ゲーム機













Vg icon.svg






















コンピュータゲーム機(コンピュータゲームき)とは、コンシューマーゲーム機、テレビゲーム機、携帯型ゲーム機、アーケードゲーム機などといった、コンピュータゲームを動作させるためのハードウェア機器の総称[1][2][3]である[注 1]




目次






  • 1 概要


  • 2 略史


    • 2.1 据置機


      • 2.1.1 第1世代


      • 2.1.2 第2世代


      • 2.1.3 第3世代


      • 2.1.4 第4世代


      • 2.1.5 第5世代


      • 2.1.6 第6世代


      • 2.1.7 第7世代


      • 2.1.8 第8世代


      • 2.1.9 世代未確定




    • 2.2 携帯機


      • 2.2.1 第1世代


      • 2.2.2 第2世代


      • 2.2.3 第3世代


      • 2.2.4 第4世代


      • 2.2.5 第5世代


      • 2.2.6 第6世代


      • 2.2.7 第7世代






  • 3 立体映像対応のゲーム機


  • 4 脚注


    • 4.1 注釈


    • 4.2 出典




  • 5 関連項目





概要







ここではゲーム機と呼ばれているものがどのようにして確立したかを年代順に簡略に述べる。




ミニコン上で動作する『スペースウォー!』


ゲーム機が誕生した1970年頃には、コンピューターと言えばメインフレームや、せいぜいミニコンであり、大企業や大学や、それらあるいは軍の研究所で使われる高価なシステムしかなかった。初期のコンピューターゲームで最も有名なものとしては、ミニコン上で書かれ不特定多数の大学生に遊ばれた宇宙戦ゲーム『スペースウォー!』が挙げられる[4]。その後、ゲームは4つの道を通って発展した。



  1. 店頭に設置して有料で遊ぶ「アーケードゲーム」

  2. 消費者が家庭で楽しむ「テレビゲーム」

  3. パソコン上でアプリケーションの一種として動作する「パソコンゲーム」

  4. 電卓の技術を応用して作られた「電子ゲーム」


1972年、史上初のビデオゲーム機が登場するが商業的に成功せず、最初に商業ゲームとして成功したのはアタリのアーケードゲーム『ポン』だった[5]。ビデオゲームは、それまでゲームセンターで人気を博していたピンボールを瞬く間に駆逐した。アーケードビデオゲームは次第に内容が複雑化していき、ワイヤードロジックの回路では実現が難しくなるにつれマイクロプロセッサーが採用されるようになっていった。1970年代中盤に登場した最初期のテレビゲーム機(第1世代)は、それらのアーケードゲームを家庭で手軽に楽しむためのものであった。当初のテレビゲーム機は、初期のアーケードゲーム同様にワイヤードロジックで構成されていたため、1ハード1ゲーム、もしくは複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)では、1つのハードでさまざまなゲームをプレイしたいというユーザーの欲求に応えるため、ハードにゲームソフトを組み合わせることで、コンピューターゲームをプレイすることができるシステムが採用された。ソフトの供給メディアはカセットテープを採用したマシンもあったが、Atari 2600はカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムを採用し、それが標準となった。1979年には史上初のサードパーティーが誕生し、ここで、ゲーム機本体を販売する産業とは別に、ゲームのプログラムそのものを販売して利益を上げるゲーム産業が誕生した。このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にいわゆるアタリショックが起きた[6]


1977年には、各社からパーソナルコンピュータ(8ビットパソコン)の販売が始まった。この頃すでにテレビゲームやアーケードゲームは存在しており、パソコンのユーザはこれらのアーケードゲームを無料で楽しむために、アーケードゲームを真似たパソコンゲームを競って自機上にプログラミングし、互いに交換しあった。パソコンゲームはその後アドベンチャーゲームやロールプレイングゲーム、シミュレーションゲームといった、同時代のアーケードゲームやコンシューマーゲームとは異なる分野で発展を遂げていくことになる。


1970年代後半のマイクロプロセッサの、主にその速度はグラフィックを扱うには不足していたため(例えばNTSCのグラフィック表示にはドットクロック12〜15MHz程度が必要であり、当時のマイクロプロセッサでは力不足[7])、当時のゲーム機・パソコン・アーケードゲームのいずれも映像表示周辺は独自に作り込まれた設計となっており、それぞれの機種の個性となっていた。画像処理機能も含め、ゲーム向け機能の代表的なものはスプライト(オブジェクト)機能やスクロール機能などのハードウェア支援であろう。いずれも目的や想定するユーザー層などとコストの兼ね合いでこのあたりの機能と性能は決定されるため、目的のゲームに特化して設計されるアーケードゲーム機の回転機能などは花形であった。ゲーム機・パソコン・アーケードゲームが個々に独自のアーキテクチャを持つ傾向はその後も続いた。


