佐野元春



















































佐野 元春
別名
Lion
MOTO
棟梁
生誕
(1956-03-13) 1956年3月13日(62歳)
出身地
日本の旗 日本 東京都台東区
学歴
立教大学社会学部
ジャンル
ロック
フォークロック
ポップ
ロックンロール
フォーク
AOR
ソフトロック
フュージョン
クロスオーバー
ニュー・ウェイヴ
ラップ
職業
歌手
ロックミュージシャン
シンガーソングライター
ギタリスト
作詞家
作曲家
音楽プロデューサー
ラジオDJ
詩人
担当楽器
ボーカル
ギター
ピアノ
活動期間
1980年 -
レーベル
EPIC・ソニー
(1980年 - 1985年)
EPIC・ソニー / M's Factory
(1986年 - 1987年)
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory
(1988年 - 1990年)
Epic Sony Records / M's Factory
(1991年 - 1998年)
Epic Records / M's Factory
(1999年 - 2004年)
GO4 Records
(2000年 - 2003年)
Daisy Music
(2004年 - )
共同作業者
伊藤銀次[1]
大村雅朗
THE HEARTLAND
大滝詠一
杉真理
The Hobo King Band
ジョン・サイモン
佐藤奈々子
公式サイト
Moto's Web Server

ボブ・ディラン
ザ・ビートルズ
ブルース・スプリングスティーン
ニール・ヤング
ヴァン・モリソン
アレン・ギンズバーグ
グレゴリー・コルソー
大瀧詠一
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
エルヴィス・コステロ
スタイル・カウンシル
ブリンズレー・シュワルツ
スクイーズ
トッド・ラングレン


佐野 元春 (さの もとはる、1956年3月13日 - )は、日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、ラジオDJ。東京都出身。1980年にシングル「アンジェリーナ」でデビュー。




目次






  • 1 概要


  • 2 経歴


    • 2.1 デビュー以前


    • 2.2 デビュー直後


    • 2.3 初期三部作の完成と方向転換


    • 2.4 初のトップ10ヒット『Young Bloods』


    • 2.5 『M's Factory』の設立


    • 2.6 UKムーブメントへの接近


    • 2.7 『Sweet16』、『The Circle』


    • 2.8 THE HEARTLANDの解散


    • 2.9 The Hobo King Bandの結成


    • 2.10 デビュー20周年


    • 2.11 新たな変革期


    • 2.12 「Daisy Music」設立へ


    • 2.13 『COYOTE』の誕生


    • 2.14 デビュー30周年に向けた動き


    • 2.15 デビュー30周年アニバーサリー活動


    • 2.16 揺るがぬ歩み、アフター30周年の活動


    • 2.17 伝承歌「君がいなくちゃ」発売・35周年アニバーサリー


    • 2.18 アフター35周年の活動




  • 3 特徴・エピソード


  • 4 主な使用楽器


    • 4.1 ギター




  • 5 作品


    • 5.1 シングル


    • 5.2 12インチシングル


    • 5.3 デュエットシングル


    • 5.4 配信限定シングル


    • 5.5 配信限定EP


    • 5.6 オリジナル・アルバム


    • 5.7 ミニアルバム


    • 5.8 ベストアルバム


    • 5.9 ライブアルバム


    • 5.10 リミックスアルバム


    • 5.11 セルフカバーアルバム


    • 5.12 コンピレーションアルバム


    • 5.13 企画盤


    • 5.14 カセットブック


    • 5.15 トリビュートアルバム


    • 5.16 映像作品




  • 6 タイアップ


  • 7 ラジオ番組


  • 8 TV番組


  • 9 CM出演


  • 10 楽曲提供


  • 11 共作・コラボレーション


  • 12 参加作品


  • 13 著書・関連書籍


    • 13.1 雑誌編集


    • 13.2 関連書籍




  • 14 脚注・出典


  • 15 外部リンク





概要


1980年3月21日、シングル「アンジェリーナ」で歌手デビュー。詩人としてのメッセージを内包した歌詞、多様なリズムとアレンジ、ラップやスポークンワーズなどの新しい手法を実践。また、すぎやまこういち作品に敬意を払ったうえで「すべてはこの夜に」を沢田研二に書き下ろした事もあり[2]、名実通りさまざまなジャンルの音楽を折衷させた曲を数多く発表して作品の商業的ヒットに関係なく高い評価を得ている。現在は独立系レーベル「Daisy Music」を主宰し、インターネットを通じた音楽活動などでも先駆的な試みを続けている。



経歴







デビュー以前


東京都千代田区神田生まれ(出身は台東区の浅草寺に近い下町[3])。当時の家族構成は本人、両親、妹が一人。父は会社の経営者で、母は元新劇女優で青山のレコード喫茶店のマスター[4]。少年時代は漫画家に憧れ、手塚治虫のアトリエを訪れたり、自身が描いた漫画を雑誌に投稿しようとしたこともあったが、徹夜で書いた漫画を母に破り捨てられたことがきっかけで、急速に漫画から音楽に関心が移っていく[5]


中野区立第四中学校入学前後に、友人からトランジスタ・ラジオをもらい、HOT100系のポップスやブリティッシュ・インヴェイジョン系のロックに傾倒[6]。中学1年の夏にザ・フーのピート・タウンゼントのギター姿に憧れ、のちにアルバイトで資金を貯めてギターを購入[7]。この時期に詩にもはまり、ランボーやマラルメなど愛読。中学2年の初夏にヘルマン・ヘッセの「赤いブナの木」にメロディを付けたものが初の自作曲になる。


立教高等学校(現・立教新座高等学校)1年の夏にボブ・ディランを知り、強い影響を受ける。ディランが影響を受けた文学を探っているうちにジャック・ケルアックを知り、ビート・ジェネレーションに傾倒。15の時の3大ヒーローはボブ・ディラン、J・D・サリンジャー、ジャック・ケルアックだったという。高校2年になってようやく音楽部に入部、ピアノを始める。この頃、吉祥寺の「ジョージ組」なるバイク集団に所属[7]、この時期に無謀運転で2回交通事故を起こしている[8]。高校3年の7月、実家の引っ越しに同行せず一人暮らしを始め、夏休みに横浜で出会ったモダン・ダンサーに強い影響を受ける[7]。同年12月、音楽部が母体のバンド「バックレイン元春セクション」を結成。結成当時は5人編成だったが、まもなく同級生の妹であるMANNAが加入し、6人編成になる[7]


なお、学生時代に制作された楽曲のいくつかは[9]プロになってから正式に発表されている。


1974年4月に立教大学社会学部に入学。バックレイン元春セクションの活動は続き、初夏にヤマハポピュラーソングコンテストに応募する際にホーンセクションが4人加入。ボーカル・ピアノ(佐野)、キーボード(MANNA)、ツインギター、ドラム、ベース、ホーンセクションという10人編成の大所帯バンドになる[7]。ポプコンでは「Bye Bye C-Boy」を歌い杉真理らを抑えて関東・甲信越地区代表になるが10月の本選会では無冠で、同時にバンドの維持が不可能になったために解散(一説には主催者を誹謗する発言をしたためにノミネートから外されたと言われている)。同年11月に慶應義塾大学の学園祭のミニコンサートに出演した時に佐藤奈々子と知り会い、彼女にボブ・ディランを聞かせるなどの音楽的教育を施す。この時期に全くの別メンバーでバックレイン元春セクションを再度立ち上げようとしたが、ハイ・ファイ・セットにドラムとベースを引き抜かれた[7]ことをきっかけに自然消滅し、翌1975年冬からは佐藤と共に音楽活動を始める。同年末に佐藤が大学主催の女性シンガーソングライターのコンテストに出場した際に「鋼渡り」という曲を共作し、翌1976年3月に優秀賞を受賞[10]。同年秋に佐藤のデビューが決まってからは自身の音楽活動の他、佐藤の裏方としてプロデュース・マネージメント活動を行う[7]。1977年、佐藤奈々子のアルバム『Funny Walkin'』、『Sweet Swingin'』にも参加。この時期、佐藤の所属事務所の代表小坂ペン(小坂忠夫人)の紹介で小坂忠と知り合い、CM音楽の録音、ブレッド&バターのテレビライプでのコーラス、「ムキムキマンのエンゼル体操」の録音(キーボードで参加)などを手伝う[7]


1978年に当時使用していたスタジオのエンジニアの薦めで再びヤマハポピュラーソングコンテストに出場。「Do What You Like-勝手にしなよ」を歌い、関東・甲信越地区代表になり、5月の本選会では優秀曲賞を受賞。同年秋に生活費・学費を稼ぐため広告代理店に入社、間もなく真野響子のラジオ番組の制作担当になる。1979年に立教大学を卒業し、この時期からEPIC・ソニーのプロデューサー小坂洋二から熱烈な勧誘を受け始める。同年秋、真野のラジオのためのアメリカ取材旅行の直後に制作担当から外されて間もなく退社。この時期に小坂の勧誘を受諾してデビューが決まる。同年末に小坂の紹介でフォーク・ニューミュージック系の芸能事務所ヤングジャパンと契約。ヤングジャパン初のロック・ミュージシャンとなる[7]



デビュー直後


1980年2月からレコーディングに入り、そこで伊藤銀次と知り合う。同年3月21日にシングル「アンジェリーナ」(EPIC・ソニー)でデビュー。同年4月7日から始まった音楽番組『ファイティング80's』(TVK)のレギュラーに抜擢される(デビュー後の初ライブはこの番組で、日本電子工学院ホールにて収録)。同年4月21日にアルバム『BACK TO THE STREET』を発表。6月から横浜舶来屋で定期的に、7月からルイードで月一で『ファイティング80's』のバックバンドとともにライブを始める。8月にマネージャーが交代したことを機に、ヤングジャパン所属ミュージシャンの前座(アリス、岸田智史、ばんばひろふみなど)の仕事が増える[7]。10月6日のワンマン・コンサート(横浜教育会館)の打ち合わせの際にバックバンドの名前を「THE HEARTLAND」に決定[7]。同年末にプロデューサー小坂洋二の元同僚木崎賢治からの依頼で沢田研二のアルバム『G.S.I LOVE YOU』に楽曲提供したことを皮切りに他ミュージシャンへの楽曲提供も幅広く行うようになる[7]


