サム・ジョーンズ (バスケットボール)
引退 | |
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殿堂 | バスケットボール殿堂 1984年 |
ポジション(現役時) | ポイントガード |
背番号(現役時) | 24永久欠番 |
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
体重(現役時) | 97kg (214 lb) |
基本情報 | |
本名 | サミュエル・ジョーンズ |
愛称 | ミスター・クラッチ |
ラテン文字 | Sam Jones |
英語 | Samuel Jones |
誕生日 | 1933年6月24日 |
国 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ノースカロライナ州・ウィルミントン |
ドラフト | |
サミュエル・"サム"・ジョーンズ(Samuel "Sam" Jones 1933年6月24日 - )はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手、指導者である。プロバスケットリーグNBAのボストン・セルティックスに12年間所属し、8連覇を含む、10度の優勝に導いた。1984年にバスケットボール殿堂入りした。
目次
1 経歴
1.1 カレッジ時代
1.2 NBA時代
2 成績および受賞歴
2.1 通算成績
2.2 受賞
3 関連項目
4 脚注
5 外部リンク
経歴
カレッジ時代
ノースカロライナで生まれたジョーンズは、大学も地元のノースカロライナセントラル大学に入学した。殿堂入りしたコーチジョン・マクレンドンの下、得点力でチームを牽引し、在学中の4年間の成績はトータル得点1,770ポイント(ゲーム平均17.7ポイント)、トータルリバウンド909(ゲーム平均9.1リバウンド)という好成績を記録している[1]。
NBA時代
ジョーンズは大学卒業後の1957年のNBAドラフトでボストン・セルティックスにピックアップされ入団する。ルーキーイヤーから数シーズンは、ボブ・クージー、ビル・シャーマンの控え選手としてプレイ、ビル・ラッセルを擁し黄金期を迎えたチームを影から支えた。シャーマンが引退する頃には中心選手として活躍し、そしてクージーがチームを離れて以降はK・C・ジョーンズと「ジョーンズ・ボーイズ」を結成、サムは得点でチームを牽引し、勝負所でのシュートを次々と沈めていった。1969年のNBAファイナル第4戦では貴重な逆転シュートをブザービーターで決めて2勝2敗の五分にシリーズを戻しチームは7戦でファイナルを制した[2]。
ジョーンズは8連覇を経験した数少ない選手の一人となり、優勝回数10回は、ラッセルの11回に次ぐ記録となった。
1969年に引退した後、1984年に殿堂入りを果たした。また1970年にNBA25周年を記念したオールタイムチームに選出され、1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。
成績および受賞歴
通算成績
得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである[1]。
レギュラーシーズン (12シーズン) | プレーオフ (8シーズン) | ||||
---|---|---|---|---|---|
871試合総計 | ゲーム平均 | 36分平均 | 154試合総計 | ゲーム平均 | |
ポイント数 | 15,411 | 17.7 | 22.8 | 2,909 | 18.9 |
リバウンド数 | 4,305 | 4.9 | 6.4 | 720 | 4.7 |
アシスト数 | 2,209 | 2.5 | 3.3 | 358 | 2.3 |
受賞
- オールスターゲーム出場:5回 (1962、1964-1966、1968)
- オールNBAセカンドチーム選出:3回 (1964-1966)
- NBAベスト50選手:1996年
関連項目
- ボストン・セルティックスのチーム記録
脚注
- ^ abBasketball-reference.com Sam Jones Statistics Collegeより引用。April 28, 2008。
^ “Sam Jones' 18-Foot Jumper Over the Lakers”. bleacherreport.com (2010年11月8日). 2010年12月4日閲覧。
外部リンク
- サム・ジョーンズ (バスケットボール) --- 略歴と生涯成績 --- NBA (英語),Basketball-Reference (英語)
- NBA公式サイトよりNBA史上50人の偉大な選手
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