歩兵第37連隊
歩兵第37連隊 | |
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創設 | 1896年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 大阪 |
通称号/略称 | 淀4073 |
上級単位 | 第4師団 |
最終位置 | タイ王国 ランパーン北方 |
主な戦歴 | 日露 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第37連隊(ほへいだい37れんたい、歩兵第三十七聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
目次
1 沿革
2 歴代連隊長
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
沿革
1896年(明治29年) - 連隊本部を設置
1898年(明治31年)
- 3月24日 - 軍旗拝受
- 9月20日 - 大阪市元歩兵第20連隊兵営に移転[1]。
1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
1936年(昭和11年)4月 - 満州派遣が下令
1937年(昭和12年) - 帰還
- 9月9日 - 動員下令
- 9月27日 - 上海に到着、激戦を展開しつつ南京攻略戦に参加
1938年(昭和13年) - 徐州会戦などに参加
1939年(昭和14年)6月 - 帰還
1940年(昭和15年)
- 7月1日 - 動員下令、華中に派遣
- 11月 - 漢水作戦に参加
1942年(昭和17年)
- 3月9日 - 上海を出港
- 3月15日 - ルソン島リンガエン湾に上陸、バターン半島攻略戦やコレヒドール島攻略戦に参加
- 7月 - 帰還
1943年(昭和18年)
- 9月 - 動員下令
- 10月4日 - 大阪港を出港
- 11月1日 - スマトラ島パレンバンに上陸、以後同地の警備に当たる
1945年(昭和20年)
- 2月 - タイ王国に転戦する
- 4月 - タイ・ビルマ(現 ミャンマー)国境の警備に当たる
- 8月 - 終戦
歴代連隊長
代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 山中信儀 | 1896.9.25 - 1899.8.26 | |
2 | 椙原透 | 1899.8.26 - 1901.4.1 | 中佐 |
3 | 川村宗五郎 | 1901.4.1 - 1906.7.6 | 中佐、1902.11.大佐 |
4 | 太田栄次郎 | 1906.7.11 - | |
5 | 伊豆凡夫 | 1907.11.13 - 1910.11.30 | |
6 | 尾野実信 | 1910.11.30 - | |
7 | 稲村新六 | 1911.12.27 - 1914.1.14 | |
8 | 矢木亮太郎 | 1914.1.14 - 1915.8.10 | |
9 | 家永直太郎 | 1915.8.10 - | |
10 | 林弥三吉 | 1919.7.25 - | |
11 | 井染禄朗 | 1921.4.26 - 1922.8.15[2] | |
12 | 厚東篤太郎 | 1922.8.15 - 1923.8.6[3] | |
13 | 坂井兵吉 | 1923.8.6 - | |
14 | 高田美明 | 1926.3.2 - | |
15 | 長谷部照俉 | 1927.5.24 - | |
16 | 喜多誠一 | 1931.8.1 - | |
17 | 藤井洋治 | 1932.2.20 - | |
18 | 三浦敏事 | 1933.8.1 - | |
19 | 北野憲造 | 1935.3.15 - | |
20 | 森村経太郎 | 1937.8.2 - | |
21 | 林芳太郎 | 1938.7.15 - | |
22 | 竹内安守 | 1939.8.1 - | |
23 | 小浦次郎 | 1941.3.1 - | |
24 | 中村淳次 | 1943.5.2 - | |
末 | 細川志道 | 1944.6.21 - |
脚注
^ 『官報』第4573号、明治31年9月26日。
^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
参考文献
- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』
関連項目
- 大日本帝国陸軍連隊一覧