1981年4月から『サウンドストリート』(NHK-FM)の月曜日担当になり、同番組の枠で『元春レイディオショー』を開始。同年6月にシングル「SOMEDAY」を発表。同時期に伊藤を通じて交流を始めることとなる大瀧詠一に引き上げられ、大瀧のプロジェクト「ナイアガラ・トライアングル」に杉真理とともに参加。3人の所属レーベル・事務所(大瀧と杉はレーベルのみ一緒)が違い、関係者間の調整が長引くことを嫌がった大瀧は7月24日の杉のイベントライブ(ゲスト:大瀧、友情出演:佐野)のステージ上で、ファンに『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』の制作をゲリラ的に発表し、既成事実を作って関係者間の調整を縮めるという力技を使った[11]。自らのアルバムと『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』のレコーディングを並行して制作、大瀧から多くのことをインプットしながら自作にアウトプットしていった。同年11月には大瀧の「ヘッドフォンコンサート」(渋谷公会堂)に参加、ナイアガラファンクラブのハワイ旅行にも参加するなど、ナイアガラとの交流を深めた。



初期三部作の完成と方向転換


『BACK TO THE STREET』『Heart Beat』と2枚のアルバムを発表していたが、なかなかセールスには結びつかなかった。しかしラジオDJとして、あるいはライブパフォーマンスの凄いロックミュージシャンとして、大瀧詠一のお薦めミュージシャンとして、徐々にファンが付くようになり、そのファン達が自主的に会場を押さえてそこでライブを行う[7]などファンに支えられながら、背水の陣(これで売れなかったら最後だ)と自分の全てを投じたアルバム『SOMEDAY』を1982年5月に発表。レコーディング・エンジニアに吉野金次を迎え、フィル・スペクター並みのウォール・オブ・サウンドを導入したことで、シングルでは注目されていなかった「SOMEDAY」が注目を浴びるようになり、アルバム『SOMEDAY』はオリコンアルバムチャートで最高位4位を記録。


前ツアーからほとんど間を開けず、1982年9月から1983年3月までコンサートツアー『Rock & Roll Night Tour』を全40ヶ所で行い全国的に成功を収める。ホールクラスで行われた同ツアーは軒並みソールドアウトを記録。このツアーを観た吉川晃司や尾崎豊は感銘を受けたと後に語っている[12]。ツアーの最終公演である東京・中野サンプラザのステージで、ニューヨーク行きを発表。渡米直前に編集盤『No Damage (14のありふれたチャイム達)』がオリコンで1位を記録し、佐野元春ブームが起きる中で同年5月に渡米。


この時期に事務所のヤングジャパンが解散しており[13]80年代の音楽業界はこれからどんどん変わっていくだろうと見越し、音楽ビジネスに関する知識を付けて、近い将来自分でメディアを持ち、音楽業界をミュージシャン側から変えていくための下準備としての渡米であり[要出典]、プロデューサーやマネージャーの仕事(アルバムのレコーディングの手配やスケジュール管理など)を全て自ら行った。また弁護士を雇い、音楽ビジネスについて一から学んだとしている[14]。渡米直前の『新譜ジャーナル』のインタビューでは「ニューヨークに行くことに目的はない。同時代の世界中のアーティストと同じ呼吸をしたい」「ニューヨークにいる期間は未定です。ヴァイブレーションが合えばいますし、合わなければすぐに帰ってきます」と述べている[15]


ニューヨークでアパート生活をしながらクラブシーンのミュージシャンや前衛の映像作家などと交遊関係を築き、現地のミュージシャンとともにラップを取り入れながらもそれを換骨奪胎した「新しいサウンド」で新曲をレコーディングし、アルバム『VISITORS』を製作。完成の達成感からか帰国してからも長い間躁状態に悩まされたという。


1984年4月にアルバム『VISITORS』の先行シングルとして「TONIGHT」を7インチ・シングル盤と12インチ・シングル盤で同時発売し、売上で12インチ・シングル盤が上回った。これ以後、邦楽における12インチ・シングル盤がブームとなった[16]


同年5月にアルバム『VISITORS』を発表し、翌6月に帰国。数曲でラップを取り入れたことや、前作までのナイアガラ系に通じるサウンドから一変したことで、賛否両論が巻き起こったもののオリコンで1位を記録する。メジャーレーベル系ミュージシャンとしては初の日本語によるラップとして扱われることもある。また「COMPLICATION SHAKEDOWN」のPVは前衛の映像作家ジョン・サンボーンが担当するものの、ラディカルすぎるという判断で20年近く[17]お蔵入りすることになった。また、全国70カ所におよぶコンサートツアー『VISITORS TOUR '84〜'85』では、ナム・ジュン・パイクの影響でTVモニターを何十台も積み重ねて不規則な映像を流すなど、アバンギャルドなステージを展開。コンサートの形態にも新たな試みを取り入れた。同年、松田聖子の「ハートのイアリング」をHolland Rose名義で作曲した。[18]



初のトップ10ヒット『Young Bloods』


1985年2月に国際青年年のテーマ曲として「Young Bloods」を発表。佐野自身初のトップ10ヒットとなり、同曲の印税はアフリカ難民救済のチャリティーとして寄付された。同年に行われた「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にも出演。5月にはエレクトリックサウンドにのせた自作詩の朗読(スポークン・ワード)と詩集・写真集・ストリートアートなどが複合的にミックスされたカセットブック作品『ELECTRIC GARDEN』を小学館から発表。続く7月には、ライヴエイドに日本代表として参加。アフリカの飢餓状況を映した映像とライブでの演奏シーンをミックスした「シェイム─君を汚したのは誰」が、歌詞の英語訳テロップと共に世界に発信された。



『M's Factory』の設立


1986年、それまで培ってきた音楽制作やビジネスのノウハウを元にして自由な表現フィールドを獲得するために、自身によるプライベートレーベル「M's Factory」を立ち上げる。責任編集の季刊誌「THIS」を扶桑社より発刊するなど多岐にわたるメディア活動を展開。またライブ活動においても、東京・日本青年館で月に一度のペースで定期ライブを行う「Tokyo Monthly」を開催。チケット申し込みの電話回線がパンクする事件がおきるほどの人気を博す。ちょうど次作アルバムの制作中ということもあり、レコーディング前の未発表曲を演奏するなどのアクションも頻繁に行われた。



UKムーブメントへの接近


1986年12月には、先に発表されていた「Young Bloods」「CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-」を含むアルバム『Café Bohemia』を発売。アルバムに先駆けてシングル発売され、チャートトップ10入りを果たしていた「WILD HEARTS -冒険者たち-」「STRANGE DAYS -奇妙な日々-」なども収録。イギリスやフランスを旅しながら作られた楽曲群は、ジャズ、ソウル、スカ、レゲエなどの多彩なリズムが採り入れられている。これは当時イギリスでムーブメントとなっていた、ブラックミュージックや第三世界の音楽をUKポップ音楽に融合させたスタイル・カウンシルなどのアプローチであり、この流れを主導していたロンドンのレコーディング・エンジニア、アラン・ウインスタンレイを起用している。


『Café Bohemia』のリリースと前後して、10月から翌年9月までの約1年間で約80公演にも及ぶ「Café Bohemia Meeting」と題された全国ツアーを決行。ストレートなロックンロールから、複雑なポリリズムによるダンスサウンド、ソウルフルな演奏が披露され、THE HEARTLANDの演奏力が確立することになる。1987年9月に初の単独スタジアムライブが横浜スタジアムで行われ、この日の演奏を収録したライブアルバム「HEARTLAND」(オリコン1位を記録)が発表された。


この頃、国内で大きな議論となっていた原子力発電所の建設問題について自身のラジオ番組「AJIスーパーミクスチャー」で特集を組む予定が、地方局からクレームが来て頓挫。急遽シングル「警告どおり 計画どおり」を発表。一方、同番組内で、M'sFactoryのレーベルの主催者として、自身の偽名ユニット「ブルーベルズ」やTHE HEARTLANDの別名義のバンド、インディペンデントで活躍するアーティストのプロデュース活動も開始。最終的にはコンピレーションアルバム『mf Various Artists Vol.1』としてまとめ、1989年8月に発売となった。


1988年、次作のアルバム制作をスタート。初期段階ではTHE HEARTLANDとのレコーディング作業を重ね、ラディカルなロックサウンドが最終形に近い形で完成していった。しかし、より明快かつポップなサウンドを求め、それまでのセッションを白紙に戻して単身渡英。エルヴィス・コステロなどを手がけたプロデューサーであるコリン・フェアリーを陣頭指揮とし、ブリンズレー・シュウォーツ、アトラクションズ、ピート・トーマス等、UKパブロック周辺のミュージシャンとレコーディングセッションを開始する。


こうしたセッションを経て、先行シングルとなった「約束の橋」や、「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」、「ジュジュ」などを収録したアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』が完成。1989年6月にリリースされる。サウンド面では、伝統的なUKロックと、オリエンタリズムが融合。60年代のF-Beatサウンド的な疾走感をもつタイトル曲から始まり、アフリカンビートやスキッフル、シャッフル、ロックンロールといった様々なリズムが取り入れられている。詩においてはそれまでの英語やカタカナ語でビートにアクセントをつけていく、いわゆる「佐野元春文体」とは一線を画すものとなっている。啓示的な内容をもつ現代詩を元に、カタカナ語を廃し、語数も少ない。抽象的かつ象徴的な言葉の組み合わせによってイメージを聞き手に喚起させる手法は、佐野元春の作品におけるひとつのターニングポイントとなった。


本作のプロモーションツアーである「ナポレオンフィッシュ・ツアー」を1989年6月から12月まで決行。ステージ背景には荒涼とした砂漠の写真が映し出され、そうした映像を背にして、これまでのキャリアの中でもっとも攻撃的な演奏を展開した。二度目となる横浜スタジアムでのライブを間に挟み、年末まで続けられた本ツアーの最終公演のステージ背景には「Good by 80's, so don't look back」と記されていた。


