駅弁
駅弁(えきべん)とは鉄道駅や列車内で販売されている鉄道旅客向け弁当を指す。1885年(明治18年)7月16日に栃木県の宇都宮駅で販売されたおにぎりが初例である[1][2]。
目次
1 起源
2 駅弁と軍弁
3 販売形態
4 現状
4.1 概要
4.2 地方の名物とする試み、イベント商品としての拡販
4.3 新機軸の導入
4.4 コストダウンの試み - NREの「O-bento」
4.5 駅弁調製業者の現況
5 駅弁の定義について
6 駅弁と茶
6.1 汽車土瓶時代
6.2 ポリ茶瓶時代
7 日本国外における駅弁
7.1 旧日本領
7.2 その他アジア各国
7.3 ヨーロッパ
8 各地の駅弁(有名なものだけを取り上げてある)
8.1 北海道
8.2 東北地方
8.3 関東地方
8.4 甲信越地方
8.5 中部地方
8.6 近畿地方
8.7 中国地方
8.8 四国地方
8.9 九州地方
8.10 沖縄地方
8.11 台湾
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
起源
日本最古の駅弁がどこの駅で発売されたのかについては諸説ある。1885年(明治18年)7月16日に日本鉄道の嘱託を受けた旅館「白木屋」がこの日開業した日本鉄道宇都宮駅で握り飯2個とたくあんを竹の皮に包んで販売した例が、前述のように最初とされる[1][2][3]。そのため、宇都宮説による駅弁発売日である7月16日は「駅弁記念日」となっており、数多くの文献やウェブサイトが駅弁記念日を紹介する際に宇都宮説を紹介している[4]
起源についてはこの他に以下の説がある。
1877年(明治10年)頃の梅田駅(現大阪駅)説[5]。- 1877年(明治10年)頃の神戸駅説[6]。
1883年(明治16年)7月に熊谷駅で寿司とパンを売り出したのが始まりという説[7]。
1883年(明治16年)の上野駅説[8]。
1884年(明治17年)の敦賀駅説[9]
- 1884年(明治17年)に高崎駅説。これは高崎弁当が自説として1884年(明治17年)に高崎駅でおにぎり弁当を発売したと述べているもの[10]であるが、一般的には高崎弁当の販売開始は信越線開通の横川駅での駅弁販売開始に続く1886年(明治19年)3月だったと言われている[2]。
現在のような折詰に入った駅弁は、1890年(明治23年)に姫路駅でまねき食品が発売したものが最初との説がある[11]。また農文協(社団法人 農山漁村文化協会)刊行の「日本の食生活全集 28 聞き書 兵庫の食事(1991)」にも「元祖・駅弁--姫路の『まねき』」と題する記述があり、そこでは1889年(明治22年)に姫路駅で発売された物を駅弁の元祖とし以下のように述べている。
…日本初の駅弁は、明治十八年に日本鉄道会社宇都宮駅で売り出されたものというが、これはにぎり飯二個を竹の皮で包んだだけであった。折り箱に入った幕の内風で、その後の駅弁の形をつくり出したのは、この姫路の駅弁が元祖といえる。
この弁当の中身は「たいの塩焼き、伊達巻き、焼きかまぼこ、だし巻き卵、大豆こんぶ煮付け、栗きんとん、ごぼう煮つけ、少し甘みをつけて炊いたゆり根、薄味で煮つけたふき、香の物は奈良漬と梅干し、黒ごまをふった白飯」とされる(同書)。
また名古屋駅では、1886年(明治19年)5月1日の駅開業時[12]から服部商店(服部茂三郎)[13]により弁当の立ち売りを開始した。これについて、1930年(昭和5年)の月刊雑誌『旅』の「駅辨の話」で以下のように述べられている[14]。
…名古屋の服部商店では、最初から杉の折箱を用い、レッテルを掛けず、蓋には焼印で「驛辨」と押して、紐をかけずに、籐づるでしばって、一折八銭也で発売した。
「最初から」が1886年を意味するならば、姫路駅よりも早いことになる。
駅弁と軍弁
第二次世界大戦前、各所に駅弁業者が開業するにつれ、日本軍の部隊が演習や出征等により鉄道で移動する際の車内での食事用にも駅弁が利用されるようになり、その場合、軍の輸送計画に基づき軍部隊から経路上の駅弁業者に発注・手配が行われた(「軍弁」)[15]。輸送計画の秘匿のため発注がなされるのは直前であり、駅弁業者には短時日で大量の弁当調製対応が求められた。難しさを伴ったものの需要は大きく、駅弁業者はその需要に応えるよう努め、駅弁の進歩・普及の背景ともなった[15]。戦時中は食糧事情の悪化により食材も不足し、軍弁といえども弁当の内容は簡素なものとなっていった。
戦後、自衛隊の部隊の鉄道輸送時にも、移動中の食事には駐屯地給食の手配(「運搬食」)と併せて駅弁も利用されている[15]。
販売形態
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最も一般的な販売形態は、駅構内やホーム上にある駅弁調製業者の売店で店頭に置いて販売している形である。調製業者が経営する駅構内の立ち食いそば・うどん店、キヨスクなど調製業者以外が経営する売店などが扱っている場合もある。
