1990年の野球
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目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
1.6 韓国プロ野球
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
2.12 12月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
|
|
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月20日(土) | 第1戦 | 西武ライオンズ | 5-0 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム |
10月21日(日) | 第2戦 | 西武ライオンズ | 9-5 | 読売ジャイアンツ | |
10月22日(月) | 移動日 | ||||
10月23日(火) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 0-7 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月24日(水) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 3-7 | 西武ライオンズ | |
優勝:西武ライオンズ(2年ぶり9回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 野茂英雄 | 近鉄 | | |
最優秀新人 | 与田剛 | 中日 | 野茂英雄 | 近鉄 | | |
首位打者 | J.パチョレック | 大洋 | .326 | 西村徳文 | ロッテ | .338 |
本塁打王 | 落合博満 | 中日 | 34本 | O.デストラーデ | 西武 | 42本 |
打点王 | 落合博満 | 中日 | 102点 | O.デストラーデ | 西武 | 106点 |
石嶺和彦 | オリックス | |||||
最多安打 | J.パチョレック | 大洋 | 172本 | J.トレーバー | 近鉄 | 150本 |
盗塁王 | 緒方耕一 | 巨人 | 33個 | 秋山幸二 | 西武 | 51個 |
野村謙二郎 | 広島 | |||||
最高出塁率 | 落合博満 | 中日 | .416 | 清原和博 | 西武 | .454 |
最優秀防御率 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 2.17 | 野茂英雄 | 近鉄 | 2.91 |
最多勝利 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 20勝 | 渡辺久信 | 西武 | 18勝 |
野茂英雄 | 近鉄 | |||||
最多奪三振 | 木田優夫 | 巨人 | 182個 | 野茂英雄 | 近鉄 | 287個 |
最高勝率 | 斎藤雅樹 | 巨人 | .800 | 野茂英雄 | 近鉄 | .692 |
最優秀救援投手 | 与田剛 | 中日 | 35SP | 鹿取義隆 | 西武 | 27SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 野茂英雄 | 近鉄 |
捕手 | 村田真一 | 巨人 | 伊東勤 | 西武 |
一塁手 | 落合博満 | 中日 | 清原和博 | 西武 |
二塁手 | 高木豊 | 大洋 | 大石大二朗 | 近鉄 |
三塁手 | バンスロー | 中日 | 松永浩美 | オリックス |
遊撃手 | 池山隆寛 | ヤクルト | 田中幸雄 | 日本ハム |
外野手 | J.パチョレック | 大洋 | 西村徳文 | ロッテ |
広沢克己 | ヤクルト | 石嶺和彦 | オリックス | |
原辰徳 | 巨人 | 秋山幸二 | 西武 | |
指名打者 | O.デストラーデ | 西武 |
高校野球
第62回選抜高等学校野球大会決勝(阪神甲子園球場・4月4日)
近畿大学付属(大阪府) 5-2 新田(愛媛県)
第72回全国高等学校野球選手権大会決勝(阪神甲子園球場・8月21日)
天理(奈良県) 1-0 沖縄水産(沖縄県)
大学野球
- 第39回全日本大学野球選手権大会優勝:亜細亜大
- 第21回明治神宮野球大会優勝:同志社大
東京六大学野球連盟優勝 春:早稲田大、秋:立教大
東都大学野球連盟優勝 春:亜細亜大、秋:亜細亜大
関西学生野球連盟優勝 春:立命館大、秋:同志社大
社会人野球
