北海道炭礦汽船
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場(かつては上場企業。証券コード 1505) |
略称 | 北炭 |
本社所在地 | 日本 〒103-0024 東京都中央区日本橋小舟町11-7 |
設立 | 1889年(明治22年)11月18日 |
業種 | 卸売業 |
法人番号 | 5010001056721 |
事業内容 | 石炭の輸入販売 |
代表者 | 松岡郁雄(代表取締役社長) |
資本金 | 2,100万円 |
従業員数 | 14人(2018年10月末現在) |
外部リンク | http://www.hokutan-coal.co.jp/ |
北海道炭礦汽船株式会社(ほっかいどうたんこうきせん、英文社名:Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.)は、石炭の輸入販売を行う日本の株式会社である。通称は北炭(ほくたん)。「礦」の字が「砿」「鉱」「鑛」などと記された資料もある。
かつては北海道で多くの炭鉱を経営していた。財閥解体までは三井財閥に属し、その後も三井グループの一員であった。
政商とよばれた萩原吉太郎会長[1]も一時代を築いた三井の大立者として知られる。
また、慶應義塾大学理工学部へ土地を寄附した。
現在はロシアからの石炭輸入を中心とする専門商社となっており、北海道などにはグループ会社がある。
会社は1889年(明治22年)に設立された。
本店は東京都中央区日本橋小舟町にあるが、1989年(平成元年)まで本店は中央区日本橋室町にあった。
かつては室蘭市に本店を置いていた北海道有数の大企業であり、上場企業でもあった(株式銘柄コードは1505)。
目次
1 沿革
2 かつて運営していた炭鉱
3 関連項目
4 脚注
5 外部リンク
沿革
1889年(明治22年)11月18日 - 堀基が中心となって北海道炭礦鉄道会社(ほっかいどうたんこうてつどうがいしゃ)を設立。
- 政府から現在の三笠市にある幌内炭鉱と、幌内・小樽間の官営幌内鉄道の払い下げを受け、また、集治監の囚人を使役できるなどの特権を与えられた。
1890年(明治23年) - 現在の夕張市に夕張炭鉱を、現在の歌志内市に空知炭鉱を開設。
- 炭鉱の開発と並行して炭鉱から港までの鉄道を建設し、小樽港(小樽市)、室蘭港(室蘭市)を石炭の積み出し港として整備した。石炭を輸送する船を所有し、海運業も営んだ。
1893年(明治26年) - 夕張で北炭真谷地炭鉱を開設。
1896年(明治29年) - 商法の施行に伴い北海道炭礦鉄道株式会社に社名変更。
1902年(明治35年) - 楓炭鉱を開設。
1903年(明治36年) - 万字炭鉱を開設。
1906年(明治39年)10月1日 - 鉄道国有法に伴い、北海道の幹線鉄道約200キロメートルを国に売却し、北海道炭礦汽船株式会社に社名変更。
1907年(明治40年)11月1日 - イギリスビッカース・アームストロング社と共同して株式会社日本製鋼所を設立。
1909年(明治42年)7月23日 - 輪西製鐵場(現在の新日鐵住金室蘭製鐵所)が操業開始。
1917年(大正6年)2月 - 輪西製鐵場を北海道製鐵株式会社として分社化(1919年に日本製鋼所に合併)。
1926年(大正15年) - 石炭火力発電所である清水沢電力所を竣工。
1939年(昭和14年) - 天塩炭鉱を開設。
1942年(昭和17年) - 所有船舶を三井船舶(現在の商船三井)に譲渡し、海運業から撤退。
1949年(昭和24年)5月16日 - 東京証券取引所に株式上場。
1951年(昭和26年)4月1日 - 天塩砿業所を関連会社の天塩鉄道→天塩炭砿鉄道に移管。
1958年(昭和33年)
- 3月 - 埼玉県戸田市に石炭化学研究所を開設。
8月27日 - 北海道不動産株式会社(現在のグランビスタ ホテル&リゾート)を設立。
1959年(昭和34年)4月1日 - STV札幌テレビ放送開局。
1963年(昭和38年)
- 夕張鉱業所第三鉱を分離し新夕張炭鉱開山。
- 空知炭鉱を分社化し、空知炭礦株式会社設立[2]。
1965年(昭和40年)
- 2月22日 - 夕張炭鉱でガス爆発[3]、62人が死亡。
- 4月 - 石炭化学研究所を独立させ、北炭化成工業株式会社を設立。
1967年(昭和42年)4月 - 天塩炭砿鉄道株式会社が運営する天塩炭鉱が閉山。
1968年(昭和43年)
- 7月31日 - 平和炭鉱で坑内火災[4]、31人が死亡。
- 9月4日 - 夕張炭鉱で崩落[5]。
- 10月1日 - 子会社の北炭商事株式会社(現在北商コーポレーション)を設立。
- 12月26日 - 夕張炭鉱で露天掘り開始[6]。
1969年(昭和44年)5月28日 - 夕張2炭鉱で崩落[7]。
1974年(昭和49年)4月1日 - 夕張鉄道から夕張鉄道線を継承し、鉄道事業を再開。
1975年(昭和50年)
- 夕張新炭鉱が営業出炭開始。
- 3月 - 平和炭鉱閉山[8]。
- 4月1日 - 夕張鉄道線廃止。
- 8月 - 万字炭鉱が台風により水没[9]。
11月27日 - 幌内炭鉱でガス爆発、24人が死亡[10]。
1976年(昭和51年)3月20日 - 万字炭鉱閉山。
1977年(昭和52年)11月1日 - 夕張炭鉱閉山[11]。
1978年(昭和53年)
10月2日 - 各炭鉱ごとに別会社として分離[12]。
10月3日 - 東証一部上場を廃止、店頭管理銘柄となる。
1980年(昭和55年)7月19日 - 清水沢炭鉱閉山。
1981年(昭和56年)10月16日 - 夕張新炭鉱でガス突出・坑道火災事故が発生[13]、93人死亡。- 1981年(昭和56年)12月15日 - 夕張新炭鉱を運営してきた子会社の北炭夕張炭鉱㈱が会社更生法の適用を申請[14]。