このほかに、駅弁の多く売れる食事時間帯前後や寝台特急列車、イベント列車などの到着時に限り、ホーム上にキャスターつきのカートまたは台を置き、その上に駅弁や茶を陳列して売り子が販売する形態がある[16][17]。また、かつての駅弁売りの典型的スタイルであった、売り子が帯(たすき)のついた長方形の盆状か高さの低い箱状の容器に駅弁や茶を入れ、容器を前方に出す形で首から下げホーム上を歩いて掛け声を発しながら販売する「立ち売り」がある[18]。しかしいずれも減少傾向にあり[18]、(2016年5月)現在でも駅弁の立ち売りが行われているのは、美濃太田駅[19][20](岐阜県)、折尾駅[21](福岡県)、人吉駅[22][23](熊本県)、吉松駅[24](鹿児島県)など日本全国で10駅に満たない。
駅構内のほか、古くから列車(主に優等列車)内の車内販売でも沿線の駅の駅弁が取り扱われている[25]。後述のように、駅弁とされながら業者が駅構内の販売を取りやめて、駅近くの自社店舗等で販売している例もある。
業者によっては電話等で予約し、予約時に乗車する列車と車両を通知すれば当該列車・車両の乗降口まで駅弁を届けて販売するサービスも行なっている。また、そのような予約による販売のみで完全予約制の会席料理と同様の惣菜を重箱に詰めた高価な駅弁も金沢駅などにある[26]。また近年では、インターネット等による駅弁の通信販売を取り扱っている業者もある(低温で配送できるクール宅配便の登場による)。
現状
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概要
かつては停車中に立売りの売り子を窓近くへ呼んで窓越しに購入する方法が主流であった。現在は窓が開閉できない鉄道車両が増えたために窓越しの受け渡しができなくなったことに加え、列車の高速化による停車時間の短縮、目的地への移動時間の短縮、コンビニエンスストアならびにキヨスク(キオスク)の廉価な弁当や弁当以外の軽食・パン類との競合、駅構内での飲食店の充実(いわゆる「駅ナカ」)、優等列車での車内販売の縮小・廃止などによって駅構内や車内販売での駅弁の売上は減少する傾向にあり[27]、業者の撤退・廃業も珍しくない[28][29][30][31]。
地方の名物とする試み、イベント商品としての拡販
駅構内で販売される実用的な食事という枠を越え、地域の特産品などを盛り込んだ郷土色溢れる弁当としての発展を目指すという方向性が駅弁の一つの流れとなっている。それらは自動車旅行のためのドライブイン・サービスエリアや、デパートの催事、インターネットなどによる通信販売などへ販路を広げている。また、駅弁業者が駅弁と同一の商品を近隣の空港で空弁(そらべん)として販売する例もある。
この流れで、駅での販売よりも、駅以外の場所での販売が主力になった駅弁もある。代表例として、ドライブイン・サービスエリアでの販売に重点を移したJR東日本信越本線横川駅の「峠の釜めし」、デパートなどでの販売に重点を移したJR北海道函館本線森駅の「いかめし」の例が挙げられる。
デパートやスーパーマーケットなどで全国の有名駅弁を集めて販売するイベント、いわゆる「駅弁大会」は人気が高く、入荷してから短時間に売り切れることが多い。鉄道会社がイベントの客寄せに使う例もある。博多駅のように周辺地域(博多駅の場合は九州内全域)の人気駅弁を取り寄せて販売する売店があり、周囲の駅のイベントの際はその場所まで出張販売する例もある。
この手の駅弁大会の元祖は、1953年(昭和28年)の高島屋大阪店が嚆矢[32]であったが、全国的に有名にしたのは1966年(昭和41年)に京王百貨店新宿店で開催された[33]「第1回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」であった。全国各地の有名駅弁業者を新宿に集め、その当地でしか食べられない駅弁が一同に集うというこのイベントは、当時としては非常に斬新であり大盛況となった。その後、駅弁大会は京王百貨店新宿店の1月恒例の一大イベントとして定着しており、現在(2019年時点)に至るまで盛り上がりを見せている。駅弁が旅先での一介の食事から、全国的知名度を持つ名物へと認知されるきっかけともなったイベントであった。
新機軸の導入
特殊な装置のある弁当の例としては、1988年(昭和63年)に神戸市の「淡路屋」が化学メーカーと組んで開発した生石灰と水の反応熱を使用した加熱装置を組み込み、食べる前に紐を引いて加熱する駅弁を売り出した例がある。この加熱装置付き駅弁は淡路屋だけでも現在(2016年5月時点)3種類[34]が発売されている。また駅弁業者のグループを通じて利用を呼びかけた事から、株式会社こばやしが販売している仙台駅の「極撰 炭火焼き牛たん弁当」など、淡路屋以外にも追随した業者がある。
コストダウンの試み - NREの「O-bento」
弁当そのものを製造原価の安い日本国外で調製し、日本まで冷凍して運び解凍して販売することで、コンビニ弁当などと対抗することを目指した駅弁が開発されたことがある。JR東日本関連会社の日本レストランエンタプライズ(NRE)が販売した「O-bento」がそれである。発売当初は売上げを伸ばしたもののBSE問題により牛肉関連弁当の製造、輸入中止に追い込まれてから売上げが激減したため2007年(平成19年)10月までに在庫切れをもって販売を終了している。ただしこの「O-bento」は既存の駅弁とは大きくスタイルの異なる商品であり、一般的な駅弁のイメージに合致するものではなかった。
