石清水八幡宮
石清水八幡宮 | |
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楼門(国宝) | |
所在地 | 京都府八幡市八幡高坊30 |
位置 | 北緯34度52分46.8秒 東経135度42分0.2秒座標: 北緯34度52分46.8秒 東経135度42分0.2秒 |
主祭神 | 八幡大神 (誉田別命、比咩大神、息長帯姫命の総称) |
社格等 | 国史見在社 二十二社(上七社) 旧官幣大社 勅祭社 別表神社 |
創建 | 貞観2年(860年) |
本殿の様式 | 八幡造 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道81番(京都1番) |
例祭 | 9月15日(石清水祭) |
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石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の1つで、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の1つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。また宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。
目次
1 概要
2 祭神
3 歴史
4 境内
4.1 上院(山上)
4.2 下院(山麓)
4.3 参道途中など
5 摂末社
6 祭事
7 文化財
7.1 国宝
7.2 重要文化財
7.3 国の史跡
7.4 京都府指定文化財
7.5 八幡市指定文化財
8 登場作品
9 レッドブル・ホーリーライド
10 備考
11 現地情報
12 脚注
13 参考文献
14 関連項目
15 外部リンク
概要
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平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が源義家が当社で元服したこともあって武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。
創建以来、当社は境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。
境内は国の史跡に指定されており[1][2]、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている[3]。「やわたのはちまんさん」と呼ばれ親しまれている。
祭神
祭神は次の3柱。3神は「八幡三所大神」「八幡大神」等と総称される。
- 中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと)
- 第15代応神天皇の本名。
- 西御前:比咩大神 (ひめおおかみ)
宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。
- 東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
神功皇后の本名。
歴史
貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教(空海の弟子)が豊前国、宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託により、翌貞観2年(860年)清和天皇が社殿を造営したのが創建とされる。「石清水」の社名は、男山に既に鎮座していた石清水寺(現・摂社石清水社)から[要出典]とも、男山の中腹から湧き出ている"石清水"から[1]ともされる。また、元々男山の麓に鎮座していたのは和気氏の氏寺であった神願寺(和気清麻呂の墓があったと伝わる)であったが、空海ゆかりの高雄山寺を神護寺に改めて新たな氏寺にした際に元の神願寺に八幡神を勧請することで新たな位置付けを与えようとして行教や清和天皇の後見人である藤原良房に働きかけたとする説もあるが、神願寺の位置については諸説あるために現時点では可能性に留まる[4]。
石清水八幡宮が創建されると薬師如来を本尊とする石清水寺はその神宮寺となり、貞観4年(862年)名称を護国寺と改めてより神仏習合の度合いを増していった。
