将棋
将棋 |
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ゲームの詳細
歴史と組織
棋戦と棋士
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各年度の将棋界 |
2016 - 2017 - 2018 - 2019 |
将棋(しょうぎ)は、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種で、一般に「将棋」というときは特に本項で述べる本将棋(ほんしょうぎ、古将棋や現代の変形将棋類、変則将棋などと区別するための名称)を指す。
チェスなどと同じく、古代インドのチャトランガが起源と考えられている[1]。
以下、本項では主に本将棋について解説する(本将棋以外の将棋及び将棋に関連する遊戯については将棋類の一覧を参照)。
目次
1 総説
2 ルール
2.1 将棋盤と駒
2.1.1 駒の種類
2.1.2 駒の動き
2.2 対局の進行
2.2.1 駒の配置
2.2.2 手番における動作
2.2.2.1 盤上の駒の移動
2.2.2.2 駒の成・不成の選択
2.2.2.3 持ち駒の使用
2.2.3 持ち時間
2.2.4 手合割
2.3 勝敗の決め方
2.3.1 千日手
2.3.2 持将棋
2.3.3 反則行為
2.3.4 公式戦ルールの不備
2.3.4.1 双方連続王手の千日手
2.3.4.2 打ち歩によって、連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態を作った場合
3 戦略と戦術
3.1 ゲームの進行ごとの戦略
3.1.1 序盤戦
3.1.2 中盤戦
3.1.3 終盤戦
3.2 形勢の判断
3.2.1 玉形の状態
3.2.2 駒の価値
3.2.3 手番の先後
3.3 先手の有利度
4 沿革
4.1 古将棋
4.1.1 日本への伝来
4.1.2 平安将棋
4.1.3 将棋の発展
4.1.4 持ち駒の使用
4.2 本将棋
4.2.1 御城将棋と家元
4.2.2 新聞将棋・将棋連盟の結成
4.2.3 将棋禁止の危機
4.3 現代棋界の動向
4.3.1 将棋人口の概要
4.4 日本国外への普及
4.4.1 英語圏の棋譜表記
5 将棋のゲームとしての特質
6 将棋用語に由来する慣用表現
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
総説
チェスやシャンチーなどと区別するため日本将棋(にほんしょうぎ)ともいい、特に日本の「本将棋」には「持ち駒」の観念があることが特徴とされ、これは諸外国の将棋類似のゲームにも例のない独特のルールである(持ち駒を利用したチェス派生のゲームも考案されている)。『レジャー白書』によると将棋人口は推定530万人である。
国際将棋フォーラム[2]や世界コンピュータ将棋選手権[3]の開催などもあり、日本国外への普及も進みつつある。
ゲーム理論の分類では二人零和有限確定完全情報ゲームである。ただし後述する千日手のルール上の不備のために、厳密には「有限」でない点がある(2007年時点の日本将棋連盟公式ルールを前提とする)。
現代の日本では特に本項で述べるいわゆる本将棋(81マスの将棋盤と40枚の将棋駒を使用)が普及している。また、はさみ将棋やまわり将棋など本将棋のほかにも将棋の盤と駒を利用して別のルールで遊んだりする遊戯があり変則将棋と総称される[4]。
歴史的には「大将棋」(225マスの将棋盤と130枚の将棋駒を使用)、「中将棋」(144マスの将棋盤と92枚の将棋駒を使用)、「小将棋」(81マスの将棋盤と42枚の将棋駒を使用)などが指されていたこともあり、これらの将棋は現代の将棋に対して「古将棋」と総称される[5][6]。現代でも中将棋などわずかではあるが愛好家が存在する。他に小将棋から派生したと推定される朝倉将棋が福井県を中心として残されており、主に福井県内のイベントなどで朝倉将棋の大会が開かれている。
ルール
将棋は2人の競技者(対局者)によって行われる。ここでは便宜的に自分と相手と呼ぶことにする。
将棋盤と駒
- 将棋の対局には縦横9マスずつに区切られた将棋盤と将棋駒を用いる。
- 対局者は将棋盤を挟んで向かい合って対局することになるが、このとき将棋盤の自分側から3段目までのマスを自陣、相手側から3段目までのマスを敵陣と呼ぶ。
- 他の将棋に類するゲーム(チェス、シャンチーなど)と違い、駒に色分けなどはなく、敵味方共通の駒を用いる。ただし駒は先の尖った独特の五角形で向きが存在し、一局を通じて自分の駒と相手の駒は常に向き合う方向に配置される。したがって、駒の向いている方向によって、その駒が現在自分と相手のどちらに属しているかが表されることになる。「持ち駒」のルールによって、駒が敵味方どちらに属しているかは目まぐるしく変わることになる。
- 盤上の駒は一局を通じて常に1つのマスに入ることになる(シャンチーのように線の交点に配置されるわけではない)。1つのマスに複数の駒が存在したり、1つの駒が2つ以上のマスに同時に存在することはできない。
駒の種類
- 将棋の駒は玉将(玉)及び王将(王)、飛車(飛)、角行(角)、金将(金)、銀将(銀)、桂馬(桂)、香車(香)、歩兵(歩)の8種類であり、玉将と王将以外はそれぞれ動ける範囲が決まっている。
- 一般的に一組の将棋駒には玉将と王将が1枚ずつ入って構成されている。慣例として上位者が王将、下位者が玉将を用いる[7]。ただし、二つとも玉将である「双玉」と呼ばれるものもある[8]。なお、駒の種類である玉将の「玉」、金将の「金」、銀将の「銀」はいずれも宝物の意味であり[8]、本来は2つとも玉将で構成されている双玉であったと考えられている[8]。したがって、将棋で「王様」と呼ぶのは厳密には正しくないとされる[8](そのため、一般的に棋譜読み上げでも玉将と王将を区別せず「ぎょく」と読み上げる。また、一般的に自分側の玉将(王将)のことを「自玉」、相手側の玉将(王将)のことは「相手玉」あるいは「敵玉」という。ただし、玉将(王将)に利きのかかる手は「王手」と言い、「玉手」と言うことは普通ない)。
- 将棋駒のうち、飛、角、銀、桂、香、歩については敵陣内への移動・敵陣内での移動・敵陣内からの移動の際に成ること(後述)を選択することができ、これによって以下のように駒の動きが変化する(成りを選択した時点で駒を裏返す)。
- 将棋駒のうち一方向に向かって何マスでも進めることのできる飛車、竜(成った飛車)、角、馬(成った角)、香のことを総称して「走り駒」(跳び駒ともいう)という。
- 玉、王以外の大きな駒である飛車、角行はまとめて「大駒(おおごま)」と呼ばれ、金将、銀将をまとめて「金駒(かなごま)」と呼ぶことがある。それぞれ、戦術において似た役割の駒をまとめた言い方でもある。
- 「駒の利き」とは盤上にある各駒の効力が及んでいる範囲(機能している範囲)を言い、各駒の移動可能となっている範囲に相当する。
駒の動き
元の駒 | 動き | 成駒 | 動き | ||||||||||||||||||||
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玉将(ぎょくしょう) 王将(おうしょう) 玉(ぎょく) 王(おう) |
| 全方向に1マス動ける。 | - | - | - | ||||||||||||||||||
飛車(ひしゃ) 飛(ひ) 車(しゃ)[9] |
| 縦横に何マスでも動ける。 駒を飛び越えてはいけない。 | 竜王(りゅうおう) 竜(りゅう) |
| 飛の動きに斜めに1マスの動きを足したもの。 | ||||||||||||||||||
角行(かくぎょう) 角(かく) |
| 斜めに何マスでも動ける。 駒を飛び越えてはいけない。 | 竜馬(りゅうめ、りゅうま) 馬(うま) |
| 角の動きに縦横に1マスの動きを足したもの。 | ||||||||||||||||||
金将(きんしょう) 金(きん) |
| 斜め後ろ以外に1マス動ける。 | - | - | - | ||||||||||||||||||
銀将(ぎんしょう) 銀(ぎん) |
| 前と斜めに1マス動ける。 | 成銀(なりぎん) |
| 金と同じ。 | ||||||||||||||||||
桂馬(けいま) 桂(けい) |
| 前へ2、横へ1の位置に移動できる。 その際、駒を飛び越えることができる。 | 成桂(なりけい) |
| 金と同じ。 | ||||||||||||||||||
香車(きょうしゃ、きょうす) 香(きょう) |
| 前に何マスでも動ける。 駒を飛び越えてはいけない。 | 成香(なりきょう) |
| 金と同じ。 | ||||||||||||||||||
歩兵(ふひょう) 歩(ふ) |
| 前に1マス動ける。 | と金(ときん) と(と) |
| 金と同じ。 |
上の表では便宜的に成銀を「全」、成桂を「圭」、成香を「杏」と表示している。この表記は、将棋駒の活字がない環境で(特に詰将棋で)しばしば用いられる。成銀を「全」、成桂を「今」、成香を「仝」、と金を「个」で表す流儀もある。成銀、成桂、成香、と金は全て「金」と表記されているのが実際で、くずし方を変えることで成る前の駒がわかるようにしている。王将と玉将では役割が同一であっても先手が玉将を持つことで後手と区別している働きが存在する。
対局の進行
将棋は対局者が相互に自らの駒を動かすことによってゲームが進められる。
- 対局において先に駒を動かし始める側の対局者を先手、そうでない側の対局者を後手という。将棋では一局を通じて先手と後手が交互に盤上にある自分の駒のいずれか1つを一度動かすか、持ち駒(相手から取って自分の駒となった駒。後述)を1つ盤上に置くことを1回ずつ繰り返す。この手順における一回の動作(盤上の駒を動かす又は持ち駒を盤上に置く)を「一手」と呼び、動詞としては盤上の駒を動かす場合には「指す」、持ち駒を盤上に置く場合には「打つ」という。
- 「将棋を打つ」という表現がなされることがあるが、将棋は「指す」ものであって「打つ」ものではない。ただし、持ち駒を盤面に配置することは「打つ」という(多くのテーブルゲーム類の中で「指す」という表現を用いるのは将棋類のゲームのみ)。
駒の配置
