マブチモーター
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 東証1部 6592 |
略称 | マブチ |
本社所在地 | 日本 〒270-2280 千葉県松戸市松飛台430番地 北緯35度46分44.1秒東経139度57分33.6秒座標: 北緯35度46分44.1秒 東経139度57分33.6秒 |
設立 | 1954年1月18日 |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 2040001036954 |
事業内容 | 小型モーターの製造 |
代表者 | 大越博雄(代表取締役社長) |
資本金 | 207億481万円 |
売上高 | 連結703億円 単独440億円 (2009年12月期) |
純資産 | 連結1,803億円 単独1,408億円 (2009年12月31日現在) |
総資産 | 連結1,923億円 単独1,523億円 (2009年12月31日現在) |
従業員数 | 単独751人(2009年12月31日現在) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 | 馬渕隆一(7.1%) 馬渕喬(5.7%) 馬渕保(5.7%) |
関係する人物 | 馬渕健一(創業者) |
外部リンク | www.mabuchi-motor.co.jp |
マブチモーター株式会社は、小型モーターに特化した会社で、世界シェアの有鉄心モーターで業界一番のシェアを占める電気機器の大手。小型モーターは現在では全製品をアジアを中心とする海外の工場で生産しており、日本にあるのは本社と研究所の機能のみである。
現在の同社の売上の内訳は、ミラーやドアロックなどに用いる自動車電装機器が約40%を占め、音響・映像機器のCD/DVDドライブ用モーターが約20%、インクジェットプリンターやデジタルカメラなど情報機器関連が約17%などとなっている(2007年12月期のデータより)。
目次
1 歴史
2 沿革
3 関連項目
4 注釈
5 外部リンク
歴史
1947年の夏に馬渕健一が、フェライト磁石を使った有鉄心ブラシ付の数センチ大の小型モーター(永久磁石界磁形整流子電動機)を発案。その小型さと耐久性の高さから、これを玩具や模型用に売り出したところ、世界中で大いに採用された(ゼンマイ仕掛けのおもちゃはこのために姿を消したとも言われている)。先発優位性、価格競争力と高い信頼性、生産能力で、早くからトップシェアを占めるようになった。
マブチモーターを語る上で欠かせないものが模型の存在である。スロットレーシングカーブームの頃にタミヤなどが使い、世界的にマブチの名を知らしめた。また、戦車などのモーターライズ模型(プラモデル)ともマブチモーターは切っても切れない関係にある。さらには電動ラジオコントロールカーやミニ四駆[1]などのヒット商品にも使われており、現在では学校の理科教育などにも意欲的に協力している。マブチの水中モーターS-1は同社のモーター応用製品の中でももっともよく知られている。
東京科学時代にはマブチ乾電池、また1970年代には三洋電機製のニッケルカドミウム電池をスーパーセルと称して販売していた。スーパーセルを使用するモーターに空中モーターA-1が存在する。
電機産業などでも、当初は「おもちゃのモーター」として軽視されていたが、その低価格さと高性能が認められ、今日では国内外の製品に幅広く使われ、日々改良と新製品が生み出され「玩具モーター」時代とはかけ離れた高い技術力を持つ小型モーター製品を多くの分野に送り出しており、現在の機械製品では欠かせない部品の一つとなっている。
沿革
1946年 - 香川県高松市に関西理科研究所を設立
1954年 - 野村トーイ社(現:ハズブロ)との取り引きをきっかけに東京に移転、1月18日東京科学工業株式会社を東京都葛飾区本田川端町697(現・東立石3丁目)に設立し、本格的な製造販売を開始[2]
1955年 - 東京都葛飾区本田町113(現・立石3丁目)の中古工場を買収[2]
1955年8月 - 日本科工株式会社を設立- 1955年8月 - 自動巻線機を開発し、生産力の増強とコスト低減を図る
1957年9月 - 輸出専門商社 馬渕商事株式会社を設立
1958年4月 - フェライトマグネットの採用で、軽量、高性能小型マグネットモーターを開発
1958年8月 - 東京科学工業株式会社と日本科工株式会社を解散し、馬渕工業株式会社設立[2]
1959年3月 - 馬渕工業株式会社の商号を東京科学株式会社に変更
