ヴォルデマル・ハッグルンド




















ユハン・ヴォルデマル・ハッグルンド
Johan Woldemar Hägglund

Johan Woldemar Hagglund.png
生誕
1893年8月10日
フィンランド大公国の旗 フィンランド大公国
ヴィープリ州 ヴィープリ
死没
(1963-02-12) 1963年2月12日(69歳没)
所属組織
フィンランドの旗フィンランド国防軍
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ヴォルデマル・ハッグルンド(Johan Woldemar Hägglund、1893年8月10日 - 1963年2月12日)は、フィンランドの軍人。中将。苗字はヘグルンドヘッグルンドハグルンドなどと表記されることもある。



経歴


ヴィープリ出身。1915年3月、ドイツに渡り将校としてプロイセン猟兵大隊に入隊。1917年から1918年のフィンランド内戦においては白衛軍に参加し、赤衛軍と交戦した。


両大戦間期に軍管区司令官、第2師団長等を歴任。1939年から1941年、第4軍団(第12・13師団)長。冬戦争初期にソ連第8軍と戦い、フィンランド国防軍最良の指揮官の一人と評された。1939年12月1日、ソ連軍は第4軍団の陣地に対して攻勢を開始したが、ハッグルンドは敵に大損害を与えてこれを撃退した。1940年1月6日攻勢転移し、ソ連第168師団・第18狙撃師団を包囲した(第18師団は全滅)。


独ソ戦(継続戦争)開始後、エリック・ハインリッヒス将軍のカレリア軍の編成下の第7軍団(第7・19師団)長に任命される。1941年9月4日にペトロザヴォーツクに対して攻勢を開始し、10月1日に同市を奪取。メドヴェージエゴルスクに対して攻勢を継続した。1943年から1944年、軍総監。1944年、防御施設計画本部長となり国土防衛戦の準備を委任された。同年秋、対独参戦に備えてヘルシンキの防衛業務を指導した。



パーソナル


息子のグスタフもフィンランド軍の軍人で、2001年から欧州連合軍事委員会議長。



関連項目



  • コッラの戦い

  • アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン




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