将棋の対局において駒は対局者各20枚ずつの計40枚を用いる。対局者間の棋力の差によって手合割(ハンデ)を考慮する必要もあり、対局者間の棋力の差がかなり大きい場合には駒落ち(棋力で上回る側に属する駒の一部を盤上から除外した状態での対局)となるが、基本的には駒を落さずに対局者各20枚ずつ対等に駒を持つ「平手(ひらて)」で指される(手合割の詳細については後述)。
将棋の対局を始めるには、まず、駒を盤上の定められた位置(初形の位置)に配置する。将棋の正式な礼法では、対局者のうち上位者が駒袋に入った駒を盤の中央に取り出し、対局者はそれぞれ自陣に大橋流あるいは伊藤流の並べ方によって駒を並べてゆく。慣例として上位者が王将、下位者が玉将を用いる[7]。
平手戦の場合、開始時には駒を次のように並べる。
平手戦の初期配置 |
上図のように盤面を図として表示する場合、下側が先手、上側が後手となる。先手から見て将棋盤の右上のマスを基点とし、横方向に1、2、3、…、9、縦方向に一、二、三、…、九とマス目の位置を表す座標が決められている。棋譜はこの数字を用いて表現される。また、先手は☗(Unicode文字参照2617、)、後手は☖(2616、)で示すのが一般的だが、コンピュータ上ではJIS2004対応などのフォントが必要で、先手は▲・後手は△で示すことも多い。
先手・後手は振り駒により決定する。(プロのリーグ戦など事前に先手・後手が決定してる場合もある。)
手番における動作
自分の番(手番)が来たら、必ず盤上の自分の駒のいずれか1つを一回動かすか、持ち駒を1つだけ盤上に打たなければならない。二手続けて指したり(二手指し)、パスすること(自分の駒を全く移動せず、持ち駒も打たないこと)はできない。
盤上の駒の移動
盤上にある自分の駒は、その駒の種類に応じて駒の動きに書かれている範囲内に存在するマスであれば、どこにでも移動させることができる。ただし、以下のような制限がある。
- 本来の駒の動きの範囲内に含まれていても、盤上に存在しないマスには移動できないので、それぞれの駒の利きは盤上にあるマスの範囲に限られる。したがって、飛、角、香などの走り駒の移動できる範囲は盤の端のマスまでになる。また、盤の端に近い位置にある駒は移動できる範囲がマスのある範囲に限られる。
- 駒の移動においては、それぞれの駒は原則として他の駒を飛び越して移動することができず(桂馬は例外。後述)、また、盤上の駒は常に1つのマスに1つの駒しか入ることができないことから次のような制約がある。
- 自分の駒を移動させることができる範囲内に他の自分の駒が既に存在する場合、その駒によって塞がれているマスには入れない。また、他の駒を飛び越すことはできないので、他の自分の駒を飛び越してその先のマスへと移動することもできない(自分の駒が移動可能な範囲は他の自分の駒が存在するマスの1つ手前のマスまでとなる)。
- 自分の駒を移動させることができる範囲内に相手の駒が既に入っている場合、その相手の駒を捕獲して自分の「持ち駒」とした上で、自分の駒をその相手の駒が存在したマスの位置に動かすことができる。したがって、自分の駒が移動可能な範囲は、その相手の駒が存在するマスにまで及ぶことになる。ただし、他の駒を飛び越すことはできないので、飛、角、香などの走り駒であっても、移動範囲を塞いでいる相手の駒を取った上でそのマスに移動することはできるが、移動範囲を塞いでいる相手の駒を飛び越してその先のマスへと移動させることはできない。
- 桂馬については他の駒とは異なり移動可能なマスが元のマスから離れた場所にあるため(先述の駒の動きを参照)、周囲のマスに他の駒があっても、それを飛び越して移動することができる。ただし、桂馬の移動可能なマスに既に自分の他の駒が入っていて塞がれているときは移動できない。なお、桂馬の移動可能なマスに先に入っている駒が相手の駒である場合には、その相手の駒を取ってそのマスへ移動することができる。
以上のほか、玉将の位置との関係で、自分の駒を移動させることによって自玉を相手駒の利きにさらすことになる場合には、後述する禁じ手に該当することとなり移動できない。
駒の成・不成の選択
前述のように盤上の相手側3段を敵陣と呼ぶが、玉(王)と金以外の駒(飛、角、銀、桂、香、歩)については、敵陣内へ入るとき、敵陣内で移動するとき、敵陣内から出るときに「成る」ことを選択することができる。こうして成った駒を成駒と呼ぶ。成駒となることによって、移動可能な範囲が変化する。飛は竜王(竜)、角は竜馬(馬)となり、それぞれ飛・角の元々の駒の動きに加えて、全方向1マスの範囲にも動けるようになる。また、銀は成銀、桂は成桂、香は成香、歩はと金となり、それらは全て金と同様に扱われる。歩が成った場合にも金と同様に扱われるので、同じ縦の列に歩と成った歩(と金)が並んでも二歩(後述)にはならない。
成りは強制ではなく、成らないこと(「不成(ならず・ふなり[10])」と称する)を選択することができる。ただし、歩を敵陣の一番奥の段に移動させるなど、その駒がそれ以上は動けなくなってしまう場合は、必ず成らなければならない。一度、不成を選択した場合であっても、以後、その駒が成る条件(敵陣に入るとき、敵陣の中で動くとき、敵陣から出るとき)を満たすたびに、成る成らないかを選択することができる。また、一度成駒になってしまうと、その駒が盤上にある限り、元に戻すことはできない。その駒が相手に取られて相手の持ち駒となった時点で、成る前の状態に戻る。従って、持ち駒を成った状態で打つことはできない。
駒が成ることを選択した場合には、それを表示するために、移動先のマスに駒を裏返して配置する(不成を選択した場合には裏返さずそのまま配置する)。銀、桂、香の駒の裏面には「金」の字が崩して書いてある(歩の裏面の「と」も本来は「金」あるいは同音の「今」の字を崩したもの)が、もともとの駒の種類が分からなくならないように各駒の種類に応じて裏面の「金」の字体は変えてある。
上述のように、成りは強制ではなく、成るか成らないかを選択することができる。銀、桂、香は、成ることによって移動できなくなるマスがあるため、不都合を生じることがある(例えば、銀が成ると斜め後ろに動かせなくなる)。そのため、成るか成らないかについて慎重な検討を要することもある。これに対して飛、角、歩は、成っても移動できるマスが増えるだけで減らない(つまり、駒の性能が上がる)ので、成りが選択されることがほとんどである。ただし、極めてまれに、反則である打ち歩詰め(後述)になる局面を回避するなどの理由で、あえて駒を成らない場合もある。その逆に、成ることによって自玉に詰みが生じる局面(大抵は、成ってしまうと自玉の打ち歩詰めが解消されてしまう局面)を回避するなどの理由で、あえて駒を成らない場合もある。
持ち駒の使用
持ち駒(自分の駒が移動した際に捕獲して得た駒)は一般的に盤の脇の駒台に置かれる。持ち駒は盤上の空いているマスであれば、禁じ手(後述)に該当する場合(二歩や行き所のない駒、打ち歩詰め等となる場合)を除いて、好きなところに打つことができる。敵陣に駒を打つ場合でも、成る前の状態で打たなければならない。
持ち時間
プロの公式戦では持ち時間を定め、ストップウオッチまたは対局時計(チェスクロック)を用い、時間切れによる勝敗を厳正に定める。公式戦では、名人戦では9時間、NHK杯では10分というように棋戦ごとに持ち時間が決められているが、残り時間を使い果たした場合は1手当たりの制限時間(30秒から1分)が課される。プロの公式戦以外では持ち時間なしで最初から1手当たり○秒以内で指す、あるいは持ち時間がなくなれば即負けの対局もある。
手合割
二枚落ちの初期配置 |
対局者の棋力の差によってはハンデキャップ付きの対局も行われる。棋力の差が非常に大きい場合、上位者が駒の一部を取り除いて(駒落ち)対局する。右図は「二枚落ち」と呼ばれる駒落ちの場合である。
駒落ちにおいては棋力の差により、1枚ないし2枚の駒を落とすものから、飛車・角行に加え、金将・銀将・桂馬・香車まで落とす十枚落ちまでの手合割がある。特殊なものとしては、上手が玉将1枚だけになる「裸玉」(19枚落ち)、上手が19枚落ち+持駒に歩3枚を持つだけの「歩三兵」や、金落ち・銀落ちといった特殊な駒落ちが指されることもあるが、あまり一般的ではない。
駒落ち戦の場合には「先手」や「後手」ではなく、駒を落とした方を上手(うわて)、落とされた方を下手(したて)といい上手から指し始める。
勝敗の決め方
将棋は原則として互いに自らの駒で相手の玉将(王将)を捕獲することを目指し、一方の玉将(王将)が相手の駒に捕獲されてしまうことが不可避な状態(詰み)となれば勝敗が決まる。
伝統的に「実際に王を取る」ことは忌避されたため、どちらか一方が逆転不可能と判断した時点で投降することにより対局を終了する習慣になっている(投了)。
投了のタイミングは、ルール上は自分の手番であればいつ行ってもよいが、実際に投了する局面としては、自玉が詰まされることが確定的となったとき(自玉が即詰みになることが判明した場合、自玉に必至がかかり敵玉が詰まないとき)がまず挙げられ、相手の攻めを受け切れず、自玉が一手一手の寄り筋となった場合、攻め合いで相手より早く玉を詰ますことができない場合も該当すると考えられる。この他自玉に具体的な詰み筋・寄り筋は見えなくても、到底勝ち目がないと判断して戦意喪失した場合、すなわち相手の受けが強くて一連の攻めが続かなくなった場合(指し切り)や、攻防に必要な駒を相手にほとんど取られてしまった場合、一方的に入玉されて敵玉が寄る見込みのない形になってしまったなどの場合に投了することもある。特にプロの公式戦では完全に詰むまで指すことは極めて稀である。原則的には詰みまたは投了によって勝敗が確定するが、勝敗の決し方には以下のようなものがある。
- どちらかの対局者が以下の状態になった場合には、その対局者の負けとなり、もう一方の対局者の勝ちとなる。
詰み(自玉に王手がかかっており、合法な指し手が存在しない)[11]
投了(勝利不可能と判断して負けを認めた)- 時間切れ(持ち時間がなくなった)
反則行為(反則を行ったことを指摘された)
- ルール違反(基本ルールに反する動作を行った)
禁手(ルールで禁止された手を指した)- 連続王手の千日手(相手玉への王手の連続によって千日手が成立した)
- 相入玉の点数不足(相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で24点未満となった)
- 被入玉宣言(条件を満たした状態で対戦相手が入玉を宣言した)
- 以下の状態になった場合には、引き分けとなる。
- 連続王手以外の千日手(連続王手以外で同一局面が4回現れた)