1970年代後半には携帯型ゲーム機も人気となった。1979年には既にカートリッジ交換型携帯型ゲーム機が登場していたが、当時は技術的な制約から他の形態と比べて十分な製品を作れずにいた。かわりに主流となっていたものが電子ゲームと呼ばれるものであった。電子ゲームとは電卓の技術を応用したもので、アーケードゲームやパソコンゲームとはまったく別系統に生まれたものである。表示装置としては特定の形状を表示する液晶や発光ダイオードが使われた。汎用のグラフィック表示機能を備えておらず、必然的に1ゲーム1ハードが基本であった。


第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)では、エレクトロニクス技術の進歩によって、テレビゲーム機にも簡略化・低価格化を施されたスプライト機能とハードウエアスクロール機能が追加されていった。任天堂のファミリーコンピュータは、サードパーティーによるソフトウェアの製造をライセンス(ゲーム機メーカがサードパーティーにゲームソフトウエア開発・販売を許諾する)形式にし、ゲームソフトメーカからのライセンス収入を見込むことでゲーム機のハードウェア自体を低価格で販売することができ、それによりゲーム機所有者数が増えることでゲームソフトメーカも恩恵を得ることができた。


1980年代後半には、パソコンの性能向上速度が加速し最新機種が入れ替えられていったために、ゲームに対するパソコンのプラットフォーム性が失われた一方、相対的に機種変更頻度が少ないゲーム機はそのプラットフォーム性が高まった。パソコンやゲーム機などで、単一の機種が長期的に基本性能が変わらないまま販売され続ける(商品寿命が長い)と、その機種はひとつのプラットフォームとして認識され、その機種で他機種用のゲームを遊べるよう多くのソフトウェアが製作された(いわゆる移植)。「プラットフォームハードウェアと多数のソフトウェア」という手法は、ハードウェアの進歩や新しいプログラミング手法の導入(これらのゲーム機のソフトはほとんどがアセンブリ言語で記述されていたが、世の中のプログラミングはC言語などに移行しつつあった)を阻害するものではあったが、ゲームソフトという特定の先鋭分野における競争と技術開発を促進することでゲームソフト業界を急速に発展させる一因にもなった。第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)ではさらにゲームソフトの技術力や表現力が向上し、より高性能のハードウェアが求められるようになり、ゲーム機専用のプロセッサ類が設計されるようになった。それまでのゲーム機は、パソコン用チップや汎用製品を流用したものが多かったが、この時代になるとゲーム機はゲーム用途としてはパソコンをはるかに凌ぐ性能を持つとのイメージが確立された。また、他のハードウエア形態と遜色がない十分な性能をもつ CPU とグラフィック表示装置を備えるカートリッジ交換型の「携帯型ゲーム機」がこの頃に発売され、人気を得るようになった。なお、2000年代以降のゲーム機では再び据置機(テレビゲーム機)・携帯機・アーケードゲーム・パソコンゲームの区別が曖昧となるが、下記で詳しく述べる。



略史


世代分けについては、英語版ウィキペディアにおける「Video game console」(en:Video game console を参照)にだいたい相当するもの、すなわち、「コンシューマーゲーム機」「家庭用ゲーム機」「ゲーム専用機」[注 2]等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う。


マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態がある[注 3]ものの、この項ではひとまず各機種を据置機(いわゆるテレビゲーム機)と、携帯型ゲーム機のふたつに分類している。


世代については、英語版ウィキペディアが「First generation」から「Eighth generation」まで分類しているためそれに沿っているが、ここで見られる世代分けは日本のゲーム研究等ではあまり見られず、また英語による資料においても異同が見られる[8][9]



据置機



第1世代


1970年代前半 - 中盤を、この記事では「第1世代」とする。



1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『オデッセイ』がリリースされた。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『ホーム・ポン』を1975年にリリースし、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小までおびただしい数の玩具メーカーからリリースされた。日本ではオデッセイを発売したマグナボックスと提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが1976年に発売した『ブレイクアウト』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。




