川卓が連続8奪三振。9人目の打者、近鉄の大石大二郎にセカンドゴロを打たれ、江夏豊以来の快挙を逃す。
7月27日
- 西武の大田卓司が西宮球場での対阪急20回戦の9回表に代打として出場して1号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[38]。
- ヤクルトの大矢明彦が神宮球場での対大洋14回戦に8番・捕手として出場し、プロ通算1500試合出場を達成[39]。
7月29日 - 近鉄の平野光泰が札幌円山球場での対日本ハム18回戦の九回表に適時打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[40]。
8月
8月1日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対大洋16回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成[41]。
8月7日 - 阪急の福本豊が大阪球場での対南海18回戦の9回表に二盗を成功させ、プロ通算1000盗塁を達成[42]。
8月9日 - 神宮球場でのヤクルト対阪神19回戦で阪神が9回表に一死から11連続得点のプロ野球タイ記録。打たれたヤクルトの中本茂樹は1イニング11失点[43]。
8月12日 - ロッテの村田兆治が札幌円山球場での対西武16回戦の九回表から登板し1回を無失点に抑え、1982年5月17日対近鉄戦以来の公式戦出場を果たす[44]。
8月16日 - 阪急の村上信一が平和台球場での対ロッテ21回戦の八回裏に代打で登場し2号本塁打を放つ。村上は9日の対南海戦で公式戦初本塁打を代打で記録、プロ2打席でいずれも代打本塁打はプロ野球史上初[45]。
8月20日 - 中日の田尾安志が神宮球場での対ヤクルト22回戦三回表に16号2点本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[46]。
8月21日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場において午後1時3分より行われ、茨城県代表の取手二高が前年度優勝のPL学園を延長10回8-4で破り大会初優勝[47]。
8月26日 - 南海の門田博光が平和台球場での対日本ハム24回戦の2回表に25号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[48]。
9月
9月1日 - 近鉄の鈴木啓示が大阪球場での対南海22回戦の2回裏に門田博光から三振を奪い、プロ通算3000奪三振を記録、史上4人目[49]。
9月9日 - 巨人の江川卓が後楽園球場での対ヤクルト25回戦に先発し二回表に玄岡正充から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[50]。
9月15日 - 西武の東尾修が西武球場での対南海25回戦で勝利投手となって13勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成[51]。
9月17日 - 【MLB】エンゼルスのレジー・ジャクソンが通算500本塁打を達成。メジャー史上13人目。
9月23日 - 阪急対近鉄の第26回戦で阪急が8-4と近鉄を下し、1978年以来6年ぶり通算10度目のリーグ優勝が決定[52]。- 9月30日
- パ・リーグは全日程が終了[53]。
- 大洋の平松政次が今季限りで引退することを表明[54]。
10月
- 10月2日 - 西武の田淵幸一が池袋サンシャインビル内の西武球団事務所にて記者会見し、現役引退を発表[55]。バッテリーコーチの森昌彦と、打撃コーチの与那嶺要の退団が決定[56]。
10月4日 - 大洋対広島23回戦が横浜スタジアムで行われ、広島が3-2で大洋を下し、4年ぶりのセ・リーグ優勝[57]。
10月5日
- 甲子園球場で阪神対中日26回戦が行われ、掛布雅之、宇野勝が5打席連続敬遠[58]。掛布と宇野は本塁打王争いをしており、中日・阪神の両ベンチが敬遠策で勝負を避けていた。両者は3日のナゴヤ球場での中日対阪神26回戦でも5打席連続敬遠を記録しており[59]、掛布と宇野は10打席連続四球のプロ野球新記録[60]。
