松本市野球場














































松本市野球場
Matsumoto Municipal Baseball Stadium

松本市野球場 正面入口.jpg
施設データ
所在地
長野県松本市浅間温泉1-9-1
開場
1991年
所有者
松本市
管理・運用者
信州グリーン・シミズオクトグループ(共同企業体)
グラウンド
内野:クレー舗装
外野:天然芝
ファウルエリア:砂入り人工芝
照明
照明塔:6基
最大照度:投捕間2500Lx
     内 野1500Lx
     外 野 750Lx
設計者
伊藤建築設計事務所
使用チーム • 開催試合

信濃グランセローズ(2007年 - )
収容能力

25,000人

グラウンドデータ
球場規模
両翼:98 m
中堅:122 m

松本市野球場(まつもとし・やきゅうじょう)は、長野県松本市にある野球場。松本市が運営管理を行っている。




目次






  • 1 歴史


  • 2 主なエピソード


  • 3 施設概要


  • 4 交通


  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





歴史


1924年の大正天皇と貞明皇后の成婚25周年記念事業として、県知事が県議会に対し図書館と運動場の建設を提案した事に端緒を発する。審議の結果、図書館は長野市に、運動場は松本市に建設されることとなった。このうち県営の野球場は松本市東隣、東筑摩郡本郷村の浅間温泉に程近いところで建設が進められ、1926年9月21日、長野県営松本野球場(ながのけんえい・まつもとやきゅうじょう)として開場し、開場以来アマチュア野球公式戦が行われた他、プロ野球公式戦も開催された。


しかし老朽化のため、全面改築されることとなった。また、市内にあるもう一つの野球場で松本空港近くにあった松本市営野球場も老朽化したため廃止されることとなり、1989年1月1日に県と市との間で施設の相互譲与を行い、県営球場は市に移管して改築工事に着工した。一方の市営球場跡地は県に移管して松本平広域公園(信州スカイパーク。主な施設は松本平広域公園総合球技場、やまびこドーム等)の建設用地の一部となった。現市野球場は1991年に完成、その後ナイター設備も設けられた。開場以来、高校野球などアマチュア野球公式戦が行われている他、不定期でプロ野球公式戦が開催されている。


ベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズが2007年の発足以来毎年公式戦を開催している(例年5試合前後)。


2015年4月1日より、株式会社信州グリーンと株式会社シミズオクトで構成する「信州グリーン・シミズオクトグループ」が指定管理者となった[1]



主なエピソード



  • 旧県営球場時代の1947年8月16日に開催されたプロ野球ダブルヘッダーでは、2試合で合計13本の三塁打が記録された。当時の県営球場は外野にフェンスがなく、フィールドと場外との仕切りは地面に杭を打って綱を渡し、網を張っただけの簡素な低い柵で、特別に「打球がバウンドしてから柵を超えた場合はエンタイトル三塁打とする」というルールの下で試合を行ったところ、折からの強風もあいまって、第1試合の巨人対阪急では、巨人が3回に1イニング4本の三塁打を記録。また第2試合の阪神対東急では阪神4本、東急5本の計9本の三塁打が記録され、スコアも18-13で阪神が勝利という大味な試合となった。翌1948年5月16日に開催された中部日本対阪神では「三塁打ではルールが甘過ぎる」として、「柵を超えた場合はエンタイトル二塁打」というルールに変更された。

  • 1991年に改築が完了し「松本市野球場」となってからの初本塁打は、当時松商学園高等学校野球部に所属していた上田佳範(日本ハムファイターズ→中日ドラゴンズ)が放った。上田は「球場のこけら落としに強い」というジンクスがあり、高校時代には新潟県頸城村(現上越市頸城区)にあるくびき球場の開場記念招待試合で本塁打を放っている他、プロ入り後の1995年にも、三条市民球場で行われた近鉄バファローズ戦で自身の初本塁打を球場プロ1号で飾っている。

  • 初のプロ野球公式戦は1991年6月25日、読売ジャイアンツ(巨人)対ヤクルトスワローズ戦。地元出身で当時読売新聞社の名誉会長だった務臺光雄の誘致により、松本市で36年ぶりに巨人戦が開催された。球場プロ1号はヤクルト・古田敦也が放った。試合は16-5でヤクルトが圧勝したが、先の事から翌日のスポーツ各紙では「巨人、お膝元で赤っ恥」という見出しで書き立てられた。

  • プロ野球初のナイターは1999年、日本ハムファイターズ対千葉ロッテマリーンズ2連戦。地元・松商学園高出身の日本ハム・上田佳範が出場。2試合とも千葉ロッテ・松本尚樹選手が活躍し、松本市関係者は「同じ松本で縁を感じる」として松本を特別に表彰した。


  • 2003年7月1日に開催された横浜ベイスターズ対ヤクルトスワローズ15回戦でヤクルト・稲葉篤紀が史上56人目のサイクルヒットを達成した。5回まででの達成(4打席)は史上最速で、降雨コールドゲームでの達成も史上初。稲葉は「信じられない。狙って打てるもんじゃないから」と笑顔を見せ、打撃コーチの八重樫幸雄は「リーチ一発ツモ、それも四暗刻単騎待ちだな」と麻雀になぞらえて喜んだ。また同日、大阪ドームで開催された大阪近鉄バファローズ対福岡ダイエーホークス16回戦でも福岡ダイエー・村松有人がサイクル安打を達成した(史上57人目)。同日に2選手がサイクル安打を達成したのも史上初めてのことだった。


  • 2005年8月20日のイースタン・リーグ公式戦巨人対日本ハム10回戦では、投手時代の糸井嘉男が「9番・投手」で出場。6回1失点と好投し、勝利投手となった。日本ハムで本塁打を放ったのは、後に巨人に移籍する工藤隆人・紺田敏正・古城茂幸というとてもその後の縁を感じさせる試合となった。


  • 2017年9月5日、前述の1991年以来26年ぶりに巨人戦(対中日ドラゴンズ)が開催された。序盤は巨人がリードしていたが、終盤に中日が集中攻撃で逆転し、巨人は9回表終了時点で3点ビハインドとされていた。しかしその裏、2死走者なしから2点差に追い上げると、なおも2死一塁で途中出場の宇佐見真吾が中日のクローザー・田島慎二にあと1球と追い込まれてから右越えに同点本塁打を放った。その後延長11回裏、1死二塁・三塁で同じく途中出場の寺内崇幸が福谷浩司から左翼席場外にサヨナラ3点本塁打を放ち、対戦相手が異なるとはいえ26年前の雪辱を果たす結果となった。



施設概要



  • 両翼:98m、中堅:122m

  • 内野:クレー、外野:天然芝、ファウルエリア:砂入り人工芝

  • 照明設備:6基(最大照度:投捕間2500Lx、内野1500Lx、外野750Lx)

  • スコアボード:磁気反転式

  • 収容人員:25,000人(外野:芝生席、内野:座席、内野スタンドのバックネット裏に屋根架設)



交通




  • 松本バスターミナル(JR松本駅東口より徒歩約3分)1番のりばからアルピコ交通バス「横田・信大循環線」で「松本第一高校」下車後徒歩約5分
    • プロ野球等開催時は松本駅から臨時バス運行あり


  • JR松本駅東口からタクシー約10分



脚注





  1. ^ 松本市野球場の指定管理者になりました。 | 校庭・園庭・グラウンド芝生化なら信州グリーン




関連項目


  • 日本の野球場一覧


外部リンク



  • 松本市野球場(松本市)

  • 松本市野球場ホームページ

  • 松本観光コンベンション協会




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