  • オデッセイ(マグナボックス、1972年)


  • ホーム・ポン(アタリ、1975年)


ポンクローン




  • テレビテニス(エポック社、1975年)


  • テルスター(コレコ社、1976年)


  • カラーテレビゲーム15(任天堂、1977年)


ブレイクアウトクローン




  • テレビブロック(エポック社、1979年)


  • カラーテレビゲーム ブロック崩し(任天堂、1979年)


その他




  • TV JACK(バンダイ、1977年~1978年)


  • TV FUN(トミー工業、1977年~1978年)


  • システム10(エポック社、1978年)


  • カラーテレビゲーム レーシング112(任天堂、1978年)


  • テレビ野球ゲーム(エポック社、1979年)


  • テレビベーダー(エポック社、1980年)


  • コンピュータTVゲーム(任天堂、1980年)



第2世代


1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。



1976年、フェアチャイルドがチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった[10]。マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey²を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティーとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。北米では他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、欧州ではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こした[6]。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。日本や南米などの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。




  • チャンネルF(フェアチャイルドセミコンダクター、1976年)


  • Atari 2600(アタリ、1977年)


  • ビデオカセッティ・ロック(タカトク、1977年)


  • オデッセイ2(マグナボックス、1978年)


  • VC 4000(インタートン、1978年)


  • ビジコン(東芝、1978年)


  • インテレビジョン(マテル、1980年)


  • カセットビジョン(エポック社、1981年)


  • Atari 5200(アタリ、1982年)


  • コレコビジョン(コレコ、1982年)


  • Vectrex(GCE、1982年)


  • アルカディア(バンダイ、1983年)


  • TVボーイ(学習研究社、1983年)



第3世代


1980年代前半 - 中盤を、この記事では「第3世代」とする。



アタリショック後、北米と欧州ではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北米ではコモドール64が、欧州ではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特にファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担った。1985年にはアメリカで海外版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され大成功を収めた。RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来するATARI仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー(ゲームパッド)はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった。




  • ファミリーコンピュータ、AV仕様ファミリーコンピュータ、ファミリーコンピュータ ディスクシステム(任天堂、1983年、1993年、1986年)


  • SG-1000、SG-1000II(セガ、1983年、1984年)


  • PV-1000(カシオ、1983年)


  • Atari 7800(アタリ、1984年)


  • スーパーカセットビジョン(エポック社、1984年)


  • セガ・マークIII、セガ・マスターシステム(セガ、1985年、1987年)


ゲームパソコン




  • マックスマシーン(コモドール、1982年)


  • コモドール64(コモドール、1982年)


  • ZX Spectrum(シンクレア、1982年)


  • ぴゅう太(トミー、1982年)


  • M5(ソード、1982年)


  • SC-3000(セガ、1983年)


  • RX-78(バンダイ、1983年)


  • PV-2000 楽がき(カシオ、1983年)


  • MSX(MSX参入各社、1983年)



第4世代


1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。



従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が格段にアップした。ステレオサウンドが標準になり、表現も工夫された。ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりコストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用したCD-ROM2[11]が現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。


主なハードは、PCエンジン・メガドライブ・スーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方の北米市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた[12]


アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でもX68000やFM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した。第4世代ゲーム機はドット絵とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。




  • PCエンジン(コアグラフィックス)、CD-ROM2、SUPER CD-ROM2(NECホームエレクトロニクス、1987年、1989年、1988年、1991年)


  • メガドライブ、メガCD(セガ、1988年、1991年)


  • PCエンジンスーパーグラフィックス(NECホームエレクトロニクス、1989年)


  • スーパーファミコン(任天堂、1990年)


  • ネオジオ(SNK、1990年)


  • PCエンジンDuo(NECホームエレクトロニクス、1991年)

  • ワンダーメガ(セガ、1992年)



第5世代


1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。



ROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量が大きくさらに生産性が高いので、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴いゲームの規模は拡大し、副次的にも音質の向上やムービー再生による演出が広がるなどのメリットがあった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が劇的に広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。


この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はPlayStation、セガサターンの2機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したSCEのPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。また、北米では米セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北米では成功したが主流となることはなかった。


北米最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなった。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。




  • Atari Jaguar、Atari Jaguar CD(アタリ、1993年)


  • Amiga CD32(コモドール、1993年)