持将棋(相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で両者ともに24点以上となった)
千日手
同一局面が4回現れた場合千日手となる。同一局面とは、「盤面・両者の持駒・手番」がすべて同一の場合のことをいう。千日手は原則として無勝負・指し直しだが、一方が王手の連続で千日手となった場合は、王手をかけていた側の負けである。これは、千日手が成立した手番に関係ないため、自身が指した手で千日手が成立して負けが決まることもあれば、相手が指した手で千日手が成立して負けが決まることもある。通常の禁手のように、自分が指した手で負けが決まるとは限らないため、ルールでは「禁じられた手」ではなくて「禁じられた局面」と表記している。連続王手の千日手は通常の禁手とは異なる特殊な規定のため、双方連続王手の千日手や最後の審判 (詰将棋作品)といった状況においてルールの不備が指摘されている。
持将棋
先後両者の玉(王)が互いに入玉し、互いの玉を詰ますことが困難になった場合、両者の合意の上で判定により勝敗を決める場合がある。この判定法により引き分けとなる場合を持将棋という。プロの公式戦においては、大駒1枚につき5点、小駒1枚につき1点とし、互いに24点以上であれば引き分けとしてる。アマチュアの大会の場合はそれぞれの規定による。一般に27点法(同点)が採用され、点数が多い方が勝ち、同点の場合は後手勝ちとしている。
反則行為
次に挙げる行為は反則と決められており、着手した場合直ちに負けとなる。対局中であれば、反則行為が行われた時点ではそれに気付かずに手が進められても、後になって反則に気付き指摘された時点で勝敗が決定する。ただし、対局相手が反則に気づかないまま投了・終局した際は投了が優先される。また、対局中の助言は一切禁止されるが、反則行為が行われた場合に限り第三者がそれを指摘しても良い[12]。
反則によって決着した場合は、その時点で反則者が投了したものとする[13]。
- ルール違反
- 2手続けて指す(二手指し)、後手が誤って初手を指す、ルール上移動できない位置に駒を移動する(特に、角(馬)を遠い位置に移動させるときに間違えやすい)、駒を成れない状況で成ってしまう、玉や金を成ってしまう、成り駒を盤上で裏返し元の駒に戻す、成り駒を打つ(持ち駒を裏返して打つ)、持ち駒を駒台に乗せず手に隠し持つあるいは将棋盤や駒台の陰に置く(隠し駒)などの基本ルールに反する行為。いったん着手した手を変える行為(待ったと呼ばれる)も基本的には即負けである。駒から手を離した時点で着手が完了となるため、一旦駒を動かしても手を離さなければ、その時点では元に戻して別の手を指してかまわない。ただし、仲間同士の気楽な対局や駒落ちなど指導を目的とする対局の場合は、例外的に許可される場合もある。しかし、多くの人は「待った」をマナー違反とみなすため、注意が必要である。
- 禁じ手
- 基本ルールには反していないが、特別に禁止されている手のこと。
- 連続王手の千日手
- 連続王手での千日手は王手している側が指し手を変更しなければならないが、これを行わずに千日手が成立してしまった場合。千日手が成立した時点で反則になるため、対戦相手が指し手によって反則が確定する場合もある。
禁じ手は以下の通りである。
二歩
- 成っていない歩兵を2枚以上同じ縦の列に配置することはできない。
行き所のない駒の禁止
- 盤上の駒を行き先のない(動けない)状態にしてはいけない。味方の駒に進路を塞がれて一時的に動けない場合はこれにあたらない。打つ場合、不成で進む場合ともに敵陣1段目と2段目の桂馬、1段目の香車・歩兵は配置してはいけない。したがって盤上の桂馬・香車・歩兵がその場所に進む場合は必ず成らなければならない。
打ち歩詰め
- 持ち駒の歩を打って相手の玉を詰ませてはいけない。ただし、歩による王手が詰め手順の最終手でなければ、歩を打っての王手は反則ではない。したがって、歩を打って王手をかけたのちの連続王手で最終的に「詰み」が成立することは問題がない。また、盤上の歩を突いて玉を詰ます突き歩詰めは問題ない。
- 自玉を相手駒の利きにさらす手(王手放置)
- 自らの着手の後、自らの玉が王手のかかった状態にあってはいけない。すなわち、
- 相手に王手された場合は王手を回避しなければならない。
- 玉を相手の駒の利きに移動してはならない。
- 玉以外の駒を移動させた結果、玉が相手の駒(香車、飛車(竜王)、角行(竜馬))の利きにさらされるようにしてはならない。
- 自らの着手の後、自らの玉が王手のかかった状態にあってはいけない。すなわち、
プロの棋戦で発生した反則は、記録に残っているもので回数が多い順に下記のとおり(2018年10月20日現在)[14]。プロの棋戦では打ち歩詰め・行き所のない駒によって反則負けになった例は現時点では1例もない。
1位 | 二歩 | 86回 |
---|---|---|
2位 | 二手指し | 28回 |
3位 | ルール違反の手を指す[15] | 25回 |
4位 | 王手放置、自らの玉を相手の駒の利きにさらす | 14回 |
5位 | 後手が初手を指す | 6回 |
6位 | 連続王手の千日手 | 2回 |
その他、特殊な例として、
- 持ち駒を成駒の状態で打った(成銀を金と見間違えて打ったという事例がある。参考)。
- 駒を飛び越える位置に角を動かした[16]。
- 自分が取った駒を相手の駒台に乗せた[17]。
- 盤上から駒台に移ってしまった香車を持ち駒として使用した(服の袖が当たったことが原因である。参考)。
- 相手の駒を取った後、別の場所に駒を動かした(8八の玉将で7八の相手の馬を取ろうとして、馬を駒台に移した後玉将を8七に移動させた。棋譜上は馬を取らずに玉を8七へ指した王手放置となっている。参考)。
- いったん不成で敵陣に置いたように見えた駒を持ち直し、成りに変えた。対局はそのまま継続されたが、テレビ放送後の視聴者の抗議を受け、「待った」であるとされた[18]。
- 自分で自分の駒を取った(国際将棋トーナメントBクラス日本代表のさかもと未明)。
- 竜を盤上で動かすときに、再び裏返して飛車に戻した(マイナビ女子オープンの畑中さゆり)。
という反則が知られている。
なお、「王手をするときには『王手!』と言わなければいけない」と誤認する者も多いが、そのようなルールは存在しない[19]。これは、本来「自分で気づかなければいけない」とされているためである[20]。そのような王手の発声は、指導対局や縁台将棋、初心者同士の対局などで慣習的に行われる場合があるに過ぎず、プロの公式戦などで行われることは皆無である。
公式戦ルールの不備
双方連続王手の千日手
- 一方が連続王手の千日手の場合には負けとなるが、両者が連続王手で千日手となった場合については定義されていない。ただし、公式戦での前例は存在しないとされ、特に問題視されていない。
打ち歩によって、連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態を作った場合
打ち歩詰めに該当するのか否かが不明である。連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態は詰みとみなすのかどうかに依存し、現行ルールではどちらの解釈も可能である。公式戦での前例は存在しないとされるが、「最後の審判」という詰将棋の問題において、発生する可能性が指摘されている。
公式戦ルールの不備が改正された例としては、1983年に千日手の規定が「同一手順を3回繰り返した場合」から「同一局面が4回現れた場合」に変更された例がある。旧規定では、千日手になることなく無限に指し続ける手順の存在が数学を用いて簡単に証明でき、実際に千日手模様の無限ではないが、かなり長手数の対局が見られたことから改正された。
戦略と戦術
ゲームの進行ごとの戦略
一局の対局はおおよそ100手前後(先手・後手それぞれの着手を1手と数える)で勝負がつくが、対局全体を大きく以下の3つに分けることができる。ただし、何手目までが序盤であるかなど、明確な線を引くことは通常はできない。
- 序盤
- 初手から駒組みが完成するまでのおおよその間。
- 中盤
- 駒組みが完成し、両軍の駒のぶつかり合いが始まってから、劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めるまでのおおよその間。
- 終盤
- 劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めてから、終局までの間。
序盤戦
序盤戦はまず戦型を選択するところから始まる。
初手は角道を開ける▲7六歩か飛車先の歩を突く▲2六歩のどちらかが多く、ほとんどの対局はこのどちらかで開始される。しかし、先手ゴキゲン中飛車や藤井システムの登場などにより新しい指し方の研究も進んでいて、▲7六歩や▲2六歩以外の初手についても(まだまだ数は少ないが)いろいろと試みられている。
戦法は、飛車を初期位置から動かさずに攻める居飛車戦法と、左へ動かして展開する振り飛車戦法の2通りに大別され、それぞれに定跡が研究されている。その知識と研究に加えて、相手の動きを見ながら先々の有利を見すえる大局観が重要となる。
基本的には金や銀を使って玉の守りを固め(囲い)ながら、駒を繰り出して敵を攻める体勢を作ることになる。囲いを簡略化してすぐに攻めに入ることを急戦といい、じっくりと守りを固めてから戦いに入ることを持久戦という。双方が囲い合い、駒のぶつかり合いが始まると中盤戦に突入する。
なお、序盤戦での攻め駒と守り駒の配分については、標準的には攻めは主に飛角銀桂(香歩)、守りは金銀3枚と言われている。ただし、これはあくまでも標準であり、金銀4枚すべてを囲いに用いる場合など異なる場合もある。
中盤戦
中盤戦は、駒を取り合い、敵陣に切り込んで相手の囲いを崩しに行く戦いになる。駒の損得と働きが重要になる。
銀、桂、歩などを繰り出しながら相手の駒を攻めて駒得(「駒の価値」の項を参照)を狙い、敵陣に攻め入って竜、馬やと金などを作って相手玉の囲いを脅かすこと、またそのような相手の攻めを防ぐ(受ける)攻防が主となる。攻めと受けのどちらに主眼を置くかによって個人の棋風が現れる部分である。一方または両方の囲いが崩れ出すと、終盤戦に突入する。
なお、駒組みが未完成のまま駒がぶつかり合うことになってしまった場合などには、中盤戦といえるものがはっきりとせず、序盤戦から急に終盤戦に入ったと評価されるような場合がある。