デビューから10年目となった1990年には今までのシングル曲とカップリング曲一部を収録した「Moto Singles」を5月に発売。並行して新作アルバムの制作をスタートさせ、佐野元春 with THE HEARTLAND名義としては『Café Bohemia』に続く2枚目となる『Time Out!』を11月にリリースした。アルバムタイトルが示すとおり、過去作品に見られる大上段から振りかざすような音楽のダイナミズムは一旦休憩となり、全面アナログレコーディングと、少数編成のバンドサウンドを核とした素朴な音作りの曲が並んだ。詩も「街に暮らす少年少女」が成長した様子を平易な言葉を選んで描きながらも、時代が狂乱のあとで疲弊していく様子を見つめながら「家に帰ろう」(収録曲「空よりも高く」より)と歌う。


『Time Out!』のプロモーションツアーの最終公演である大阪フェスティバルホールでは、ステージにオノ・ヨーコと子息のショーン・レノンが登場。ジョン・レノンの生誕50周年を記念したイベント『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』(G・O・W)の趣旨に賛同して、佐野が作詞作曲し、三人でレコーディングした「エイジアン・フラワーズ」をステージで披露した。なお、東京ドームで開催された『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』でも共演を果たしている。


1991年、過去のバラードの再アレンジも含めたアルバム『Slow Songs』発売。その一方で、佐野本人が「空白の一年」と呼ぶように、この時期はしばらく音楽活動から離れている。また、同年の10月には自身の父が他界している[19]。その後、新作レコーディングをスタートする前に、ノンプロモーショナルな全国ツアーとして「See Far Miles Tour PartI」を1992年1月から4月まで決行。オーディエンスとのコール&レスポンスを通じて、創作的な悩みやスランプを断ち切ったという。



『Sweet16』、『The Circle』


1992年には、2年ぶりのオリジナルアルバム『Sweet16』を発売。このアルバムは第34回日本レコード大賞の優秀アルバム賞を受賞した。また『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収録の「約束の橋」がドラマ「二十歳の約束」の主題歌に選ばれたことから、カップリングに「Sweet16」を伴って再リリース、オリコン4位を記録。急遽、「VISITORS」以降「約束の橋」を含む『No Damage II』もリリースされる。『Sweet16』を携えての全国ツアー「See Far Miles Tour PartII」が1992年9月から翌年1月まで行われた。


さらに1993年11月には、佐野元春としては異例の短いインターバルでアルバム『The Circle』がリリースされる。これは前作『Sweet16』と、音楽的にも感情的にも表裏一体となるもので、ソウルやゴスペル、リズム&ブルース色が色濃い作品となっている。なお、収録曲「レインガール」はトヨタ・カルディナのCMソングに起用され、佐野自身もCMに登場した。シングル「彼女の隣人」はローソンのCMソングに使用された。



THE HEARTLANDの解散


1993年12月から1994年4月まで「The Circle Tour」が行われる。このツアーに先立ち、1993年10月には東京・渋谷公園通りで突然のシークレットライブを決行。その後も学園祭でのライブや「Act Against Aids '93」でのステージアクトをこなすなど、さまざまな規模のライブ活動が行われた。このツアー中の1994年4月、バンドの解散が発表された。同年9月に解散ライブ「Land Ho!」を、所縁の地である横浜スタジアムで行う。同年10月に自身の母ががんで亡くなる[20]


1995年3月、バンド解散後の初めて、阪神・淡路大震災被災者チャリティ・コンサートに出演。3月13日にはインターネット時代の本格到来に先駆けて国内初のアーティスト公式サイト「Moto's Web Server」を開設。ファン有志によって作られたこのWebサイトは、オフィシャル・ファンサイトとして、現在もボランティアスタッフにより運営されている。


1996年には、新しいバンドやアーティストとのコラボレーション活動も積極的に展開している。8月には佐野が主催するロック・イベント「THIS!」を東京・赤坂BLITZで開催。1996年から1998年まで3回開催されたこのイベントは、優秀な新人のショーケース・ライブとして、山崎まさよし、Dragon Ash、TRICERATOPS、Coccoなど後に第一線で活躍することになるミュージシャン・バンドが多数出演した。また、トリビュートアルバムブームの先駆けとも言うべき佐野のトリビュートアルバム『BORDER』が発売された。これは佐藤奈々子が企画したもので、彼女の呼びかけに応えたザ・グルーヴァーズ、川村かおり、GREAT3、ヒートウェイヴ、プレイグスらが参加。それぞれ佐野楽曲の新解釈を披露している。



The Hobo King Bandの結成


新作のレコーディング作業を続けていたこの時期、レコーディングセッションを通じて集まったメンバーによる新バンド「INTERNATIONAL HOBO KING BAND」(その後何度か改名の後、最終的に「The Hobo King Band」という名称になった)が結成される。1996年1月に「INTERNATIONAL HOBO KING TOUR」が行われ、7月にはTHE HEARTLAND解散後初のアルバムとなる『FRUITS』をリリース。それまでのオリジナルアルバムの中でもっとも多い収録曲数となる全17曲は、もともと指向が広い佐野の音楽性に彩られながら、いずれも2分から3分のポップソングとなっている。THE HEARTLAND解散後の新しいスタイルが早くも提示された。また、このアルバムはミュージック・マガジン誌で年間ベストアルバムNo.1に選出されるなど、現在も評価の高い作品である。


1996年9月から年末にかけて、The Hobo King Bandとともに全国ツアー「Fruits Tour」を行う。さらに12月には日本武道館、大阪城ホール、横浜アリーナというアリーナクラスの会場で「Fruits Punch」を敢行。中でも特筆すべき点として、日本武道館では国内初のインターネット・ライブ中継を実施した。


「FRUITS」プロジェクトを終えた佐野とThe Hobo King Bandは、さらに音楽的結束を固めるため1997年夏に渡米。ザ・バンドやジャニス・ジョプリンの出世作を手かげたプロデューサーであるジョン・サイモンを迎え、ウッドストックにてアルバム『THE BARN』を製作。1997年12月にリリースした。


アルバムタイトル「Barn」が示すとおり、アルバム制作はウッドストックのベアズビルにある納屋を改造したスタジオに住み込み状態でレコーディングが進められるという、ウッドストックのマナーに沿ったものであった。近くに住むガース・ハドソン(ザ・バンド)、ジョン・セバスチャン(The Lovin' Spoonful)、エリック・ワイズバーグらがスタジオに訪れてはセッションに参加した。アルバムは、その完成度もさることながら、アメリカン・ロックに対するリスペクトの念に溢れたものであり、また1990年代後半に台頭してきたオルタナティブカントリーという新しい流れに呼応した姿勢は、音楽評論家筋から高く評価されることになった。アルバムに収録した「doctor」と「どこにでもいる娘」は、製作期間中に不慮の事故で自身の妹が亡くなった事に関連している[21]


翌年初頭である1998年1月から4月にかけて「The Barn Tour」を行う。中でも3月29日に行われた大阪フェスティバルホールでのライブでは、この日のためにジョン・サイモンとガース・ハドソンが来日し、サイモンはタンバリンで、ハドソンはアコーディオンで演奏に参加した。また、ステージ袖で佐野のパフォーマンスを見ていたサイモンは、ステージ上にあるプロンプターに「Elvis loves you」というメッセージを演奏中の佐野に贈ったという。



デビュー20周年


デビュー20周年を目前とした1999年、佐野は「どうしても20周年前に一枚アルバムを作っておきたかった」という思いから、プライベートスタジオを作り、MacとPro Toolsを核としたデジタルレコーディングシステムを構築。そこでさまざまな楽曲のレコーディングを始める。


こうして出来上がっていった作品群が結実したアルバム『Stones and Eggs』を1999年8月にリリース。ほぼすべての楽器演奏やプログラミングを自身で行った。一方、詩の面では、次第に混乱していくこの国の現実と、その中でサバイバルする人々を表現した作品が増えた。この視点は後の『THE SUN』『COYOTE』に脈々と繋がっていく。また、「GO4 Impact」ではDragon Ashの降谷建志とコラボレーションした。


同年8月には、国内初の有料インターネットライブ「The Underground Live」を開催。まだナローバンド回線だった時代にアンプラグドライブをThe Hobo King Bandと共に演奏された。なお、この模様は当時開局したばかりのCS局「Viewsic」(現MUSIC ON! TV)にても生中継された(ただし、途中で放送が打ち切られた)。


続く12月には、ファンへの感謝を込めたメッセージ曲「イノセント」がソニー・ミュージックエンタテインメントより国内初の有料音楽ダウンロードとして販売。数年後に活発化する音楽のネット販売を見据えたアクションとして注目を集めた。


デビュー20周年となる2000年は、それまでの活動を総括する作品が多くリリースされた。まず1月には、それまでの代表曲32曲をリミキシングとリマスタリングしたアルバム『The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music』がリリースされ、1月から3月までは20周年記念の「The 20th Anniversary Tour」を全国で9公演行う。9月には主要なクラブミックス、ダンスミックス・ヴァージョンを集めたコンピレーション・アルバム『Club Mix Cllection 1984-1999』をリリース。続く11月には、コンピレーション・アルバム『GRASS』をリリース。さらに12月にはスポークン・ワード作品を集めた編集版『Spoken Words Collected Poems 1985-2000』を発売した。


また、初期の主要作品を発表してから20周年にあたる年に、20周年記念盤をリリースするというアクションも行われている。2002年5月にはアルバム『SOMEDAY』の発売20周年を記念した『Someday Collector's Edition』を発売。デモトラックなど未発表音源と当時の詳細な資料がパッケージされた。その後も80年代に発表した重要なアルバムである『VISITORS』『Café Bohemia』『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』がそれぞれ20周年記念盤としてリリースされ、ニューヨークで制作された「COMPLICATION SHAKEDOWN」の未発表PVや、『Café Bohemia』制作時に訪れたパリでのプライベートフィルム、横浜スタジアムで行われた「ナポレオンフィッシュツアー」の模様など、その時々の貴重な映像がDVDの形で収録されている。



新たな変革期


2001年、21世紀最初の作品となるべく新作のレコーディングをThe Hobo King Bandとスタートする。バンドにはザ・ハートランド時代からの旧友、古田たかしがドラムで参加。サックスに山本拓夫が参加。レコーディングの模様は逐一「Moto's Web Server」でレポートされていった。


2001年3月、坂本龍一の呼びかけの元、地雷廃絶を訴えるキャンペーンに参加し、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。坂本龍一による地雷除去のためのチャリティーソングZERO LANDMINEの制作にも参加する。