- 大洋のレオン・リーが横浜スタジアムでの対広島24回戦の7回裏に安打を放ち、通算1000本安打を達成[61]。
10月6日
- セ・リーグ会長の鈴木龍二は、本塁打王争いをしていた掛布雅之と宇野勝が中日・阪神から10打席連続敬遠を受けたことに対し「野球協約の根本理念に反する」との声明を発表[62]。
- 阪神の選手兼内野守備コーチの藤田平の退団が決定[63]。
10月8日 - ヤクルトの水谷新太郎が神宮球場での対大洋25回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[64]。
10月11日 - 西武は野球評論家の土井正博が二軍打撃コーチに就任したと発表[65]。
10月12日 - 阪神は球団社長の小津正次郎と監督の安藤統男が記者会見し、安藤が監督を辞任したと発表[66]。
10月14日 - 【MLB】ワールドシリーズはタイガースがパドレスを下し、優勝。監督のスパーキー・アンダーソンは史上初の「(監督として)両リーグでのワールドシリーズ制覇」を達成。
10月15日
- 大洋は東京・大手町の大洋漁業本社にて記者会見し、新監督に野球評論家の近藤貞雄が就任したと発表[67]。
- 阪神のオーナーの田中隆造と球団社長の小津正次郎は、監督の安藤統男から提出されていた辞表を正式に受理。後任に元近鉄監督の西本幸雄を招聘する意向を明らかにした[68]。
- 沢村賞選考委員会による沢村賞の選考が大阪の新阪急ホテルにて開かれ、「該当者なし」との結果に[69]。
10月16日 - 阪神の球団社長の小津正次郎と球団代表の岡崎義人が兵庫県宝塚市の西本幸雄の自宅を訪ね、監督就任を要請[70]。
10月17日 - 阪神は稲葉光雄、太田幸司の現役引退を発表[71]。
10月18日 - 元近鉄監督の西本幸雄は、監督就任を要請されていた阪神の小津正次郎に対し電話で監督就任を断ると伝える[72]。
10月22日 - 日本シリーズの第7戦が広島球場で行われ、広島が阪急を7-2で下し、対戦成績を4勝3敗として阪急を破り4年ぶり3度目の日本一[73]。
10月23日 - 阪神はホテル阪神にて午後3時より記者会見を行い吉田義男の監督就任を発表。また、取締役会が開かれ、オーナーが田中隆造からオーナー代行の久万俊二郎へ、球団社長が小津正次郎から阪神電鉄本社専務の中埜肇がそれぞれ選出され、続いて行われた株主総会で承認される[74]。
10月25日 - 近鉄は元ヤクルト・ヘッドコーチの中西太の一軍打撃コーチ就任を発表[75]。
11月
11月12日 - 西武の江夏豊が西武球団事務所で記者会見し、引退を表明。この日球団事務所を訪れ「自由契約にしてほしい」と申し出、球団も了承[76]。
12月
誕生
1月
1月1日 - 朝井秀樹
1月8日 - ジェフ・フランコーア
1月14日 - エリック・アイバー
- 1月14日 - マイク・ペルフリー
1月22日 - ウバルド・ヒメネス
1月24日 - スコット・カズミアー
1月30日 - 会田有志
2月
2月4日 - ダグ・フィスター
2月7日 - 真田裕貴
2月10日 - アレックス・ゴードン
2月20日 - ブライアン・マッキャン
2月27日 - アニバル・サンチェス
- 2月27日 - デナード・スパン
3月
3月8日 - 平野佳寿
3月9日 - クレイグ・スタメン
3月12日 - ホセ・アレドンド
3月22日 - ジョー・スミス
4月
4月10日 - 金刃憲人
4月11日 - アンドレス・ブランコ
4月12日 - 松本高明
4月14日 - クリス・ラルー
4月17日 - ジェド・ラウリー
4月25日 - ロバート・アンディーノ
4月26日 - ショーン・ケリー
5月
5月9日 - プリンス・フィルダー
- 5月9日 - チェイス・ヘッドリー
5月14日 - ルーク・グレガーソン
5月24日 - ヘクター・アンブリーズ
5月27日 - ミゲル・ゴンザレス
5月31日 - アンドリュー・ベイリー
6月
6月2日 - 尾崎匡哉
6月5日 - ロビンソン・チリノス
6月9日 - ユリ・グリエル