  • FM TOWNS マーティー(富士通、1993年)


  • レーザーアクティブ(パイオニア、1993年)


  • 3DO(3DO、1994年)


  • ネオジオCD(SNK、1994年)


  • プレイディア(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1994年)


  • セガサターン(セガ、1994年)


  • スーパー32X(セガ、1994年)


  • PlayStation(SCE、1994年)


  • PC-FX(NECホームエレクトロニクス、1994年)


  • バーチャルボーイ(任天堂、1995年)


  • ルーピー(カシオ、1995年)


  • ピピンアットマーク(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1996年)


  • NINTENDO64、64DD(任天堂、1996年 - 1999年)



第6世代


1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。



3Dグラフィックスの表現力が格段に上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPS2に次ぐシェアを獲得したが、日本では非常に不振であった。NINTENDO64の後継機のGCは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。


大手メーカーではゲームの大作主義・シリーズ物重視がより一層進み開発費の高騰が進んだ。大手メーカーやサードパーティーの統廃合も進行し、据置きゲーム市場は厳しい転換期を迎えた。開発費の高騰に対しては、開発者側では従来から行われてきた開発ライブラリの整備だけでなく、ゲームエンジンを利用した開発などの対策がとられた。ハードウェア面ではGCのようにボトルネックを排除し扱いやすさを意識した設計を採用したり、ドリームキャストとXboxのようにWindowsをOSに採用しパソコンとほぼ同様の開発手法が使えることをアピールするゲーム機が現れた。欧米ではパソコンや複数のゲーム機にタイトルを供給するマルチプラットフォーム作品が増加し当たり前になってきた。


パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。




  • ドリームキャスト(セガ、1998年)


  • PlayStation 2(SCE、2000年)


  • ニンテンドーゲームキューブ(任天堂、2001年)


  • Xbox(マイクロソフト、2001年)



第7世代


2000年代中盤 - 末を、この記事では「第7世代」とする。



WiiはWiiリモコンという体感型のコントローラを搭載し、ハイデフィニション (HD) に対応したPS3とXbox 360もPlayStation MoveやKinectを発売した。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった。ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビのデファクトともいわれた[13]


ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく普及に時間がかからなかったが、サードパーティーによるソフトのマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった上、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになり、後継機であるWii Uの登場を前にしてソフトがほとんど発売されないという状況に陥った[14]




  • Xbox 360(マイクロソフト、2005年)


  • PlayStation 3(SCE、2006年)


  • Wii、Wii Family Edition、Wii Mini(任天堂、2006年、2011年、2012年)


日本の新世代株式会社が2005年にWiiより早く体感型インターフェイスの採用・発売したXaviX PORTはゲーム機ではなくフィットネス機器あるいは体感型玩具としての戦略を取ったが、システムとしては紛れもなくカセット交換型のゲーム機であり、ゲーム機向けのフィットネス系ゲームである『Wii Fit』と特に競合する。また、南米やアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONEおよびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4も2009年発売された。




  • XaviX PORT(新世代株式会社、2005年)


  • Zeebo(Tectoy&Qualcomm、2009年4月)


  • Tectoy Mega Drive 4(Tectoy、2009年8月)


  • ZONE、SEGA Reactor(AtGames&セガ、2010年)



第8世代


2010年代前半以降を、この記事では「第8世代」とする。



Wii Uが2012年11月、PS4とXbox Oneが2013年11月で、共に北米地域のホリデーシーズンに合わせて発売された。3機種全てで北米地域での発売が優先されている[15][16][17][18]


2012年にはスマートフォンやタブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAやGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ[19]。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。また、2013年にはValve CorporationがSteamOS/Steam Machine/Steam Controllerを発表した。Steam Machineは予てより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のPCゲームプラットフォームSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用ゲーミングPCの規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。


Gaikai/OnLive/PlayStation Now、Microsoft AzureやAmazon Web Services[20]のように各クラウドのサービス・プラットフォームが台頭し、NVIDIA GeForce GRIDやGクラスタ/Ubitus[21][22]などはSTBにも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた[23])。


任天堂は2017年3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機としてNintendo Switchを発売。また、「ニンテンドークラシックミニ」シリーズも登場した。




  • Wii U(任天堂、2012年)


  • PlayStation 4、PlayStation 4 Pro、PlayStation VR(SIE(旧称・SCE)、2013年、2016年、2016年)