9月11日、アメリカ同時多発テロを受け、すぐさま「光 - The Light」を書き下ろす。祈りと慈悲と癒しが交差するこの曲は、プライベートスタジオで多重録音され、ラフミックス後すぐにMoto's Web ServerからMP3無料ダウンロードでネット配信された。この動きに異を唱えた所属レコード会社との交渉の末、9月18日〜30日までの期間限定配信となったが、一週間で約10万ダウンロードされることとなった。9月21・22日には、井上鑑らとスポークンワーズライブ「In Motion 2001-植民地の夜は更けて」を鎌倉芸術館で行う。そのとき、観客を前に「光」を演奏した。



「Daisy Music」設立へ


2003年には、デビュー以来所属していたレーベル、エピックレコードジャパンの25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」に参加するも、CCCD問題などでレーベルと対立が発生。翌年2004年6月にはエピックレコードを離れ、自主レーベル「Daisy Music」を発足する。原盤制作および管理は自主レーベルで行い、宣伝と流通はメジャーレコード会社に委託するという、世界的に進むアーティスト主体のメジャーインディペンデントな考えを実践したレーベル形態となっている。


2004年7月21日にはデイジーミュージックからの第一弾アルバムとなる『THE SUN』が、4年半ぶりの新譜としてリリースされる。曲毎にさまざまな人物の視点で描かれた短編集のような作りになっている。そしてそれらはすべて「2004年の日本」を生きる人々の歌であり、自由の追求、「連帯」がもつ陰と陽の部分、そして夢を見る力をもつことの尊さが歌われている。


2004年10月から2005年にかけて全国30公演で行われた「THE SUN TOUR 2004-2005」を行う。二部構成のステージとなったこのツアーは、The Hobo King Bandに古田たかし(Dr.)と山本拓夫(Sax)が加わったことで、一部の佐野元春クラシックではThe Heartland時代からお馴染みのライブアレンジが次々と再現され、続く第二部ではアルバム『THE SUN』がディテールを含めてライブで再現された。スィングしながら縦横無尽に演奏を繰り広げるジャムバンド的な側面も色濃くなり、現在まで続くThe Hobo King Bandのバンドサウンドが確立されたツアーとなった。


2005年夏には「ap bank fes '05」や埼玉県狭山市で開催された「ハイド・パーク・ミュージック・フェスティバル2005」など音楽フェスティバルに意欲的に参加。また、この年に日本上陸となったiTunes Storeへ、インディペンデントレーベルとして最初の参加表明をするなど、インターネット時代のレーベルとしてその基盤を着実に整備していった。



『COYOTE』の誕生


2005年9月から新作のレコーディング作業を開始する。バンドは盟友The Hobo King Bandではなく、ノーナ・リーヴスの小松シゲル(Dr.)、GREAT3の高桑 圭(Bass)、Mellowheadの深沼元昭(G.)という、佐野元春の音楽を聴き続けてきた若い世代のミュージシャンとのレコーディングセッションが続けられた。その最初の成果として2005年12月に3トラックEP「星の下 路の上」がリリースされる。こうした世代を超えたミュージシャンやソングライター同士の連帯は、翌年のポッドキャスト番組「MUSIC UNITED」を経て、深沼元昭、山口 洋(ヒートウェイヴ)、藤井一彦(ザ・グルーヴァーズ)の三人がボーカルとして参加した音楽プロジェクト「MusicUnited.」にまで発展していく。


新作レコーディングを続ける一方、全国ツアーも精力的に展開。The Hobo King Bandに女性コーラスグループ「T.T.Sisters」を加え、2006年1月から4月まで全国ツアー「星の下 路の上」を全13公演行う。千秋楽となった東京国際フォーラムの公演では3時間以上に及ぶステージを披露し、その模様は2枚組DVD「TOUR2006 星の下 路の上」でノーカット完全版として発表された。また、同年11月には「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2006」に出演し、ザ・ビートルズの「カム・トゥゲザー」を演奏。また、年末には音楽雑誌「ロッキング・オン」のイベント、「COUNTDOWN JAPAN 06/07」に出演した。続く2007年も新作レコーディングと並行して「札幌市民会館 最後の日」や東京・新宿コマ劇場での「サンボマスター vs 佐野元春」で演奏するなど、精力的な活動が続けられた。


続く6月には新レーベル体制になってから2作目となるフルアルバム『COYOTE』が発表される。前作『THE SUN』で見せた、さまざまな登場人物の喜怒哀楽をスケッチする手法から大きく転換し、「コヨーテ」と呼ばれるアウトロー的な男の視点で描かれた「架空のロードムービーのサウンドトラック」というコンセプト・アルバムとなっている。収録された全12曲はいずれも、ビート・ジェネレーション的であり、サウンドの面でも今までの佐野元春作品とは違った形の現代性を持っている。特にタイトルトラックである「コヨーテ、海へ」という7分にも及ぶロックバラッドは、一定の評価を得た。


この「コヨーテ」というコンセプトはアルバムだけに留まらず、それまでのスポークン・ワード作品をすべて集めたボックスセット『BEATITUDE』、佐野元春の言葉と音楽について纏めた書籍「ビートニクス - コヨーテ、荒れ地を往く」でも共通のコンセプトとなっている。



デビュー30周年に向けた動き


新作アルバムを発表した直後には必ずアルバムプロモーションのツアーを行っていたが、『COYOTE』リリース後に同作品を主体にしたツアーは行われず、2008年1月から3月までThe Hobo King Bandと共に全国22カ所を回るツアー「Sweet Soul Blue Beat」が行われた。最近では演奏されなくなっていた80年代のレア曲やライブ定番曲、そしてThe Hobo King Band結成以降の楽曲から構成され、いずれの公演も3時間にも及ぶステージが展開された。


一方、母校である立教大学の文学部客員講師として、詩作などに関する講義「文学講義412〜詩創作論2〜」を受け持つ。この活動は現在も形を変えて続けられており、70年代から活躍する国内のソングライターを招いて、それぞれの創作の核心に迫るというオープン講座が定期的に開催されている。


2009年3月31日には、佐野元春の主たる活動のひとつであるラジオDJがNHK-FMで復活。かつての「サウンドストリート」時代のサブタイトルであった「元春レイディオ・ショー」と銘打たれた音楽番組は、「サウンドストリート」時代から数えて実に22年ぶりとなる。2009年7月から9月,2010年7月から9月にかけては、NHK Eテレにおいて、毎回ソングライターたちをゲストに招いて、主に「歌詞」についてトークしていくテレビ番組『佐野元春のザ・ソングライターズ』を企画・出演。



デビュー30周年アニバーサリー活動


2010年の3月に東京と大阪のライブハウスで、「アンジェリーナの日」と題されたライブイベントが開催。これをきっかけにしてデビュー30周年の数々のアクションが提示されることになる。同年8月には初のスポークンワーズツアー「in motion 2010 僕が旅に出る理由」を全国5ヶ所で開催。また、「佐野元春のザ・ソングライターズ 2nd Season」がNHK Eテレにて放送される。続く9月にはベストアルバム「ベリー・ベスト・オブ・佐野元春 「ソウルボーイへの伝言」」をリリース、翌10月からは、全国クラブハウスツアー「ソウルボーイへの伝言」を全国21ヶ所で開催する。「ソウルボーイへの伝言」の初日の前の日にはWOWOW主催のスペシャルライブ「佐野元春30周年アニバーサリープレミアムライブ」も開催された。2011年1月3日には佐野のアルバム「コヨーテ」をBGMにした堤幸彦監督のロードムービー「コヨーテ、海へ」がWOWOWにて放送、同日には佐野の特番と、ビートを探求する番組も同時に放送された。1月からは大都市をめぐる「ALL FLOWERS IN TIME」ツアーが全国6ヶ所で開催、その合間にセルフカバーアルバム「月と専制君主」がリリースされる。3月に入り、ツアー・ファイナルを大阪で開催、大阪城ホールには佐野にゆかりのあるゲストが多数出演し、イベントを盛り上げた。大阪の後には東京ファイナルも控えていたが、東日本大震災の影響により公演が延期、一時は開催中止も視野に入れていたが、6月に振替公演が決定し、東京国際フォーラムでの2Days公演にて30周年アニバーサリーイベントを締めくくった。


2012年にはFacebookに、佐野元春オフィシャル・ページを開設し、自身の活動や近況、世相を憂う文章などが綴られている。



揺るがぬ歩み、アフター30周年の活動


デビュー30周年アニバーサリーツアーの最終公演から半年後の2012年12月にホットスタッフ・プロモーションのイベント「L'ULTIMO BACIO Anno 11」(ルルティモバーチョ アンノ11)にCOYOTE BANDとしてライブを行い、珍しい曲を中心にライブを敢行する。同バンドには新たにギタリスト藤田顕が加わり、深沼とのツインギター体制になる。このバンドで「COUNTDOWN JAPAN」にも出演。2012年になってから更にこのメンバーで新曲のレコーディングを開始する。2012年3月から5月にかけてはビルボードライブ東京と大阪で、The Hobo King Bandによるライブを開催。新曲「トーキョー・シック」を含む20曲程度をチェロを交えたオルタナティブな演奏でファンを驚かせる。同6月から7月にかけては、COYOTE BANDとともにクラブハウスツアー「Early Summer Tour」を開催。新曲2曲を含む珍しい曲のオンパレードでファンを喜ばせる。特にライブ初演奏となる「警告どおり 計画どおり」はファンから意外性を持って迎えられた。


11月7日、ソニーミュージック時代の楽曲がiTunes Storeで販売開始された。


12月1日の栃木県総合文化センターから2013年2月の東京フォーラム公演まで行われた「2012-2013 WINTER TOUR」では、6歳から18歳までのオーディエンスについてはチケット代金を全額キャッシュバックする「U18 for Free」という試みが行われる。


2013年12月30日に大滝詠一が解離性動脈瘤で死去。これを受け佐野は公式サイトで「日本の音楽界はひとつの大きな星を失った」「でもその星は空に昇って、ちょうど北極星にように僕らを照らす存在となった」という趣旨の追悼コメントを発表。2014年1月21日より、ラジオ番組「元春レイディオショー」(MRS)において大滝関連の過去のアーカイブをもとに、故人の想い出を振り返る特集「ありがとう、大滝さん」を4週にわたってオンエアした。