駅弁調製業者の現況
駅弁調製業者は、大きく2分極化している。
一方に、駅弁専業あるいは駅近隣の旅館などの内職として作られ続けてきた駅弁がある。それらの調製元は小規模零細の業者がほとんどであり、衰退傾向にある。近年に駅弁から撤退した業者、あるいは廃業した業者のほとんどはこちらのカテゴリーに属する。2010年(平成22年)4月、大都市である大阪駅などで営業していた水了軒が事業停止・破産に追い込まれている[35]ほか、2010年(平成22年)12月31日で駅弁の駅売りを終了し、事業停止・破産した博多駅の寿軒、2009年(平成21年)に事業停止した水戸駅の鈴木屋(2010年に廃業)などがこれに該当する。そのほかに、新宿駅の田中屋や立川駅の中村亭のようにJR傘下の会社に吸収合併されたケースもある[36]。
ただ、駅構内からは撤退したものの、その後も駅の外(本店)では弁当店や飲食店として営業を継続しているケースとして、日立駅の海華軒、木更津駅の浜屋[37]、亀山駅のいとう弁当店[38]などがある(ただ、これらのケースでは時刻表に弁当マークや弁当案内などの記載などはない)。
もう一方に、駅弁業者を発端として発展を遂げ、現在ではそれぞれの地域で大手の食品製造企業となっている調製元がある。たとえば千葉駅の万葉軒、高崎駅の高崎弁当、横浜駅の崎陽軒、静岡駅の東海軒、敦賀駅の塩荘、神戸駅の淡路屋、広島駅の広島駅弁当などである。これらの調製元は出自として駅弁を守ってはいるものの、売上げ規模などの実態としては既に第一義に駅弁調製業者というのは不適切であり、地域の中核食品企業(外食産業)とでも呼ぶべき存在になっている。たとえば塩荘は日産25000食の供給能力を持つ[39]としており、広島駅弁当に至ってはイベントの際に日産48000食を供給したという実績を持っているほどである[40]。これらの業者は駅弁だけではなく、道の駅や高速道路のサービスエリアの弁当や空港の弁当(空弁)、デパートの地下食品フロア(デパ地下)などにも進出しているほか、その地域にあるコンビニエンスストアやスーパーマーケットで販売される弁当などの製造請負、レストラン・飲食店運営まで手掛けている場合がある。
駅弁の定義について
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駅弁は、広義には「駅構内で販売される弁当」を意味する。しかし最近では駅構内にコンビニエンスストアが出店して「コンビニ弁当」を販売したり、駅弁業者でない企業がいわゆる「駅ナカ」店舗で弁当を販売したりしている例がある。それらが駅弁に当てはまるかどうかについては議論がある。旧来からの駅弁業者が伝統的な駅弁の他にコンビニ弁当に類似した比較的安価な弁当を販売している場合もあるため、厳密な定義は困難である(駅弁業者が出自であっても、その後大規模な食品会社に発展したところではその地域のコンビニ弁当やお惣菜商品の調理を一手に引き受けているところも少なからず存在する)。
狭義の意味では、「駅弁」とは社団法人日本鉄道構内営業中央会(以下「中央会」と略す)に加盟している業者が調製し駅構内で販売しておりなおかつ米飯が入っている弁当のみを指すこともある[41]。
日本国有鉄道(国鉄)時代には白飯と焼き魚、肉料理、フライ、卵焼き、蒲鉾などの一般的な惣菜を使用した、いわゆる幕の内弁当の系列のものを普通弁当と称しそれ以外の弁当を特殊弁当と称して制度上の区分がなされていた[41]。ごはんとおかずというセットになっていないもの、たとえば「押し寿司」などは「特殊弁当」に分類される。さらに国鉄が「米飯がはいっていないものは駅弁ではない」としたために、長万部駅の「そば弁当」や大船駅の「サンドウィチ」などは国鉄末期まで駅弁として認められなかった[42]。なお、国鉄前身の運輸通信省時代である1943年11月1日からは、節米を目的に主要駅の駅弁が一斉に「芋弁当」に切り替えたという、米飯が排除された時期もある[43]。
この「中央会加盟業者が調製である」「米を使っている」という条件に該当する弁当は包装紙に共通デザインの「駅弁マーク」と呼ばれる商標を入れ、交通新聞社発行の『JR時刻表』(大型版のみ)欄外に販売駅弁の記載があるのが特徴である[41]。
この「駅弁マーク」を有する弁当のみが「駅弁」であるという定義づけは当の中央会や一部の人々の間で行われているが、この定義は下記のような事情から現実的とは言えない。
かつての国鉄では、駅改札内での弁当の販売は中央会加盟業者に対してしか認めていなかった。しかし国鉄が分割民営化されJRとなって以降、中央会非加盟の業者にも駅構内での販売を認めるようになったことから「駅構内で販売される弁当」と「中央会」とが必ずしも結びつかなくなった。新規業者の参入のほか既存の業者が中央会を脱退した上で引き続き駅構内での販売を行っている例もあり、「中央会に所属」「駅弁マークがついていること」は条件とはできなくなった。これは駅弁は調製から購入・消費までにタイムラグがあるため、食中毒の防止などを目的として調製方法などにさまざまな厳しい要求があったこととも関係する。製造から4時間以内で売り切らねばならないという規制はO-bentoの登場とともに廃止された。また、もともと私鉄の駅構内で販売される弁当については中央会は(JR駅でも販売している業者を除いて)関係ない。そして、もっぱら私鉄の駅でのみ販売されている駅弁も存在する。