天慶2年(939年)、伊勢神宮に次いで奉幣される地位を得る[1]。皇室・朝廷からは、京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護鎮護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。中世以降は勧請元の宇佐神宮に代わって、伊勢神宮と並び二所宗廟[5]の1つに数えられる。また清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などの源氏諸氏族から氏神として崇敬されたため、武神・弓矢の神・必勝の神とされた。これら源氏によって、当社の分霊は源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鎌倉の鶴岡八幡宮など、数多くの八幡宮に勧請された。
幕末までは神仏習合の宮寺として「石清水八幡宮護国寺」と称し、東寺(教王護国寺)・清水寺・比叡山延暦寺・仁和寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・相国寺・大安寺など多くの寺院と深い関係を持った。また伊勢平氏も当社を重んじ、平正盛の造営の功や平清盛ら伊勢平氏の臨時祭での演舞が知られる。江戸時代まで護国寺や極楽寺、弁天堂を始め「男山48坊」と呼ばれる宿坊が参道に軒を連ねたといい、寛永の三筆である松花堂昭乗も当社に仕える社僧であったことが知られる。
慶応4年(明治元年・1868年)3月12日に明治政府の神仏分離令により、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」と改めた[6]。1871年(明治4年)に近代社格制度において官幣大社に列する[7]。1883年(明治16年)には、勅祭社となった[7]。
社号は、1869年(明治2年)8月に「男山八幡宮」に改称したが、1918年(大正7年)1月に「石清水八幡宮」へ復し[7]、現在に至っている。
なお、神宮寺であった護国寺は廃仏毀釈によって廃寺とされたが、護国寺住職の道基は1869年(明治2年)に本尊の薬師如来像と十二神将像を淡路島の東山寺に移している。
境内
上院(山上)
社殿は「八幡造」と呼ばれる独特の構造である。楼門から奥へと舞殿・幣殿・本殿が続き、いずれも国宝に指定されている。また、社殿内には織田信長奉納の「黄金の樋」などを納める他、上院の周囲は信長奉納の土塀である「信長塀」が巡っている。
上院社殿(国宝)
社殿は南面し、参道は斜めに接続。
楼門(国宝)
校倉(京都府指定文化財)
南総門
竈神殿
上院参道の石灯籠群
下院(山麓)
山麓には主要社殿として頓宮が鎮座する。この頓宮は祭事における神輿の待機所で、他の神社での御旅所に相当する。頓宮脇に立つ五輪塔(通称・航海記念塔)は高さ6メートルの塔で、国の重要文化財に指定されている。
境内入り口に立つ一の鳥居は、八幡鳥居の形式である。銅製の額「八幡宮」は、一条天皇の勅により藤原行成が書いたものを松花堂昭乗が元和5年(1619年)に書写し、打ち出したものとされる。「八」の字は、向かい合った二羽の鳩が顔を外に向けた形に作られている。
頓宮
五輪塔(重要文化財)
一の鳥居
参道途中など
- 松花堂跡 - 国の史跡。江戸時代の草庵の跡。現在の松花堂は男山南方に移築。
摂末社
- 武内社 - (祭神:武内宿禰命) 他の摂末社は本宮周囲にあるが、武内社のみ本宮内にある。
- 広田社
- 生田社
- 長田社
- 住吉社 (祭神:住吉三神) - 社殿は重要文化財。
- 一童社
- 貴船社
- 龍田社
- 若宮社 (祭神:仁徳天皇) - 社殿は重要文化財。
- 若宮殿社 - (祭神:応神天皇の皇女) 社殿は重要文化財。
- 気比社
- 水若宮社 - 社殿は重要文化財。
- 高良神社
- 大扉稲荷社
- 石清水社 (祭神:天御中主神) - 社殿は京都府指定文化財。
- 水分社
- 三女神社 (祭神:宗像三女神)
- 竈神殿(別名 供御所)
- 狩尾社(とがのおしゃ) - 社殿は重要文化財。
相槌神社(山麓にあるが石清水八幡宮の摂末社ではなく地元管理の神社である)
住吉社(左、重要文化財)と一童社
若宮社(重要文化財)
若宮殿社(重要文化財)
気比社(左)と水若宮社(重要文化財)
高良神社(鳥居)
三女神社
祭事
石清水八幡宮で1年間に行われる祭事は次の通り[8]。これらのうち9月15日の例祭は特に「石清水祭」と称され、葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられている。なお、この祭は神仏習合時代には「放生会」と称されていた。
- 1月
- 若水神事、歳旦祭 (1月1日)
- 元始祭 (1月3日)
- 厄除大祭 (1月15日-19日)
- 青山祭 (1月18日)
- 2月
- 鬼やらい神事 (節分前日曜日)
- 湯立神事 (2月1日・3日)
- エジソン生誕祭 (2月11日)
- 祈年祭 (2月17日)
- 初卯祭 (旧暦2月初卯日)
- 3月
- 春季皇霊祭遥拝 (春分日)
- 石清水灯燎華 (3月3日-5日 )
- 6月