第61回都市対抗野球大会優勝:ヤマハ
第17回社会人野球日本選手権大会優勝:日本生命
メジャーリーグ
詳細は「1990年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ:シンシナティ・レッズ(ナショナルリーグ) (4勝0敗) オークランド・アスレチックス(アメリカンリーグ)
韓国プロ野球
韓国シリーズ:LGツインズ(4勝0敗)三星ライオンズ
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月9日 - 【MLB】ジム・パーマーとジョー・モーガンのアメリカ野球殿堂入りが、全米野球記者協会の投票により決定[1]。
1月12日 - 阪神はセシル・フィルダーを自由契約にした[2]。
1月24日 - 野球体育博物館に入る選手、監督を選ぶ競技者表彰委員会の投票が開票され、張本勲と真田重蔵が選出される[3]。
2月
3月
3月17日 - 台湾プロ野球開幕。
3月27日 - 中日の斉藤学とダイエーの山中潔の交換トレードが成立したと中日、ダイエー両球団が発表[4]。
4月
4月4日 - 第62回選抜高等学校野球大会決勝が阪神甲子園球場で行われ近大附属が新田に5-2で勝ち初優勝。準優勝の新田は、初出場で決勝まで駒を進めた。
4月7日
- プロ野球の公式戦がせ・リーグ、パ・リーグともに開幕[5]。
- 東京ドームでの巨人対ヤクルト1回戦の八回裏、巨人の篠塚利夫が右翼席へ1号2点本塁打。ヤクルトの監督の野村克也は「一塁審判の大里晴信が判定した本塁打をファウルだと抗議、試合が約5分中断[6]。
4月10日 - オリックスの門田博光がグリーンスタジアム神戸での対ダイエー1回戦の一回裏に1号2点本塁打を打ち、プロ通算1500打点を達成[7]。
4月15日 - 中日の鈴木康友と西武の北村照文のトレードが成立したと中日、西武両球団が発表[8]。
4月19日 - 西武の秋山幸二が西武球場での対ロッテ1回戦の三回裏に3号2点本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成[9]。
4月22日 - 近鉄の大石第二朗が西武球場での対西武5回戦の四回表に4号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[10]。
4月23日 - 日本ハムの二村忠美と大洋の岡本哲司の交換トレードが成立したと日本ハム、大洋両球団が発表[11]。
4月25日 - 日本ハムファイターズの柴田保光が東京ドームでの対近鉄バファローズ2回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[12]。
4月29日 - 近鉄の野茂英雄が西宮球場での対オリックス5回戦に先発し、1試合17奪三振の日本プロ野球タイ記録[13]。
5月
5月2日
- 広島市民球場での広島対大洋5回戦は延長15回3対3の引分け。セ・リーグが今季から導入した延長15回再試合の適用第1号。試合時間はプロ野球新記録の5時間24分[14]。
- 西武の平野謙が西武球場での対ダイエー4回戦の八回一死一塁で犠打を決め、プロ通算250犠打を達成。元阪神の吉田義男に次ぎ史上2人目。[15]
5月5日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神6回戦は、9回終了時点での試合時間5時間10分のセ・リーグ新記録。四球が大洋12、阪神8と両チーム合計1試合20四球のセ新記録[16]。
5月8日 - 中日の落合博満が浜松市営球場での対阪神3回戦の三回裏に8号3点本塁打を打ち、プロ通算350号本塁打を達成[17]。
5月9日
- 西武の渡辺久信が東京ドームでの対日本ハム3回戦に先発、延長十一回裏一死から小川浩一にこの試合初安打を打たれる。9回を投げ無安打無得点はプロ野球史上10度目[18]。
- ダイエーの間柴茂有が北九州に3回戦に先発し、通算500試合登板を達成[19]。
5月16日 - 近鉄の新井宏昌が日生球場での対日本ハム6回戦の五回裏無死一、二塁の場面で犠打を決め、プロ通算250犠打を達成[20]。
5月23日 - ナゴヤ球場での中日対巨人7回戦で巨人が3-2で勝利し、日本プロ野球史上初の球団3000勝を達成[21]。
5月26日 - 甲子園球場での阪神対中日7回戦で中日は先発野手全員が四球を記録[22]。
5月27日 - オリックスの石嶺和彦が東京ドームでの対日本ハム8回戦の七回表に9号2点本塁打を打ち、プロ通算150号本塁打を達成[23]。
5月29日 - 巨人の斎藤雅樹が甲子園球場での対阪神9回戦に先発し、被安打2、1失策の3走者を併殺に打ち取り打者27人の残塁なしで完封勝利[24]。
