清水将海






















































清水 将海
千葉ロッテマリーンズ バッテリーコーチ #84

CD-Masaumi-Shimizu.jpg
中日時代

基本情報
国籍
日本の旗 日本
出身地
群馬県高崎市
生年月日
(1975-01-09) 1975年1月9日(44歳)
身長
体重

181 cm
88 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
捕手
プロ入り
1996年 ドラフト1位(逆指名)
初出場
1997年4月5日
最終出場
2011年8月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴




  • 東京農業大学第二高等学校

  • 青山学院大学


  • 千葉ロッテマリーンズ (1997 - 2004)


  • 中日ドラゴンズ (2005 - 2010)


  • 福岡ソフトバンクホークス (2010 - 2011)




コーチ歴




  • 福岡ソフトバンクホークス (2012 - 2017)

  • 千葉ロッテマリーンズ (2018 - )




清水 将海(しみず まさうみ、1975年1月9日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。現在は千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチを務めている。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 ロッテ時代


    • 1.3 中日時代


    • 1.4 ソフトバンク時代


    • 1.5 引退後




  • 2 人物


  • 3 詳細情報


    • 3.1 年度別打撃成績


    • 3.2 年度別守備成績


    • 3.3 記録


    • 3.4 背番号


    • 3.5 代表歴




  • 4 脚注


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





経歴



プロ入り前


東農大二高から東都の青山学院大学に進学。高校では3年の時、第64回選抜高等学校野球大会に出場したが、初戦で佐賀商の前に敗退した。大学では同期の井口忠仁(現・井口資仁)、澤崎俊和、倉野信次、1学年下の高須洋介らと共に黄金時代を築く。1部リーグ通算77試合に出場、269打数65安打、5本塁打、30打点。ベストナイン受賞2回。


1996年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団。当時の背番号は8(当初、大学時代と同じ背番号22となる予定であったが、定詰雅彦の阪神タイガースへの移籍で空き番となった8へ変更された)。



ロッテ時代


1997年(1年目)の開幕戦で小宮山悟とバッテリーを組み完封勝利を挙げる。また、この試合でプロ初ホームランを打つ。以降は前年中日から移籍してきた、打撃の良い吉鶴憲治と併用され、打撃の弱さを守備面でカバーして後に活躍する投手陣の発展期を支えた。


2001年には、吉鶴、橋本将、椎木匠等との争いに勝利し、正捕手に定着した。


2002年の日米野球に小林雅英と共に出場、3打数3安打と活躍した。


2003年は背番号を27に変更して挑んだシーズンであったが、清水より打撃が良い里崎智也の台頭でレギュラーを奪われる。シーズンオフにはボビー・バレンタインが9年ぶりに監督就任。彼の構想は右打ちの里崎と、里崎同様に打撃の良い左打ちの橋本を相手チームの先発投手に合わせて起用するものであり、事実上の「構想外」となった。尚、一般的に捕手の番号と言われる背番号27は、ロッテ球団にとっては(球団がロッテの経営ととなって以降は)[1]投手の番号であることから、清水が投手以外の選手で背番号27を付けた初の選手であり、2018年2月1日現在、唯一の選手である[2]


2004年オフに、山北茂利との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。背番号は50



中日時代


移籍初年度の2005年はプロ入り初の一軍出場なしに終わった。


翌2006年に背番号を中村武志の着用していた39へ変更。移籍後初の一軍出場を果たし、日本シリーズの出場資格者にも選ばれた。


2007年は開幕一軍入りを果たし、移籍後初スタメンを果たすなど力は戻ってきており、谷繁元信、小田幸平に次ぐ第三の捕手としてではあるものの一軍に留まった。シーズン終盤には一軍登録を抹消されたが、前年同様日本シリーズの出場資格者にも選ばれ、同年のアジアシリーズにも出場した。


