航空機関砲








航空機関砲(こうくうきかんほう)は、航空機に搭載される機関砲。航空機関銃(こうくうきかんじゅう)、航空機銃(こうくうきじゅう)ともいう。




目次






  • 1 種類


  • 2 構造


  • 3 歴史


  • 4 脚注


  • 5 関連項目





種類




構造


第二次世界大戦前に世界的に普及していた7.7mm機銃には、戦闘機用の固定式と攻撃機・爆撃機用の旋回機銃の二種類がある[1]。7.7mmというのは、機銃の口径サイズのことである[2]



歴史


第一次世界大戦時は、地上で使用される機関銃を転用、あるいは水冷式を空冷化したもので、口径は歩兵の小銃と同じ7.62-7.92mmクラスであった。対気球、対飛行船用としては小型過ぎた(気球や飛行船を撃っても、小さな穴が開きゆっくり墜落するだけで、大きな被害は与えられない)が、当時の機体にはそれ以上の大口径機関銃は搭載できなかった。


1915年、フランス空軍のローラン・ギャロスがモラーヌ・ソルニエ Lの機体中心線に固定銃を装備したことが戦闘機の始まりである[3]。6月、ドイツ帝国がフォッカー アインデッカーを量産し、同調装置付プロペラ圏内固定銃を装備して敵の航空機を撃墜する機体として登場し、この駆逐機(戦闘機)の独立出現を各国が見習うことになる[4]


第二次世界大戦時には、航空機の全金属化に伴い構造が強化され、かつ防弾装甲も施されるようになった。結果、より大型の機関砲が搭載可能となり、また、同じく構造強化された敵機に損害を与えるため、機関銃/機関砲は、より大口径化した。一方で、空戦時にかかるGを考慮した航空機専用に開発されたもの、発射速度の向上や軽量化されたものなど、多くの種類が開発された。大戦勃発前は7.62-7.92mmクラスが主流だったが、大戦半ばには12.7-13.2mm、15mm、20mm級の銃や砲が主流となり、後期には30mm級を主装備とする機体も登場した。37mm、40mm、45mm、50mm、57mm、75mmといった大砲(一部を除き、高射砲や対戦車砲からの改造型)を搭載する機体もあったが、対戦闘機用とはされず、対大型爆撃機、対戦車、対艦船用であった。ホーカー ハリケーンなどの例外はあるが、試作あるいは少数の生産・配備に止まっている。イギリスの戦闘機は、小口径の機関銃の搭載数を増やす事により、数で威力を補うといった方針が見られた。しかし、実際問題として威力を増すには、その複数の機関銃・砲の弾丸の命中位置が集中しないといけないため、射程が限られるといった問題があった。


第二次世界大戦では、優れた防弾性能と高高度性能を持つ大型爆撃機B-17が登場した。これに対抗するため、日本陸・海軍は機銃の威力増強を対策の第一とした[5]。海軍の零戦は出現当初から20mm機銃を採用しており、B-17程度の防御力なら一撃で撃墜可能と考えていたが、効果がないという報告があった。川上陽平海軍技術少佐によれば、調査の結果、これは威力不足ではなく、5mほどの標的での射撃訓練を受けたパイロットが大型で尾部に防御火力を持つ四発重爆に対して、照準器の視野にあふれるため、相当接近したと錯覚して有効射程外から射撃して退避していることが原因であったという[6]。当時搭載されていた20mm機銃でも威力不足と判断した日本海軍は、30mm機銃の開発を決定し、1942年末には二式30mm機銃の試作品が完成し、1943年7月には零戦に装備されてラバウルに送られ、大型機を一発で大破させられた[7]。また、日本海軍では小園安名中佐の発案で、1943年に斜銃が採用された。機軸に対して上方または下方に30度前後の仰角を付けて装備された航空機銃である。利点はB‐17の弱点(後ろ下方からの攻撃に弱い)に対し攻撃占位運動が容易であること、攻撃態勢保持時間が長いことが挙げられる[8]。陸軍には有効な20mm機銃がなく、1943年秋にドイツから入手したマウザー MG151/20が東部ニューギニアで一部に使用され、国産のホ五の装備開始は1944年3月からだった。対策委員会は応急処置として37mm戦車砲を二式複座戦闘機(屠龍)と一〇〇式司令部偵察機に取り付けて1943年2月にラバウルに送ったが、一発ごとに手で装填するため空中では役に立ちがたかった。B-17対策に基づいて、航空機用の大口径砲は、37mmのホ203、40mmのホ301、57mmのホ401の3種が昭和18年度装備に決められた。ホ203を屠龍に、ホ301を二式単座戦闘機(鐘馗)に装備し、1943年中に実戦で使用した[9]


第二次世界大戦後、航空機はジェット化が進んだ。高速化とミサイル技術の発達で、戦闘機のドッグファイトや機銃を軽視する動きがあり、機銃を持たない戦闘機も現れた。しかし、1960年から始まったベトナム戦争で接近戦が頻発し、格闘性能、機銃の大切さが再認識された[10]。また、機体構造強度の強化や速度の向上によって、より高い威力と命中率が求められ、アメリカではガトリング砲、ヨーロッパではリヴォルヴァーカノン、ソ連ではガスト式がそれぞれ主流となった。方式はそれぞれ異なるが、大口径化や機関砲の搭載数でなく発射速度を高めることによって威力を上げた。ガスト式は第一次大戦時、リヴォルヴァーカノンは第二次世界大戦時にナチス・ドイツが開発し、実戦には間に合わなかった形式である。アメリカでは20mm、25mm、ヨーロッパでは27mm、30mm、ソ連/ロシア連邦では23mm、30mmが一般的になった。



脚注





  1. ^ 前田勲『海軍航空隊よもやま物語』光人社NF文庫204頁


  2. ^ 前田勲『海軍航空隊よもやま物語』光人社NF文庫203頁


  3. ^ 河野嘉之『図解戦闘機』新紀元社46頁


  4. ^ 河野嘉之『図解戦闘機』新紀元社46頁、戦史叢書52巻 陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで 57頁


  5. ^ 渡辺洋二『死闘の本土上空』文春文庫116頁


  6. ^ 『零戦よもやま物語』光人社NF文庫39-40頁


  7. ^ 渡辺洋二『死闘の本土上空』文春文庫117頁


  8. ^ 戦史叢書96巻 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収後 155頁


  9. ^ 渡辺洋二『死闘の本土上空』文春文庫117-118頁


  10. ^ 河野嘉之『図解戦闘機』新紀元社44頁




関連項目



  • 機関砲

  • ガンポッド








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