6月
6月5日 - オリックスの松永浩美が平和台球場での対ダイエー8回戦の一回表に7号本塁打を打ち、プロ通算150号本塁打を達成[25]。
6月6日
- 近鉄のラルフ・ブライアントが東京ドームでの対日本ハム10回戦の四回表に角盈男から東京ドーム天井スピーカー直撃の飛球を打ちあげ、東京ドーム特別ルールにより16号本塁打と認定される[26]。
- 中日の西本聖がナゴヤ球場での対阪神10回戦に先発し今季4勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[27]。
6月10日 - オリックスの門田博光が西武球場での対西武8回戦の七回表に二塁打を打ち、プロ通算350二塁打を達成[28]。
6月11日 - 【MLB】ノーラン・ライアンがオークランド・アスレチックス戦で史上最多、最年長の通算6度目、43歳でのノーヒットノーラン達成[29]。
6月12日 - 中日の落合博満が広島市民球場での対広島9回戦の九回表に16号3点本塁打を打ち、プロ通算1000打点を達成。元阪神の藤村冨美男が1311試合を記録を更新する1284試合目での最速達成[30]。
6月15日 - ダイエーの山内和宏と中日の杉本正・高島覚の交換トレードが成立したとダイエー、中日両球団が発表[31]。
6月16日 - ダイエーの山本和範が西武球場での対西武13回戦の一回表に6号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[32]。
6月17日 - 近鉄のラルフ・ブライアントが藤井寺球場での対オリックス13回戦の一回裏に17号2点本塁打を打ち、プロ野球通算100号本塁打達成。トニー・ソレイタの303試合を更新する246試合目でのプロ野球史上最速での100号達成となる[33]。
6月22日 - ヤクルトの八重樫幸雄が甲子園球場での対阪神10回戦の七回表に代打で登場し1号3点本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[34]。
6月23日 - 西武球場での西武対ロッテ10回戦での七回裏、西武が一死一、二塁の場面で球審の高木敏昭が園川一美の投球をボークと判定、ロッテの監督の金田正一が猛抗議を行う。金田は退場処分を受け、球審に暴行を働く[35]。
6月25日 - パ・リーグは23日の試合で判定に抗議し審判に暴行を働いたロッテの監督の金田正一に対し24日から7月30日までの30日間の出場停止と制裁金100万円を課すと発表[36]。
6月30日
- 阪神のラリー・パリッシュが熊本での対大洋11回戦の六回表に16号2点本塁打を打ち、阪神球団の通算5000号本塁打となる[37]。
- ダイエーの間柴茂有が現役を引退し、二軍投手コーチ補佐に就任[38]。
7月
7月5日 - 阪神の田尾安志が甲子園球場での対巨人16回戦の四回裏に安打を打ち、プロ通算1500本安打を達成[39]。
7月7日 - ダイエーの藤本博史が浜松での対日本ハム11回戦でサイクル安打を達成[40]。
7月21日 - ヤクルトの池山隆寛がナゴヤ球場での対中日18回戦の七回表に16号2点本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[41]。
8月
8月4日 - 大洋の田代富雄が横浜スタジアムでの対中日17回戦の15回裏に代打として登場して安打を打ち、プロ通算1500試合出場を達成[42]。
8月5日
- 西武球場での西武対近鉄18回戦で、近鉄の先発・野茂英雄は10三紙を奪い、パ・リーグ新記録となる1シーズン13度目の2桁奪三振を記録[43]。西武の清原和博が六回裏に24号本塁打を打ち、プロ通算150号本塁打を達成[44]。
- 大洋の新浦壽夫が横浜スタジアムでの対中日18回戦の9回二死から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[45]。
8月7日
- 巨人の加藤初が東京ドームでの対大洋21回戦の九回表に遠藤一彦から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[46]。
- オリックスの今井雄太郎が前橋球場での対日本ハム17回戦の三回裏途中から救援登板し、プロ通算2000投球回を達成[47]。
8月10日 - この日試合予定の東京ドームでの巨人対中日16回戦が台風の影響で中止となる。台風11号の影響で中日ナインが東海道新幹線の名古屋駅から乗車予定だったひかり222号が運休し、この状況を中日側が巨人側に説明し、巨人は午後2時半に中止を決定[48]。