終盤戦
終盤戦では、相手の玉を詰ましに行く(寄せる)戦いになる。駒の損得よりも玉を寄せるスピードが重要となり、正確な読みの力が重要となる。
囲いを崩しながら相手玉に迫り、詰めろをかけ続け、最終的には詰将棋のように王手の連続で詰みまで持っていくことになる。お互いに玉に迫りあっている場合、相手への詰めろを1手外すと逆に自玉にかけ返されてしまうので、1手の緩手で勝敗がひっくり返ってしまうこともある重要な局面である。
一方的に攻められている場合は玉が詰まされないよう逃げ道を確保する。入玉を目指し早めに逃げることもある。
王手には強制力があり、絶対的先手となるので、王手をかけ続ける限りは、(逆王手を除けば)自らが攻め続けることができる。反面、「王手は追う手」「王手するより縛りと必至」という格言があるように、敵玉が即詰みでない場合の安易な王手は、敵玉を安全地帯に逃がして負けにつながることも多く、縛りをかけながら必至を狙う方が勝ちにつながることが多い。終盤戦の重要な概念である詰めろは、王手ではないが放置すると次の手から即詰みになるような手あるいはその状態をいい、その中で最も厳しいもの、つまりどのような受けの手を指してもそれが解除できないような手あるいはその状態を必至という。
形勢の判断
局面の形勢判断の要素としては、玉形の状態、対局者双方の駒の価値(駒得か駒損か)、手番を握っているかどうかなどがある。
玉形の状態
玉形とは、玉将(王将)の位置とその周りの駒の位置のことである。遠さ、堅さ、広さなどの要素で判断される。
- 遠さ
- 基本的に玉は五筋(中央)から離れているほど良いとされる。これはマスの端よりも外から駒が利くことがあり得ないため、玉周辺への攻めが集中しにくいことと、端にある駒(桂馬・香車)が初期位置から動かすことなく防御に使えるためである。通常、玉は戦場(攻め駒がぶつかりやすい場所)からできるだけ遠い場所にいるほうが安全と考えられており、これに関連する将棋の格言として「居玉は避けよ」や「玉飛接近すべからず」などがある。ただし、局面の展開によっては端にいることで逆に逃げる場所が無くなり負けてしまうこともあるので、一概に端にいれば良いというわけではない。
- 堅さ
- 玉の周りに置かれる駒を一般的に囲いと呼び、囲いに使われる駒の位置も玉形に含まれる。将棋では囲いの防御の性能を「堅い」あるいは反対に「薄い」などと表す。
- 囲いは通常自分から動かすことはない。なぜなら囲いとして駒を置いた位置が、最も玉を守れる形である場合が多いため、その位置から動かすことは囲いの性能を落とすことになる。この囲いに使われる駒を攻められ、位置を移動させられたり(駒を移動させて防御の性能を落とさせることを崩すという)、駒自体を取られたりする(囲いの駒を取ることをはがすという)と玉形が悪くなり囲いは薄くなる。
- この玉の位置と囲いの形を総合して玉形と呼び、この状態が良いか悪いは勝敗に大きく関わってくる。たとえ駒得をしても玉形が悪ければ形勢が不利とされることがある。相手の玉形を悪化させるためにわざと駒損をしたり、逆に玉形を悪化させてでも駒得を狙うこともある。
- 一般には金や銀といったいわゆる金駒や角の成った馬が玉の周りに囲いとして組み込まれ、その枚数が多ければ多いほど堅いと評価されるが、囲いを形成する駒相互の位置関係によって囲いの堅さは大きく変化する。例えば一般に角や桂といった前のマスに利きのない駒(将棋では頭が丸い駒という)は玉の上部の防御には不向きである。なお、玉形の良し悪しは相手の攻めの形に大きく影響されるため、相対的に玉形が良いとされることはあるが、この形が絶対的に良いと呼べる玉形はない。例えば居飛車同士の場合、玉は上からの攻めに囲いを使うが、この時の囲いは横からの攻めに弱く、相手が振り飛車であった場合、同じ囲いだと玉形は非常に悪い。
- 広さ
- 最終盤では玉形の評価として「堅さ」の要素とは別に「広さ」の要素が評価されることもある。「広さ」は具体的には玉の逃げ場所の広さをいい、広ければ広いほどプラスに評価される。相手玉を詰ませるためには攻め駒が必要となるが、相手玉の逃げ場所が広ければ広いほど詰ませるのに多くの攻め駒を必要とする(捕まりにくい状態になる)からである。序盤に築かれた玉の囲いが相手側の攻めによって崩された場合でも、終盤の局面で玉に有効とみられる逃げ道がある場合には広いとプラスに評価されることもある。
駒の価値
将棋の駒は動けるマスに違いがあることから、それぞれ価値が異なる。玉将(王将)はゲームの勝利条件となる最終目標の駒であるから、当然最高の価値を持つ。その他の駒の価値は局面によって変わってくるが、おおむね価値のある順に飛角金銀桂香歩となる。このうち、特に価値の大きい飛車と角行を大駒といい、大駒と比べて価値の小さい金将・銀将・桂馬・香車・歩兵を小駒という。
ただで相手の駒を手に入れたり、自分の価値の低い駒と相手の価値の高い駒を交換したりすれば、局面を有利にできることが多い。このようにして、駒のやりとりで自分の戦力を上げたり相手の戦力を下げたりすることを駒得(こまどく)という。反対に相手に駒得をされることを駒損(こまぞん)という。駒得・駒損は形勢が有利か不利かを判断する目安となるものであり、特に相手の玉将を詰めるという目標がまだ見えていない序盤から中盤は基本的に駒得を目指していくことになる。
角行と金将+銀将を交換するなど、駒1枚と駒2枚の交換をすることを二枚替えという。特に、狭義には、自分の大駒1枚と相手の歩兵以外の小駒2枚を交換する場合を指して二枚替えという。狭義の二枚替えでは、小駒2枚を得た側が有利とされることが多く、駒得をはかるための基本的な戦略の一つとなっている。例えば、角行を相手に渡したかわりに金将と銀将を手に入れた場合、金銀2枚を得たメリットが角行を失ったデメリットを上回る。もっとも、例えば飛車1枚と桂馬+香車の2枚との交換ならば一般に飛車のほうが価値は大きく、必ずしも小駒2枚が駒得となるわけではない。
この際、駒得・駒損の目安として、各駒の価値を点数化した表を用いて点数計算をする方法がある(なお、ここでいう点数計算は持将棋となった場合の判定のための点数計算とは無関係であるので注意)。コンピュータ将棋のソフトウェア(ソフト)では、各駒の点数を内部で計算したものを局面評価のためのベースとすることが多い。また、駒の点数計算による駒得・駒損の評価は、最も基本的な価値判断の方法としてプロ棋士が執筆した将棋の入門書などでも解説されることが多い。ここでは、代表的なコンピュータ将棋ソフトとして世界コンピュータ将棋選手権で複数回の優勝経験があるPonanza[21]とBonanza[22][23]、代表的な棋士として永世名人の資格保持者である羽生善治[24]と谷川浩司[25]の4者がつけた評価値のうち、それぞれ最新のもの[26]を掲載する。
駒 | Ponanza | Bonanza | 羽生善治 | 谷川浩司 |
---|---|---|---|---|
歩兵 | 0.9 | 1.2 | 1 | 1 |
香車 | 3.2 | 3.3 | 3 | 3 |
桂馬 | 4.1 | 3.6 | 4 | 4 |
銀将 | 5.2 | 5.2 | 5 | 5 |
金将 | 5.6 | 6.3 | 6 | 6 |
角行 | 9.5 | 8.0 | 9 | 8 |
飛車 | 10.8 | 9.1 | 10 | 10 |
と金 | 5.9 | 7.5 | 8 | 7 |
成香 | 5.6 | 6.9 | 6 | 6 |
成桂 | 5.7 | 7.2 | 6 | 6 |
成銀 | 5.8 | 7.0 | 6 | 6 |
竜馬 | 10.9 | 11.7 | 13 | 10 |
竜王 | 15.4 | 13.4 | 15 | 12 |
例えば、羽生方式や谷川方式によった場合、自分の飛車を相手の金将・銀将の2枚と交換(二枚替え)すると、自分は6点+5点-10点=1点、相手は10点-(6点+5点)=-1点で、差し引き2点自分が得したことになる。また、自分の成香(香車の成り駒)と相手の金将を交換すると、自分は6点-6点=0点、相手は3点-6点=-3点で、差し引き3点だけ自分が得したことになる。
ただし、以上の形式的な駒の種類による価値判断(点数計算)は絶対的なものではなく、あくまでも目安となるにすぎない。駒の価値は各局面に応じて変化していくため、実際の対局における形勢判断においては、より実質的に判断される。
例えば、序盤において、左の香車と右の香車は先程の点数計算では同じ3点(羽生式や谷川式の場合)となる。しかし、もし玉将を左側に囲った場合、左の香車は玉将の守備を行う役割があることから、一般的に右の香車よりも価値が上がるとされる。また、持ち駒の歩兵が0枚から1枚に増えた場合と、1枚から2枚に増えた場合とを比べた場合、形式的な計算ではどちらも1点であるが、実質的には前者のほうが価値が大きいとされることが多い。これは、歩切れ(持ち駒の歩兵がない状態)は、何かと入り用になる歩兵を好きなタイミングで使うことができずに不利とされているためである(「歩のない将棋は負け将棋」という格言もある)。他にも、例えば角交換となった後で一方が盤上に角行を打ち込んだ場合、盤上に打たれた成っていない角行と未だ持ち駒の角行とでは、後者のほうが一般に価値が高い。なぜならば、後者の角行はすきあらば相手陣に打ち込んで竜馬にするチャンスもあり、相手側に対して打ち込みのすきを作ってはならないという制約を課す効果があるからである。成りに関しても、全ての駒において形式的な点数が上がってはいるが、特に実質的な利きの変化においてデメリットを伴う銀将(→成銀)・桂馬(→成桂)・香車(→成香)に関しては、局面によっては実質的に生駒のほうが価値が大きいとされることもある。
このように、駒の価値は必ずしも一定のものとはならないのである。特に、中盤から終盤にかけては、状況に応じて個々の局面において必要な駒が大きく変化してくるため、実質的な駒の価値判断が重要な意味を持つ。また、最終盤においては、ゲームの最終目的である玉将の詰みを目指していく都合上、全体的な駒の損得以上に、次に述べる手番の先後が重要となる。
手番の先後
最終盤では寄せる速度が勝負を分けるため、寄せの局面に向けて先手をとることが重要となる。攻防に必要な駒さえあれば全体的な駒の損得はほとんど形勢に影響しない。たとえば、飛車や角を捨てて金を得るということも行われる。これを表す格言として「終盤は駒の損得より速度」がある。