2008年は開幕直前に右手親指を骨折する怪我により出遅れる。その後復帰し、第一捕手の谷繁、第二捕手の小田の相次いだ怪我により出場機会を増やし、足も早いので代走としても起用されたが、8月終盤に登録抹消され前年よりも出場試合数は減少。同年、国内FA権を獲得。
2009年は春季キャンプ、オープン戦も一軍に帯同するも開幕は二軍スタート。その後、谷繁が故障したため一軍登録されるが、小田、北海道日本ハムファイターズから移籍してきた小山桂司がマスクを被ることが多く、小川将俊に代わるように再び二軍に降格し、結局4月9日の1試合のみの出場に終わった。



ソフトバンク時代


2010年6月25日、三瀬幸司との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍。背番号は4に決定。同年は中日、ソフトバンクで1試合ずつの出場に終わった。


2011年は山崎勝己と、FAで埼玉西武ライオンズから移籍してきた細川亨らの存在もあり、わずか3試合の出場に終わった。10月7日に当シーズン限りでの現役引退を発表。



引退後


2012年からは福岡ソフトバンクホークスの二軍バッテリーコーチ、2014年からは三軍バッテリーコーチ、2016年から2017年は一軍バッテリーコーチを務めた。背番号はプロ入り時の背番号「8」と現役引退時の背番号「4」を足した84


2017年11月5日、福岡ソフトバンクホークスから退団が発表されると、11月21日、青山学院大学時代の同級生である井口資仁が監督に就任したばかりの古巣、千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチ就任が発表され、背番号は福岡ソフトバンクホークスのコーチ時代と同じ84となった[3]



人物


ルーキー時代の1997年、写真週刊誌に学生結婚していた事をスクープされた事がある。また、同年8月8日には長女が誕生し、記者会見で「8月8日という自分の背番号にちなんだ日に産まれてくれて、8が自分のラッキーナンバーと実感した。」と語った。


1999年9月30日、千葉マリンスタジアムでの対西武ライオンズ戦で、その試合限りで現役引退する金村義明に対し、フォークボールを要求し空振り三振を奪ったが、数年後、テレビ番組に出演した金村が番組中に、「引退試合には、全球直球勝負という暗黙の了解があるが、それを無視した清水がフォークのサインを出したせいで俺の最終打席は三振だった。」と名指しで批判された。


中日在籍時代の2010年から群馬県観光特使を務めている。


芸能界では社会貢献活動が縁で知り合った俳優の柳葉敏郎と親交がある。また、同郷の歌舞伎俳優市川喜猿や、同じく歌舞伎俳優の市川裕喜の依頼で、ふたりが所属する市川猿之助一座の野球チームであるモンキーズの名誉バッテリーコーチを務めている[4]



詳細情報



年度別打撃成績











































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1997

ロッテ
77 191 177 17 30 7 0 1 40 8 0 1 7 0 7 0 0 46 3 .169 .201 .226 .427

1998
57 146 131 12 24 3 0 2 33 13 2 0 6 0 8 0 1 33 3 .183 .236 .252 .488

1999
107 318 292 18 64 17 0 1 84 23 1 1 11 2 12 0 1 52 8 .219 .251 .288 .538

2000
59 102 89 10 26 3 0 0 29 6 0 0 8 0 5 0 0 18 4 .292 .330 .326 .656

2001
123 297 261 23 49 11 0 1 63 22 0 1 15 2 19 0 0 47 9 .188 .241 .241 .483

2002
92 276 253 14 65 15 1 1 85 24 0 3 11 3 7 1 2 44 4 .257 .279 .336 .615

2003
91 209 182 13 38 7 1 2 53 17 0 0 10 1 14 0 2 28 8 .209 .271 .291 .563

2004
25 42 36 3 8 0 0 1 11 2 0 0 1 0 5 0 0 13 0 .222 .317 .306 .623

2006

中日
2 3 3 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667

2007
27 40 33 0 5 0 0 0 5 2 0 0 5 1 1 0 0 8 2 .152 .171 .152 .323

2008
17 21 18 1 4 1 0 0 5 2 0 0 2 0 1 0 0 6 2 .222 .263 .278 .541

2009
1 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000

2010
1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000

ソフトバンク
1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
'10計
2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000

