RCDエスパニョール
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| RCDエスパニョール | |||
|---|---|---|---|
| 原語表記 | Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona | ||
| 愛称 | Periquitos | ||
| クラブカラー | 青と白 | ||
| 創設年 | 1900年 | ||
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | ||
| 所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | ||
| ホームタウン | クルナリャー・ダ・リュブラガート | ||
| ホームスタジアム | エスタディ・コルネリャ=エル・プラット | ||
| 収容人数 | 40,000[1] | ||
| 代表者 | |||
| 監督 | |||
| 公式サイト | 公式サイト | ||
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レイアル・クルブ・デポルティウ・エスパニョール・デ・バルセロナ (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona カタルーニャ語発音: [rəˈjaɫ ˈkɫub dəpurˈtiw əspəˈɲɔɫ də βərsəˈɫonə] ライアル クルブ ダプルティウ アスパニョール ダ バルサローナ) は、カタルーニャ州(スペイン)のバルセロナ県クルナリャー・ダ・リュブラガートに本拠を置くプロサッカークラブ。現在はリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属する。
目次
1 歴史
2 スタジアム
3 サポーター・マスコット
4 ユニフォームの変遷
5 タイトル
5.1 国内タイトル
5.2 国際タイトル
6 近年の成績
7 現所属メンバー
7.1 ローン移籍中の選手
8 歴代監督
9 歴代所属選手
9.1 GK
9.2 DF
9.3 MF
9.4 FW
10 参照
11 外部リンク
歴史
エスパニョールの選手達(1980年)
1900年10月28日にバルセロナ大学工学部の学生を中心として設立[2]。初期にはサグラダ・ファミリア近くの広場でプレーし、ソシエダ・エスパニョーラ (Sociedad Española de Footbal) と名乗っていたが一年後にクルブ・エスパニョール (Club Español de Fútbol) に名称を変更。外国籍選手を多く起用していた当時のスペインにおける多くのクラブとは異なり、選手はスペイン人のみに限定していた。1910年にクラブ名をクルブ・デポルティウに変更すると共にユニフォームも現在まで続く青地に白のストライプが入ったデザインとなった。
1912年にはアルフォンソ13世より「レアル」の名の利用が許されレアル・クルブ・デポルティーボ・エスパニョール (Real Club Deportivo Español de Barcelona) と呼ばれるようになった。1930年代の第二共和制下では、王室色を廃してカタルーニャ語を使用したクルブ・エスポルティウ・エスパニョール (Club Esportiu Espanyol) と称していた。1995年にはクラブ名をカタルーニャ語表記 (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) に改めている。ただし、「Deportiu」という表記はスペイン語の「Deportivo」の語尾だけをカタルーニャ語風にしたものであって、単語としては正しくない(カタルーニャ語では「Esportiu」)。略称の「RCD」を変化させずにカタルーニャ語表記にするための苦肉の策である。
同じくバルセロナ県を本拠地とするFCバルセロナとの試合はバルセロナ・ダービーと呼ばれる。カタルーニャ民族主義に基づき伝統的に反マドリードの意識が強いカタルーニャにあって王立を意味する「レアル」を冠しているために[要出典]地元での人気はFCバルセロナに押されがちである。
2004-05シーズンにリーグ戦5位、2005-06シーズンにはコパ・デル・レイ制覇、2006-07シーズンにはUEFAカップで準優勝を果たしている。またリーガ・エスパニョーラに属するクラブの中でも屈指の下部組織を擁し[要出典]、ダニエル・ハルケ、マルク・トレホンなどを輩出している。
2006年夏、ビルバオでUEFAカップ出場権を獲得したエルネスト・バルベルデ監督と契約した。