6月12日 - ロジャー・バーナディーナ
6月14日 - 吉村裕基
6月15日 - クリフ・ペニントン
6月25日 - 高井雄平
6月29日 - 大引啓次
6月30日 - 上園啓史
7月
7月2日 - ウラディミール・バレンティン
7月6日 - 今浪隆博
7月6日 - 岡田幸文
7月7日 - 坂口智隆
7月15日 - 森岡良介
7月26日 - ブランドン・モロー
7月27日 - マックス・シャーザー
- 7月27日 - 西岡剛 (内野手)
8月
8月1日 - ブランドン・キンツラー
8月2日 - ルーク・ヒューズ
8月3日 - マット・ジョイス
8月8日 - 長峰昌司
8月11日 - メルキー・カブレラ
8月14日 - クレイ・バックホルツ
8月15日 - ジャロッド・ダイソン
8月18日 ‐ クーニン
8月28日 - ウィル・ハリス
9月
9月8日 - 阿部健太
9月15日 - ルーク・ファンミル
9月19日 - 吉見一起
- 9月19日 - ダニー・バレンシア
9月21日 - ホアキン・アリアス
9月23日 - マット・ケンプ
9月27日 - 永井怜
9月28日 - ライアン・ジマーマン
10月
10月1日 - マット・ケイン
10月10日 - トロイ・トゥロウィツキー
10月19日 - ジョシュ・トムリン
10月21日 - ホセ・ロバトン
10月22日 - 浅尾拓也
11月
11月1日 - スティーブン・ボート
11月9日 - ジョエル・ズマヤ
11月13日 - トニー・アブレイユ
11月19日 - 大隣憲司
- 11月19日 - 本多雄一
11月22日 - ヤスメイロ・ペティット
11月23日 - ジャスティン・ターナー
12月
12月4日 - 岸孝之
12月6日 - 長野久義
12月13日 - 嶋基宏
12月18日 - 田中大輔
12月19日 - イアン・ケネディ
死去
2月6日 - 三原脩(元西鉄ライオンズ他監督、野球殿堂入り、*1911年)
2月22日 - 門前眞佐人(元阪神・大洋他、広島監督、*1917年)
3月30日 - 金山次郎(元松竹・広島ほか、*1922年)
9月1日 - 伊奈努(元中日、阪神他、*1934年)
10月1日 - ウォルター・オルストン(元ロサンゼルス・ドジャース監督、アメリカ野球殿堂入り、*1911年)
12月2日 - 牧野茂(巨人V9時代のコーチ、*1928年)
脚注
^ 読売新聞1984年1月18日17面「福島捕手、ロッテへ」読売新聞縮刷版1984年1月p649
^ 読売新聞1984年1月24日17面「野球殿堂入り、該当者なしに」読売新聞縮刷版1984年1月p887
^ 読売新聞1984年2月7日夕刊11面「"知将"三原監督逝く プロ一号、黄金時代築く 奇策縦横、華麗な球歴」読売新聞縮刷版1984年2月p271
^ 毎日新聞1984年4月1日21面「『西高東低』開幕デー」毎日新聞縮刷版1984年4月p21
^ 毎日新聞1984年4月5日1面「センバツ 初陣・岩倉に栄冠 強豪PLを1-0で破る」毎日新聞縮刷版1984年4月p123
^ 読売新聞1984年4月7日日16面「乱打戦、結局引き分け」読売新聞縮刷版1984年4月p264
^ 毎日新聞1984年4月15日19面「トレーシーが突然退団」毎日新聞縮刷版1984年4月p475
^ 毎日新聞1984年4月23日19面「広島連勝球団新『11』 山本浩4試合連発 達川は満塁」毎日新聞縮刷版1984年4月p735
^ 毎日新聞1984年4月26日19面「300二塁打」毎日新聞縮刷版1984年4月p833
^ 毎日新聞1984年4月28日17面「武上監督が『休養』 成績不振ヤクルト 代理監督に中西氏」毎日新聞縮刷版1984年4月p919
^ 毎日新聞1984年5月6日18面「鈴木啓300勝 6人目の偉業 気迫19年『幸せや』36歳男泣き」毎日新聞縮刷版1984年5月p158
^ 毎日新聞1984年5月6日19面「37歳 山本浩2000本安打 プロ16年19人目」毎日新聞縮刷版1984年5月p159
^ 毎日新聞1984年5月8日19面「“ホームシック”に泣く近鉄 マネーついに退団」毎日新聞縮刷版1984年5月p193
^ 毎日新聞1984年5月11日19面「平松2000奪三振」毎日新聞縮刷版1984年5月p305