  • Xbox One、Xbox One S、Xbox One X(マイクロソフト、2013年、2016年、2017年)


  • PlayStation Vita TV(SIE(旧称・SCE)、2013年)


  • Nintendo Switch(任天堂、2017年)


マイクロコンソール



  • Apple TV(アップル、2015年)

クラウドゲーム機



  • G-cluster(ブロードメディア、2013年)

Android搭載




  • OUYA(OUYA, inc.、2013年)


  • GameStick(PlayJam Inc.、2013年)


  • GamePop(BlueStacks、2013年)


  • M.O.J.O(Mad Catz、2013年)

  • UNU/Vyper(Snake Byte、2014年)

  • HUAWEI Tron mini game console(華為技術、2014年)



世代未確定


アタリはAtari Jaguar以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、Atari VCSを発表した。また、マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し、Intellivision Amicoを発表した。




  • Atari VCS(アタリ、2019年)


  • Intellivision Amico(マテル、2020年)



携帯機



第1世代


1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。



据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。



  • Microvision(ミルトン・ブラッドリー、1979年)

電子ゲーム




  • Mattel Auto Race(マテル、1976年)

  • Mattel Football(マテル、1977年)



第2世代


1980年代前半 - 中盤に当たる。



1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後に据置機の主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用された。任天堂、バンダイ、トミー、タイガー・エレクトロニクスと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードの移植も盛んであった。1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売した。1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されたが、商業的にはまたしても失敗に終わった。



  • ゲームポケコン(エポック社、1984年)

電子ゲーム




  • ゲーム&ウオッチ(任天堂、1980年)


  • LCD SOLARPOWER(バンダイ、1982年)


  • Tomytronic 3D(トミー、1983年)



第3世代


1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。



ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機の登場によって電子ゲームのブームはこの世代で終了したが、電子ゲームは販売されつづけて一定の市場を維持しており、時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもあった。




  • ゲームボーイ(任天堂、1989年)


  • Atari Lynx(アタリ、1989年)


  • ゲームギア(セガ、1990年)


  • PCエンジンGT(NECホームエレクトロニクス、1990年)



第4世代


1990年代中盤 - 後半に当たる。



スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。ビジュアルメモリとPocketStationは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。




  • ノーマッド(セガ、1995年)


  • ゲームボーイポケット、ゲームボーイライト、ゲームボーイカラー(任天堂、1996年、1998年)


  • game.com(タイガー・エレクトロニクス、1997年)


  • ネオジオポケット、ネオジオポケットカラー(SNK、1998年、1999年)


  • ワンダースワン、ワンダースワンカラー、スワンクリスタル(バンダイ、1999年、2000年、2002年)


  • ポケモンミニ(ポケモン、2001年)


据置機の外部記憶媒体




  • ビジュアルメモリ(セガ、1998年)


  • PocketStation(SCE、1999年)



第5世代


1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。



反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた。N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始めた。N-GageはS60を搭載し、2008年にはアプリケーション・プラットフォーム化した。




  • ゲームボーイアドバンス、ゲームボーイアドバンスSP、ゲームボーイミクロ(任天堂、2001年、2003年、2005年)


  • GP32(GamePark、2001年)


  • N-Gage、N-Gage QD(ノキア、2003年、2004年)


  • Zodiac(Tapwave、2003年)



第6世代


2000年代中盤 - 末に当たる。



DSとPSPによって二分された。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。DSはブルー・オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはネットへのハードルを下げたニンテンドーWi-Fiコネクション[24]や、タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「Touch! Generations」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載した。PSPは日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。




  • ニンテンドーDS、ニンテンドーDS Lite、ニンテンドーDSi、ニンテンドーDSi LL(任天堂、2004年、2006年、2008年、2009年)


  • PlayStation Portable、PlayStation Portable go(SCE、2004年、2009年)


  • GP2X、GP2X Caanoo(GamePark、2005年、2010年)


  • Dingoo A320(Dingoo、2009年)


  • Pandora(OpenPandora、2010年)



第7世代


2010年代初頭 - 中盤に当たる。



3DSやPS VitaはカメラによるARやコミュニケーション・ソーシャルを意識した機能が多数盛り込まれた。2013年にはGPUメーカーとして知られるNVIDIAがTegra/Android搭載のNVIDIA SHIELD Portableを発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。スマートフォン/タブレットといったスマートデバイス用OSにゲームを意識した機能が盛り込まれた[25]。2008年にアップルのiPhone OS(現・iOS)のSDKが公開されて以降、iPod touch/iPhone/iPadといったiOS用のApp Store[26]やGoogleのGoogle Playが提供された。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。