1960年4月 - 実用精密小型マグネットモーターを開発し、音響市場、時計市場に進出
1962年3月 - 館林工場を建設し、生産能力の拡大を図る
1963年4月 - 高電圧、高速小型マグネットモーターを開発し、モデルレーシングカー用として発売- 1963年10月 - 高松木材株式会社を存続会社として合併、その商号を東京科学株式会社に変更。同時に本店を東京都葛飾区に移転
- 1963年10月 - 高出力、小型マグネットモーターを開発し、家庭用電気機械器具分野に進出
1964年2月 - 香港九龍新蒲崗に萬寶至實業有限公司を設立。香港市場へのモーター供給と世界市場に対する拠点とする
1965年3月 - 千葉県松戸市に小型マグネットモーターの一貫生産体制を整えたモデル工場を建設する。販売面では米国ニューヨーク駐在事務所を開設
1966年4月 - 高性能でコンパクトなモーターを発売
1967年3月 - 模型、玩具の新しい動力として水中モーターを発売
1968年10月 - 西ドイツ フランクフルトに欧州駐在事務所を開設する。
1969年1月 - 東北マブチ株式会社を設立し、人手不足に対処して部品の加工能力の強化を図る
1971年3月 - 東京科学株式会社の商号をマブチモーター株式会社に変更[2]
1971年7月 - 千葉県松戸市に本社社屋を建設、生産管理、経営管理の一元化を図る
1972年12月 - 輸出専門商社マブチ国際通商株式会社(旧 馬渕商事株式会社)を吸収合併。国内営業部と合体して営業本部をマブチ国際通商株式会社(東京都中央区)に開設
1973年10月 - 華淵電機工業股份有限公司の生産力増強を図るため新工場を建設
1974年3月 - 本社工場の機械工作部門に新鋭工作機械を導入、精密機械工作技術の高度化を図るとともに、群馬県館林市にマブチ精工株式会社を設立し、モーターシャフトの内作化を実施
1975年7月 - 営業本部を松戸本社内に移し、生産・販売・技術・財務の総合管理体制を確立
1976年8月 - 高出力モーターと急速充電ニカド電池の組み合わせによる、電動RC模型の新動力システムを発売
1977年7月 - 商号をマブチ電工株式会社と改め、本店を千葉県松戸市へ移す。
1978年3月 - 競争力の強化、生産体制の充実を図るため、華淵電機工業股份有限公司に湖口新工場を増設
1979年8月 - 萬寶至馬達股份有限公司を台湾高雄市に設立
1980年12月 - 萬寶至馬達股份有限公司の生産能力増強を図るため工場を増築
1982年8月 - 東京都葛飾区にマブチ電工株式会社立石工場を設置
1984年4月 - 本店を東京都葛飾区から千葉県松戸市へ移転- 1984年7月 - 株式を店頭登録。
1986年12月 - 株式を東京証券取引所市場第二部に上場
1987年10月 - 万宝至馬達大連有限公司を設立し、世界市場に対する供給体制を強化
1988年6月 - 株式が東京証券取引所市場第二部から市場第一部へ指定替となる
1989年6月 - 商号を株式会社マブチファイナンスと改め、定款を変更し有価証券の保有ならびに運用を開始
1991年5月 - 関連会社である華淵電機工業股份有限公司への出資比率を76%に引き上げ、特定子会社にする
1992年4月 - 千葉県印旛郡本埜村(現・印西市)にマブチモーター株式会社技術センターを建設
1993年11月 - 中国江蘇省に華淵電機工業股份有限公司、萬寶至馬達股份有限公司の折半出資による華淵電機有限公司を設立
1994年9月 - 大連近郊の瓦房店市に万宝至馬達瓦房店有限公司を設立
1995年9月 - 香港に萬寶至精工香港有限公司を設立
1996年2月 - マブチモーターベトナムリミテッドを設立
1997年3月 - ポケットベル用モーターを開発、情報・通信機器等の新市場に進出
1999年7月 - ISO 9000、QS 9000、認証取得完了
2001年9月 - 携帯電話着信告知用モーターを開発、携帯電話市場に進出
2002年11月 - 万宝至馬達有限公司を設立し、上海駐在事務所を発展的に解消
2003年8月 - カリフォルニア州にサンタクララ・オフィスを開設
2004年4月 - 華淵電機工業股份有限公司の株式を全て取得、子会社とする
関連項目
- 野村トーイ
- タミヤ
- マブチモーター社長宅殺人放火事件
注釈
^ タミヤが純正カスタムパーツとして売り出しているミニ四駆(ミニF/ダンガンレーサー)用モーターのうち、マブチ製のものにはモーター本体のエンドベルやラベルはもちろんのことパッケージにもマブチのCIが入っている。
- ^ abcdマブチモーター編 『マブチモーターの半世紀 上巻』 2001年
外部リンク
マブチモーター株式会社(日本語)