8月13日 - オリックスのオーナーの宮内義彦は、来季より本拠地を神戸(グリーンスタジアム神戸)への移転を発表。また愛称名を一般公募することも発表[49]。
8月15日 - パ・リーグは審判の高木敏昭が依願退職したと発表[50]。
8月21日 - 日本ハムの大島康徳西宮球場での対オリックス19回戦の六回表に中前安打を打ち、プロ通算2000本安打を達成[51]。
8月22日 - 中日の小松辰雄が神宮球場での対ヤクルト21回戦に先発して6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[52]。
8月23日 - ヤクルトの池山隆寛が神宮球場での対ヤクルト22回戦でサイクル安打を達成[53]。
8月24日
- 近鉄の野茂英雄がグリーンスタジアム神戸での対オリックス20回戦に先発し、10奪三振を記録してプロ野球新記録となる5試合連続2桁奪三振を達成[54]。
- ロッテの村田兆治が西武球場での対西武16回戦に先発登板し、プロ通算600試合登板を達成。村田はこの試合で完封し8勝目を挙げる[55]。
8月27日 - 阪神の監督の中村勝広は甲子園球場での対ヤクルト21回戦の試合後に、ラリー・パリッシュを翌28日の試合から起用せず「事実上の退団と考えてもらっていい」と語る[56]。
8月28日 - 阪神の球団代表の高田順弘は、ラリー・パリッシュが左膝の治療のためアメリカに帰国すると発表。今季限りで切れる契約について球団、パリッシュ双方とも再契約の意思がないことを明らかにし、退団も事実上決定[57]。
8月30日 - 広島の山崎隆三がナゴヤ球場での対中日24回戦の犠打を決め、プロ通算200犠打を達成[58]。
9月
9月1日 - 巨人の川相昌弘が横浜スタジアムでの対大洋17回戦一回表に無死一塁から犠打を決め、シーズン56犠打のプロ野球タイ記録[59]。
9月4日 - 巨人の川相昌弘が東京ドームでの対中日21回戦の一回裏に無死一塁から犠打を決め、1シーズン57犠打のプロ野球新記録[60]。
9月5日
- オリックスの監督の上田利治が西宮球場での多日本ハム23回戦の試合後に記者会見を行い、今シーズン限りで退任することを表明[61]。
- 甲子園球場での阪神対大洋23回戦で阪神は六回裏に八木裕、高井一、鮎川義文が3者連続で三塁打を打ち、1イニング3者連続三塁打のプロ野球タイ記録[62]。
9月7日 - プロ野球実行委員会が都内のホテルで開かれ、ドラフト対象選手の練習生、球団職員としての採用を原則として禁止することを申し合わせる[63]。
9月8日 - 広島市民球場での大洋対広島21回戦で広島が大洋に1-3で敗れ、巨人が東京ドームのヤクルト戦に延長10回裏吉村禎章の10号サヨナラ本塁打で勝ち、リーグ優勝達成[64]。
9月9日
- オリックス対西武の24回戦が西宮球場で行われオリックスが西武に13-11でサヨナラ勝ちし、オリックスの監督の上田利治が監督通算1000勝を達成[65]。
- 日本ハムの大島康徳が宇都宮清原球場での対近鉄26回戦の六回裏に代打として出場して二塁打を打ち、プロ通算300二塁打を達成[66]。
9月11日
ナゴヤ球場で午後5時55分頃バックスクリーン右後方左翼寄りの照明灯下の清掃用置場で火災が発生。観客六千人のうち外野席の千人が警備員の誘導で非常口からグラウンドに避難。この影響で午後6時20分試合開始の予定が23分遅れ、午後6時43分に試合開始[67]。- 阪神の猪俣隆が神宮球場での対ヤクルト22回戦の二回表に適時打を放ち、プロ入り80打席目で初安打を記録[68]。
9月12日 - 西武の山根和夫が引退を表明[69]。
9月22日 - 日本ハムの島田誠が西武球場での対西武22回戦の二回表に適時打を打ち、プロ通算1500本安打を達成[70]。
9月23日 - 西武対日本ハムの23回戦が西武ライオンズ球場で行われ西武が日本ハムに9-3で勝利し、パ・リーグ優勝を決める[71]。
9月25日 - ロッテの村田兆治が東京都内の自宅で今シーズン限りでの現役引退を表明[72]。
9月26日 - オリックス対ダイエー24回戦(阪急西宮球場)でダイエーの広永益隆が六回裏に山沖之彦から6号本塁打を打ち、これが日本プロ野球通算6万号ホームランを記録[73]。
9月27日 - 近鉄の野茂英雄が西武球場での対西武24回戦に先発し12三振を奪い、1シーズン2桁奪三振20のプロ野球タイ記録[74]。
9月28日 - オリックスは神戸市内のホテルで野球評論家の土井正三の監督就任を発表[75]。
10月
10月5日 - オリックスが、翌年から球団名を「ブルーウェーブ」に変更し、上田利治監督の勇退と土井正三新監督の就任を発表。