^ 毎日新聞1984年5月19日15面「200本塁打」毎日新聞縮刷版1984年5月p561
^ 毎日新聞1984年5月23日19面「ヤクルトまた指揮者交代 中西代理監督が病欠」毎日新聞縮刷版1984年5月p683
^ 毎日新聞1984年5月25日19面「土橋氏が代理監督に 中西氏はユニフォーム脱ぐ」毎日新聞縮刷版1984年5月p767
^ 毎日新聞1984年6月10日18面「逆転満塁サヨナラ 加藤英通算300号」毎日新聞縮刷版1984年6月p316
^ 毎日新聞1984年6月11日19面「2試合連続 近鉄の奇跡 柳原 代打 満塁 逆転 サヨナラ アーチ」毎日新聞縮刷版1984年6月p351
^ 毎日新聞1984年6月16日15面「土橋代行が監督に」毎日新聞縮刷版1984年6月p497
^ 毎日新聞1984年6月22日19面「250本塁打」毎日新聞縮刷版1984年6月p693
^ 毎日新聞1984年6月22日19面「1500本安打」毎日新聞縮刷版1984年6月p693
^ 毎日新聞1984年6月29日19面「植村監督辞任 ハム奮起 近鉄から今季初白星」毎日新聞縮刷版1984年6月p941
^ 毎日新聞1984年6月30日17面「毎回得点」毎日新聞縮刷版1984年6月p981
^ 毎日新聞1984年7月4日15面「原通算100号」毎日新聞縮刷版1984年7月p95
^ 読売新聞1984年7月5日17面「巨人"乱舞"8アーチ 球団新 クロウ3発、満塁も」読売新聞縮刷版1984年7月p183
^ 毎日新聞1984年7月5日19面「満塁1000号は近鉄・谷真」毎日新聞縮刷版1984年7月p131
^ 毎日新聞1984年7月6日19面「1000試合出場」毎日新聞縮刷版1984年7月p175
^ 読売新聞1984年7月8日17面「悪夢さめず 巨人、中日にサヨナラ負け 救援角、押し出し」読売新聞縮刷版1984年7月p311
^ 読売新聞1984年7月12日17面「巨人・河埜和正内野手(三二)が通算100号本塁打」読売新聞縮刷版1984年7月p485
^ 毎日新聞1984年7月13日19面「パ・リーグ新の140与死球」毎日新聞縮刷版1984年7月p425
^ 毎日新聞1984年7月17日23面「3000塁打」毎日新聞縮刷版1984年7月p551
^ 毎日新聞1984年7月17日23面「佐野が100本塁打」毎日新聞縮刷版1984年7月p551
^ 毎日新聞1984年7月17日23面「川島・新会長を選任 セ・リーグ」毎日新聞縮刷版1984年7月p551
^ 毎日新聞1984年7月19日19面「柳田やっと100勝」毎日新聞縮刷版1984年7月p613
^ 毎日新聞1984年7月20日19面「阪急・中日 首位ターン」毎日新聞縮刷版1984年7月p657
^ 毎日新聞1984年7月20日19面「石川、完投で8勝 リー通算200号」毎日新聞縮刷版1984年7月p657
^ 毎日新聞1984年7月28日19面「通算150本塁打」毎日新聞縮刷版1984年7月p931
^ 毎日新聞1984年7月28日19面「1500試合出場」毎日新聞縮刷版1984年7月p931
^ 読売新聞1984年7月30日17面「近鉄、日本ハムに勝ち越す」読売新聞縮刷版1984年7月p1197
^ 読売新聞1984年8月2日17面「広島・山本浩二外野手(三七)が2000試合出場」読売新聞縮刷版1984年8月p65
^ 毎日新聞1984年8月8日15面「福本走った1000盗塁」毎日新聞縮刷版1984年8月p227
^ 読売新聞1984年8月10日17面「阪神快記録 中本珍記録 プロタイ11得『失』点」読売新聞縮刷版1984年8月p361
^ 読売新聞1984年8月10日19面「“マサカリ村田”帰ってきた ロッテ 20安打10連勝」読売新聞縮刷版1984年8月p475
^ 読売新聞1984年8月10日17面「阪急・村上信一内野手がプロ2打席2本塁打」読売新聞縮刷版1984年8月p625
^ 読売新聞1984年8月21日17面「ヤクルト5位に」読売新聞縮刷版1984年8月p777
^ 朝日新聞1984年8月22日1面「取手二が初優勝 強打でPL圧倒 全国高校野球」朝日新聞縮刷版1984年8月p751