2011
3 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:14年
683 1649 1478 112 314 64 2 9 409 119 3 6 77 9 79 1 6 297 43 .212 .254 .277 .531


年度別守備成績








































































































































































































































捕手
























1997
77 375 33 4 3 8 .990 43 30 13 .302
1998
57 271 29 1 5 4 .997 34 19 15 .441
1999
107 625 66 6 11 7 .991 79 50 29 .367
2000
59 193 28 1 5 2 .995 28 13 15 .536
2001
122 572 42 6 8 4 .990 50 37 13 .260
2002
92 577 56 1 8 3 .998 36 20 16 .444
2003
91 379 31 3 1 3 .993 47 33 14 .298
2004
25 101 7 1 1 1 .991 7 5 2 .286
2006
2 8 2 0 0 0 1.000 1 0 1 1.000
2007
14 35 2 0 0 1 1.000 4 3 1 .250
2008
16 46 7 0 0 1 1.000 8 6 2 .250
2009
1 1 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2010
2 3 0 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2011
3 4 1 0 0 0 1.000 1 0 1 1.000
通算
666 3189 307 23 42 34 .993 339 217 122 .360


記録



  • 初出場・初先発出場:1997年4月5日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、9番・捕手として先発出場

  • 初安打・初本塁打・初打点:同上、7回表に関根裕之から左越ソロ

  • 初盗塁:1998年7月26日、対オリックス・ブルーウェーブ17回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回表に二盗(投手:小林宏、捕手:三輪隆)



背番号




  • 22(入団発表時のみ)


  • 8 (1997年 - 2002年)[5]


  • 27 (2003年 - 2004年)


  • 50 (2005年)


  • 39 (2006年 - 2010年途中)


  • 4 (2010年途中 - 2011年)


  • 84 (2012年 - )



代表歴




  • 第25回日米大学野球選手権大会 日本代表[6]


  • 2012年アジアウインターベースボールリーグ:NPB選抜・バッテリーコーチ



脚注


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  1. ^ ロッテが球団を所有する以前の毎日オリオンズ・大毎オリオンズ・東京オリオンズ時代には三宅宅三(’50~’57)・新井茂(’58~’59)・谷本稔(’61~’64)・吉田英司(’66)の4人の野手が背番号27を背負っており、その内、谷本と吉田が捕手である。


  2. ^ ロッテがオリオンズ~マリーンズのオーナー企業(大映の経営だった1969~70年の命名権扱いの時代を含む)になってから背番号27を背負った選手は他に八木沢荘六(’67~’79、東京時代に入団)・三宅宗源(’81~’83)・土屋正勝(’84~’86)・牛島和彦(’87~’93)・河本育之(’94~’99)・戸部浩(’00~’02)・古谷拓哉(’06~’17)・山本大貴(’18~)の8名で、いずれも投手である。


  3. ^ 清水将海氏 一軍バッテリーコーチ就任のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ公式サイト、2017年11月21日。


  4. ^ 2010年7月3日放送の東海ラジオ ガッツナイタースペシャルの前に放送されたガッツナイター最前線より。


  5. ^ もともとは当時ロッテに在籍していた定詰雅彦が付けるはずの背番号であった(1996年オフに15番から変更)が、入団決定後に定詰が突如阪神へトレードされたため、急遽22番から変更された。


  6. ^ “第25回日米大学野球選手権大会 オールジャパンメンバー”. 公益財団法人全日本大学野球連盟. 2017年5月14日閲覧。




関連項目



  • 群馬県出身の人物一覧

  • 青山学院大学の人物一覧

  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

  • 中日ドラゴンズの選手一覧

  • 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧



外部リンク




  • 個人年度別成績 清水将海 - NPB.jp 日本野球機構

  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube


  • 選手名鑑 84 清水 将海 - 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト






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