ベニー・アグバヤニ


















































ベニー・アグバヤニ
Benny Agbayani

Benny Agbayani.jpg
メッツ時代

基本情報
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
ハワイ州オアフ島ホノルル
生年月日
(1971-12-28) 1971年12月28日(47歳)
身長
体重

183 cm
100 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
外野手、指名打者
プロ入り
1993年 MLBドラフト30巡目
初出場
MLB / 1998年6月17日
NPB / 2004年3月27日
最終出場
MLB / 2002年9月29日
NPB / 2009年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)



  • ハワイ・パシフィック大学


  • ニューヨーク・メッツ (1998 - 2001)


  • コロラド・ロッキーズ (2002)


  • ボストン・レッドソックス (2002)


  • 千葉ロッテマリーンズ (2004 - 2009)




ベンジャミン・ピーター・“ベニー”・アグバヤニBenjamin Peter "Benny" Agbayani , 1971年12月28日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズでの登録名は「ベニー」。




目次






  • 1 来歴


    • 1.1 MLB時代


    • 1.2 ロッテ時代


    • 1.3 ロッテ退団後




  • 2 選手としての特徴


  • 3 人物


  • 4 詳細情報


    • 4.1 年度別打撃成績


    • 4.2 表彰


    • 4.3 記録


    • 4.4 背番号




  • 5 関連情報


    • 5.1 出演




  • 6 脚注


    • 6.1 注釈


    • 6.2 出典




  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





来歴



MLB時代


1993年のMLBドラフト30巡目でニューヨーク・メッツに指名され契約。


1994年8月から1995年4月にかけてMLB史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャー昇格後も選手会への加入を認められなかった。


1996年、ハワイ・ウィンターリーグに参加。所属したヒロ・スターズ(英語版)の当時の監督はトレイ・ヒルマンであり、同僚として後にニューヨーク・メッツで再び同僚となる新庄剛志が在籍していた。[1][2]


1998年、メジャー初昇格。


2000年に東京ドームで行われたシカゴ・カブスとの試合では代打満塁本塁打を記録している。


2003年オフ、メッツ時代の監督であったボビー・バレンタインが9年ぶりに一軍監督として復帰する千葉ロッテマリーンズに入団することが決まる。背番号は50



ロッテ時代


来日1年目の2004年の開幕前の注目は韓国の主砲・李承燁に集まっていたが、3割を上回る好調な打撃を見せ、5月には不調の李から4番の座を奪取。日替わり打線の中でベニーだけはシーズン終了まで不動の4番として定着し、最終的にチーム三冠となる打率.315、35本塁打、100打点の成績を残した[注 1]。また守備・走塁の面でも外国人としては期待以上の動きを見せ、8月からは中堅手のレギュラーとして活躍し、チームトップの8盗塁を記録した。右投手にはあまり強くないという前評判があったが、この年は左右関係なく打ち、三振が少なく勝負強い面も見せた。


2005年は満塁本塁打2本など活躍するが、故障が目立ち夏場に離脱。ベニーと同じく外国人で外野を守れる選手がマット・フランコ、ヴァル・パスクチ、李承燁と3人もいたこともあり、シーズン終盤はレギュラーを再獲得するまでには至らなかった。最終的に98試合の出場に終わり、規定打席にも到達せず前年を下回る成績に終わった。しかし、プレーオフ、日本シリーズ、アジアシリーズではほとんどの試合に6番でスタメン出場し、アジアシリーズでは9打点と活躍しMVPを獲得した。


2006年はワールド・ベースボール・クラシック日本代表のエキシビションゲームにおいて、12球団選抜チームの4番を務めた[3][4]。レギュラーシーズンでも7月まで4番の座を守ったが、この年も夏場に離脱。里崎智也に4番を譲る形となった。足の故障から半分以上が指名打者としての出場だったが2年ぶりに規定打席に到達し、17本塁打、打率.281を記録した。