中央会に加盟している業者でも駅構内での販売を取りやめ駅前の自社店舗での販売のみとしながら引き続き駅弁マーク入りの駅弁を販売する例もある一方、駅前に店舗を構える中央会非加盟の弁当業者が独自の弁当を作り「駅弁」を名乗る例もある。後者の例は観光客誘致の手段として、地方においてよく見られる。
中央会加盟業者がJRの駅構内で販売している場合でも、横浜駅や鳥栖駅で売られている焼売や大船駅で売られているサンドイッチ弁当のように米飯が入っておらず「駅弁マーク」を付けることができなかったが一般には駅弁と見なされている商品もある。大船軒の「サンドウィッチ」には駅弁マークこそついていないが、包装紙には「SINCE 1898/日本デ最初ノ駅弁サンドウィッチ」と明記されている[44]。また、山陰本線の益田駅のように、時刻表にはまったく駅弁の表記が無いのに、キヨスクには「益田駅の駅弁」と大きく書かれ、ごく普通にキヨスクで販売されている例もある[45]。
以上のような事情から、駅構内や駅前の弁当業者の店舗で販売される弁当を総合して「駅弁」と呼ぶ場合が多い。デパートで催される駅弁大会に出品されたり旅情報を扱ったテレビ番組で取り上げられたりする「駅弁」もこのような広義の条件に該当する弁当であり、中央会加盟業者が調製する弁当とは限らない。
車内販売の行なわれる列車では駅弁のほか、列車内限定の弁当が販売されていることもある。イベント列車などにおいては、そのイベント限定の弁当が販売されることもある。これらも一般的には「駅弁」に含まれるものと解されている[46]。
駅弁と茶
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多くの販売店では、駅弁を食べる際の飲み物として煎茶が販売されている。販売店によっては街の持ち帰り弁当店と同様に即席の味噌汁やスープも販売し、それらに使うお湯を供するケースもある。
汽車土瓶時代
かつては湯呑兼用の蓋が付いた汽車土瓶と呼ばれる陶器の小瓶入りの茶が売られた。1889年(明治22年)に静岡駅で信楽焼の土瓶にお茶を入れて販売したのが嚆矢と言われている[47][48][49]。
1921年(大正10年)、鉄道省は衛生上の理由により土瓶を禁止したためガラス製のものが登場した。しかし煎茶が丸見えのため、煎茶が尿のように見えて飲む気にならないなどの理由で、わずか数年で製造が中止された[48]。
汽車土瓶は重量があり破損しやすいため、後にポリ容器入りにとって代わる事となるが、現在も汽車土瓶入りの煎茶は小淵沢駅など一部で販売されている[50]ほか、近年でも復刻の形で駅弁とともに期間限定で販売されることもある[46]。
ポリ茶瓶時代
昭和30年代から汽車土瓶に代わって半透明の厚いビニールやポリプロピレンなどで出来たポリ茶瓶が一般的となった。基本的には、黄緑色のプラスチックのスクリューキャップ(ネジ式の蓋。汽車土瓶の蓋同様湯呑機能も持つ)の付いた小瓶にその場でポットなどからお茶を注いで販売されたが、利便性や機能性の面から複数の種類が登場する事となった。前述の容器に既に淹れたお茶を入れるだけの物や、容器に湯を注いで購入者が飲む際に淹れられるようティーバッグを添えて売られるもの、ティーバッグタイプも紐のついたティーバッグを容器の中へ吊るしたもの、紐無しの物を直接投入するだけのもの、画像にあるような弾力のあるビニールの小瓶にティーバッグ専用のスペースを設けて購買者が瓶の上からティーバッグを揉むことで濃さを調節できるもの、容器に茶漉しを付けて粉茶を直接投入するものなどバラエティに富んでいた。
しかしビニール容器入りの煎茶も1980年代末期以降、販売時にお湯を用意する必要のない缶入りの緑茶や烏龍茶が普及したため、少なくなった。さらに1996年(平成8年)4月に500ミリリットル以下のペットボトル飲料の販売が解禁された[51][52]ため、2000年代以降ではあまり見られなくなり、駅弁とともに売られるお茶は、ペットボトルや缶入りのお茶にほぼ取って代わられたといえる。(2016年5月)現在でもポリ茶瓶のお茶が販売されているのは、大原駅[53](千葉県)、伊東駅[54](静岡県)など日本全国で10駅に満たないが、ポリ茶瓶も汽車土瓶と同様に復刻の形で販売されることがある[55][56]。
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日本国外における駅弁
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旧日本領
かつての旧日本領や支配地域(外地)では、現地当局が運営する鉄道(台湾総督府鉄道、朝鮮総督府鉄道、樺太庁鉄道)や南満州鉄道の各駅で、内地同様に駅弁が販売されていた[57]。