10月13日 - ロッテの村田兆治投手が現役引退。同日の引退試合で若林忠志(1949年)以来2人目となる40歳代での2桁勝利を記録。
10月24日 - 日本シリーズは西武が4連勝のストレート勝ちで巨人に勝利し、2年ぶり日本一を達成。4連勝のストレート勝ちは西武としては前身、後の埼玉西武を通じて球団史上初で、シリーズとしては1960年の大洋以来、30年ぶり。
- この年はワールドシリーズがシンシナティ・レッズの4連勝のストレート勝ちで、韓国シリーズもLGツインズの4連勝のストレート勝ちで終わっており、日米韓全てのシリーズがチャンピオンチームの4連勝のストレート勝ちで終わっている。
10月28日 - ダイエーの監督田淵幸一がセレクション会議に提出する他球団リストを公表、球団は厳重注意、減俸10%の処分を科した[76]。
11月
11月1日 - 日米野球の最終戦(第8戦)において、MLBオールスターはチャック・フィンリーとランディ・ジョンソンによる継投でノーヒットノーランを達成。対戦成績は日本の4勝3敗1分と勝ち越している[77]。
12月
12月7日 - オリックスの門田博光がダイエーに移籍[78]。
12月9日 - 【MLB】カブスからFAのグレッグ・マダックスがブレーブスへ移籍。
誕生
1月
1月3日 - ハンター・セルベンカ
1月4日 - ライセル・イグレシアス
1月5日 - C.J.クロン
- 1月5日 - ホセ・イグレシアス
1月11日 - ダニー・サラザー
1月16日 - 豊島明好
- 1月16日 - ワーウィック・サーポルト
1月18日 - ギフト・ンゴエペ
1月21日 - ホセ・ラミレス
- 1月21日 - ジョー・ウィーランド
1月27日 - ティム・ベッカム
1月28日 - 西村優希
1月29日 - 谷内田敦士
2月
2月2日 - 島内宏明
2月14日 - 大嶋匠
2月18日 - ディディ・グレゴリウス
2月22日 - 中田祥多
2月23日 - 藤井翼
2月27日 - アダム・モーガン
3月
3月11日 - 菊池涼介
3月13日 - スコット・オバーグ
3月15日 - ニック・アーメド
3月11日 - ライアン・ルア
3月17日 - 池田健
- 3月17日 - ジーン・セグラ
3月20日 - ブラッド・ハンド
3月24日 - スターリン・カストロ
3月25日 - エリスベル・アルエバルエナ
3月27日 - ジェイク・オドリッジ
4月
4月14日 - ジェイコブ・バーンズ
4月16日 - トラビス・ショウ
4月18日 - 吉田真史
4月19日 - ジャッキー・ブラッドリー・ジュニア
4月21日 - ザック・ゴドリー
4月22日 - ケビン・キアマイアー
4月24日 - 金子侑司
4月28日 - 橋本到
4月30日 - 近田怜王
5月
5月1日 - スクーター・ジェネット
5月2日 - エラスモ・ラミレス
5月6日 - ホセ・アルトゥーベ
5月7日 - 三嶋一輝
- 5月7日 - キーオン・ブロクストン
5月9日 - ジェイス・ピーターソン
5月10日 - サルバドール・ペレス
5月13日 - マイケル・ギブンズ
5月16日 - 小川泰弘
5月17日 - 松田翔太
5月18日 - 立岡宗一郎
- 5月18日 - 藤井宏政
- 5月18日 - 二保旭
5月23日 - シーザー・ヘルナンデス
- 5月23日 - カイル・バラクロー
5月24日 - アダム・コンリー
5月27日 - 井藤真吾
5月29日 - ジョー・ビアジーニ
5月30日 - ザック・ウィーラー
6月
6月5日 - 有馬翔
6月6日 - アンソニー・レンドン
- 6月6日 - 山本徹矢
6月8日 - 中川大志
6月9日 - 大田泰示
6月13日 - ジェームズ・マッキャン
6月16日 - ケルビー・トムリンソン
6月17日 - アンドリュー・チェイフィン
- 6月17日 - 中村悠平
6月20日 - 東浜巨
6月22日 - ダレル・セシリアーニ
6月30日 - ヘスス・アギラル
7月
7月2日 - ジェラッド・アイコフ
7月3日 - ブランドン・マウラー
7月12日 - チェイスン・シュリーブ
7月19日 - 日高亮
7月21日 - 中田廉
7月31日 - 赤川克紀
8月
8月1日 - ケニス・バルガス
8月3日 - カーター・キャップス
8月4日 - ブライアン・エリントン
- 8月4日 - 高島祥平
8月7日 - トニー・ジック
8月10日 - アンソニー・ゴース
8月11日 - 小熊凌祐
- 8月11日 - 宮本武文
8月13日 - ハンセル・ロブレス
8月14日 - 松葉貴大
- 8月14日 - クリス・ローリー
8月20日 - 白崎浩之
8月21日 - クリスチャン・バスケス