2007年は交流戦では首位打者を獲得した。しかし、故障の影響もあってか前年を下回る成績(13本塁打、打率.272)に終わった。


2008年も故障や不振の影響で97試合の出場に終わり、本塁打も5本にとどまり、規定打席に到達することなくシーズンを終えた。


2009年も前年と同様の起用法がなされ、ボビー・バレンタイン監督の退任が決まると同時にベニーも来季の構想から外れた。バレンタインの計らいで9月27日の対オリックス・バファローズ戦が「引退試合」となり、2回裏に山本省吾から勝ち越しのソロ本塁打を打った直後の3回、早川大輔と交代。場内アナウンスで、「ベニー選手、ただ今の打席がマリーンズでの最終打席となりました」と、ファンに向けて唐突に退団が明かされた[注 2][5]。結局95試合の出場に終わった。10月7日、チェイス・ランビンとゲイリー・バーナム・ジュニアとともに退団が発表され、引退した。



ロッテ退団後


故郷のオアフ島で高等学校の教育アシスタントをしていた[6]。2016年9月25日の元同僚、サブローの引退試合にビデオメッセージを送り、ファンに健在をアピールした。


現在はハワイアン航空で職員として働いており、同航空会社の公式Twitterに登場した[7]



選手としての特徴


パワーに加えて柔軟性もある打撃が特徴[8]。外に逃げる変化球にバットがしっかりと止まるため三振が少なく、チームプレーに徹した打撃もできる[9]。また、接戦や試合終盤での勝負強さに定評があり、2006年は1点差以内の得点圏打率が4割を超え、9回の打率は.394を記録した[8]。守備も悪くなく[9]2004年当初は中堅手の起用が多かったが、故障の影響もあり翌年以降は左翼手や指名打者での起用が増えた。


後年は長打力に衰えが見られたが、在籍6年は千葉移転後の外国人選手としては最多である。



人物


性格は温厚で、頭部付近に危険球が来ても基本的には何事もなかったかのようにやり過ごしていた。ただし、以下のように数少ない例外もある。



  • 2006年に本柳和也から死球を受けた際には、ベニーがヘルメットを地面に叩きつけあわや乱闘という状況になった。だが本柳の降板後、ベニーが相手ベンチ裏へ謝罪に向かい、握手を交わしたとのこと[10]

  • 2008年9月24日の埼玉西武ライオンズ戦の4回表の攻撃では、里崎智也、フリオ・ズレータが死球を受け、さらにベニーがこのイニング3つ目の死球を受けた。これにはベニーも怒り、相手捕手の細川亨を首投げしたことから、両チーム総出の大乱闘に発展。ベニーは暴力行為で退場処分を受けた[11]。なおベニーは試合後に細川に謝罪し、和解している。


ハワイ出身にちなみ、「ハワイアン・パンチ(Hawaiian Punch)」の愛称で親しまれていた。背番号50は、ハワイ州がアメリカ合衆国50番目の州になったことに由来している。ロッテ入団時には本人の希望もあり、当時背番号50を着けていた浅間敬太から譲ってもらう。ロッテでの応援歌はハワイ民謡の『アロハ・オエ』が原曲。


メッツ時代、2001年のシーズンにチームメイトだった新庄剛志と共に「チームの注目選手」として抜擢され、球団テレビCMで共演している。


ロッテ在籍中に誕生した息子のミドルネームに、チームメイトの福浦和也と同じ「カズヤ」と名付けた[7]



詳細情報



年度別打撃成績
























































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1998

NYM
11 16 15 1 2 0 0 0 2 0 0 2 0 0 1 0 0 5 1 .133 .188 .133 .321

1999
101 314 276 42 79 18 3 14 145 42 6 4 0 3 32 4 3 60 8 .286 .363 .525 .888

2000
119 414 350 59 101 20 1 15 168 60 5 5 0 3 54 2 7 68 6 .289 .391 .480 .871

2001
91 339 296 28 82 14 2 6 118 27 4 5 1 1 36 0 5 73 11 .277 .364 .399 .763

2002

COL
48 128 117 10 24 5 0 4 41 19 0 0 0 1 10 0 0 35 4 .205 .266 .350 .616

BOS
13 43 37 5 11 1 0 0 12 8 1 0 0 0 6 1 0 5 1 .297 .395 .324 .720
'02計
61 171 154 15 35 6 0 4 53 27 1 0 0 1 16 1 0 40 5 .227 .298 .344 .642