2014年9月21日、佐野が『VISITORS』を制作したニューヨークを再び訪れ、当時の制作スタッフたちとの再会した姿を映したドキュメンタリー『名盤ドキュメント 佐野元春“ヴィジターズ”〜NYからの衝撃作 30年目の告白〜』がNHK BSプレミアムにて放送される。


10月29日、アルバム『VISITORS』リリース30周年を記念したスペシャルエディション「VISITORS DELUXE EDITION」発売。



伝承歌「君がいなくちゃ」発売・35周年アニバーサリー


2015年3月4日には学生時代に制作され、かねてから一部で『伝承歌』として注目されていた[22]「君がいなくちゃ」が正式に発表され[23]、iTunesロックチャートで1位を獲得し[24]、年末には桑田佳祐にラジオ番組で絶賛されている[25]


同年には読売新聞社から要請を受けて制作されたCMソング「境界線」や[24]、キヤノン「EOS 8000D」オリジナル連続Webドラマ「遠まわりしようよ、と少年が言った。」のために書き下ろした「私の人生」(翌年に配信限定で正式に発売されたEP「或る秋の日」の収録曲)[26]などのタイアップ付きの楽曲も発表された。


2015年9月29日から2016年3月22日まで、TBSラジオ番組『SOUND AVENUE 905』の枠で「元春レイディオショー」が半年間限定で復活。2月16日放送分では佐野のファンを公言する爆笑問題が出演するなど、趣向を凝らした内容となった[27]


2015年12月5日の京都KBSホールから2016年3月27日の東京国際フォーラム ホールAでの公演まで「佐野元春35周年アニバーサリー・ツアー 佐野元春 & THE COYOTE GRAND ROCKESTRA」が開催される。最終日には松本人志[28]・片寄明人[29]が観客としてこのライブに訪れた。



アフター35周年の活動


2016年8月10日に東京国際フォーラム ホールAで開催された「THIS! 2016」では前年に成立した改正公職選挙法に伴い、選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられることになった事を祝し、18歳と19歳の者を対象に、開場前に受付窓口に行き、年齢を証明する身分証明書(免許証、学生証、保険証など)を提示することで、チケット代の8200円が無料になる「祝!18歳選挙権」という制度を導入。すでにチケットを購入済みの18歳と19歳の者は、当日受付窓口で料金が全額キャッシュバックされた。


2017年4月、ニューヨークを訪れアート・イヴェント『Not Yet Free』を開き、スポークンワーズを披露した。また、この模様は2017年5月28日にNHK BSプレミアムで「佐野元春ニューヨーク旅『Not Yet Free -何が俺たちを狂わせるのか』」と題して放送された[30]



特徴・エピソード


人物

英語交じりで翻訳調の、ボソボソとした口調で淡々と平板な、それでいてリズミカルな語り口が特徴。インタビューなどで「そうだね…」と答えるのが口癖。基本的にテレビに出演することは少ないが、そこでのトークは印象的で「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」に出演した際に、佐野のファンを公言する松本人志でさえもトークについていけず「佐野さんホンマ勘弁してくださいよ」と泣きを入れたほどである。海岸を散策していた時に佐野を遠くから見つめる野生動物に向かって「こっちへ来いよ」と呼びかけたことをダウンタウンに激しく突っ込まれ、1997年4月7日に同番組の特番「Hey! Hey! Hey! Music Award」に出演した際に「動物愛護賞」を授与されていた[31]。また、2009年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)で放送された「クイズ佐野元春の500のコト」に出演した際には、予測不能な回答を連発し、出演者を翻弄させている[32]


デビュー以前の話をすると年齢が数年ずれるのが特徴であり、ソングライターズの最終回で未来の詩人への感動的な訴えかけを行った際にもずれていた。近年は自虐的に「年齢は忘れた」と言うことも多い。


水泳が趣味であり、週に2・3回、約1000メートル泳ぐという[33]


エピックレコードの全盛期、同レーベルの大ボスとして、同所属歌手(渡辺美里、大江千里、大沢誉志幸、鈴木雅之、TM NETWORK、岡村靖幸など)から敬意を表されている。特に渡辺は自身のインタビューが編集者によって編集されて、自身の発言とまったく違った言葉が雑誌に載っていたことを悲しみ、佐野にその事を告げると、「あっ、そういう事がこれからあったら僕に言って」と渡辺に話した。


『Sweet16』は、日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した。しかし、本人がこのことを知ったのは、受賞から2年後。マネジメント事務所の隅にひっそりと置いてあったトロフィーを見てはじめてその事実に気づいた。


創作活動

自身はロックンロールを作っており、どんなに難しい表現の曲を作ったとしても、常に15歳から25歳の聴き手に聴いてもらうことを考えているとし、「僕は大衆音楽を作る人ではないかもしれません」とした上で「でも、誰よりも大衆音楽を作りたいと願っているアーティストでもあるんです」と述べている[34]


また、自身の楽曲やアルバムの作り方について「「僕は悲しいので、こんな思いをみんな聴いて、同情して」みたいな曲は、僕は絶対に歌わない。“私の歌”、“僕の歌”というのは、一切書いてこなかった。“私”が主体じゃなくて、“私たち”が主体の音楽を上手く書けたらいいなと、ずっと思いながら続けてきました。本当のことを言うと、曲を書く時に、僕が個人的に言いたいことは、何もない」「その時代、その時代の、僕の新聞のようなもの」「曲のタイトルがヘッドライン」「僕の思いを入れない方が、上手くいくわけです」「自分の曲を歌って、自分自身がエキサイトするものでなければ、大抵は駄作だなって思っている。だいたい、僕なんかより、もっと感受性の強い人たちが聴いてくれているんだから、リスナーを絶対に見くびったりはしないし、いつも恐る恐る「大丈夫かな?」と思いながらソングライティングしています」「だから、客観的な表現になるんだろうね」「僕のような風来坊が考えていることなんて、どうでもいいことなんです(笑)」と述べている[34]


実体験に基づいて作詞しているのかと聞かれることもあるというが、本人によると「100%自分の事を歌った詩はひとつもない」といい、「そういう意味では自分は作家なんだなと思います」と述べている。事実、前述したとおり佐野の楽曲には学生時代に書かれた楽曲がプロになってから正式に発表されたケースも存在している[35]


発表の有無を問わず、午前中には楽器を弾いたり作詞・作曲をしているという。また、ストックは100曲以上に及ぶといい、曰く「インストゥルメンタルの曲だったら毎日できる。難しいのは言葉付きの音楽。言葉がないんだったら、いくらでも出てきます」という[36]


スポークン・ワーズ

日本ではメイン・ストリームではあまり浸透していないスポークンワーズにも積極的に取り組んでおり、佐野は自身がスポークンワーズをやる理由を「パフォーマーがどの国籍に属していようと一定の理解が得られるはずだという確信のもと、それを試してみました」「僕は自分の母国の言葉に誇りをもっています。母国語でスポークンワーズすることが、自分にとってはとても大事です。原語の理解を超えて、他の文化圏の人に通じるものがあるはずだ、という確信がどこから生まれるかといえば、それは母国語に対する信頼にあると思います」[30]と述べている。


その他

晩年の諏訪優と交流を持ち、アレン・ギンズバーグ、グレゴリー・コルソー、ゲイリー・スナイダーにインタビューを行うなど、ビートニクスへの造詣が深い。2007年の著書『ビートニクス』は、ビート派の作家・詩人たちについての本であり、ジャック・ケルアックが旅した地を再訪した文章や前述したインタビューなどが収録されている。


政治的な事柄を取り上げる事については「ソングライターとして日々生きていますから、恋愛も政治も経済も社会的な何かも全てフラット。特にポリティカル(政治的)なことに集中して詞を書くなんて不自然なことはやっていません。普通に曲を書いていれば、そうしたところに触れてくるのは、僕の中では当然なことです」と述べている[37]


1995年1月22日、1月17日に発生した阪神・淡路大震災を受け、「先進国って何だろう」という詩を被災地で働くボランティアに向けて発表している[38]


2011年3月13日、2日前の3月11日に発生した東日本大震災を受け、自身のオフィシャルウェブサイトで、12、13日の公演休止の報告、日本赤十字社などの支援団体へのリンク先、震災直後の世間の動向への憂いを交えながら被災地の復興を願う内容の詩「それを「希望」と名づけよう」を掲載した。なお、上述の3月13日は佐野の55回目の誕生日であった[39]


2015年5月7日、自身のフェイスブックで「境界線」というタイトルで、自らが沖縄県辺野古を訪れて大浦湾で撮影した写真と、普天間基地移設問題を憂う内容の文章を掲載した[40]


『ローリングストーン日本版』2016年10月号の企画で「SEALDsはなぜここまで嫌われたのか」とのテーマに対して、「SEALDsは嫌われたんじゃない、怖がられたんだ いつの時代でも、自由な存在を怖がる連中がいる」と、SEALDsの活動に対して理解を示し、好意的な立場を取っている[41]


2017年5月17日、自身のフェイスブックで「僕の蒼い鳥がそう言っている」というタイトルでスーザン・ソンタグの「良心の領界」の序文を引用しつつ、当時国会で議論されていたテロ等準備罪(共謀罪)を疑問視する趣旨の文章を掲載した[42]


「霧の中のダライラマ」の曲名が示すとおり「チベット自由と人権の集い」に賛同者として名を連ねており、中国によるチベット侵略に抗議しチベット民族に対する人権侵害に反対しているという。


配信限定EP「Not Yet Free」の一曲目の「こだま-アメリカの友人、日本の友人に」の内容がドナルド・トランプや安倍晋三を批判しているのではと解釈されたことがあったが[43]、佐野はこれを否定している。


評価

爆笑問題[27]、松本人志(ダウンタウン)[28]、石橋貴明(とんねるず)[44]、山口智充[45]、スガシカオ[46]、小川洋子[47]、野茂英雄[48]、マキタスポーツ[49]、立川志らべ[50]など幅広い著名人が佐野のファンであることを公言しており、佐野も彼らに対し分け隔てなく接している。


佐野の存在は音楽界をも震撼させ、沢田研二のプロデューサーが佐野の才能に惚れ込み、楽曲提供を依頼するほどとなった[2]


