大門和彦
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府宇治市 |
生年月日 | (1965-05-31) 1965年5月31日(53歳) |
身長 体重 | 183 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト4位 |
初出場 | 1986年4月8日 |
最終出場 | 1994年6月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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大門 和彦(だいもん かずひこ、1965年5月31日 - )は、京都府宇治市出身の元プロ野球選手(投手)、実業家。右投右打。
目次
1 来歴・人物
2 エピソード
3 詳細情報
3.1 年度別投手成績
3.2 記録
3.3 背番号
4 出典
5 関連項目
6 外部リンク
来歴・人物
京都府立東宇治高等学校を卒業し、1983年、ドラフト4位で大洋に入団。チームのエース遠藤一彦にそっくりな流麗なフォームも有ってか「遠藤二世」と大きく期待された。大洋時代はフォークボールを武器に主に先発で活躍した。また投手ながらバッティングが得意で、自ら先発した試合で3安打を放ち、しかも勝利投手にもなっており、1989年8月に下関球場で行われたヤクルトとの公式戦では本塁打も放っている。
一軍登板なしに終わった1993年、高木豊、屋鋪要、松本豊、市川和正、山崎賢一とともに突然の戦力外通告を受ける。大門は自由契約になり阪神へ移籍したが、僅か5試合の登板に留まり現役を引退した。
引退後は、大門と同時に横浜から戦力外となり先に引退していた市川の紹介で保険会社のソニー生命保険に入社した[1]。営業マンとして成績を上げて2002年に独立し、生命保険代理店の「アイディーリンク」を設立した[1][2]。保険業以外にも整骨院や障害者就労支援事業を手掛けている[1]。
またプロ野球OBとして少年野球教室などで指導している。2010年に「京都ブラックス野球協会」(ヤングリーグ)を立ち上げ[1]、監督として3回の全国大会出場を果たしている(2015年4月現在)。
エピソード
1990年の横浜スタジアムでの対広島戦でロデリック・アレンの体近くに投球し、激怒したアレンが大門を追いかけた際に、逃げる際の3段階でアップになる大門のホラーな顔表情と、アレンとマイク・ヤングに追いかけられ必死に外野まで逃げるシーンがフジテレビの『プロ野球珍プレー好プレー大賞』で面白おかしく取り上げられた。
通算勝敗は負け越しているが、中日戦には強く、通算で10勝9敗と勝ち越しをしている。また阪神戦でも1989年に年間4勝を挙げている(阪神戦の通算成績は8勝10敗)。
中学2年の時に受けたツベルクリン注射の結果が悪く、8ヶ月間の運動停止を言い渡されてその間は野球はおろか体育の授業さえも受けることができなかったが、幸いにも3年の春の大会には間に合う事ができた。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1986 | 大洋 | 28 | 19 | 1 | 0 | 0 | 4 | 8 | 0 | -- | .333 | 403 | 93.2 | 110 | 11 | 28 | 2 | 1 | 57 | 5 | 0 | 51 | 49 | 4.71 | 1.47 |
1987 | 27 | 8 | 2 | 1 | 1 | 2 | 5 | 0 | -- | .286 | 316 | 75.1 | 64 | 10 | 32 | 5 | 2 | 57 | 3 | 0 | 35 | 31 | 3.70 | 1.27 | |
1988 | 32 | 13 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 1 | -- | .500 | 384 | 91.1 | 85 | 9 | 32 | 2 | 6 | 73 | 5 | 0 | 43 | 42 | 4.14 | 1.28 | |
1989 | 34 | 25 | 4 | 1 | 1 | 8 | 13 | 1 | -- | .381 | 787 | 183.1 | 189 | 20 | 62 | 5 | 5 | 117 | 3 | 0 | 92 | 79 | 3.88 | 1.37 | |
1990 | 27 | 14 | 5 | 1 | 0 | 8 | 5 | 0 | -- | .615 | 513 | 120.1 | 122 | 14 | 35 | 3 | 2 | 93 | 2 | 0 | 48 | 43 | 3.22 | 1.30 | |
1991 | 42 | 17 | 3 | 1 | 0 | 6 | 8 | 0 | -- | .429 | 587 | 142.0 | 146 | 15 | 39 | 1 | 2 | 95 | 3 | 0 | 57 | 55 | 3.49 | 1.30 | |
1992 | 38 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 1 | -- | .250 | 373 | 87.1 | 88 | 12 | 29 | 1 | 4 | 55 | 0 | 1 | 41 | 39 | 4.02 | 1.34 | |
1994 | 阪神 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 58 | 13.2 | 14 | 2 | 4 | 1 | 1 | 11 | 0 | 1 | 8 | 8 | 5.27 | 1.32 |
通算:8年 | 233 | 104 | 16 | 4 | 2 | 36 | 52 | 3 | -- | .409 | 3421 | 807.0 | 818 | 93 | 261 | 20 | 23 | 558 | 21 | 2 | 375 | 346 | 3.86 | 1.34 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初登板:1986年4月8日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に牛島和彦から
- 初先発:1986年5月3日、対ヤクルトスワローズ4回戦(横浜スタジアム)、4回1/3を3失点(自責点2)で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:1986年5月11日、対中日ドラゴンズ6回戦(ナゴヤ球場)、5回2/3を4失点
- 初完投勝利:1986年7月10日、対中日ドラゴンズ12回戦(横浜スタジアム)、9回1失点
- 初完封勝利:1987年9月9日、対中日ドラゴンズ22回戦(横浜スタジアム)
- 初セーブ:1988年8月23日、対阪神タイガース20回戦(草薙球場)、8回表に6番手で救援登板・完了、2回無失点
背番号
54 (1984年 - 1991年)
14 (1992年 - 1993年)
41 (1994年)
出典
- ^ abcd“元横浜大洋投手・大門和彦さん「生保業界に飛び込んで22年 大事なのは人の縁」”. 東スポWeb (2017年7月22日). 2017年12月20日閲覧。
^ “社長あいさつ”. アイディーコンサルティング株式会社. 2017年12月20日閲覧。
関連項目
- 京都府出身の人物一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
外部リンク
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
大門 和彦 - Facebook
- アイディーコンサルティング株式会社
- 京都ブラックス野球協会
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