2004

ロッテ
130 552 457 89 144 31 1 35 282 100 8 1 0 4 86 12 5 77 10 .315 .426 .617 1.043

2005
98 389 351 49 95 22 0 13 156 71 1 1 0 3 34 0 1 51 15 .271 .334 .444 .779

2006
118 473 417 59 117 18 1 17 188 65 4 3 0 4 49 0 3 72 17 .281 .357 .451 .808

2007
122 454 390 45 106 21 0 13 166 51 7 4 0 3 53 1 8 86 12 .272 .368 .426 .793

2008
97 323 279 35 79 12 3 5 112 42 3 1 0 1 42 0 1 51 8 .283 .378 .401 .779

2009
95 320 272 23 72 14 1 7 109 31 0 3 0 3 44 1 1 59 8 .265 .366 .401 .767

MLB:5年
383 1254 1091 145 299 58 6 39 486 156 16 16 1 8 139 7 15 246 31 .274 .362 .445 .807

NPB:6年
660 2511 2166 300 613 118 6 90 1013 360 23 13 0 18 308 14 19 396 70 .283 .374 .468 .842

  • 各年度の太字はリーグ最高


表彰


NPB


  • アジアシリーズMVP:1回 (2005年)


記録


NPB初記録


  • 初出場・初先発出場:2004年3月27日、対西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、5番・左翼手として先発出場

  • 初打席・初安打・初打点:同上、1回表に松坂大輔から中前適時打

  • 初本塁打:2004年3月30日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(大阪ドーム)、9回表にヘクター・カラスコから左越ソロ

  • 初盗塁:2004年4月6日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に二盗(投手:ライアン・ループ、捕手:高橋信二)



背番号




  • 39 (1998年)


  • 50 (1999年 - 2002年、2004年 - 2009年)



関連情報



出演


CM


  • ニューヨーク・メッツ (2001年) - 共演:新庄剛志、神田瀧夢。


脚注


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注釈





  1. ^ なお、この年放った35本塁打は千葉移転後ではチーム史上最多であった。


  2. ^ この日が最後の出場になることは、結局バレンタイン以外に明かすことはなかったと語っている。




出典





  1. ^ Archived Weblog Entry - 11/01/2003The Baseball Guru - A World of Baseball!、2016年9月27日閲覧。


  2. ^ SHINJO’S IN HIS GROOVE AT THE HOPNew York Post、2016年9月27日閲覧。


  3. ^ “日本代表エキシビションゲーム 出場候補選手”. 日本野球機構. 2018年11月12日閲覧。


  4. ^ “日本代表エキシビションゲーム 試合結果”. 日本野球機構. 2018年11月12日閲覧。


  5. ^ 【9月27日】2009年(平21) 異例の場内アナウンス ベニー 惜別本塁打で別れ スポーツニッポン、2016年10月8日閲覧。


  6. ^ NYDailyNews.com

  7. ^ ab“【衝撃事実】プロ野球史上No.1可愛い助っ人外国人、元千葉ロッテ「ベニー・アグバヤニ」がハワイアン航空に就職していた!”. ロケットニュース24. (2018年7月23日). https://rocketnews24.com/2018/07/23/1093824/ 2018年9月11日閲覧。 

  8. ^ ab『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』 白夜書房、2007年、55頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 978-4-86191-246-7。


  9. ^ ab小関順二、泉直樹、荒井太郎 『プロ野球スカウティングレポート2006』 アスペクト、2006年、35頁。
    ISBN 4-7572-1246-1。



  10. ^ “オリックス・本柳2勝目!ベニー死球で乱闘寸前も降板後に和解”. サンケイスポーツ. 2006年7月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2006年7月10日閲覧。


  11. ^ “ベニー首投げ。細川脱臼!西武痛いVお預け”. ニッカンスポーツ. 2014年6月19日閲覧。




関連項目



  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 A

  • アジア・オセアニア出身の日本プロ野球外国人選手一覧#アメリカ合衆国ハワイ州

  • ケビン・ミラー問題



外部リンク


  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)


  • 個人年度別成績 ベニー - NPB.jp 日本野球機構




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