株式会社ロッキング・オン社長の渋谷陽一は、ROCKIN'ON JAPANを刊行する際「第一号の表紙は絶対に佐野元春しかいないと思っていた」と語っている。一方で渋谷は、デビュー前の佐野に評論家の見地から苦言を呈してもいる[51]


同世代であり、1985年の『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW』で共演して以来、手紙で連絡を取っている桑田佳祐(サザンオールスターズ)は佐野の才能を認めており、2013年のAct Against AIDSイベント「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」で「SOMEDAY」をカバーしたり[52]、自身のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」で佐野の楽曲を取り上げたりしている[53]。また、佐野も桑田の才能を認めており、自身が司会を務めた「佐野元春のザ・ソングライターズ」で真っ先に桑田に出演オファーをしたが、その当時がちょうど桑田が食道がんで休養していた時期と重なったためにいまだに実現していないといったエピソードがある[54]


『週刊SPA!』2011年3月15日号で対談をしたことがあるマキタスポーツは、自身のブログでその事を振り返り、佐野の「僕はどんなリーダーにも従わせない側にいたい、そのリーダー達が怖がるような存在でいたい」という発言を大好きであると述べており、「あんなアーティストに俺もなりたいよ。誤解も正当な評価も飲み込むような、大きいね」とまとめている[49]


後述する『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画への関わり(とんねるずの生でダラダラいかせて!!#全盛期を参照)や前述した『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』への出演でも分かるようにバラエティーと佐野との親和性についても高く評価されている[32]。また、佐野自身もお笑いに対して理解と敬意を示している[55]



主な使用楽器



ギター


  • フェンダー・ストラトキャスター


デビュー当時から使っている1973年製のストラトキャスター。カスタムカラーのレッドが印象的でバックはバックルの傷がある。

30周年ツアーのファイナルでも常時使用していた定番モデル。


  • フェンダー・ジャズマスター


1960年製のジャズマスター。ドット・ネックのオールド・モデル。初期のロックンロール・ナイト・ツアー、ビジターズ・ツアーで使用していたが、一時期お目にかかることがなくなり、HKBのライブで復活している。

  • Gibson Custom shop Southern Jumbo

全世界で36本だけ限定生産されたアニバーサリー・モデル。ハイランダーのピエゾ・マイクが内蔵されている。

  • ギブソン・ES-335


1972年製。「The Milk Jam Tour」や「星の下路の上ツアー」でも使用。

  • Gibson Byrdland


ヴィジターズのライブ・ビデオのなかでも使用しているギター。ギブソン社のジャズ・ギターの代表機種のひとつ。

通称フローレンタイン カッタウェイ(シャープド・カッタウェイ)と呼ばれているもので1960年 - 1968年でしか製造されていない貴重なもの。



  • Gretsch Rock Jet

「The Burn」ツアーでも使用

  • Takamine NPT-110

「See Far Miles Tour PartⅡ」ツアー[56]から「The Burn」ツアーまで使用されたギター。このギターはのちに『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)で放送された「クイズ佐野元春の500のコト」の中で、優勝賞品として田中直樹(ココリコ)に贈呈された。

  • Gretsch Duo Jet


忌野清志郎を追悼するトリビュートコンサート「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー 日本武道館LOVE&Peace」に初出演した際に使っていたギターで、THE COYOTE BANDでも使用。


作品



シングル







































































































































































































































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タイトル

発売日

EPIC・ソニー

1st

アンジェリーナ
1980年3月21日

2nd

ガラスのジェネレーション
1980年10月21日

3rd

Night Life
1981年2月25日

4th

SOMEDAY
1981年6月25日

5th

ダウンタウン・ボーイ
1981年10月21日

6th

彼女はデリケート
1982年3月21日

7th

Sugar time
1982年5月21日

8th

Happy Man
1982年8月25日

9th

スターダスト・キッズ
1982年11月21日

10th

グッドバイからはじめよう
1983年3月5日

11th

TONIGHT
1984年4月21日

12th

COMPLICATION SHAKEDOWN
1984年6月21日

13th

VISITORS
1984年9月21日

14th

NEW AGE
1984年11月21日

15th

Young Bloods
1985年2月1日

16th

リアルな現実 本気の現実
1985年6月21日
EPIC・ソニー / M's Factory

17th

STRANGE DAYS -奇妙な日々-
1986年5月21日

18th

SEASON IN THE SUN -夏草の誘い-
1986年7月21日

19th

WILD HEARTS -冒険者たち-
1986年9月21日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory

20th

ガラスのジェネレーション (LIVE)
1988年2月26日

21st

警告どおり 計画どおり
1988年8月18日

22nd

約束の橋
1989年4月21日

23rd

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
1989年8月21日

24th

シティチャイルド
1989年10月8日

24th

雪-あぁ世界は美しい
1989年12月9日

25th

ジャスミンガール
1990年10月21日
Epic Sony Records / M's Factory

26th

ぼくは大人になった
1991年4月10日

27th

また明日…
1992年1月22日

28th

誰かが君のドアを叩いている
1992年4月8日

29th

約束の橋/SWEET 16
1992年10月28日

30th

彼女の隣人/レインボー・イン・マイ・ソウル
1992年10月28日

31st

十代の潜水生活/経験の唄
1995年11月1日

32nd

楽しい時 -Fun Time
1996年1月21日

33rd

ヤァ! ソウルボーイ
1996年5月22日

34th

ヤング・フォーエバー -Young Forever-
1997年11月1日

35th

Doctor
1998年4月22日
Epic Records / M's Factory

36th

僕は愚かな人類の子供だった
1999年3月1日

37th

だいじょうぶ、と彼女は言った
1999年7月23日

38th

INNOCENT
1999年12月20日
GO4 Records

39th

Tonight (Live)[57]
2003年2月10日
Epic Records / M's Factory

40th

君の魂 大事な魂
2003年12月17日

41st

月夜を往け
2004年5月19日

Daisy Music

42nd

星の下 路の上[58]
2005年12月17日


12インチシングル








































 #

タイトル

発売日

EPIC・ソニー

1st

TONIGHT (Special Extended Club Mix)
1984年4月21日

2nd

COMPLICATION SHAKEDOWN (Special Extended Club Mix)
1984年6月21日

3rd

Young Bloods (Special Dance Mix)
1985年3月21日

4th

CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-
1985年11月21日
EPIC・ソニー / M's Factory

5th

99 BLUES
1987年6月3日

6th

インディビジュアリスト
1987年11月21日


デュエットシングル





















名義

タイトル

発売日

EPIC/SONY RECORDS

渡辺美里 佐野元春

Home Planet -地球こそ私の家
1990年8月22日

Victor Entertainment

佐野元春 & 雪村いづみ

トーキョー・シック
2014年2月12日


配信限定シングル















































































 #

タイトル

発売日

Daisy Music

1st

光 -The Light
2005年8月17日

2nd

星の下 路の上
2005年11月16日

3rd

世界は誰の為に[59]
2007年4月18日

4th

君が気高い孤独なら
2007年5月30日

5th

月と専制君主 -Boys & Girls Version-
2011年1月12日

6th

トーキョー・シック[60]
2012年5月9日

7th

La Vita é Bella (ラ・ヴィータ・エ・ベラ)
2012年8月29日

8th

世界は慈悲を待っている[61]
2013年1月30日

9th

みんなの願いかなう日まで
2013年12月4日

10th

ラジオ・デイズ
2014年3月12日

11th

君がいなくちゃ
2015年3月4日

12th

境界線
2015年4月22日

13th

純恋(すみれ)
2017年7月19日

14th

こんな夜には c/w 最新マシンを手にした子供達
2017年10月20日


配信限定EP



















 #

タイトル

発売日

Daisy Music

1st

或る秋の日
2016年11月11日

2nd

Not Yet Free
2017年10月20日


オリジナル・アルバム



































































































 #

タイトル

発売日

EPIC・ソニー

1st

BACK TO THE STREET
1980年4月21日

2nd

Heart Beat
1981年2月25日

3rd

SOMEDAY
1982年5月21日

4th

VISITORS
1984年5月21日
EPIC・ソニー / M's Factory

5th

Café Bohemia
1986年12月1日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory

6th

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
1989年6月1日

7th

Time Out!
1990年11月9日
Epic Sony Records / M's Factory

8th

Sweet16
1992年7月22日

9th

The Circle
1993年11月10日

10th

FRUITS
1996年7月1日

11th

THE BARN
1997年12月1日
Epic Records / M's Factory

12th

Stones and Eggs
1999年8月25日

Daisy Music

13th

THE SUN
2004年7月21日

14th

COYOTE
2007年6月13日

15th

ZOOEY
2013年3月13日

16th

BLOOD MOON
2015年7月22日

17th

MANIJU
2017年7月19日


ミニアルバム














 #

タイトル

発売日

Daisy Music

1st

THE SUN STUDIO EDITION
2005年8月17日


ベストアルバム






































































 #

タイトル

発売日

EPIC・ソニー

1st

No Damage (14のありふれたチャイム達)
1983年4月21日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory

2nd

Moto Singles 1980-1989
1990年5月12日
Epic Sony Records

3rd

Slow Songs
1991年8月28日

4th

No Damage II (GREATEST HITS 84-92)
1992年12月9日
Epic Records / M's Factory

5th

The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music
2000年1月21日

6th

G*R*A*S*S 〜The 20th Anniversary Edition's 2nd〜
2000年11月22日
Epic Records / GO4 Records

7th

Spoken Words Collected Poems 1985-2000
2000年12月18日
Epic Records

8th

THE LEGEND - Early days of Motoharu Sano
2003年1月1日

Sony Music Direct / GT music

9th

THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004
2006年7月12日

10th

BEATITUDE Collected Poems and Vision 1985-2003
2007年9月12日

11th

ベリー・ベスト・オブ・佐野元春「ソウルボーイへの伝言」
2010年9月29日


ライブアルバム










































 #

タイトル

発売日

EPIC/SONY RECORDS / M's Factory

1st

HEARTLAND
1988年4月21日
Epic Sony Records / M's Factory

2nd

THE GOLDEN RING Motoharu Sano with the Heartland Live 1983-1994
1994年11月1日
Epic Records / GO4 Records