台湾では「鐵路便當」と呼ばれる各地の鉄道駅や列車の車内販売で販売される弁当があり、日本の冷めた状態が前提で作り置き販売される駅弁当とは異なり、温かい状態か加熱調理間も無い商品が店頭販売される[58]。駅弁の内容は、排骨飯便當(油で揚げた骨付きの豚ばら肉を白飯の上に載せたもの)や雞腿便當(骨付き鶏もも肉揚げ)に滷蛋(台湾風煮卵)、豆腐干、沢庵漬けや高菜を添えたものなど、米飯と畜肉料理と付け合わせから構成される弁当が一般的である[59][60]。このような弁当は駅や地方により多少の違いはあるが、どの駅でも大きな差異はなく比較的画一的である。また、台東線の池上駅などでは近年まで駅弁の立ち売りが行われていた[61]ほか、2015年7月には台北で国際駅弁祭り(國際鐵道便當節)が開催され、日本や台湾を始めとする6か国11社の駅弁が販売された[62][63][64]。
韓国でも駅構内や車内販売で米飯にプルコギを主体とする惣菜を合わせた幕の内弁当のような弁当、その他の米飯と数種の惣菜による幕の内弁当のような弁当、海苔巻きの弁当が販売されているが日本の駅弁ほどの多様性はない。しかし近年では日本の駅弁文化に習い、ソウル駅に多数の駅弁販売店が出店し、多様な駅弁が販売されるようになった[65]。また北朝鮮では、首都の平壌駅に駅弁があると北朝鮮鉄道本「将軍様の鉄道」に著されている。
樺太南部(サハリン)では、1945年(昭和20年)まで樺太東線知取駅などで駅弁の販売が行われた[66][67]ほか、残留ロシア人による「ロシアパン」の駅売りも行われていた[68]。これらはソビエト連邦による占領以降は廃止されたが、現在(2016年時点)でも、主要駅の売店ではピロシキやサラダなどの惣菜類が販売されている[69]。
その他アジア各国
中国では、食堂車営業列車の車内販売で弁当(盒饭)が販売される。メニューは朝食がマントウと粥、昼食と夕食は米飯や炒麺と肉料理などのおかず数品がセットとなっているのが一般的である。いずれも食堂車で調製され、温かいままの状態で販売される[70]。
モンゴルではウランバートル駅をはじめとする主要駅及び列車内で弁当の販売がある。K3/4次列車など国際列車以外の列車でも、ピロシキや羊肉の入った水餃子などが販売される[71][72]。
東南アジアの各国でも、鉄道駅構内や車内販売で弁当が販売されている。ベトナムの列車では車内販売は国鉄職員が担当し、食堂車で調製された弁当が温かい状態のままスープとともに販売されるほか、駅のホームでも弁当やバインミーが販売されている[73]。タイではガパオライス(米飯の上に肉料理と目玉焼きを載せたもの)やパッタイ、タイカレーなど多種多様な弁当が販売されている[74]。これらの弁当は、発泡スチロール製の容器に米飯を入れ、その上におかずを載せたスタイルが一般的であるが、バナナの葉やビニールに料理を包み、一口サイズにして販売されている弁当もある[74]。マレーシアでもナシゴレンやナシレマッなどの弁当が販売され、紙箱やタッパーなどに入ったもののほか、ナシブンクス(Nasi bungkus)と呼称されるバナナの葉やビニールコーティングされた紙の上に米飯とおかずを盛り、包んだ状態で提供される弁当もある[75]。
インドでは、ダッバー(Dabba)という金属製の容器に、カレーと米飯やチャパティなどのパン類を入れた弁当が鉄道駅や列車内で販売される。
しかしいずれの国でも日本のようにこれらを「駅弁」として特別視する文化・意識は特にない。[独自研究?]
ヨーロッパ
ヨーロッパではイタリア北部・中部やフランスの各地で、肉料理にサラダ、パスタ、パンかサンドウィッチ、小瓶のワインを合わせた食事セットが販売される鉄道駅がある[76]。しかし食事セットはどの駅でも大きな差異はなく、販売される駅も日本の駅弁販売駅ほど多くはない。そもそも、ヨーロッパの路線は乗車時間が長く食事が2回以上必要な場合が多かった。そのため、調理された食料を持ち込んでも2度目の食事には食べられない。その上、大抵の長距離路線では日本よりはメニューが豊かで味がいい料理が出るビュフェが連結されているか軽食を途中駅で買ったり食べたり出来る時間が有るため日本のように駅弁の概念が発達しなかった。[独自研究?]
なお、2012年4月に運行を開始したイタリアの高速列車イタロ(Italo)では、日本の駅弁を参考にしたイタロ・ボックスが有料で提供されている[77]。そのほかに2016年3月より、パリのリヨン駅でJR東日本及び日本レストランエンタプライズとフランス国鉄の共同企画として、日本の駅弁5種類が販売された[78][79]。当初は2カ月間限定の企画であったが、好評であったため販売期間が延長された[80]。リヨン駅では、さらに2018年11月にも期間限定ショップが設けられ、駅弁の販売が行われたことがある[81]。
フランスのパリでは、日本留学時にホームステイ先で作ってもらった弁当を参考にして、3軒の駅弁店を経営している女性が存在する[82]。
駅構内等で販売され販売駅等に限定とされる弁当を「駅弁」と定義する文化・意識はほとんど日本固有[83]のものであり、台湾と韓国には多少そのような文化・意識があるとはいえ日本ほどには確立されていない。[独自研究?]