先手の有利度
戦略・戦術以前の問題として、そもそも対局において先手番が有利か否かという点が話題となることがある(ある局面での手番を意味する「先手」「後手」ではなく、一つの対局の最初の手を指す側か否かの「先手」「後手」)。
沿革
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古将棋
日本への伝来
将棋の起源は、古代インドのチャトランガ(シャトランガ)であるという説が最も有力とされている[1]。ユーラシア大陸の各地に広がってさまざまな類似の遊戯に発達したと考えられている。西洋にはチェス、中国にはシャンチー、朝鮮半島にはチャンギ(將棋 : 장기)、タイにはマークルックがある。
将棋がいつ頃日本に伝わったのかは、明らかになっていない。囲碁の碁盤が正倉院の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が奈良時代前後とほぼ確定づけられるのとは対照的である。伝説としては、将棋は周の武帝が作った[27]、吉備真備が唐に渡来したときに将棋を伝えた[28]などといわれているが、江戸時代初めに将棋の権威付けのために創作された説であると考えられている。
日本への伝来時期はいくつかの説があるが、早いもので6世紀ごろと考えられている[29]。最初伝来した将棋は、現在のような平型の駒形ではないという説もある。古代インドから直接日本へ伝来したとする説では、古代インドのチャトランガの流れを汲む立像型の駒であったとされている。一方、6世紀ごろインドから直接ではなく、中国を経由して伝来したという説では、駒の形状は中国のシャンチー(中国象棋)と同様な平型の駒として伝来したという説もある。チェスでは古い駒ほど写実的であるとされるが、アラビア等古い地域において平面の駒がみられる。また今までに立体の日本将棋駒は発見されていない。他説としては、平安時代に入ってからの伝来であったとする説がある。インドからアラビアを経て中国のシャンチーそして朝鮮のチャンギ(朝鮮のものは中国由来)が日本に伝わったというものである。しかし平安時代には既に日本に将棋があったという説が有力である。また、駒の形の違い(アラビア、中国などは丸型、チャトランガは立体像、日本は五角で方向が決まっている)やこれらの駒を線の交点に置くことなど将棋とどれも大きくことなる。これに対し、東南アジアのマークルックは銀と同じ動きの駒があるが、歩にあたるビアの動きがあまりに将棋とは違うことが指摘されている。また、将棋は相手側三列で駒が変化するがマークルックではクン、ルア、コーン、マー、メットとも「成る」ことはない。この点も大きく将棋とは異なる。近年はこの系統の盤戯が中国経由または直接ルートで日本に伝来したとする説がある[30]。また、中国を舞台とした日本と東南アジアの中継貿易は行われていたことから中国経由の伝来は十分に考えられるが、中国での現代のシャンチーの成立時期は平安時代より遅くまた現代のシャンチーはルールも異なる。このため現代中国シャンチーが伝播したものではないと考えられている[31]。いずれにしても日本での、古代の日本将棋に関する文献は皆無で、各説は想像の域を出ない。
平安将棋
将棋の存在を知る文献資料として最古のものに、南北朝時代に著された『麒麟抄』があり、この第7巻には駒の字の書き方が記されているが、この記述は後世に付け足されたものであるという考え方が主流である。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著とされる『新猿楽記』(1058年 - 1064年)にも将棋に関する記述があり、こちらが最古の文献資料と見なされている。
考古資料として最古のものは、奈良県の興福寺境内から発掘された駒16点[32]で、同時に天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、前述の『新猿楽記』の記述と同時期のものであり、文献上でも裏づけが取られている。
三善為康によって作られたとされる『掌中歴』『懐中歴』をもとに、1210年 - 1221年に編纂されたと推定される習俗事典『二中歴』に、大小2種類の将棋がとりあげられている。後世の将棋類と混同しないよう、これらは現在では平安将棋(または平安小将棋)および平安大将棋と呼ばれている[33]。平安将棋は現在の将棋の原型となるものであるが、相手を玉将1枚にしても勝ちになると記述されており、この当時の将棋には持ち駒の概念がなかったことがうかがえる。
これらの将棋に使われていた駒は、平安将棋にある玉将・金将・銀将・桂馬・香車・歩兵と平安大将棋のみにある銅将・鉄将・横行・猛虎・飛龍・奔車・注人である。平安将棋の駒はチャトランガの駒(将・象・馬・車・兵)をよく保存しており、上に仏教の五宝と示しているといわれる玉・金・銀・桂・香の文字を重ねたものとする説がある[34]。さらに、チャトランガはその成立から戦争を模したゲームで駒の取り捨てであるが、平安将棋は持ち駒使用になっていたとする木村義徳の説もある。
古将棋においては桂馬の動きは、チャトランガ(インド)、シャンチー(中国象棋)、チェスと同様に八方桂であったのではないかという説がある。持ち駒のルールが採用されたときに、他の駒とのバランスをとるために八方桂から二方桂に動きが制限されたといわれている。
将棋の発展
これは世界の将棋類で同様の傾向が見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の利きを増やしたり駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが行われるようになった。日本将棋も例外ではない。
13世紀ごろには平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の飛車・角行・醉象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案された。15世紀ごろには複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案され、現在に至っている。16世紀ごろには小将棋から醉象が除かれて現在の本将棋になったと考えられる。元禄年間の1696年に出版された『諸象戯図式』によると、天文年中(1532年-1555年)に後奈良天皇が日野晴光と伊勢貞孝に命じて、小将棋から醉象の駒を除かせたとあるが、真偽のほどは定かではない[35]。室町末の厩図屏風には、将棋に興ずる人々が描かれている。
16世紀後半の戦国時代のものとされる一乗谷朝倉氏遺跡から、174枚もの駒が出土している。その大半は歩兵の駒であるが、1枚だけ醉象の駒が見られ、この時期は醉象(象)を含む将棋と含まない将棋とが混在していたと推定されている。1707年出版の赤県敦庵著作編集の将棋書「象戯網目」に「象(醉象)」の入った詰め将棋が掲載されている。他のルールは現在の将棋とまったく同一である。
江戸時代に入り、さらに駒数を増やした将棋類が考案されるようになった。天竺大将棋・大大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋(大将棋とも。混同を避けるために「泰」が用いられた)・大局将棋などである。ただし、これらの将棋はごく一部を除いて実際に遊ばれることはなかったと考えられている。江戸人の遊び心がこうした多様な将棋を考案した基盤には、江戸時代に将棋が庶民のゲームとして広く普及、愛好されていた事実がある。
将棋を素材とした川柳の多さなど多くの史料が物語っており、現在よりも日常への密着度は高かった。このことが明治以後の将棋の発展につながってゆく。
持ち駒の使用
将棋の発展のうち特筆すべきものとして、「相手側から取った駒を自分側の駒として盤上に打って再利用できるルール」、すなわち「持ち駒」の使用制度が考案されたことが挙げられる。もっとも、このルールがいつごろできたものかのかは分かっていない。現在、提唱されている説としては主に以下の3つがある。
- 16世紀頃とする説…駒の数が持ち駒ルールに関連すると考える説である。将棋の駒の数は上述したように徐々に減って現代の本将棋になった。この説では、駒の減少は互いに駒が足りなくなって相手玉を詰められなくなるなどのゲーム性の低下を伴うことから、これを補うために持ち駒制度が考案されたのだと説明する。これを前提に、駒の数が現代と同じになった16世紀頃が持ち駒制度の考案時期であるとする。
- 13世紀以前とする説…1300年ごろに書かれた『普通唱導集』に将棋指しへの追悼文として「桂馬を飛ばして銀に替ふ」との文句がある[36]ことを根拠とする説である。これは持ち駒ルールを前提にした駒の交換を言っているものであると理解し、この時期には持ち駒の概念があったものと考えるものである[37]。
- 11世紀以前とする説…銀の裏面の「全」に似た字や歩の裏面の「と」に似た字などは「金」の崩し字であると考えられているが、これらがそれぞれ異なる崩し字を使う理由を持ち駒制度と関連付ける説である。これらが単に「金」ではなく、あえて区別できるように書かれている理由を、取って持ち駒とした場合に元の銀や歩に戻ることが分かるようにするためだと理解すれば、成駒が区別可能か否かで持ち駒ルールの有無が分かるということになる。その上で、上記奈良県で出土した最古の駒について、成駒の文字が区別可能であるからこの時期には持ち駒ルールがあったとする。
持ち駒ルールが生まれた理由もよく分かっていない。上述した駒の数の減少に伴うゲーム性低下を補うためという説明が一般的になされるが、日本将棋よりも駒の数が少ないチェスなどの他ゲームには持ち駒制度がないことから、この他にも様々な説明が試みられている。その一つとして、将棋の駒である、金・銀・桂(馬)・香はいずれも資産または貿易品を表していることから、将棋は戦争という殺し合いをテーマにしたゲームではなく、資産を取り合う貿易や商売をテーマにしたゲームという側面があり、相手から奪った資産は消滅するのではなく自分のものになるのが自然だから、持ち駒使用ルールが生まれたのだとする考察もある。井沢元彦は、応仁の乱などの実際の戦乱に嫌気がさした貴族によって、ゲームであっても戦争を忌避し、「駒を殺さない」ルールが生まれたと考察している。
本将棋
御城将棋と家元