8月22日 - アラン・ブセニッツ
8月29日 - クリス・テイラー
9月
9月4日 - クリス・ベック
9月6日 - ドニー・ハート
9月7日 - 田中崇博
9月9日 - ビリー・ハミルトン
- 9月9日 - 石崎剛
9月16日 - ゲリット・コール
9月17日 - マーカス・セミエン
9月18日 - フアン・ミナヤ
9月20日 - ケン・ジャイルズ
9月24日 - 齋藤圭祐
9月29日 - 八木亮祐
10月
10月4日 - 土屋健二
10月6日 - スコット・シェブラー
10月9日 - ジェイク・ラム
10月10日 - コルテン・ウォン
10月17日 - ラファエル・モンテロ
10月18日 - 辛島航
10月19日 - 申成鉉
10月20日 - タイ・ブラッチ
10月22日 - ドリュー・バーヘイゲン
10月27日 - カルロス・ペレス
10月29日 - エンダー・インシアーテ
- 10月29日 - 陳冠宇
11月
11月1日 - 杉山晃紀
11月2日 - ブライアン・グッドウィン
11月4日 - 又吉克樹
11月10日 - 西勇輝
11月12日 - マーセル・オズナ
- 11月12日 - 浅村栄斗
11月13日 - クリス・デベンスキー
- 11月13日 - アローディス・ビスカイーノ
12月
12月3日 - マット・レイノルズ
12月7日 - ヤシエル・プイグ
12月10日 - ウィル・マイヤーズ
12月15日 - トレバー・ヒルデンバーガー
12月18日 - 甲斐拓哉
12月20日 - ブルース・マックスウェル
12月21日 - マイク・クレビンジャー
- 12月21日 - ケンドール・グレーブマン
12月23日 - 猪本健太郎
- 12月23日 - ミッチ・ハニガー
12月27日 - タイラー・ダフィー
死去
2月10日 - トニー・ソレイタ(*1947年)
4月12日 - 三輪裕章(*1921年)
4月17日 - 南村侑広(*1917年)
5月23日 - 林清一(*1915年)
10月2日 - 渡辺博之(*1921年)
10月10日 - 濃人渉(*1915年)
11月3日 - 筒井修(*1917年)
11月13日 - ボビー・マルカーノ(*1951年)
12月27日 - 菊矢吉男(*1915年)
脚注
^ 読売新聞1990年1月11日19面「バーマ―とモーガン殿堂入り」読売新聞縮刷版1990年1月p479
^ 読売新聞1990年1月13日19面「フィルダー解雇」読売新聞縮刷版1990年1月p581
^ 読売新聞1990年1月25日19面「野球殿堂へ新たに二人 豪打・張本、剛腕・真田氏」読売新聞縮刷版1990年1月p1169
^ 読売新聞1990年3月28日18面「中日とダイエーが交換トレード」読売新聞縮刷版1990年3月p1456
^ 読売新聞1990年4月7日夕刊1面「プロ野球、公式戦開幕 雨で中止の試合も」読売新聞縮刷版1990年4月p357
^ 読売新聞1990年4月8日19面「篠塚のアーチめぐり5分中断 ヤクルト側、連盟に提訴へ」読売新聞縮刷版1990年4月p395
^ 読売新聞1990年4月11日18面「門田2ラン、1500打点 ダイエーも追撃、譲らず」読売新聞縮刷版1990年4月p552
^ 読売新聞1990年4月16日19面「中日・鈴木と西武・北村がトレード」読売新聞縮刷版1990年4月p797
^ 読売新聞1990年4月20日18面「秋山本塁打200号最速タイ記録」読売新聞縮刷版1990年4月p1014
^ 読売新聞1990年4月23日18面「近鉄・大石第二朗内野手が通算100号本塁打」読売新聞縮刷版1990年4月p1154
^ 読売新聞1990年4月24日19面「二村、岡本トレード」読売新聞縮刷版1990年4月p1217
^ 読売新聞1990年4月26日18面「柴田 ノーヒットノーラン 中日・近藤以来史上68度目」読売新聞縮刷版1990年4月p1316
^ 読売新聞1990年4月30日19面「野茂17奪三振、日本タイ 足立以来28年ぶり2人目」読売新聞縮刷版1990年4月p1513
^ 読売新聞1990年5月3日19面「史上最長5時間24分/15回制初のドロー 広島・大洋42人総力戦」読売新聞縮刷版1990年5月p99
^ 読売新聞1990年5月3日18面「平野が250犠打」読売新聞縮刷版1990年5月p98
^ 読売新聞1990年5月7日夕刊17面「計30安打、20四球 5時間10分 9回ではセの最長」読売新聞縮刷版1990年5月p221
^ 読売新聞1990年5月9日19面「落合が350号 田淵抜き史上最短」読売新聞縮刷版1990年5月p301
^ 読売新聞1990年5月10日19面「渡辺久ノーヒットノーラン逃す 延長11回小川初安打 柴田、力投報われず」読売新聞縮刷版1990年5月p353