各地の駅弁(有名なものだけを取り上げてある)
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社団法人日本鉄道構内営業中央会の加盟業者以外の弁当も含む。
北海道
- かきめし(厚岸駅)有限会社氏家待合所
- たらば寿し(釧路駅)釧祥館
いかめし(森駅)いかめし阿部商店
かにめし(長万部駅)かにめし本舗かなや
- 石狩鮭めし(札幌駅)札幌駅立売商会
- やまべ鮭ずし(札幌駅)札幌駅立売商会
- 北海手綱(小樽駅)小樽駅構内立売商会
- 鰊みがき弁当(函館駅)みかど(株)函館支店
東北地方
- 青森味づくし(青森駅)ウェルネス伯養軒
- 八戸小唄寿し(八戸駅)吉田屋
- 鶏めし(大館駅)花善
- いちご弁当(宮古駅)魚元
- 前沢牛めし(一ノ関駅)斎藤松月堂
うに弁当(三陸鉄道久慈駅)清雅荘弁当部(リアス亭)- 網焼き牛たん弁当(仙台駅)こばやし
- 伊達のはらこめし(仙台駅)こばやし
- 牛肉どまん中(米沢駅)新杵屋
- うにめし(いわき駅)住吉屋→鈴木屋・芝田屋(水戸駅)・海華軒(日立駅)→消滅
- いわきカニピラフ弁当・いわきウニピラフ弁当・いわきカニ・ウニ欲張りピラフ弁当(いわき駅)メヒコ
- 浜街道 潮目の駅弁(いわき駅・湯本駅)小名浜美食ホテル
関東地方
- 常陸之國美味紀行(水戸駅)しまだ
- 牛べん(水戸駅・いわき駅・上野駅・東京駅)しまだ
- 印籠弁当(大洗駅・水戸駅)こうじや(万年屋)
- 三浜たこめし(大洗駅)こうじや
- 奥久慈しゃも弁当(常陸大子駅)玉屋旅館
- 下野山菜弁当(宇都宮駅・那須塩原駅)松廼家
- とちぎ霧降高原牛めし(宇都宮駅・那須塩原駅)松廼家
- 日光鱒寿し(東武日光駅)日光鱒鮨本舗
- だるま弁当(高崎駅)高崎弁当
峠の釜めし(横川駅・長野駅)おぎのや
- やきはま弁當(千葉駅)万葉軒
- くじら弁当(館山駅)マリン
- 極附弁当(東京駅)NRE大増
チキン弁当(東京駅・成田空港駅・いわき駅)NRE大増・ジェイアール東海パッセンジャーズ・(仙台駅)NRE仙台調理センター(各者の内容は若干異なる)- 鳥めし・鳥飯弁当(東京駅・新宿駅・水戸駅) - 1960年からの物で「復刻」版もあり
深川めし(東京駅)NRE大増・ジェイアール東海パッセンジャーズ(両者の内容は若干異なる)
シウマイ弁当(横浜駅)崎陽軒
- 横濱チャーハン(横浜駅)崎陽軒
鰺の押し寿司(大船駅・逗子駅)大船軒
鯛めし(平塚駅・小田原駅)東華軒
小鯵押寿司(真鶴駅・湯河原駅)東華軒 - 駅構内のNEWDAYSで販売
甲信越地方
- 鮭の焼漬弁当(新津駅・新潟駅)三新軒
- さけとにしんの親子わっぱ(新津駅・新潟駅)三新軒
- とりそぼろ弁当(長岡駅)池田屋
- 鱈めし(直江津駅)ホテルハイマート
磯の漁火(直江津駅)ホテルハイマート- 釜ぶた弁当(直江津駅)ホテルハイマート
- 高原野菜とカツの弁当(小淵沢駅・茅野駅)丸政
- 元気甲斐(小淵沢駅・茅野駅)丸政
- 直火炊き 山菜鶏釜めし(小淵沢駅)丸政
- 岩魚ずし(塩尻駅)カワカミ
- 安曇野釜めし(松本駅)イイダヤ軒
- 黒の信州牛めし(長野駅)吉美
中部地方
- ますのすし・ぶりのすし(富山駅)源
越前かにめし(福井駅・武生駅・芦原温泉駅)番匠本店- 二味笹すし(金沢駅)大友楼
- 元祖たいずし(敦賀駅)塩荘
- 港あじ鮨(沼津駅・三島駅)桃中軒
- 竹取物語 (富士駅・新富士駅・富士宮駅・身延駅) 富陽軒
- 慶喜弁当(けいきべんとう)(静岡駅)東海軒
鯛めし(静岡駅)東海軒
- 汽車べんとう(大井川鐵道新金谷駅)大鉄フード
うなぎめし(浜松駅)自笑亭
稲荷寿し(豊橋駅)壷屋弁当部・(伊東駅)祇園- びっくりみそカツ・だるまのみそ丼(名古屋駅)だるま名古屋支社
近畿地方
- 牛肉弁当(松阪駅)あら竹
柿の葉寿司(吉野口駅)柳屋
めはり寿司(新宮駅)丸新
- さんま鮨(新宮駅)丸新
- えびずし(和歌山駅)阪和第一食堂
- 小鯛雀寿司(和歌山駅)和歌山水了軒
- 湖北のおはなし(米原駅)井筒屋
- 元祖鱒寿し(米原駅)井筒屋
- 八角弁当(新大阪駅)水了軒・ジェイアール東海パッセンジャーズ
- 大阪弁VS.博多弁(新大阪駅ほか)(旧)水了軒 - 現在は入手不可
- 但馬の里和牛弁当(和田山駅)福廼家総合食品
- ひっぱりだこ飯(神戸駅・西明石駅ほか)淡路屋
- 瀬戸のしゃこめし(播州赤穂駅・相生駅)
中国地方
- 元祖かに寿し(鳥取駅)アベ鳥取堂
- あご寿し(鳥取駅)アベ鳥取堂
吾左衛門寿し(米子駅)米吾- かに寿司(松江駅)一文字屋
- 松江堀川遊覧お弁当(松江駅)一文字屋
- 大和しじみのもぐり寿し(松江駅)一文字屋
- 桃太郎の祭り寿司(岡山駅)三好野本店
- ままかり寿し(岡山駅・倉敷駅)吾妻寿司
たこめし(三原駅)浜吉- 夫婦あなごめし(広島駅)広島駅弁当
- しゃもじかきめし(広島駅)広島駅弁当