1612年(慶長17年)ごろ、幕府は将棋と囲碁の達人であった大橋宗桂(大橋姓は没後)・加納算砂(本因坊算砂)らに俸禄(宗桂は50石5人扶持を賜わっている)を支給することを決定し、将棋(なお、初期の将棋指したちは中将棋も得意としていた)は、囲碁とともに、江戸時代の公認となった。宗桂と算砂は将棋でも囲碁でも達人であったが、やがてそれぞれの得意分野(宗桂は将棋、算砂は囲碁)に特化していき、彼らの後継者は、それぞれ将棋所・碁所を名乗るようになった[38]。
宗桂の後継者である大橋家・大橋分家・伊藤家の3家は、将棋の家元となり、そのうち最強の者が名人を称した。現在でも名人の称号は「名人戦」というタイトルに残されている。名人の地位は世襲のものであったが、その権威を保つためには高い棋力が求められた(例えば、家元の地位に不満を持つ在野の強豪からの挑戦をたびたび受け、尽く退けている)ため、門下生の中で棋力の高い者を養子にして家を継がせ、名人にすることも多かった。
寛永年間(1630年頃)には家元3家の将棋指しが将軍御前で対局する「御城将棋」が行われるようになった。八代将軍徳川吉宗のころには、年に1度、11月17日に御城将棋を行うことを制度化し、現在ではこの日付(11月17日)が「将棋の日」となっている。
江戸時代中期までの将棋指しは、指し将棋だけでなく、詰将棋の能力も競い合った。特に伊藤家の伊藤看寿の作品である『将棋図巧』は現在でも最高峰の作品として知られている(なお、伊藤看寿は早逝したため存命中に名人とならなかったが没後に名人位を贈られた)。名人襲位の際には、江戸幕府に詰将棋の作品集を献上するのが慣例であった。
江戸時代後期には、近代将棋の父と呼ばれる大橋宗英が名人となり、現代に繋がる様々な戦法を開発した。さらに、大橋家の門下生であった天野宗歩は、当時並ぶ者のいない最強の棋士として知られ、「実力十三段」と恐れられ、のちに「棋聖」と呼ばれるようになった。名人位が期待されたものの素行不良のために大橋家の養子となれなかった宗歩は、家元3家とは独立して活動するようになり、関西で多数の弟子を育成した。
現在のプロ棋士はほぼ全員が江戸時代の将棋家元の弟子筋に当たり、将棋家元は現代将棋界の基礎となっている。なお、現在では伊藤家に連なる一門が多数であるが、関西を中心に天野宗歩の系譜に属する棋士も多い。江戸時代の棋譜は「日本将棋大系」にまとめられている。
新聞将棋・将棋連盟の結成
江戸幕府が崩壊すると、将棋三家に俸禄が支給されなくなり、将棋の家元制も力を失っていった。将棋を専業とする者たち(なお、そのほとんどは関東では家元三家の門下、関西では天野宗歩の門下で修行した者たちである)は、家元に対して自由に活動するようになり、名人位は彼らの協議によって決定する推挙制に移行した。
アマチュアの将棋人気は明治に入っても継続しており、日本各地で将棋会などが催され、風呂屋や理髪店などの人の集まる場所での縁台将棋も盛んに行われていたが、19世紀末には一握りの高段者を除いて、専業プロとして将棋で生活していくことはできなくなったといわれている。
1899年(明治32年)ごろから、萬朝報が新聞としてはじめて紙面に将棋欄を開設し、他社も追随したため[39][40]、新聞に将棋の実戦棋譜が掲載されるようになり、高段者が新聞への掲載を目的に合同するようになった。1909年(明治42年)に将棋同盟社が結成され、1924年(大正13年)には関根金次郎十三世名人のもとに将棋三派が合同して東京将棋連盟が結成された。これが現在の日本将棋連盟の前身で、連盟はこの年を創立の年としている。
将棋禁止の危機
第二次世界大戦後、日本将棋連盟に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) より呼び出しがかかった[41]。これは武道などを含めた封建的思想の強い競技や娯楽の排除を狙ったものだが、連盟は知識豊富で勝負勘に優れた関西本部長代理の升田幸三を派遣する[41]。その席でGHQは「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである」と述べた[41]。それに対して升田は「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」「男女同権といっているが、チェスではキングが危機に陥った時にはクイーンを盾にしてまで逃げようとする」と反論[41]。この発言により将棋は禁止されることを回避することができた[41]。
現代棋界の動向
連盟結成以降の詳細は各記事に譲るが、1937年の名人戦を皮切りに8つのタイトル戦を含む10以上の棋戦が開催されている(2018年現在)。また、女性のプロ(女流棋士)も誕生し、1974年には最初の女流棋戦である女流名人位戦(現・女流名人戦)が開始され、2018年現在、6つのタイトル戦と1つの公式棋戦が行われている。この期間に定跡が整備され、とくにプロレベルの序盤は高度に精密化された。将棋自身も賭博の対象から純粋なマインドスポーツへと変化している。プロの発展とともに、将棋のアマチュア棋戦も整備され、日本全国からアマチュアの強豪選手が集まる大会が年間に数回開催されている。
また、コンピュータプログラムを利用した将棋の研究、特にコンピュータに着手を計算させる研究は、世界的に見るとチェスのそれの後を追うようにして、日本において1960年代にその萌芽があり[42]21世紀にはプロとの現実的な対局が考慮されるに至った(詳細はコンピュータ将棋の記事を参照)。2008年5月には、この年に開催された第18回世界コンピュータ将棋選手権での優勝・準優勝将棋ソフトがそれぞれトップクラスのアマチュア棋士に完勝。更に、2013年以降は将棋電王戦においてプログラムが現役A級棋士を含む上位棋士を次々に破っており、現在のコンピュータ将棋の実力はプロでも上位に入るレベルに達しているとされている。公式棋戦においてアマチュアトップや奨励会員とプロの実力下位者の対局が年間複数回指され、前者が後者を破ることも珍しくないことから、奨励会員・アマチュアトップも既にプロ下位者の実力に達しているともされる。
インターネット上で指せる将棋、いわゆるネット将棋も1990年代から発展してきており、将棋倶楽部24・ 81Dojoや、Twitterと連動したshogitterなどがある。
また、2012年の主要タイトル戦の全勝負をインターネットでトッププロによる解説を交えて生配信するなど、幅広い層へのアピールやファンの獲得にも積極的に取り組んでいる。
将棋人口の概要
『レジャー白書』(財団法人社会経済生産性本部)によると、1年に1回以上将棋を指すいわゆる「将棋人口」は、1985年度の1680万人から、2005年度840万人、2013年670万人、2015年530万人と漸減傾向が続いていた[43]。
将棋人口が減少した上記の期間に、将棋が一般メディアに取り上げられたことは何度かある。代表的なものでは、羽生善治の七冠達成(1996年)、将棋を題材としたNHK朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』の放送(1996年)、中原誠と林葉直子の不倫報道(1998年)、瀬川晶司のプロ編入試験(2005年)、名人戦の移管問題(2006年)、羽生善治の最年少で1000勝(2007年)、将棋電王戦(2012年)、今泉健司のプロ編入試験(2014年)などである。しかしいずれも「将棋ブーム」を生むには至らず、取り上げ方によってはファン離れを加速するものとなっているものもあった。
そのような中で将棋ソフト不正使用疑惑(2016年)が勃発し、将棋離れが決定的になるかと思われた矢先、藤井聡太の史上最年少デビューと無敗のままでの歴代連勝記録更新(2016-2017年)により、逆に本物の将棋ブームが到来。藤井の連勝継続中は毎日のように一般メディアが取り上げ、関連グッズが飛ぶように売れ、各地の将棋教室が活況となるなど、2017年度の将棋界は大いに湧いた。さらに羽生善治の永世七冠達成(2017年)と国民栄誉賞授与(2018年)と明るい話題が続いた。これらの影響は数字としても現れ、2017年の将棋人口は700万人と回復を見せた[44]。
また、1996年頃からJava将棋やザ・グレート将棋など、盤駒を利用しなくともインターネットを通じて対局ができるインターネット将棋が普及。現在は、1998年に運営を開始しアカウント延べ数20万人の将棋倶楽部24や、将棋ウォーズ、近代将棋道場、Yahoo!ゲームの将棋などインターネット対局が主流になり将棋センターは次々閉鎖されてきた。2010年に英語が公用語の対局サイトである81Dojoが開設され、2012年7月時点で登録者数は8000人を超えている。
日本国外への普及
将棋は日本で独自の発展を遂げた遊戯であり、駒の種類が漢字で書かれて区別されているなどの理由で、日本国外への普及の妨げになっていた。囲碁は国際的に(多少の差異はあるが)ルールが統一されていること、白黒の石でゲームを行うこと、他国の固有ゲームとは類似性が見られない(他国ではチェスなどの将棋系ゲームがすでに存在していることが多い)ゲームであるなどの理由で、世界的に普及が進んでいるのとは対照的である。
将棋の存在そのものは海外でも比較的早く知られていた。中国でははやく明代に倭寇対策として日本文化が研究され、1592年の侯継高『日本風土記』で将棋のルールがかなり詳細に記載されている。またアメリカ合衆国では1860年に万延元年遣米使節によって将棋のゲームが披露されている。1881年のリンデ(オランダ語版)『チェス史の典拠研究』では将棋と中将棋が紹介されている[45]。1966年トレバー・レゲット(英語版)は詳細な将棋の専門書『Shogi: Japan’s Game of Strategy』を出版した。1975年にイギリスのホッジス(George F. Hodges)は将棋協会(The Shogi Association, TSA)というクラブを作り、将棋専門誌『Shogi』を発行した。また西洋式の将棋駒を販売したり、将棋セットを日本から輸入販売したりした。ホッジスはまた中将棋のマニュアルも書いた[46]。1985年にはヨーロッパ将棋協会連盟(FESA)が創立され、毎年ヨーロッパ将棋選手権および世界オープン将棋選手権を開催している[47]。
2010年には英語が公用語の対局サイトである81Dojoが開設された。