  • ニンテンドー3DS、ニンテンドー3DS LL、ニンテンドー2DS、New ニンテンドー3DS、New ニンテンドー3DS LL 、Newニンテンドー2DS LL(任天堂、2011年、2012年、2013年、2014年、2017年)


  • PlayStation Vita(SIE(旧称・SCE)、2011年)


  • NEOGEO X(SNK、2012年)


Android搭載




  • SO-01D(ソニー、2011年)


  • Archos GamePad(Archos、2012年)


  • Wikipad(Wikipad、2013年)


  • NVIDIA SHIELD Portable(NVIDIA、2013年)

  • Tek 807D/SUPERGAMER俺(Tekniser/スペックコンピュータ、2013年)



立体映像対応のゲーム機


1980年代にトミーから、立体視のできる電子ゲームが発売された(『宇宙壮絶戦車戦』、『ジョーズ』、『スペースレーザーウォー』、『ジャングルファイター』、『コスモ・ル・マン』、『ドッグファイト』、『シャーマンアタック』の7作品が確認されている)[27][28][29][30][31]


任天堂からは1987年にファミコン3Dシステムが発売、セガからはアメリカ市場においてセガ・マスターシステムでSegaScope 3-D Glassesと複数の対応ソフトが発売された。1994年にはアタリから『ミサイルコマンド3D』と『Wolfenstein3D』のわずか2タイトルだったが、Jaguar VR ヘッドセットが発売された[32][33][34]


1995年7月には任天堂からスタンドタイプのバーチャルボーイが発売されるものの、販売台数は振るわなかった。以上のように200x年代前半までは、いずれも散発的にリリースされたに留まる。2006年11月に発売されたPlayStation 3は2010年4月に公開されたシステムアップデートで3次元ディスプレイへの映像出力に対応し[35]、また2011年2月に任天堂から裸眼立体映像に対応した携帯型ゲーム機ニンテンドー3DSが発売された。



脚注


[ヘルプ]


注釈





  1. ^ あまりそう呼ばれることはないが、理論的には汎用のコンピュータではあるが何らかの用途専用にチューニングされたもの、という意味ではコンピュータ・アプライアンスと呼ばれるコンピュータの分類に近い。


  2. ^ なお、近年ではインターネットにより、英語圏との情報流通が密になったため、「ゲームコンソール」という表現が日本語圏で見られることも多くなっている。


  3. ^ 例えばパソコンにおけるラップトップ機に近かった形態と言えるPCエンジンLTなど。




出典





  1. ^ “ゲーム機とは - IT用語辞典バイナリ”. 2014年4月8日閲覧。


  2. ^ ゲーム白書2009に見る、ゲーム機市場の大転換期~急増するゲームコンテンツのダウンロード


  3. ^ 「ゲーム機が無くなる日」を示唆したゲーム白書、「50代のゲーム利用増加」を裏付けたCESA報告書


  4. ^ J. M. Graetz (1981), “The Origin of Spacewar”, Creative Computing (August, 1981), http://www.wheels.org/spacewar/creative/SpacewarOrigin.html 


  5. ^ 宮沢篤; 駒野目裕久、アーケードゲームのテクノロジー (その1) 増補改訂版 「<小特集>遊び・エンタテインメントとメディア」、『情報処理学会研究報告.IM, [情報メディア]』 第96巻第29号9〜16頁、1999年。http://ci.nii.ac.jp/naid/110002929678 

  6. ^ ab樺島榮一郎 「コンテンツ産業の段階発展理論からみる一九七二〜八三年の北米ビデオ・ゲーム産業─いわゆる「アタリ・ショック」をどう解釈するか」、『コンテンツ文化史研究』 (コンテンツ文化史学会)第4号24〜42頁、2010年 


  7. ^ 4ビットまたは8ビットだから、というようなアーキテクチャ的な理由ではない。


  8. ^ Michael Miller (2005年4月1日). “A History of Home Video Game Consoles”. InformIT. 2009年3月3日閲覧。


  9. ^ “"Innovation and competition in standard-based industries: a historical analysis of the US home video game market" IEEE Trans. Eng. Manag. 49 (2002)”. 2014年4月8日閲覧。