あなごめし(宮島口駅)うえの- ふく寿司(新山口駅)広島駅弁当
四国地方
- あなごめし(高松駅)株式会社ステーションクリエイト東四国[84]
- 阿波地鶏弁当(徳島駅)株式会社ヨシダ[84]
- 瀬戸の押寿司(今治駅)株式会社二葉[84]
- 醤油めし(松山駅)有限会社鈴木弁当店[84]
九州地方
かしわめし弁当(折尾駅・小倉駅・鳥栖駅・都城駅ほか)- おこわ無法松弁当(小倉駅)北九州駅弁当株式会社
- あごめし(佐世保駅)株式会社松僖軒
- 高菜弁当(佐世保駅)株式会社松僖軒
- 焼麦弁当(鳥栖駅)株式会社中央軒
- あさりめし(熊本駅)有限会社音羽家
- 鮎屋三代(八代駅)合資会社頼藤商店
- 鮎ずし(人吉駅)有限会社人吉駅弁やまぐち
- 椎茸めし(宮崎駅)宮崎駅弁当株式会社
- えびめし(出水駅)株式会社松栄軒
- 百年の旅物語かれい川(嘉例川駅)森の弁当やまだ屋 - 土・日・祝日限定販売。特急「はやとの風」では通年販売だが要予約
沖縄地方
海人がつくる壺川駅前弁当(壺川駅)那覇市沿岸漁業協同組合(日本最南端の駅弁)- 廃止
油味噌かつサンド(那覇空港駅)35コーヒーステーションカフェ(日本最西端の駅弁)
台湾
台鉄弁当[59](台北駅、台中駅、高雄駅、花蓮駅など)
奮起湖弁当[85][86](奮起湖駅)- 福隆弁当[87](福隆駅) - 2016年11月末を最後にホームでの販売から撤退[88]。
池上弁当[89][61](池上駅)- 関山弁当(繁体字: 關山便當)[90](関山駅)
脚注
- ^ ab角川書店発行 大辞泉
- ^ abc小学館発行 日本大百科全書
^ 日本国有鉄道中央会/会員の家業とその沿革 1958年6月
^ おかげさまで駅弁130周年駅弁のホームページ 社)日本鉄道構内営業中央会
^ ダイヤモンド社/旅窓に学ぶ 1934年7月6日
^ お弁当の淡路屋 会社沿革
^ 1999年「さいたまの鉄道」さきたま出版会
^ 日本鉄道/改正日本鉄道規則及び諸賃金明細独案内 1883年12月
^ 塩荘の歴史 株式会社 塩荘
^ たかべんの歩み 駅弁の歴史 群馬の駅弁 高崎弁当
^ まねき食品株式会社|元祖幕の内
^ 『名古屋駅物語』(著者 徳田耕一、交通新聞社、2016年)48頁によれば1888年(明治21年)とされている。仮に1888年であっても、姫路駅より早い。
^ 服部商店は1922年(大正11年)10月をもって後継者の問題により引退、翌11月から松浦弥兵衛に引き継いだ。これが2016年現在も弁当を調製・販売している松浦商店のルーツである。
^ 林順信、1986年、「駅弁物語」、大野一英・林鍵治『鉄道と街・名古屋駅』、大正出版 p. 102-105
- ^ abc伊藤東作 『本当にあった陸自鉄道部隊』 光人社、2008年、ISBN 978-4-7698-2574-6、p.41-p.42
^ “寝るか起きるか迷う! 寝台特急「あけぼの」の旅”. ZAKZAK. (2013年4月12日). http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130412/dms1304120711009-n1.htm 2016年5月3日閲覧。
^ “【鉄道ファン必見】OL鉄子“SLばんえつ物語”号に乗る! 念願かなった七夕の旅”. MSN産経ニュース. (2012年7月21日). http://sankei.jp.msn.com/life/news/120721/trd12072112010003-n2.htm 2016年5月3日閲覧。
- ^ ab“なぜ、駅のホームで駅弁を売る「立ち売りさん」はいなくなった 駅弁の歴史を紐解く”. NEWSポストセブン. (2014年5月13日). http://www.news-postseven.com/archives/20140513_256277.html 2016年5月3日閲覧。
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^ “コラム/ひとえきがたり/美濃太田駅(岐阜県、JR高山線)”. 朝日マリオン・コム. (2014年3月4日). http://www.asahi-mullion.com/column/article/station/478 2016年5月3日閲覧。
^ 立ち売り紹介 東筑軒
^ “連載「くまもと元気モン!」第375号”. 熊本県広報課. (2008年9月4日). http://www.kininaru-k.jp/2008/back_doc/09/0904/genki.html 2016年5月3日閲覧。
^ 「土地を味わう、立ち売りの駅弁」(熊本県人吉市) BS朝日 - みらい遺産 ~Human×Lands~