2006-07シーズン前半戦は優勝争いに絡んだが、後半戦に大きく失速して11位でシーズンを終えた。FWラウール・タムードとFWルイス・ガルシアの両エースが合わせて25得点し、ラウール・タムードはマラニョンが持っていたクラブ記録(111得点)を塗り替えた。UEFAカップではアヤックス・アムステルダムなどと同居したグループリーグを4戦4勝(得点11、失点2)で首位通過し、決勝トーナメントではASリヴォルノ・カルチョ、マッカビ・ハイファ、ベンフィカ、ヴェルダー・ブレーメンを倒して決勝に進出した。決勝ではPK戦の末にセビージャに敗れたが、FWワルテル・パンディアーニが得点王を獲得した。
2007年夏、スーパーサブ的な存在だったワルテル・パンディアーニがオサスナに移籍したが、MFバルド、MFミラン・スミリャニッチ、DFクレメンテ・ロドリゲスなどを獲得して選手層の充実を図った。
2008年夏、エルネスト・バルベルデ監督がオリンピアコスに去り、ヘッドコーチを務めていたティンティン・マルケスが新監督に就任。レアル・マドリード・カスティージャからFWホセ・カジェホン、ヌマンシアからグレゴリー・ベランジェを加えたものの、陣容に大きな変化はなかった。
2008-09シーズンは開幕3戦で勝ち点7と良いスタートを切ったものの、4節からのセビージャ、FCバルセロナ、レアル・マドリード、ビジャレアルとの4連戦(2分2敗)を機に順位は低下し、2008年11月に4連敗したことでティンティン・マルケス監督が解任された。マネ監督が第2監督から昇格したが、6戦を指揮して白星を奪えず、女子チームの監督をしていたかつての英雄、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が迎えられた。最下位でFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーを迎えたが、イバン・デ・ラ・ペーニャの2ゴールで首位のFCバルセロナに勝利した。この15節ぶりの勝利がきっかけとなり、29節から最終節までの10試合を8勝1分1敗で乗り切り、10位まで順位を上げた。この10試合中に21得点しているが、これはシーズン105得点を挙げたFCバルセロナの同期間中の得点数と同じである。モンジュイックのラストゲームとなった最終節でエースのラウール・タムードがハットトリックを達成したが、シーズン6得点に終わり、連続二桁得点記録は9シーズンで途切れた。
移籍が噂されたラウール・タムードに代わり、新キャプテンに生え抜きのDFダニエル・ハルケが就任した。司令塔ジョアン・ベルドゥ、中村俊輔らが加入したものの、開幕直前の8月上旬にダニエル・ハルケが心臓発作で死去する不幸が起こるなど不測の事態が起こり、2009-10シーズンを迎えることとなった。第2節のレアル・マドリード戦は新スタジアムエスタディ・コルネジャ=エル・プラットでのリーグ初戦となったが、0-3で敗北した。序盤から苦戦が続き、下位に低迷し降格圏にも位置することもあったが、後半戦は新戦力のハビ・マルケスなどの活躍により順位が上がり、最終順位は11位で終わった。
2010-11シーズンは開幕戦のヘタフェ戦に勝利し、シーズン初勝利を挙げると、第16節のFCバルセロナに敗れるまでホームで無傷の7連勝を記録。序盤から安定した成績で勝ち点を積み重ね、前半戦をヨーロッパリーグ出場圏内となる5位で終えた。
2015-16シーズンは、夏にキャプテンのFWセルヒオ・ガルシアやFWストゥアニ、MFルーカス・バスケス、DFエクトル・モレノ、GKキコ・カシージャという主力選手の大量放出によって、開幕前は降格候補として挙げられていたが、中位をキープしていた。しかし、それに満足しなかったフロントは12月にセルヒオ・ゴンサレス監督を解任し、ガルカ監督を迎え入れた。
スタジアム
1923年から1996年まではワールドカップの会場にもなったエスタディ・デ・サリアを利用していたが、負債の返済の為この敷地を売却せざるを得なくなり[2]、バルセロナオリンピックのメインスタジアムであったエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(モンジュイック)に移転した。バルセロナ市から賃借していたこのスタジアムはトラックを有した陸上競技場でありサポーターの評判は良いものではなかった[1]。
2009年、バルセロナ市中心部から西に位置するクルナリャー・ダ・リュブラガートに4万人収容のサッカー専用スタジアムであるエスタディ・コルネリャ=エル・プラットが完成し、同年8月2日にこけら落しとしてリヴァプールFCとの親善試合が行われた。

エスタディ・デ・サリア(1923年-1996年)

エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(1996年-2009年)

エスタディ・コルネリャ=エル・プラット(2009年-現在)
サポーター・マスコット
2008年2月対セビージャFC戦
以前利用していたサリア・スタジアム前の公園にインコが多く住んでいたため、もしくは"Gato Perico"という漫画のキャラクターから、クラブのサポーターはスペイン語でインコを意味する「ペリコ」と呼ばれる[2]。クラブのマスコットも着ぐるみのインコであり、その奇妙なデザインから人気が高い。
