田海町
田海町 | |
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— 大字 — | |
薩摩川内市立八幡小学校 | |
田海町 | |
座標: 北緯31度51分40.9秒 東経130度19分7.8秒 / 北緯31.861361度 東経130.318833度 / 31.861361; 130.318833 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 薩摩川内市 |
地域 | 川内地域 |
人口 (2011年4月1日現在) | |
- 計 | 1,134人 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 895-0071 |
田海町(たうみちょう Taumi-Chō)は、鹿児島県薩摩川内市の大字[1]。旧薩摩郡東郷田海村、薩摩郡下東郷村大字田海、川内市田海町。郵便番号は895-0071。人口は1,134人、世帯数は520世帯(2011年4月1日現在)[2]。
「田海」という地名は川内川沿岸の水田が洪水によって一面海のように見えたことに由来する[3]。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 江戸期の田海
2.2 町村制施行後
2.3 字域の変遷
3 施設
4 小・中学校の学区
5 交通
5.1 道路
5.2 鉄道
6 脚注
7 関連項目
地理
薩摩川内市の西部、川内川下流域に位置している。字域の北方から東方にかけては東郷町藤川、西方には東郷町宍野、東郷町斧渕、南方には白浜町、中郷町、西方には高城町、城上町がそれぞれ接している。
字域の中央部を鹿児島県道339号東郷西方港線が南北に通り、南端を川内川が東西に流れる。また、川内川に沿って国道267号が通っている。東端には田海川が流れており、川内川に合流している。
集落は北方より西川内(にしごち)、役田、別府原、的場、自下、今村、上ノ原、丸山、向鶴がある。
歴史
江戸期の田海
田海という地名は江戸期より見え、薩摩国薩摩郡東郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」では1,308石余、「旧高旧領」では1,558石余であった。今村には郷士集落が形成されており、庄屋所は別府原に置かれていた。
町村制施行後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、東郷のうち田海村、白浜村、中郷村の区域より下東郷村が設置され、それまでの田海村は下東郷村の大字「田海」となった。
1957年(昭和32年)には下東郷村が川内市及び東郷町、高城村へ一部編入されるのに伴い、一部を高城村大字城上(現在の城上町)及び東郷町藤川(現在の東郷町藤川)へ編入し(詳細は#字域の変遷を参照)、残部を川内市の大字「田海町」とした[4]。
2004年(平成16年)に川内市などが新設合併し、薩摩川内市となったのに伴い、薩摩川内市の大字「田海町」となった。
字域の変遷
以下の記述は「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」389頁の記述に基づく。
分割実施後 | 分割実施年月日 | 分割実施前(小字) |
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高城村城上の一部 | 1957年(昭和32年) | 喜藤太、阿手ノ木、亀割、塩水流、大浦、 時吉、川越、戸川内、山下河原、六地蔵、 案ノ木川原、松野、立花、野坂、村友、 石田原、溝下、枇杷宇都、宇都川原、五色 |
東郷町藤川の一部 | 大中口、大久保、井川、賀崎、井川口、 赤崩、寺川内 |
施設
- 公共
- 八幡地区コミュニティーセンター
- 教育
- 薩摩川内市立八幡小学校
- 薩摩川内市立八幡幼稚園
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[5]。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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田海町 | 全域 | 薩摩川内市立八幡小学校 | 薩摩川内市立平成中学校 |
交通
道路
- 国道
- 国道267号
- 県道
- 鹿児島県道339号東郷西方港線
鉄道
対岸の白浜町に宮之城線薩摩白浜駅があったが、1987年(昭和62年)に廃止された為、現在の最寄駅は川内駅である。
脚注
^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月25日閲覧。
^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.389
^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.389
^ “薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2010年9月19日閲覧。
関連項目
- 薩摩川内市
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座標: 北緯31度51分40.9秒 東経130度19分7.8秒