非漢字圏への普及のためにいくつかの駒の形が考案された。ホッジスのもの(通常の形の将棋の駒に英語の頭文字と動きが記されている)、GNU Shogi のもの[48]、ChessVariants のもの[49]、Hidetchi国際駒[50][51]などがある。最後のものは81Dojoなどで駒のデザインの一つとして選ぶことができる。
海外向け(日本在住者を除く)のアマ免状では、名人の署名も無く簡素な日本語で表記されており、名前の間違えが無いように本名は自分で記入ができる。
英語圏の棋譜表記
英語圏の棋譜表記は何種類かあるが、上記ホッジスによるものがもっとも標準的に使われており、公式戦の棋譜中継で用いられる Kifu for Flash でも言語を日本語以外にするとこの表記になる。この表記は日本での表記とチェスの表記を折衷したような形になっていて、駒の種類 動かし方 位置 成・不成を組み合わせる。あいまいな場合は、駒の種類の後に移動前の位置を記す。
駒の種類は K(King、玉)R(Rook、飛)B(Bishop、角)G(Gold、金)S(Silver、銀)N(Knight、桂)L(Lance、香)P(Pawn、歩)のいずれかである。成り駒は + を前置することで表し、英語名称はPromoted Rook(+R、竜)、Promoted Silver(+S、成銀)のように頭にPromotedを付けて表すのが一般的である。位置は横の筋を将棋と同様右から左に 1…9 で、縦の段を上から下に a…i で表す。したがって「76歩」は「P-7f」、「55馬」は「+B-5e」となる。動かし方は通常「-」であるが、駒を取るときは「x」、打つときは「*」と書く。「成」は「+」、「不成」は「=」と記す。先手・後手の区別が必要な場合、先手を b(black)、後手を w(white) とする[52]。駒の英語名称のうち、King・Rook・Bishop・Knight・Pawnは近い性能のチェスの駒の名称を借りたもの、Gold・Silverは金・銀の名称をそのまま訳したもの、香車のLanceは槍を意味するものである。また、成り駒について、竜をD(Dragon)、馬をH(Horse)、と金をT(Tokin)で表す流儀もある。
将棋のゲームとしての特質
盤面状態の種類が、チェスは1050、シャンチー(象棋)は1048と見積もられるのに対し、将棋は1071と見積もられる[53]。また、ゲーム木の複雑性が、チェスは10123、シャンチーは10150であるのに対し、将棋は10226と計算されており、チェスやシャンチーに比較して将棋の方がゲームとして複雑であるとみなされる。ただし、囲碁(盤面状態は10160、ゲーム木の複雑性は10400)ほどには複雑ではない[53]。
なお、チェス、タイのマークルック、朝鮮のチャンギ、中国のシャンチーについて、ルールを理解し、すべて実際に指してみたという将棋の羽生善治は、将棋に近いのは、タイのマークルックであると述べている[54]。羽生は、日本の将棋と他の将棋類とのあいだの大きな相違点として持ち駒(とった駒の再利用)を挙げている。このルールの相違により、他の将棋では序盤が激しく、駒数の減る終盤は静かな戦いになることが多いのに対し、いつまでも駒数の減らない将棋では終盤の攻防がきわめて激しいものとなるというゲームの質の決定的な違いを生んでいることを指摘している[54]。
以上のように複雑なゲームではあるが、コンピューターゲームとしては1980年代からソフトが発売されている。1989年のゲームボーイ用の将棋ソフトでは、AIのレベルによってはゲームボーイの電池残量との戦いになるほどの長考が行われるものの、初期のゲームボーイソフトのAIで既に弱すぎない出来となっていた[55]。
将棋用語に由来する慣用表現
- 先手(せんて)・後手(ごて) ※囲碁用語と共通
- 将棋用語としての先手・後手
- 対局開始から先に指す方が先手。後に指す方が後手である。また、対局途中においても、相手が対応せざるを得ない手(王手など)を仕掛けた側を先手、それに対応する側を後手ということがある。
- 慣用表現としての先手・後手
- 「先手を取る」「後手に回る」など様々な表現で用いられる。「先手を取る」は相手よりも素早く対応して先制することを言い、「後手に回る」はそれとは逆に相手と比べて出遅れて受け身に回ることを言う。
手抜き(てぬき) ※囲碁用語と共通
- 将棋用語としての手抜き
- 相手の手に応対せずに別の手を指すことを言う。必ずしも悪い意味ではなく、あえて相手の手に付き合わないのが最善手であることはよくあることである。
- 慣用表現としての手抜き
- 必要な作業を怠ることを言う。やるべきことをしっかりやらなかったというネガティブな意味合いであり、「手抜き工事」などと批判的に使われる。
待った(まった) ※囲碁用語と共通
- 将棋用語としての待った
- 自分が指した手に対して相手が予想外の手で応じてきた場合に、この2つの手を取り消して局面を戻し、もう一度自分の手からやり直すこと。公式な対局ではルール上認められないが、練習対局などの非公式な場面では相手の合意があれば認められることもある。待ったが認められない真剣勝負のことを「待ったなし」と言う。
- 慣用表現としての待った
- 相手の予想外の行動に対して、中止や取り消し、あるいは猶予を求めること(なお、将棋用語としての待ったは、相手の手だけでなく自分の手も取り消して自分の手番からやり直すことであるため、若干意味が異なる)。「待ったをかける」などの言い回しで使われる。やり直しの利かない場面であることを「待ったなし」と言う。
- 結局(けっきょく) ※囲碁用語と共通
- 将棋用語としての結局
- 将棋の一局が指し終わって勝負の決着が付くことを言う。もっとも、現在では慣用表現としての「結局」のほうが広く使われるようになっており、「結局」が将棋用語として使われることは少ない。
- 慣用表現としての結局
- 紆余曲折があったものの最終的にはどうなったかという結末のことを言う。
- 飛車角落ち(ひしゃかくおち)
- 将棋用語としての飛車角落ち
- 「二枚落ち」の別名。棋力に差がある場合のハンデとして、一方の対局者が飛車と角を取り除いて対局する。
- 慣用表現としての飛車角落ち
- チームスポーツで主力選手2人が欠けるなど、中心となる戦力を欠いた状態で勝負すること[56]。
- 高飛車(たかびしゃ)
- 将棋用語としての高飛車
- 序盤の段階で飛車を自陣よりも前方の四段目や五段目に進出させて、中央部で活躍させる戦法、あるいはその飛車のこと。たとえば、横歩取り8五飛戦法が出現して間もないころは「横歩取り高飛車戦法」との別名で呼ばれることもあった。近年「浮き飛車」と呼ばれることが多くなっており、高飛車という用語の使用頻度は減っている。
- 慣用表現としての高飛車
- 人が高圧的な様子(将棋の高飛車戦法において、強力な飛車が味方の駒を下にして自由に暴れまわる様子に擬えたものと思われる)。「高飛車な態度」のように使われる。1990年代には、これを略した「タカビー」という若者言葉も生まれた。
成金(なりきん)
- 将棋用語としての成金
- 元々金将よりも価値の低かった駒(歩兵・香車・桂馬・銀将)が敵陣に到達したことで金将と同様の動きの成駒(歩兵であれば「と金」)になったもの。
- 慣用表現としての成金
- 元々貧しかったのに急に金持ちになった者を指す。多くの場合相手をねたんだりさげすんだりする目的で用いられる。類義語として、元々身分の低かった者が高い地位に登りつめるという意味の成り上がりがある。
- 手駒(てごま)
- 将棋用語としての手駒
持ち駒のこと。相手から取って自分のものとし、任意の場所に打てる状態にしている駒。- 慣用表現としての手駒
- 自分の支配下にあって自由に利用できる人材などのリソースのことを指す。単に「駒」とも言う。「手駒にする」「駒が足りない」のような使い方をする。
- 捨て駒(すてごま)
- 将棋用語としての捨て駒
- 相手の駒を移動させる狙いなどの大局的な見地から、意図的に自分の駒を相手に取らせること。また、その取らせる駒のこと。
- 慣用表現としての捨て駒
- 人の団体において、その団体の何らかの目的を達成するために、意図的に一部のメンバーを犠牲にすること。また、その犠牲になるメンバー。
王手(おうて)
- 将棋用語としての王手
- 相手が応じなければ次の一手で相手の玉将を取れる状態であること、あるいはその状態にする指し手を言う。王手をかけられた側は、(投了する場合を除いて)その王手を解消するような手を指さなければならない。相手に王手をかけられた際に、その王手を解消しつつ相手に王手をかけ返すことを「逆王手」と言う。
- 慣用表現としての王手
- あと一歩で求めていた結果が得られる状態であること、あるいはその状態にする行為を言う。たとえば、スポーツの大会であと1勝で優勝が決まるという場面では「優勝に王手」と表現される。また、相手に王手をかけられた際に、こちらも同様に王手をかけること(例えば、先に4勝したほうが優勝という1対1のスポーツの勝負で、2勝3敗と後がない状態からこちらが1勝して3勝3敗に追い付いた場合)を「逆王手」ということもある(ただし、相手にかけられた王手を解消したわけではないため、将棋における「逆王手」とは多少意味が異なる)。
詰み(つみ)
- 将棋用語としての詰み
- どのような手を指しても次に玉将を取られてしまう状態。この状態になったら投了しなければならない。
- 慣用表現としての詰み
- どのような行動を取っても不利益な結果を避けられない状態。まだ正式には確定していないものの事実上敗北が決まってしまった場面や進退窮まった場面などで、状況を悲観して「詰みだ」「詰んだ」「詰んでいる」などと使う。
将棋倒し(しょうぎだおし)
- 将棋用語としての将棋倒し
- 将棋駒を利用した古典的遊びの一つで、駒を立てて並べてから端の駒を倒すことで、連鎖的に全ての駒を倒すというもの。
- 慣用表現としての将棋倒し
- 将棋駒に限らず、複数の何かが連鎖的に倒れることを言う(類義語としてドミノ倒し)。特に、人混みの中で何らかのきっかけによって人々が連鎖的に倒れる事故は、典型的な将棋倒しである。しかし、2001年に発生した明石花火大会歩道橋事故の際には、将棋のイメージ悪化を危惧した日本将棋連盟の依頼により、報道関係各社はこの言葉の使用を自主規制した。
脚注
- ^ ab“将棋の起源”. 朝日現代用語 知恵蔵2006. 朝日新聞社. (2006年1月1日). pp. 999-1000. ISBN 4-02-390006-0.