- 夏越大祓(水無月大祓、6月30日)
- 9月
石清水祭 (9月15日)- 秋季皇霊祭遥拝 (秋分日)
- 10月
- 神嘗奉祝祭・神嘗祭遥拝 (10月17日)
- 11月
- 新嘗祭 (11月23日)
- 12月
- 年越大祓・除夜祭 (12月31日)
文化財
国宝
建造物
- 石清水八幡宮本社 10棟[9][10]
- 本殿(内殿及び外殿)
- 摂社武内社本殿
- 瑞籬(門2所及び閼伽棚付属)
- 幣殿及び舞殿
- 楼門
- 東門
- 西門
- 廻廊3棟(楼門東門間、楼門西門間、背面)
- 附:棟札3枚
重要文化財
建造物
- 石清水八幡宮 8棟[11]
- 摂社若宮社本殿
- 摂社若宮殿社本殿
- 摂社水若宮社本殿
- 摂社住吉社本殿
- 東総門
- 西総門
- 北総門
- 摂社狩尾社本殿 - 本社西方の飛地境内に建つ。
- 石清水八幡宮五輪塔 1基
美術工芸品
- 石燈籠 - 鎌倉時代、永仁三年(1295年)銘
- 木造童形神坐像 4躯[12]
- 石清水八幡宮護国寺略記 寛喜四年(1232年)法印宗清奥書[13]
- 類聚国史 巻第一、第五
- 石清水八幡宮田中宗清願文 2巻
- 石清水八幡宮文書 796巻、5幅、21帖、368冊、1,025通、10鋪、11顆 - 平安時代から江戸時代までの間、作成・継承[14]
焼失した文化財
1947年(昭和22年)2月12日に社務所の火災により、以下6件の旧国宝(現行法の重要文化財に相当)が焼失している。[15]
- 絹本著色八幡宮縁起 2巻 永享五年奥書
- 絹本著色僧形八幡像 松花堂昭乗筆 附:漆塗箱
- 木造男神坐像
- 木造女神坐像
- 太刀 銘助守作
- 法華経 8巻 常子内親王筆
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
国の史跡
- 石清水八幡宮境内
- 松花堂及びその跡
京都府指定文化財
- 有形文化財
- 石清水八幡宮 3棟1基(建造物) - 2009年(平成21年)3月24日指定[16]。
- 摂社石清水社本殿 1棟
- 摂社石清水社神水舎 1棟
- 摂社石清水社鳥居 1基
- 校倉(宝蔵) 1棟
- 石清水八幡宮境内出土品 一括(考古資料) - 2018年(平成30年)3月23日指定[17]。
- 銅輪宝 6個 - 護国寺跡出土。
- 真鍮独銛杵 6個 - 護国寺跡出土。
- 石清水八幡宮 3棟1基(建造物) - 2009年(平成21年)3月24日指定[16]。
- 天然記念物
- 石清水八幡宮御文書庫のクスノキ及び神楽殿のクスノキ - 1986年(昭和61年)4月15日指定[16]。
八幡市指定文化財
- 有形文化財
- 松鳩図絵馬(美術工芸品)
登場作品
- 『徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」
仁和寺の老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。ついに石清水八幡宮へ行ったが、麓の高良社や極楽寺を石清水だと思い込んで、そこのみ参拝し、他の人が山を登っていたのに、「神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と、自分は登らなかったという話。「すこしのことにも先達はあらまほしきことなり」(小さなことにも案内人が必要)と結ばれている。この話は、よく中学校の教材とされる。この逸話は、男山の山頂の石清水八幡宮の本殿のほかに、麓の摂末社も相当に壮大な造りだったことを示す。
- 『今昔物語集』
- 『源氏物語』 - 「玉鬘」帖で、夕顔の遺児玉鬘が八幡に参詣する。
- 謡曲『弓八幡』
- 謡曲『女郎花』
- 謡曲『放生川』
- 能『小林』
レッドブル・ホーリーライド
レッドブル・ホーリーライドは2010年から行われているマウンテンバイクのダウンヒルレースで2010年と2014年は石清水八幡宮で開催された[18][19][20][21]。
備考
正平7年(文和元年、1352年)、当社を舞台に南朝・北朝の合戦である「八幡の戦い」が起こった。
応永35年(1428年)、室町幕府の6代将軍決定の際、当社でくじを引き足利義教が選ばれた(くじ引き将軍)。
トーマス・エジソン、白熱電球の改良に際し当社境内の竹を使用したため、境内には記念碑があり、2月11日にはエジソン生誕祭も行われる。- 2013年(平成25年)の年間参拝者数は1,100,000人[22]。
- 2018年(平成30年)の大阪府北部地震により、参道及び本殿前の石灯籠9基が全壊、32基は擬宝珠が落下する被害を受けた[23]。
現地情報
所在地
京都府八幡市八幡高坊30
交通アクセス
- 下院まで
- 最寄駅:京阪電鉄京阪本線 八幡市駅 (徒歩約5分)
- 駐車場:あり(有料)