  10. ^ 八木基; 竹村裕夫、5-5民生機器(5.画像応用) 「<特集>テレビジョン年報」、『テレビジョン学会誌』 (映像情報メディア学会) 第32巻第7号597〜601頁、1978年。http://ci.nii.ac.jp/naid/110003698158 


  11. ^ “PlayStationStore「ゲームアーカイブス」カテゴリ内にて「PCエンジンアーカイブス」を、本日より取り扱い開始”. ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパン ニュースリリース (2007年9月15日). 2012年9月21日閲覧。


  12. ^ Video Business誌の1995年1月号の記事「Game makers dispute who is market leader.」より


  13. ^ “スマートテレビの本質が問われる”. ダイヤモンド社. p. 3. 2013年12月3日閲覧。


  14. ^ “Wii UはWiiの失敗を繰り返すか その2”. All About. オールアバウト (2013年4月4日). 2013年5月1日閲覧。


  15. ^ 「WiiU」不振・PS4は来年発売…“寒〜い”ゲーム年末商戦(産経新聞 2013年10月27日)


  16. ^ Xbox Oneは2013年中には出ない? 日本マイクロソフトのゲームビジネスはどうなる? 日本マイクロソフトのキーパーソン3名に直球で聞いてきた(4Gamer.net 2013年7月2日)


  17. ^ Xbox、今更日本でのプロモに力を入れるワケ マイクロソフト幹部が語る「日本重視戦略」


  18. ^ “家庭用ゲーム機逆風下でも24時間で実売100万台! ソニーPS4好発進のカギはインディーズの発展 ――吉田修平SCEワールドワイド・スタジオ プレジデントに聞く”. ダイヤモンド社. 2013年12月3日閲覧。


  19. ^ “スティック型から手のひらサイズのSteam用PCまで――相次ぐ“ゲーム機”発表を読み解く【CES 2013】”. ファミ通. エンターブレイン (2013年1月9日). 2013年12月3日閲覧。


  20. ^ “Amazon AppStream”. Amazon.com. 2013年12月3日閲覧。


  21. ^ “クラウドゲームサービス「ジークラウド」あらため「GameNow」のサービスが本日開始。「イースI 完全版」など計26作品をAndroid端末で楽しめる”. 4Gamer.net. Aetas (2013年4月30日). 2013年5月1日閲覧。


  22. ^ “スマホやタブレットで高負荷のオンラインゲームを楽しめる……データホテルのクラウドゲーミング”. イード (2013年6月13日). 2013年6月24日閲覧。


  23. ^ “生きていたシンラのDNA! Genvidが目指す“ゲームプレイ配信2.0”の世界 より自由で柔軟なゲーム観戦を実現。プレーヤーと視聴者のインタラクションも可能に”. 2017年7月12日閲覧。


  24. ^ http://www.gpara.com/news/05/10/news200510059886.htm


  25. ^ “ゲーム業界展望 : スマホのゲーム機化進む PS4のカギは? KADOKAWA浜村弘一常務語る”. 2014年1月14日閲覧。


  26. ^ “iPod touchの"ゲーム機としての"魅力とは - 米AppleのiPod担当者に聞く”. マイコミジャーナル (2011年2月7日). 2011年5月15日閲覧。


  27. ^ 3D立体グラフィックゲーム


  28. ^ トミー3D立体グラフィックゲーム シャーマンアタック


  29. ^ 3D立体グラフィックゲーム・宇宙壮絶戦車戦


  30. ^ 週間電子ゲームレビュースペースレーザーウォー


  31. ^ 週間電子ゲームレビュー宇宙壮絶戦車戦


  32. ^ Jaguar VR


  33. ^ ATARI JAGUAR VR HEADSET


  34. ^ AGH Jaguar Review: MISSILE COMMAND 3-D


  35. ^ [1]




関連項目




  • ゲーム機一覧/Category:ゲーム機画像


  • 娯楽家電/マルチメディア機

  • VG Chartz


  • Console Wars - 1990年代のセガ・オブ・アメリカのCEOを務めたトム・カリスンスキを中心に任天堂との競争を描くブレイク・ハリスによる著書。スコット・ルーディン、セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ、ソニー・ピクチャーズによる映画化も発表された。









Popular posts from this blog

Human spaceflight

Can not write log (Is /dev/pts mounted?) - openpty in Ubuntu-on-Windows?

張江高科駅