1982年(昭和57年)10月9日 - 夕張新炭鉱閉山[15]。- 1987年(昭和62年)10月9日 - 北炭真谷地炭鉱株式会社が運営する真谷地炭鉱が閉山[16]。
1989年(平成元年)9月29日 - 北炭幌内炭鉱株式会社が運営する幌内炭鉱が閉山[17]。
1995年(平成7年)2月5日 - 会社更生法の適用を申請[18]。- 1995年(平成7年)
3月18日 - 空知炭礦株式会社が運営する空知炭鉱が閉山[19]、日本国内の石炭産業から完全撤退。
6月23日 - 会社更生手続き開始の決定を受ける[20]。
2005年(平成17年)1月31日 - 会社更生手続完了。
かつて運営していた炭鉱
夕張市内
- 夕張炭鉱
- 夕張新炭鉱 (1978年(昭和53年)10月2日[12]以降は北炭夕張炭鉱(株)が運営)
- 平和炭鉱
- 清水沢炭鉱
- 真谷地炭鉱(1978年(昭和53年)10月2日[12]以降は北炭真谷地炭鉱(株)が運営)明治38年頭山満、金子元三郎より鉱区を買収
- 楓炭鉱
三笠市内
幌内炭鉱 (1978年(昭和53年)10月2日[12]以降は北炭幌内炭鉱(株)が運営)
歌志内市内
- 空知炭鉱(1963年(昭和38年)以降は空知炭礦(株)が運営[2])
赤平市内
- 赤間炭鉱
空知郡栗沢町(現岩見沢市)内
- 万字炭鉱
留萌郡小平町内
- 天塩炭鉱(1951年(昭和26年)以降は天塩鉄道(株)→天塩炭砿鉄道(株)が運営)
関連項目
- 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
北炭機械工業(1995年解散) - かつての関連会社- 札幌テレビ放送
- 夕張鉄道
- 北海道炭礦汽船夕張鉄道線
- 北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道
- 夕張鹿鳴館
- 夕張市石炭博物館
- 北商コーポレーション
- 塚本總業
歌志内興産 - 空知炭礦(株)の子会社・空知産業の後身- 天塩炭砿鉄道
脚注
^ “政商ついに終えん”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1983年8月19日)
- ^ ab新歌志内市史 1994年3月発行。
^ “北炭夕張鉱 ガス爆発”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1965年2月23日)
^ “北炭平和砿(夕張)坑内火災”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年8月2日)
^ “北炭夕張 崩落”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年9月4日)
^ “始まった露天掘り現場 北炭夕張鉱 ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年12月26日)
^ “北炭夕張2砿崩落”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1969年5月28日)
^ “北炭平和鉱消える 残務要員の異動も発令”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1975年8月3日)
^ “万字閉山”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年11月12日)
^ “北炭幌内鉱 ガス爆発で24人死亡”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1975年11月27日)
^ “北炭夕張新2鉱 膜閉じる”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1977年11月11日)
- ^ abcd“新生北炭 厳しい試練、3山分離 労使代表、再出発で決意”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1978年10月3日)
^ “北炭夕張新鉱事故 重苦しい待機”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年10月17日)
^ “北炭夕張倒産”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年12月15日)
^ “北炭夕張 閉山 そして泣いた”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1982年10月9日)
^ “北炭真谷地鉱閉山から丸1年”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1988年10月8日)
^ “ヤマの歴史に幕、揺れる地元”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年9月30日)
^ “北炭が会社更生法申請 空知砿など8社も「倒産」 負債1420億円 戦後21番目の「大型」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年2月6日)
^ “歌志内の空知炭砿 閉山からきょうで満3年 失業なお190人 振興策は着実に 離職者手帳も期限切れ 福祉施設など続々完成”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年3月18日)
^ “北炭の更生開始決定 札幌地裁 年内にも計画提出 空知砿も破産回避か”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年6月23日)
外部リンク
- 北海道炭礦汽船