- 山上(上院)まで
- 境内は男山の上にあるため、麓からの参拝にはケーブルまたは徒歩で登る必要がある。
- 八幡市駅から
- ケーブル:男山ケーブル 男山山上駅下車 (徒歩約5分)
- 徒歩:表参道(約20分)または裏参道(約15分)ほか
- 男山山上に至るルートはこの他にも複数ある。
- 駐車場:あり(無料)
- 初詣期や例大祭などの混雑日以外は、乗用車で山上の本宮のすぐ下で駐車可能。
付属施設
- 青雲寮、レストラン石翠亭、エジソン記念碑、鳩嶺茶園、青少年文化体育研修センター、楠峯館(宿泊)、鳩峯庵(茶室)、清峯殿(式場・会議室・宴会場)など。
周辺
松花堂 - 境内にあった草庵で、男山南方に移築。境内の跡とともに国の史跡に指定。
正法寺 - 当社の社家・志水氏の菩提寺。- 八角堂 - 鎌倉時代に阿弥陀仏を祀り「阿弥陀堂」とも呼ばれた。もとは三女神社の北西に所在。1870年(明治3年)現在地に移築。
- 飛行神社
脚注
- ^ abc国指定史跡ガイド『石清水八幡宮境内』 - コトバンク
^ 石清水八幡宮境内 文化遺産オンライン(2016年12月29日閲覧)
^ 石清水八幡宮本社 楼門 文化遺産オンライン(2016年12月29日閲覧)
^ 吉江崇「石清水八幡宮寺創祀の背景」『日本歴史』753号(2011年)(所収:吉江『日本古代宮廷社会の儀礼と天皇』(塙書房、2018年) ISBN 978-4-8273-1293-5)
^ さらに香椎宮、氣比神宮を加えて「日本四所宗廟」または「本朝四所」とも。
^ 「石清水宇佐筥崎八幡大菩薩ノ称号ヲ止メ八幡大神ト称ス」、『太政類典』第1編(慶応3年-明治4年)、第123巻、23。
- ^ abc日本大百科全書(ニッポニカ)『石清水八幡宮』 - コトバンク
^ 祭典行事(石清水八幡宮公式HP)参照。
^ 平成28年2月9日文部科学省告示第4号
^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁)
^ 平成20年12月2日文部科学省告示第173号
^ 平成18年6月9日文部科学省告示第79号
^ 奥書は本文とは異なる料紙に書かれている。(参照:文化遺産データベース)
^ 2014年8月21日付けで員数が変更され(追加指定ではない)、従前の「810巻」が「796巻」、「897通」が「1,025通」となっている(平成26年8月21日文部科学省告示第113号)。
^ 文化庁編『戦災等による焼失文化財 増訂版 建造物編』、便利堂、1983
- ^ ab京都府指定・登録等文化財(京都府教育庁指導部文化財保護課)。
^ 平成30年3月23日京都府公報 (PDF) より京都府教育委員会告示第3号(リンクは京都府ホームページ)。
^ 石清水八幡宮で再び開催されるダウンヒルレース レッドブル・ホーリーライド
^ 井手川直樹がレッドブル・ホーリーライドを制す 京都・石清水八幡宮を爆走
^ 今年も開催!石清水八幡宮の境内をマウンテンバイクが疾走!
^ 4クロスの決勝を井手川直樹が制圧 神社の石段を駆け下りた「レッドブル・ホーリーライド」
^ “平成25年観光入込客数及び観光消費額調査結果概要”. 統計京都2014年9月号. 府観光課地域観光担当 (2014年9月). 2015年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月12日閲覧。
^ 京都新聞. “石清水八幡宮で石灯籠9基全壊 地震、擬宝珠32基も落下 : 京都新聞” (日本語). s.kyoto-np.jp. 2018年6月24日閲覧。
参考文献
- 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社) 石清水八幡宮項
- 『太政類典』(国立公文書館デジタルアーカイブ)
関連項目
- 神社
- 元宮
離宮八幡宮(京都府乙訓郡大山崎町) - 石清水元宮を称する。
大安寺八幡神社(奈良県奈良市) - 大安寺の旧鎮守で、「元石清水」を称する。
- 別宮 - 八幡宮を参照。八幡神を祀る日本各地の神社の多くが当社と関係がある。
男山八幡宮 (兵庫県姫路市) - 当社の分霊を姫路市の男山に祀る。
- 元宮
- 作品
- 『八幡愚童訓』 - 当社社僧の作とされ、当社の縁起を記す。
- 京都府指定文化財一覧
外部リンク
- 石清水八幡宮(公式サイト、2014年8月8日閲覧)
- 石清水八幡宮 | 平清盛の京を歩く 京都市産業観光局観光MICE推進室(2014年8月8日閲覧)
- 国史跡石清水八幡宮境内について 八幡市役所(2014年8月8日閲覧)
石清水八幡宮の火祭り南山宗教文化研究所
石清水神社神仏分離調査報告鷲尾順敬、明治維新神仏分離史料
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