^ “昔ながらの駅弁立ち売り、鹿児島県で唯一 JR吉松駅”. 47NEWS(よんななニュース). (2015年9月16日). http://www.47news.jp/localnews/hotnews/2015/09/post-20150916215725.html 2016年5月3日閲覧。
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^ ““最北の駅弁屋”惜しむ声…「角舘商会」廃業”. ZAKZAK. (2009年7月2日). http://www.zakzak.co.jp/top/200907/t2009070238_all.html 2016年5月3日閲覧。
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^ “特急オホーツク 車内販売の思い出”. どうしん鉄道ブログ. (2015年6月18日). http://blog.hokkaido-np.co.jp/tamatetsu/2015/06/post-35.html 2016年5月3日閲覧。
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^ 歴史|バーベキュー弁当の木更津吟米亭「浜屋」
^ 志ぐれ茶漬け弁当 亀山市観光協会
^ 事業紹介 株式会社 塩荘
^ 会社案内 ひろしま駅弁
- ^ abc“何が違う? 駅弁には「公式駅弁」と「非公式駅弁」があるらしい”. Jタウンネット 東京都. (2015年7月20日). http://j-town.net/tokyo/column/allprefcolumn/208967.html?p=all 2016年5月3日閲覧。
^ 原ノ町駅の「いなり天ざる弁当」や出雲市駅の「出雲そば弁当」は、寿司を添えていたことで古くから駅弁として認められていた
^ 富山市史編纂委員会編『富山市史 第二編』(p1154)1960年4月 富山市史編纂委員会
^ 押寿しとサンドウ井ッチ 大船軒
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^ 米質の違いなどもあり、調製した冷飯を食するという食文化が日本以外のアジア各国ではあまり見られないという事も大きい。
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^ 戀戀阿里山-奮起湖大飯店官方網站(正体字中国語)
^ 奮起湖大飯店(嘉義県) 台北ナビ
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^ “福隆月台便當 月底停賣”. 台湾蘋果日報/Youtube. (2016年11月24日). https://www.youtube.com/watch?v=dguGsqoitoY
^ (繁体字中国語)池上木片便當
^ (繁体字中国語)關山便當公式Facebook
参考文献
林順信、小林しのぶ共著 『駅弁学講座』(集英社[集英社新書] / ISBN 4087200523)
ありま猛・きり・きりこ作 『道連れ弁当』(リイド社SPコミックス)
櫻井寛監修・はやせ淳画 『駅弁ひとり旅』(双葉社アクションコミックス)- 京王百貨店駅弁チーム(2001年). 『駅弁大会』, 光文社新書, 光文社. ISBN 4334031048
下川裕治(2011年). 『鈍行列車のアジア旅』, 双葉文庫, 双葉社. ISBN 9784575713718
- 阿部真之、岡田健太郎(2011年). 『中国鉄道大全 中国鉄道10万km徹底ガイド』, 旅行人. ISBN 9784947702692
- 小牟田哲彦(2015年). 『大日本帝国の海外鉄道』, 東京堂出版. ISBN 9784490209112
- 下川裕治(2016年). 『ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行』, 中経の文庫, 中経出版. ISBN 9784046013002
関連項目
- 駅弁の画像
空弁(そらべん) - 空港で売られている弁当
速弁(はやべん) - 中日本高速道路のサービスエリアで売られている弁当- 駅弁大学
駅弁ひとり旅 - 全国の駅弁を題材とした漫画作品
駅弁特急 - 全国の駅弁を題材とした漫画エッセー作品
駅そば - 駅弁販売業者が経営して折り詰めなど弁当を販売している事がある。
外部リンク
駅弁屋(日本鉄道構内営業中央会公式サイト)
全国のうまい駅弁大集合(ぐるなびの旅行グルメサイトぐるたびの駅弁総合ページ)- ウェブサイト駅弁資料館
日本を味わう!駅弁風土記(上記「駅弁資料館」館長の連載コラム)
駅弁博物館([驛弁博物館]駅弁ホームページの元祖なるも消滅?)
駅弁図鑑 西日本編(西日本地区の駅弁紹介/一般社団法人日本鉄道構内営業中央会西日本地区本部)
駅弁の小箱(全国駅弁ガイド・駅弁テーマパーク)
駅弁案内処(駅弁販売店の案内)