^ 毎日新聞1984年8月27日19面「350号本塁打」毎日新聞縮刷版1984年8月p833
^ 毎日新聞1984年9月2日17面「鈴木啓3千奪三振 史上4人目」毎日新聞縮刷版1984年9月p55
^ 毎日新聞1984年9月10日19面「1000奪三振」毎日新聞縮刷版1984年9月p313
^ 毎日新聞1984年9月16日19面「“苦投”16年 東尾200勝 2安打完封で悲願飾る」毎日新聞縮刷版1984年9月p527
^ 毎日新聞1984年9月24日1面「阪急が優勝 パ・リーグ」毎日新聞縮刷版1984年9月p777
^ 読売新聞1984年10月1日17面「パ・リーグ全日程終了 ブーマー、外人初の三冠王」読売新聞縮刷版1984年10月p17
^ 毎日新聞1984年10月1日19面「平松、現役引退を正式表明」毎日新聞縮刷版1984年10月p19
^ 朝日新聞1984年10月2日19面「パワーと華麗さ ファン魅了し16年 田淵、正式に引退」朝日新聞縮刷版1984年10月p57
^ 毎日新聞1984年10月2日19面「森コーチらも退団」毎日新聞縮刷版1984年10月p51
^ 読売新聞1984年10月5日1面「広島、4年ぶり優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1984年10月p183
^ 読売新聞1984年10月6日17面「あきれました10連続四球 掛布『今さら仕方ない』宇野『投手に悪かった』」読売新聞縮刷版1984年10月p243
^ 読売新聞1984年10月4日17面「二死満塁でも敬遠、キング争い 宇野、掛布 5四球づつ痛み分け」読売新聞縮刷版1984年10月p159
^ 読売新聞1984年10月6日17面「阪神・掛布、中日・宇野ともに10打席連続四球のプロ野球新記録」読売新聞縮刷版1984年10月p243
^ 読売新聞1984年10月5日17面「レオン(大洋)が1000本安打」読売新聞縮刷版1984年10月p243
^ 読売新聞1984年10月7日17面「10連続敬遠は協約理念違反 セ会長声明」読売新聞縮刷版1984年10月p287
^ 毎日新聞1984年10月7日19面「藤田平の退団決定」毎日新聞縮刷版1984年10月p229
^ 読売新聞1984年10月9日17面「ヤクルト・水谷が1000試合出場」読売新聞縮刷版1984年10月p367
^ 毎日新聞1984年10月12日19面「OB土井氏コーチに」毎日新聞縮刷版1984年10月p389
^ 毎日新聞1984年10月13日19面「安藤阪神監督が辞任 留任発表が1カ月 『ファンに申し訳ない』」毎日新聞縮刷版1984年10月p423
^ 読売新聞1984年10月16日17面「近藤・大洋がスタート」読売新聞縮刷版1984年10月p646
^ 毎日新聞1984年10月16日19面「西本氏獲得に全力 阪神の後任監督」毎日新聞縮刷版1984年10月p511
^ 読売新聞1984年10月16日17面「『沢村賞』は該当なし」読売新聞縮刷版1984年10月p646
^ 毎日新聞1984年10月17日15面「西本氏に監督就任を要請 阪神・小津社長」毎日新聞縮刷版1984年10月p539
^ 毎日新聞1984年10月18日19面「稲葉、太田が引退」毎日新聞縮刷版1984年10月p571
^ 毎日新聞1984年10月19日19面「"西本阪神監督"は絶望」毎日新聞縮刷版1984年10月p619
^ 読売新聞1984年10月23日1面「広島が4年ぶり優勝 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1984年10月p927
^ 読売新聞1984年10月24日17面「阪神新監督に吉田氏」読売新聞縮刷版1984年10月p991
^ 毎日新聞1984年10月26日19面「プロ野球だより」毎日新聞縮刷版1984年10月p861
^ 朝日新聞1984年11月13日19面「さびしく退場、異端の大投手 江夏 栄光とトラブル18年 自由契約決定 事実上の引退」朝日新聞縮刷版1984年11月p479
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