道奥菊多国造




道奥菊多国造(みちのおくのきくたのくにのみやつこ)は、令制国での陸奥国菊多郡(きくたのこおり)(後の福島県菊田郡(旧勿来市、現いわき市南部)にあった菊多国を支配した国造。


『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、応神天皇の時代、茨城国造の祖・建許侶命の子である屋主刀禰 (やぬしのとね)を国造に定めたことに始まるとされる。後に多珂国(助川から熊川まで)の一角に加わった。


律令制が敷かれた時、当初は常陸国に編入され、その北限が「苦麻」こと熊川とされたが[1]、後に陸奥国へ編入された。この経緯を持つ当地は、大和朝廷の北進が始まるまでヤマト王権の及ぶ北限の地として蝦夷と対峙し、勿来関に先立つ菊多関があったとされる。



氏神



  • 國魂神社(くにたまじんじゃ) - 菊田郡窪田郷(現在の福島県いわき市勿来町窪田馬場72)に鎮座する、菊多国造が創祀したと伝わる神社。


脚註




  1. ^ 『日本歴史地名大系 福島県の地名』205頁



関連項目




  • 国造の一覧

    • (石城国:浜通り)菊多関(勿来関):菊多(菊多郡)- 石城(磐城郡)- 染羽(標葉郡)- 浮田(宇多郡)- 亘(亘理郡)・伊久(伊具郡)

    • (石背国:中通り)白川関:白河(白河郡)- 石背(岩瀬郡)- 阿尺(安積郡)- 信夫(信夫郡)
      ※ 南から北への順。石背国に属した会津郡と石城国に属した行方郡の郡名を負う国造はいない。




  • 菊多郡

  • 多珂国

  • 道口岐閉国造

  • 石城国造








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