^ 読売新聞1990年5月10日19面「ダイエー間柴が500試合登板」読売新聞縮刷版1990年5月p353
^ 読売新聞1990年5月17日19面「近鉄・新井宏昌外野手(三八)が250犠打」読売新聞縮刷版1990年5月p713
^ 読売新聞1990年5月24日1面「巨人3000勝 2リーグ制開始41年目」読売新聞縮刷版1990年5月p1051
^ 読売新聞1990年5月26日19面「先発全員四球 中日が”珍記録”」読売新聞縮刷版1990年5月p1221
^ 読売新聞1990年5月27日18面「オリックス・石嶺和彦外野手(二九)が150号」読売新聞縮刷版1990年5月p1220
^ 読売新聞1990年5月30日19面「"ミスター完投"ゆうゆうと8連勝 斎藤 2安打無四球 27人で完封」読売新聞縮刷版1990年5月p1377
^ 読売新聞1990年6月6日18面「オリックス・松永が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1990年6月p270
^ 読売新聞1990年6月7日18面「仰天!ドーム初認定ホーマー 怪力B砲 今度はスピーカー直撃 設計上あり得ぬはず!?」読売新聞縮刷版1990年6月p320
^ 読売新聞1990年6月7日18面「西本150勝 与田12S」読売新聞縮刷版1990年6月p321
^ 読売新聞1990年6月11日夕刊16面「オリックス・門田博光選手(四二)が350二塁打」読売新聞縮刷版1990年6月p506
^ 読売新聞1990年6月13日19面「最年長ノーヒットノーラン ライアン43歳の快挙 6度目、14奪三振で飾る」読売新聞縮刷版1990年6月p589
^ 読売新聞1990年6月13日19面「中日・落合博満内野手(三六)が通算1000打点のスピード達成」読売新聞縮刷版1990年6月p589
^ 読売新聞1990年6月16日19面「山内和↔杉本高島トレード」読売新聞縮刷版1990年6月p749
^ 読売新聞1990年6月17日18面「ダイエーの山本が通算100号」読売新聞縮刷版1990年6月p800
^ 読売新聞1990年6月18日18面「B砲『最速達成] 100号1 勇者戦の連敗『3』で止める」読売新聞縮刷版1990年6月p589
^ 読売新聞1990年6月23日19面「八重樫が100号 西村完投6勝」読売新聞縮刷版1990年6月p1121
^ 読売新聞1990年6月13日19面「『ボーク判定』めぐりプッツン いったんは選手引き揚げも」読売新聞縮刷版1990年6月p1172
^ 読売新聞1990年6月26日19面「金田監督1ヵ月出場停止 球審暴行でパ・リーグ 異例の厳しい処分 制裁金100万円『アピール逸脱』」読売新聞縮刷版1990年6月p1273
^ 読売新聞1990年7月1日19面「阪神・パリッシュがチーム通算5000号本塁打」読売新聞縮刷版1990年7月p19
^ 読売新聞1990年7月1日19面「ダイエー・間柴茂有投手(三八)が現役引退」読売新聞縮刷版1990年7月p19
^ 読売新聞1990年7月6日19面「阪神・田尾が通算1500安打」読売新聞縮刷版1990年7月p277
^ 読売新聞1990年7月8日18面「ダイエー・藤本博史内野手がサイクル安打」読売新聞縮刷版1990年7月388
^ 読売新聞1990年7月22日18面「ヤクルト・池山が通算100号」読売新聞縮刷版1990年7月p1094
^ 読売新聞1990年8月5日18面「大洋・田代が1500試合出場」読売新聞縮刷版1990年8月p202
^ 読売新聞1990年8月6日夕刊16面「近鉄・野茂がパ新のシーズン13度目の2ケタ奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p240
^ 読売新聞1990年8月6日夕刊16面「西武連敗ストップ 清原、最年少150号 粘投、渡辺久13勝目」読売新聞縮刷版1990年8月p240
^ 読売新聞1990年8月6日夕刊17面「大洋・新浦が500試合登板」読売新聞縮刷版1990年8月p241
^ 読売新聞1990年8月8日19面「巨人・加藤が1500奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p317
^ 読売新聞1990年8月8日18面「オリックス・今井雄太郎投手(四一)が通算投球回数2000イニング」読売新聞縮刷版1990年8月p316
^ 読売新聞1990年8月11日19面「ドーム初の試合中止 中日、台風で上京できず」読売新聞縮刷版1990年8月p449