ユニフォームの変遷
1900 | 1901 | 1910 | 1915 | 1941 | 1966 |
2000 | 2001 | 2004 | 2006 | 2010 |
タイトル
国内タイトル
コパ・デル・レイ:4回
- 1928-29, 1939-40, 1999-2000, 2005-06
カタルーニャ選手権:12回
- 1903, 1904, 1906, 1907, 1908, 1912, 1915, 1918, 1929, 1933, 1937, 1940
コパ・カタルーニャ:6回
- 1994-95, 1995-96, 1998-99, 2005-06, 2009-10, 2010-11
国際タイトル
なし
近年の成績
| 年度 | 所属 | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 国王杯 | 欧州カップ戦 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997–98 | プリメーラ | 10位 | 38 | 12 | 17 | 9 | 53 | 44 | 31 | 2回戦敗退 | ||
| 1998–99 | プリメーラ | 7位 | 38 | 16 | 13 | 9 | 49 | 38 | 61 | ベスト8 | ||
| 1999–00 | プリメーラ | 14位 | 38 | 12 | 11 | 15 | 51 | 48 | 47 | 優勝 | ||
| 2000–01 | プリメーラ | 9位 | 38 | 14 | 8 | 16 | 46 | 44 | 50 | ベスト8 | UC | 3回戦敗退 |
| 2001–02 | プリメーラ | 14位 | 38 | 13 | 8 | 17 | 47 | 56 | 47 | ベスト64 | ||
| 2002–03 | プリメーラ | 17位 | 38 | 10 | 13 | 15 | 48 | 54 | 43 | ベスト64 | ||
| 2003–04 | プリメーラ | 16位 | 38 | 13 | 4 | 21 | 48 | 64 | 43 | ベスト32 | ||
| 2004–05 | プリメーラ | 5位 | 38 | 17 | 10 | 11 | 54 | 46 | 61 | 2回戦敗退 | ||
| 2005–06 | プリメーラ | 15位 | 38 | 10 | 11 | 17 | 36 | 56 | 41 | 優勝 | UC | 3回戦敗退 |
| 2006–07 | プリメーラ | 11位 | 38 | 12 | 13 | 13 | 46 | 53 | 49 | ベスト32 | UC | 準優勝 |
| 2007-08 | プリメーラ | 12位 | 38 | 13 | 9 | 16 | 43 | 53 | 48 | ベスト16 | ||
| 2008-09 | プリメーラ | 10位 | 38 | 12 | 11 | 15 | 46 | 49 | 47 | ベスト8 | ||
| 2009-10 | プリメーラ | 11位 | 38 | 11 | 11 | 16 | 29 | 46 | 44 | ベスト32 | ||
| 2010-11 | プリメーラ | 8位 | 38 | 15 | 4 | 19 | 46 | 55 | 49 | ベスト16 | ||
| 2011-12 | プリメーラ | 14位 | 38 | 12 | 10 | 16 | 46 | 56 | 46 | ベスト8 | ||
| 2012-13 | プリメーラ | 13位 | 38 | 11 | 11 | 16 | 43 | 52 | 44 | ベスト32 | ||
| 2013-14 | プリメーラ | 13位 | 38 | 11 | 9 | 18 | 41 | 51 | 42 | ベスト8 | ||
| 2014-15 | プリメーラ | 10位 | 38 | 13 | 10 | 15 | 47 | 51 | 49 | ベスト4 | ||
| 2015-16 | プリメーラ | 13位 | 38 | 12 | 7 | 19 | 40 | 74 | 43 | ベスト16 | ||
| 2016-17 | プリメーラ | 8位 | 38 | 15 | 11 | 12 | 49 | 50 | 56 | ベスト32 | ||
| 2017-18 | プリメーラ | 11位 | 38 | 12 | 13 | 13 | 36 | 42 | 49 | ベスト8 | ||
| 2018-19 | プリメーラ | 位 | 38 | ベスト8 | ||||||||
現所属メンバー
2019年2月1日現在
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括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
監督
ルビ