3rd

In motion 2001 - 植民地の夜は更けて
2001年12月

Daisy Music

4th

in motion 2003 - 増幅
2004年5月28日

5th

THE SUN LIVE AT NHK HALL
2005年8月31日

6th

佐野元春 & ザ・コヨーテ・グランド・ロッケストラ
2017年5月31日


リミックスアルバム














 #

タイトル

発売日

Epic Sony Records / M's Factory

1st

Dance Expression of THE CIRCLE
1994年1月21日


セルフカバーアルバム



















 #

タイトル

発売日

Daisy Music

1st

月と専制君主
2011年1月26日

2nd

自由の岸辺
2018年5月23日


コンピレーションアルバム














 #

タイトル

発売日

EPIC/SONY RECORDS / M's Factory

1st

mf Various Artists Vol.1
1989年8月21日


企画盤













































 #

タイトル

発売日

Epic Records / M's Factory

1st

SOMEDAY Collector's Edition
2002年5月22日

2nd

VISITORS 20th Anniversary Edition
2004年2月25日

Sony Music Direct / GT music

3rd

The Essential Café Bohemia
2006年12月6日

4th

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 限定編集版
2008年6月4日

5th

NO DAMAGE:DELUXE EDITION
2013年12月25日[62]

6th

VISITORS:DELUXE EDITION
2014年10月29日

7th

THE BARN DELUXE EDITION
2018年3月28日[63]


カセットブック



















 #

タイトル

発売日

小学館

1st

ELECTRIC GARDEN
1985年5月25日

2nd

ELECTRIC GARDEN #2
1986年7月31日


トリビュートアルバム














 #

タイトル

発売日

PIONEER LDC

1st

BORDER - A Tribute to Motoharu Sano -
1996年8月31日


映像作品




































































































































































 #

タイトル

発売日

EPIC・ソニー

1st

Truth '80〜'84
1984年12月1日

2nd

Visitors Tour '84〜'85
1985年7月21日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory

3rd

Café Bohemia Live! 1986-1987
1988年11月2日

4th

THE OUT TAKES

5th

MOTO CLIP VOL.1
1989年11月22日

6th

ナポレオンフィッシュ・ツアー '89 〜自由への新しい航海〜
1990年4月8日

-

ジャスミンガール (Video Single Disc)
1990年12月21日
Epic Sony Records / M's Factory

7th

LIVE <TIME OUT!> '90
1991年3月21日

8th

1992 See Far Miles Tour part I
1992年10月21日

9th

1992-1993 See Far Miles Tour part II
1993年6月23日

10th

Visual Expression of THE CIRCLE
1993年12月1日

11th

They called the band 'THE HEARTLAND'
1995年1月21日

12th

FRUITS
1996年7月1日

13th

THE INTERNATIONAL HOBO KING BAND FEATURING MOTOHARU SANO IN FRUITS TOUR '96
1997年3月31日
Epic Records / M's Factory

14th

THE BARN TOUR '98-LIVE IN OSAKA
1998年7月18日

Sony Music Entertainment

-

デジタル・アートピース 僕は愚かな人類の子供だった
1999年2月15日[64]
Epic Records / M's Factory

15th

The 20th Anniversary Tour 2000.3.11 日本武道館
2000年7月19日

16th

MOTOHARU SANO LIVE ANTHOLOGY 1980-2000
2000年11月1日

17th

In Motion 2001 — 植民地の夜は更けて
2002年1月23日

18th

PLUG & PLAY '02
2003年2月19日
M's Factory

-

SELF LINER NOTES 佐野元春インタビュー 'THE SUN'を語る
2005年1月8日

Daisy Music

19th

THE SUN LIVE and RECORDINGS
2005年6月22日

Sony Music Direct / GT music

20th

THE VIDEOS EPIC YEARS 1980-2004
2006年7月12日
Daisy Music

21st

「星の下 路の上」 2006.4.2 LIVE AT 東京国際フォーラム / HALL A
2006年11月22日

22nd

MOTOHARU SANO COYOTE 2009.7.26 LIVE at ZeppTokyo
2009年12月21日

23rd

佐野元春 30th Anniversary Tour ALL FLOWERS IN TIME
2011年12月14日
Sony Music Direct / GT music

23rd

MOTOHARU SANO LIVE ANTHOLOGY 1980-2010
2012年4月25日
Daisy Music

24th

ライブ・アット・東京国際フォーラム 2013.2.23
2013年12月22日

24th

35TH.ANNIVERSARY TOUR FINAL
2016年12月21日


タイアップ
















































































































楽曲
タイアップ
時期
WONDERLAND <WALKMANのテーマ>

SONY「WALKMAN」CMソング
1982年
Young Bloods

国際青年年テーマソング
1985年
リアルな現実 本気の現実

朝日新聞社「朝日新聞」CMソング
再び路上で

CANON 一眼レフカメラ CMソング
SOMEDAY

JR東海「ファイト!エクスプレス」CMソング
コダック「SUPER Goldフィルム」CMソング
1990年
恋する男

安田海上火災保険CMソング
Home Planet -地球こそ私の家

TBS系「宇宙プロジェクト」トータルテーマソング
また明日…
TBS系「筑紫哲也 NEWS23」エンディングテーマ
1992年
誰かが君のドアを叩いている

TDK カセットテープ「NEW SR60」CMソング
約束の橋

フジテレビ系ドラマ「二十歳の約束」主題歌
彼女の隣人

ローソン CMソング
レインガール

トヨタ・カルディナ CMソング
1995年
経験の唄

住友生命「愛&愛」CMソング
楽しい時 -Fun Time

テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」エンディングテーマ
1996年
だいじょうぶ、と彼女は言った
フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」エンディングテーマ
1999年
SOMEDAY

亀田製菓「亀田の柿の種」CMソング(イントロ部分のみ)
2001年
夜空の果てまで

NTT DoCoMo『FOMAエリア「つながる」宣言篇』CMソング
2007年
La Vita é Bella

トヨタ・マークX CMソング
2012年
彼女

東宝映画『劇場版 SPEC〜結〜 爻ノ篇』挿入歌
2013年
虹をつかむ人

WOWOWプライム ドラマ「配達されたい私たち」主題歌
夜空の果てまで
NTT docomo『LTE「やるべきことはまだまだある」篇 』CMソング
境界線

読売新聞社「読売新聞」CMソング
2015年
私の人生

キヤノン「EOS 8000D」オリジナル連続Webドラマ「遠まわりしようよ、と少年が言った。」主題歌[26]


ラジオ番組




  • サウンドストリート「元春 Radio Show」(NHK-FM、毎週月曜PM10:00 - 、1980年 - 1986年)

  • Heartland Hour(FM横浜、毎週日曜日AM10:00 - 11:00、1985年 - 1987年)

  • AJI FMスーパーミクスチャー(TOKYO FM 毎週日曜日PM3:00-3:55、1987年 - 1989年)

  • Asahi Beer Tasty Music Time(TOKYO FM、月曜 - 金曜、PM11:00-11:20、1990年 - 1991年)


  • Toyota Radio Fish(TOKYO FM、毎週土曜日PM8:00 - 8:55、2002年10月 - 2005年3月)


  • 元春レイディオ・ショー(NHK-FM、毎週火曜PM11:00 - AM0:00、2009年3月31日 - 2014年3月18日)


  • SOUND AVENUE 905「元春レイディオ・ショー」(TBSラジオ、火曜日担当PM21:00 - PM22:00、2015年9月29日 - 2016年3月24日)



TV番組



音楽番組




  • ファイティング80's(1980年、TVK)


  • ライヴエイド(1985年、フジテレビ)

  • 佐野元春ロックンロール・ポエトリー(1993年、NHK教育)


  • MusiG(2006年-2007年、よみうりテレビ製作・日本テレビ系)


  • 佐野元春のザ・ソングライターズ シリーズ(2009年 - 2012年、NHK Eテレ)

    • 佐野元春のザ・ソングライターズ1(2009年7月 - 9月)

    • 佐野元春のザ・ソングライターズ2(2010年6月 - 9月)

    • 佐野元春のザ・ソングライターズ3(2011年4月 - 7月)

    • 佐野元春のザ・ソングライターズ4(2012年10月 - 12月)



  • 佐野元春のBack to the Roots〜ビートの原点を探す旅20,000キロ(2013年12月28日、BSジャパン) - ナビゲーター

  • 佐野元春×浦沢直樹 〜僕らの“ボブ・ディラン”を探して〜(NHK Eテレ、2014年5月24日) ディランゆかりの地を浦沢直樹と訪れた。




トーク番組



  • 2000年のイノセント(2000年、テレビ朝日) - 野茂英雄、吉井理人と対談

  • SWITCHインタビュー 達人達(NHK Eテレ、2014年4月5日) - 浦沢直樹と対談




バラエティ



  • アフリカのツメ(2004年-2005年、よみうりテレビ製作・日本テレビ系)



教養番組



  • 日曜美術館「アートの旅 みつけよう、美 秋編」(2015年12月6日、NHK総合) 鳥取砂丘、植田正治写真美術館、植田正治の生家を訪れた。



ドラマ



  • SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜シリーズ(TBS) - 当麻天 役

    • SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜 最終話(2010年12月17日)


    • SPEC〜零〜(2013年10月23日)

    • このほか、同作の映画化作品『劇場版 SPEC〜結〜 爻ノ篇』挿入歌に佐野の楽曲「彼女」が起用された。






CM出演




  • TDKカセットテープ「NEW SR60」

  • トヨタ・カルディナ


  • アサヒビール・アサヒ本生アクアブルー


  • サッポロビール・サッポロ生ビール黒ラベル(大人エレベーター)



楽曲提供




  • 松田聖子

    • 「ハートのイアリング」[65]

    • 「今夜はソフィスケート」[65]




  • 松原みき
    • 「スーヴェニール」[66]



  • 伊藤つかさ
    • 「ストロベリーフィールド」[65]


  • Romy
    • 「California」[65]



  • BaBe
    • 「Silent Dancer」[67]



  • 片岡鶴太郎
    • 「Looking For A Fight」[68]



  • 山下久美子

    • 「So Young」[68]

    • 「Silver Girl」[69]




  • 沢田研二

    • 「Vanity Factory」[68]

    • 「Why Oh Why」[69]