^ 読売新聞1990年8月14日19面「オリックス、神戸移転を正式発表」読売新聞縮刷版1990年8月p565
^ 読売新聞1990年8月16日16面「パの高木審判が退職」読売新聞縮刷版1990年8月p650
^ 読売新聞1990年8月22日17面「大島、最年長2千本安打 39年10か月 最多2290試合」読売新聞縮刷版1990年8月p935
^ 読売新聞1990年8月23日18面「小松”我慢”の100勝 チーム一丸、与田リレー」読売新聞縮刷版1990年8月p988
^ 読売新聞1990年8月24日18面「池山サイクル安打」読売新聞縮刷版1990年8月p1036
^ 読売新聞1990年8月24日19面「野茂3度目正直日本新 5試合連続2ケタ奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p1085
^ 読売新聞1990年8月24日19面「村田『600試合目』完封で飾る 西武1年ぶり屈辱 ディアズ千金22号」読売新聞縮刷版1990年8月p1085
^ 読売新聞1990年8月28日19面「パリッシュきょう退団へ」読売新聞縮刷版1990年8月p1237
^ 読売新聞1990年8月29日19面「パリッシュ、30日帰国」読売新聞縮刷版1990年8月p1291
^ 読売新聞1990年8月31日19面「広島・山崎が200犠打」読売新聞縮刷版1990年8月p1395
^ 読売新聞1990年9月2日19面「巨人・川相が犠打56のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1990年9月p67
^ 読売新聞1990年9月5日19面「川相が57犠打、日本新」読売新聞縮刷版1990年9月p227
^ 読売新聞1990年9月6日18面「上田監督、今季限り退団 神戸移転、愛称変更を機に」読売新聞縮刷版1990年9月p280
^ 読売新聞1990年9月6日19面「阪神、1イニング最多連続三塁打3のプロタイ記録」読売新聞縮刷版1990年9月p281
^ 読売新聞1990年9月8日19面「ドラフト対象選手 練習生としての採用に罰則も」読売新聞縮刷版1990年9月p381
^ 読売新聞1990年9月9日1面「巨人 セ・リーグ2連覇 通算35度目 超スピード決定」読売新聞縮刷版1990年9月p411
^ 読売新聞1990年9月9日19面「上田監督1000勝」読売新聞縮刷版1990年9月p469
^ 読売新聞1990年9月9日19面「中日・大島康徳内野手(三九)が300二塁打」読売新聞縮刷版1990年9月p469
^ 読売新聞1990年9月12日30面「スタンド火事!ナゴヤ球場、1000人が避難」読売新聞縮刷版1990年9月p602
^ 読売新聞1990年9月12日19面「阪神・猪俣が連続打席無安打を79でストップ」読売新聞縮刷版1990年9月p591
^ 読売新聞1990年9月13日19面「西武・山根が引退表明」読売新聞縮刷版1990年9月p647
^ 読売新聞1990年9月23日17面「日本ハム・島田誠外野手(三六)が1500安打」読売新聞縮刷版1990年9月p1195
^ 読売新聞1990年9月24日1面「西武 2年ぶり優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1990年9月p1219
^ 読売新聞1990年9月26日17面「村田が引退表明 40歳『体力に限界』マサカリ投法 30日に見納め」読売新聞縮刷版1990年9月p1301
^ 読売新聞1990年9月27日19面「広永がプロ野球通算6万号本塁打」読売新聞縮刷版1990年9月p1363
^ 読売新聞1990年9月28日19面「野茂20度目二桁奪三振 プロタイ 江夏に並ぶ 26試合目 最速達成!」読売新聞縮刷版1990年9月p1419
^ 読売新聞1990年9月30日17面「『明るいオリックスに』土井監督就任発表」読売新聞縮刷版1990年9月p1473
^ 『日本プロ野球事件史 1934-2013 秘蔵写真で振り返る衝撃のプロ野球史』 ベースボール・マガジン社、2013年、98頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
ISBN 9784583619323。
^ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、 74頁。
^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月12日、 36頁。
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