ローン移籍中の選手
in
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out
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歴代監督
マルセル・ドミンゴ 1958 - 1959
ルイス・アラゴネス 1990 - 1991
ホセ・アントニオ・カマーチョ 1993 - 1996
パコ・フローレス 1997
ホセ・アントニオ・カマーチョ 1997.6 - 1998.6
マルセロ・ビエルサ 1998.6 - 1998.9
パコ・フローレス 2000.1 - 2002.6
ファンデ・ラモス 2002.6 - 2002.10
ラモン・モジャ 2002.10 - 2002.12
ハビエル・クレメンテ 2002.12 - 2003.11
ルイス・フェルナンデス 2003.11 - 2004.6
ミゲル・アンヘル・ロティーナ 2004.6 - 2006.6
エルネスト・バルベルデ 2006.6 - 2008.6
ティンティン・マルケス 2008.6 - 2008.11
マネ 2008.12 - 2009.1
マウリシオ・ポチェッティーノ 2009.1 - 2012.11
ハビエル・アギーレ 2012.11 - 2014.5
セルヒオ・ゴンサレス 2014.5 -2015.12
コンスタンティン・ガルカ 2015.12 - 2016.5
キケ・サンチェス・フローレス 2016.6 - 2018.4
ダビド・ガジェゴ 2018.4 - 2018.6
ルビ 2018.6 -
歴代所属選手
GK
リカルド・サモラ 1916 - 1919
トーマス・ヌコノ 1982 - 1990
パブロ・カバジェロ 1999 - 2000
アレクサンダー・マンニンガー 2002 - 2003
セルヒオ・サンチェス・サンチェス 2002 - 2003
イドリス・カルロス・カメニ 2004 - 2012.1
DF
マウリシオ・ポチェッティーノ 1994 - 2000, 2004 - 2006
イバン・エルゲラ 1998 - 1999
ジョアン・カプデビラ 1998 - 1999, 2012 -
デリオ・トレド 2000 - 2001
モレノ・トリチェッリ 2002 - 2004
ダニエル・ハルケ 2002 - 2009.8
ピエール・ウォメ 2003 - 2004
セルヒオ・サンチェス 2005 - 2009
ヘスス・マリア・ラクルス 2005 - 2009
フアン・ベラスコ 2006 - 2007
マルク・トレホン・モヤ 2006 - 2009
クレメンテ・ロドリゲス 2007 - 2008
スティーヴ・フィナン 2008 - 2009
MF
パウロ・ソウザ 2001 - 2002
アラン・ボゴシアン 2002 - 2003
マキシ・ロドリゲス 2002 - 2005
イバン・デ・ラ・ペーニャ 2002 - 2011
ジョルディ・クライフ 2003 - 2004
ムスタファ・ハッジ 2004
ファンフラン 2005 - 2006
パブロ・サバレタ 2005 - 2008
フランシスコ・ルフェテ 2006 - 2009
アルベルト・リエラ 2006 - 2008
ミゲル・パランカ 2006 - 2008
ミラン・スミリャニッチ 2007 - 2011
ジョアン・ベルドゥ 2009 - 2013
中村俊輔 2009 - 2010
マルティン・ペトロフ 2013.1 - 2013.7
FW


ラディスラオ・クバラ 1963 - 1965


アルフレッド・ディ・ステファノ 1964 - 1966
ジョルディ・ラルディン 1992 - 1997
イスマエル・ウルサイス 1995 - 1996
ミオドラグ・アンジェルコビッチ 1996 - 1997


フアン・エスナイデル 1997 - 1998
ラウール・タムード 1996 - 2010
ダリオ・シルバ 1998 - 1999
西澤明訓 2000 - 2001
サボ・ミロシェビッチ 2002 - 2003
ホナタン・ソリアーノ・カサス 2002 - 2009
ルイス・ガルシア 2005 - 2011
ワルテル・パンディアーニ 2006 - 2007、2011 - 2012
エベルトン 2008
ホセ・カジェホン 2008 - 2011
ベン・サハル 2009 - 2012
パブロ・ダニエル・オスヴァルド 2010.1 - 2011
参照
- ^ abEspanyol Prepare To Bid Farewell To The Montjuic , Goal.com, 29 May 2009
- ^ abcPERICOZ - RCD Espanyol Supporters Club
外部リンク
- 公式ウェブサイト
RCDエスパニョール (@RCDEspanyol) - Twitter
RCDエスパニョール - Facebook
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