ウプサラ
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ウプサラ Uppsala | |
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ウプサラの上空写真 | |
ウプサラ | |
座標: 北緯59度51分0秒 東経17度38分0秒 / 北緯59.85000度 東経17.63333度 / 59.85000; 17.63333 | |
国 | スウェーデン |
地方 | ウップランド地方 |
県 | ウプサラ県 |
コミューン | ウプサラ |
面積 | |
- 計 | 47.86km2 (18.5mi2) |
人口 (2015年12月31日) | |
- 計 | 149,245人 |
ウェブサイト | www.uppsala.se |
ウプサラ(Uppsala、発音 [ˈɵpːˈsɑːla] ( 音声ファイル)、ウップサーラ)は、スウェーデン中部の都市で、ウプサラ県の県都。人口は149,245人(2015年)で、スウェーデン第4位。北欧最古の大学であるウプサラ大学がある。
目次
1 地勢・産業
2 歴史
3 文化
4 主要な出身者
4.1 ウプサラ大学出身者
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
地勢・産業
ストックホルムの約70km北、ストックホルム-アーランダ空港の約35km北に位置し、ストックホルムからは電車で45分ほど。フューリソン川河畔の大学街。19世紀後半より鉄道敷設が進んだことで、工業も発展をみせた。
1950年にはスウェーデンを代表する製薬会社だったファルマシアがウプサラに移転し、ウプサラ大学との共同研究により成長を遂げた。1995年のアップジョンとの合併、2000年のモンサントとの合併、そして2003年のファイザーによる買収にともないウプサラにおける拠点は縮小したが、ファルマシアを源流とするGEヘルスケア バイオサイエンスをはじめとして、多くの生命科学企業が現在もウプサラで活動している。
また、MySQL ABはウプサラを本社としている(現在は両本社制で、アメリカのクパチーノにも本社を構える)。
歴史
街の中心から5kmほど北方の郊外に、ガムラ・ウプサラ(古ウプサラ)と称される遺跡があり、王の墳墓が残されている。中世初期、北欧各地でキリスト教化が進む中、ガムラ・ウプサラは異教の伝統を保ち続けており、11世紀ごろまでスウェーデン王を司祭とした大犠牲祭が行われていた。12世紀になると、キリスト教化が完了し、ガムラ・ウプサラにキリスト教の教会が建てられた。
現在のウプサラ市が発展する契機となったのは、この辺りが交易活動の拠点であったことと、1245年にガムラ・ウプサラの大聖堂が焼失したため、この地に大聖堂が移転して建設が始まったことが挙げられる。1435年に大聖堂は完成した。1471年、ウプサラ大学が建てられ(講義開始は1477年)、聖職者育成などに努めた。16世紀半ば、グスタフ1世によってウプサラ城が建てられた。また、1672年まで歴代のスウェーデン君主の戴冠式はウプサラで行われた。1702年の大火で街は深刻な打撃を受け、大聖堂の二本の尖塔も消失してしまったが、大聖堂も含めて街はその後復興を果たした。19世紀後半より、ウプサラと他都市を結ぶ鉄道の開通によって工業化も進んだ。
文化
北欧最古の大学であるウプサラ大学が置かれる。コペンハーゲン大学(1479年成立)より8年早い1471年に建てられ、1477年より講義が開始された。16世紀に宗教改革の混乱の中一時閉鎖されるが、同世紀末に再建された。1622年にグスタフ2世アドルフによって建てられた建物(グスタヴィアヌム)は、スウェーデンの古代から中世の歴史などを示す博物館になっている。
主要な出身者
アクセル・オクセンシェルナ (17世紀のスウェーデン宰相、摂政)- ウプサラ近郊で生まれた。グスタフ2世アドルフ、クリスティーナといった歴代国王を補佐し、「バルト帝国」とも称されるスウェーデンの大国時代を創出させた。
アンデルス・セルシウス (18世紀の天文学者)- ウプサラで生まれ、ウプサラ大学で天文学の教授を務めた。オーロラを観測、フランス王立科学アカデミーによる子午線弧長の測定に参加、ウプサラ天文台を設立。セルシウス度を考案した。
ダグ・ハマーショルド (第2代国連事務総長)- ウプサラで生まれた。国連事務総長として、紛争解決のために積極的に活動。1961年、コンゴ動乱の収拾のためコンゴへ向かう途中、飛行機が墜落、死去した。遺体はウプサラに埋葬されている。
イングマール・ベルイマン (映画監督、脚本家、演出家)- ウプサラで生まれた。20世紀を代表する映画監督の一人。『第七の封印』、『野いちご』、『沈黙』などの作品で知られる。
ウプサラ大学出身者
カール・フォン・リンネ (18世紀の物学者)- ウプサラ大学で植物学の教授を務めた。二名法という分類法で有名。ウプサラの街にはリンネ博物館があり、植物標本や庭園が展示されている。草の人です。
アンデルス・オングストローム (19世紀の物理学者)- ウプサラ大学を卒業した彼は、1858年よりウプサラ大学の教授を務めた。スペクトルの研究などで知られ、オングストロームという単位に彼の名が残されている[1]。
ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ (19世紀から20世紀初頭の劇作家、文学者)- 5年間に渡ってウプサラ大学で学んだ。「父」や「令嬢ジュリー」などの戯曲がよく知られている。
スヴェン・ヘディン (19世紀後半から20世紀前半の探検家、考古学者)
ロプノール、楼蘭への到達などで知られる探検家。ウプサラ大学で学んだ。
脚注
^ 五十嵐圭日子 (2017年4月7日). “学問が息づく街 スウェーデンの古都ウプサラ”. NIKKEI STYLE. 2018年9月17日閲覧。
関連項目
- ウプサラ大学
- ウプサラ大聖堂
- ウプサラ城
- ウプサラ天文台
- グスタヴィアヌム
- リンネ博物館
- ガムラ・ウプサラ
- ビアコア
オーファンダルス - 伝統的なカフェ。
外部リンク
ウプサラの公式サイト(スウェーデン語) - 同英語
ウプサラ大学の公式サイト(スウェーデン語) - 同英語
在日スウェーデン大使館公認観光情報サイト (日本語)