^ 『日本将棋用語事典』 p.77 東京堂出版 2004年
^ 『日本将棋用語事典』 p.113 東京堂出版 2004年
^ 『日本将棋用語事典』 p.175-176 東京堂出版 2004年
^ 『日本将棋用語事典』 p.129 東京堂出版 2004年
^ 『日本将棋用語事典』 p.102 東京堂出版 2004年
- ^ ab 『日本将棋用語事典』 p.26-27 東京堂出版 2004年
- ^ abcd 『日本将棋用語事典』 p.56 東京堂出版 2004年
^ “しゃ【車】 の意味”. goo辞書(デジタル大辞泉). 2017年1月25日閲覧。
^ 「歩成り」との区別から「ならず」と呼ばれることがほとんどである
^ 将棋の通常の対局ではまず発生しないが、自玉に王手がかかっていないが合法な指し手が存在しない(チェスでいうステイルメイト)場合については、合法手がないため負けが確定している。ただしその場合は詰みにならないため、実際に負けとなるのは、投了するか、持ち時間が切れるか、反則行為を行った時である。コンピュータ将棋などでは、ステイルメイトは詰みと同様とすることが多い。
^ 対局規定(抄録):日本将棋連盟
^ 将棋について-本将棋[5.反則]:日本将棋連盟 Archived 2014年9月26日, at the Wayback Machine.
^ 毎日新聞・将棋 (2018年10月20日). “ツィート” (日本語). Twitter. オリジナルの2018年10月21日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181021201858/https:/twitter.com/mainichi_shogi/status/1053475663535996929 2018年10月21日閲覧。
^ 角・馬が移動できない位置に移動する、成れない状況で駒を成るなど。
^ “石橋幸緒女流王位がタイトル戦で角による豪快な「反則手」で勝局がふいになる”. 田丸昇公式ブログ と金 横歩き (2009年10月19日). 2013年6月19日閲覧。
^ “伝説の事件 - 第25回朝日オープン将棋選手権本戦第5局”. asahi.com (2007年1月9日). 2013年8月13日閲覧。
^ 対局者の「着手が30秒を超えており、考慮時間が消費されるべきである」との抗議で考慮時間が1回分消費されたが、対局時には反則であるという指摘はされなかった。テレビ放送後の視聴者からの抗議を受けて理事会で協議を行い、反則であるとされ次年度の銀河戦への出場停止などの処分が決定した(参考:加藤一二三九段、第14期銀河戦出場停止に(日本将棋連盟からのお知らせ))。
^ 日本将棋連盟でも、よくあるご質問にて、同じ指摘を行っている。なお、将棋とは異なり、チェスでは王手(チェック)をかける場合、強制ではないが慣習的に「チェック」と口頭で告げるべきとされている(王手#チェスの「王手」参照)。
^ NHKEテレ『将棋フォーカス』2017年10月22日・放送分でも解説されている。
^ ASCII.jpで公開されているPonanza電王戦バージョン(2016年)の駒の価値。
^ Bonanzaで公開されているBonanza 6.0(2011年)の駒の価値。
^ なお、コンピュータのつけた評価値は、内部の計算に用いるために大きな値(飛車1枚で1000点前後になるなど)となっているため、1%程度に縮小して棋士のつけた評価値とスケールを合わせている。
^ 羽生善治 『羽生善治の将棋入門』 河出書房新社、2015年。
^ 谷川浩司 『谷川浩司の本筋を見極める』 NHK出版、2007年。
^ 同じソフト・棋士でも、徐々に改良を重ねているため、本やバージョンによって数値は異なる。例えば、谷川浩司は過去の著書(谷川浩司 『将棋に勝つ考え方』 池田書店、1982年)では、歩兵=1点、香車=5点、桂馬=6点、銀将=8点、金将=9点、角行=13点、飛車=15点、と金=12点、成香=10点、成桂=10点、成銀=9点、龍馬=15点、龍王=17点としていたことがある。
^ 増川宏一『ものと人間の文化史 将棋』(法政大学出版局、ISBN 4-588-20231-6)では、明治時代初めに書かれた『将棋絹篩』([1])の序文などに見られるが、宋代の『太平御覧』にあるものをそのまま引き写したのだろうとしている(88ページ)。が、増川説に対しては、木村義徳「将棋の日本到着時期をめぐって:増川宏一説に対する批判」(『桃山学院大学総合研究所紀要』30-2)[2] (PDF) で、武帝説の起源は初唐の数種の史料に遡る点等を指摘し、批判している。
^ 増川の同書(88 - 89ページ)に、1690年の『人倫訓蒙図彙』、1746年の『本朝俗諺誌』、1755年の『象棋百番奇巧図式序』などに記述があると指摘している。
^ 木村義徳 『持駒使用の謎』 日本将棋連盟、2001年。ISBN 4-8197-0067-7。
^ 将棋棋士の大内延介は、著書『将棋の来た道』(めこん(文庫本は小学館)、ISBN 978-4-8396-0032-7)でマークルックを指した経験から、将棋との類似を指摘し、将棋の源流ではないかと主張している。
^ 前述の増川宏一らが、東南アジア伝来説を主張している。
^ 増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』(集英社、ISBN 4-08-720019-1)、12 - 15ページ。出土資料そのものについては『木簡研究』16号(1994年)、「奈良・興福寺旧境内」(26ページ)参照。
^ 「平安将棋」の呼び名は、関西将棋会館にあった将棋博物館でも採用している(将棋史年表。このページでは木村義徳の説に従っている)。
^ 『遊戯史研究』6号(1994年)、清水康二「将棋伝来についての一試論」(12ページ)。これを紹介したサイトが日本中将棋連盟の古典将棋コラム九 日本将棋と仏教観にある。
^ 大内延介の『将棋の来た道』(小学館文庫版、ISBN 4-09-416541-X)に、大橋家文書に含まれていた碑文から同様の記述が見つかり、記述の信憑性が高まったと指摘している(35ページ)。
^ 村山修一 『普通唱導集―翻刻・解説』 法藏館、2006年。ISBN 978-4-8318-7558-7。「桂馬を飛ばして銀に替ふ」
^ 佐伯真一「「普通唱導集」の将棋関係記事について」、『遊戯史研究』第5号、1993年。
^ なお、近年の研究によると、将棋所や碁所という役職は幕府公認のものではなく自称である。
^ 「国民百科事典4」平凡社 p21 1961年11月15日初版発行
^ ただし越智信義著『将棋文化誌」 (Kindle) では、萬朝報の将棋欄創設は1908年(明治41年)に掲載開始した「高段名手勝継将棋」開始時点とされている。
- ^ abcde升田幸三『名人に香車を引いた男』223ページ「GHQ高官の度肝を抜く」より
^ http://ameblo.jp/professionalhearts/entry-10001276891.html などを参照
^ 「レジャー白書に見るわが国の余暇の現状」
^ “藤井七段効果で将棋人口170万人増の700万人に…「レジャー白書2018」” (日本語). スポーツ報知. (2018年8月7日). https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180807-OHT1T50279.html 2018年10月3日閲覧。
^ 増川宏一 『チェス』 法政大学出版局〈ものと人間の文化史 110〉、2003年、13-14頁。ISBN 4588211013。
^ ホッジスをはじめとする西洋人の努力は増川宏一『将棋II』(法政大学出版局1985) pp.305-307 に簡単に紹介されている
^ Federation of European Shogi Associations, http://www.shogi.net/fesa/
^ Shogi (Japanese Chess), GNU Operating System, http://www.gnu.org/software/xboard/whats_new/rules/Shogi.html
^ Motif Shogi Pieces, The Chess Variant Pages, http://www.chessvariants.com/graphics.dir/motifshogi/index.html
^ Shogi News: Internationalized shogi pieces - YouTube HIDETCHI(英語) - 他のデザインの国際駒のアイデアも紹介されている。
^ 将棋駒 国際駒 - 銘駒図鑑
^ Shogi Game Notation, http://japanesechess.org/notation/shogi_notation.html
- ^ abYen, Chen, Yang, Hsu (2004) "Computer Chinese Chess"
- ^ ab羽生「将棋の海外普及」(2011)
^ 株式会社QBQ編 『ゲームボーイクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2017年。ISBN 9784865117790 p16
^ “飛車角落ち とは”. コトバンク. 2013年5月1日閲覧。(原出典: 大辞林 (3rd ed.), 三省堂, (2006) )
関連項目
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外部リンク
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