    • 「彼女はデリケート」[68]

    • 「Bye Bye Handy Love」[68]

    • 「I'm In Blue」[68]

    • 「すべてはこの夜に」[69]




  • 早見優
    • 「彼はデリケート」[69]



  • バブルガム・ブラザーズ
    • 「SOUL SPIRIT Part II」[69]



  • ANDY'S
    • 「FREEDOM」[70]
      • ANDY'Sは『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画で結成されたユニットであり、メンバーの石橋貴明たっての希望で佐野に楽曲提供が依頼された[44]




  • 猿岩石
    • 「昨日までの君を抱きしめて」[71]



  • 渡辺満里奈
    • 「ダンスが終わる前に」[69]



  • 永井真理子
    • 「White Communication〜新しい絆〜」[69]



  • 矢野顕子
    • 「Un Jour」[72]



  • 伊藤銀次
    • 「恋のソルジャー」[69]



  • 金子マリ
    • 「最後のレイディオ・ショー ―Radio Days」[69]



  • 小坂忠
    • 「ふたりの理由、その後」[69]




共作・コラボレーション



  • 「A面で恋をして」

    • 大滝詠一・杉真理との合同プロジェクト。『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』収録。


  • 「Home Planet 〜地球こそ私の家〜」

    • 渡辺美里とのデュエット。長らくアルバム未収録だったが、2006年に発売された佐野のベストアルバム『THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004』に収録されたのが初であり、2010年に渡辺のベストアルバム『25th Anniversary Misato Watanabe Complete Single Collection〜Song is Beautiful〜』のボーナストラックとして収録されている。


  • 「また明日…」

    • 矢野顕子と競演。同名のシングル、アルバム『Sweet16』にそれぞれ収録されている。


  • 「エイジアン・フラワーズ」

    • オノ・ヨーコ、ショーン・レノンとの競演。『Sweet16』収録。


  • 「Angel」

    • ジョージー・フェイムと競演。『The Circle』収録。


  • 「GO4 Impact」

    • Dragon Ashの降谷建志と競演。『Stones and Eggs』収録。


  • 「石と卵」

    • Bonnie Pinkと競演。『GRASS〜The 20th Anniversary Edition's 2nd』収録。


  • 「じぶんの詩」

    • 山口智充・山本耕史とのユニット「The Whey-hey-hey Brothers」として参加。


  • 「自転車でおいで」
    • 矢野顕子とのデュエット。矢野のアルバム『GRANOLA』収録。


  • 「So Goes The Song (Love Planets)」

    • ジョン・サイモンに詞を提供。ジョン・サイモンのアルバム『Home』収録。




参加作品



  • 金沢明子
    • 「イエロー・サブマリン音頭」


エンディングの「All Together Now NO.9」のセリフで参加。


  • 杉真理
    • 「Nobody」


コーラスで参加。

  • 「内気なジュリエット」

コーラスで参加。

  • 「Key Station」

「I wanna be with you tonight, baby」のセリフで参加。また「佐野元春」という固有名詞が歌詞に登場する。


  • 伊藤銀次
    • 「夜を駆けぬけて」


コーラスで参加。


  • Mellowhead

    • 「エンプティ・ハンズ」

    • 「Better days」



ボーカルとして参加。


  • PEACE BIRDS '88 ALL STARS
    • 「君を守りたい」


イントロ部分のボーカルとして参加。


  • ヒートウェイヴ
    • 「BRAND NEW DAY/WAY」


プロデュースと共にコーラス、アコースティック・ギターで参加。また、歌詞カードの「インスピレーションを有難う」という欄に、ボブ・ディラン、アル・クーパーと共にクレジットされている。元THE HEARTLANDの小野田清文、西本明も参加。


  • くず
    • 「虹がかかってた」


楽曲の中には佐野の楽曲「レインボー・イン・マイ・ソウル」のフレーズが引用されている。冒頭では山口智充と共に「元春レイディオ・ショー」のパロディーを行っている。


著書・関連書籍



  • ハートランドからの手紙 スイッチ・コーポレイション書籍出版部, 1990.11 /角川書店(文庫版)

  • Diary-studio days making of“Fruits" レコーディング日誌 PARCO出版, 1996.9


  • ビートニクス コヨーテ、荒地を往く 幻冬舎, 2007.9



雑誌編集



  • THIS: 佐野元春による責任編集マガジン。発行時期や発行元、編集コンセプトの違いにより、3期に分かれる。

    • 第一期 1983.4〜1984.2 全4冊 CBSソニー出版

    • 第二期 1986.4〜1987.1 全4冊 扶桑社

    • 第三期 1994.9〜1997.5 全12冊 扶桑社




関連書籍



  • 路上のイノセンス 下村誠 JICC出版局, 1986.8 文庫版 シンコーミュージック1993.6

  • Scratch 伊島薫写真 CBSソニー出版, 1983.10

  • AS 10 YEARS GO BY 渋谷陽一編 ※インタビュー集 ROCKIN'ON JAPAN, 1990.12


  • 月刊カドカワ 5月号 「総力特集・佐野元春新しい夜明け」角川書店, 1991.

  • TheCircle of Innocence 佐野元春をめぐるいくつかの輪のなかで ぴあ, 1999.3

  • 時代をノックする音 佐野元春が疾走した社会 山下柚実著 毎日新聞社, 1999.3

  • 佐野元春語録 1980-1999 城山隆編 メディアファクトリー, 1999.9

  • 地球音楽ライブラリー佐野元春 吉原聖洋編  ※EPIC時代までのデータを網羅した解説本 TOKYOFM出版, 2004.8

  • ロック画報 20「特集・Individualist 佐野元春」ブルース・インターアクションズ, 2005.6

  • Mostly Motoharu we will be with you ロックンロールとセンチメンタリズムの間に 25th anniversary/from 1980 岩本晃市郎企画編集 ストレンジ・デイズ, 2006.12

  • 別冊カドカワ 総力特集 佐野元春 30th Anniversary スピリチュアル・メッセージ「音楽というカルチャーを求めて」角川書店, 2010.12



脚注・出典


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  1. ^ 『ココナッツ・バンク』でギターを弾いていた伊藤がアメリカ帰りの佐野と初めて出会ったとき、伊藤は「バディ・ホリーのようなメガネをかけた佐野がマンフレッド・マンについて、情熱的でがむしゃらに語ったために、いすから転げ落ちそうになった」と述べている(『SOMEDAY』より)。

  2. ^ abNow & Then vol.1


  3. ^ J-WAVE「SAPPORO BEER OTOAJITO」2011年1月15日放送分で本人発言。


  4. ^ 月刊カドカワ 1991年5月 総力特集:佐野元春


  5. ^ 「漫画家になりたかったミュージシャン」と「ミュージシャンになりたかった漫画家」の旅NHK


  6. ^ 相倉久人『日本ロック学入門』内ロングインタビュー

  7. ^ abcdefghijklm下村誠『路上のイノセンス』


  8. ^ 月刊カドカワ 1991年5月 矢野顕子からの質問に答えて


  9. ^ 「情けない週末」「グッドバイからはじめよう」「君がいなくちゃ」など。


  10. ^ moment 佐藤奈々子インタビュー


  11. ^ 文藝別冊『大瀧詠一』


  12. ^ CUT1994年2月増刊号、bridge、72ページ


  13. ^ ヤングジャパンから派生した事務所の元締めとしてのヤングジャパングループは現存する。


  14. ^ 別冊カドカワ 総力特集佐野元春(2011年)


  15. ^ 『シンプジャーナル・ベストセレクション'80s』自由国民社、2003年、p81-82


  16. ^ 「急上昇! 30センチシングル盤」『読売新聞』1985年1月16日付夕刊、13頁。


  17. ^ 数年後に米米CLUBが「FUNK FUJIYAMA」でパロディ化するものの封印は解かれなかった。


  18. ^ Holland Roseの由来は、佐野がDJを務めていたラジオ番組に小学生リスナーが「ホール&オーツ」「ホーランド・ローズ」と書き間違えたことがきっかけ。


  19. ^ 『Views』93年2月号


  20. ^ 『THIS』95年春季号


  21. ^ ハートランドからの手紙#105


  22. ^ 元春の伝承歌「君がいなくちゃ」がYouTubeに公開 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2010


  23. ^ 佐野元春 2015年最新シングル:君がいなくちゃ

  24. ^ ab『境界線』ライナーノーツ 2015年4月10日 DaisyMusic


  25. ^ 【エンタがビタミン♪】桑田佳祐が選ぶ2015年邦楽シングルBEST20、桐谷健太『海の声』に「泣いた」 2015年12月27日 Techinsight

  26. ^ ab連続Webドラマ「遠まわりしようよ、と少年が言った。」キヤノン

  27. ^ ab佐野元春(Official)2016年2月15日

  28. ^ ab松本人志 佐野元春のライブに「素敵」デイリースポーツオンライン


  29. ^ “ガキ使”出演の夫婦デュオが反響、発見したココリコ田中に感謝ライブドアニュース

  30. ^ ab2017年のBeat-itude -佐野元春、ニューヨークを往くMoto's Web Server


  31. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 1997

  32. ^ ab佐野元春の"ロック・イズ・フリーダム"な珍答が見逃せないエキサイトニュース


  33. ^ 短髪に8キロ減の佐野元春、呼吸するように音楽語る 日刊スポーツ 2017年9月11日11時1分 紙面から

  34. ^ ab佐野元春、時代の最先端を走り続けてきた35年「僕はノスタルジーのために音楽は作らない」


  35. ^ ミュージシャン 佐野元春インタビュー | 著名人 | LEON.JP LEON.JP


  36. ^ 短髪に8キロ減の佐野元春、呼吸するように音楽語る 日刊スポーツ 2017年9月11日11時1分 紙面から


  37. ^
    佐野元春、FBで共謀罪反対「蒼い鳥が言っている」日刊スポーツ 2017年9月11日11時1分 紙面から



  38. ^ ハートランドからの手紙#87


  39. ^ それを「希望」と名づけよう


  40. ^ 佐野元春(Official)2015年5月7日


  41. ^ ローリングストーン日本版 2016年10月号


  42. ^ 佐野元春(Official)2017年5月17日


  43. ^ 佐野元春がトランプ批判の楽曲を発表! 安倍首相のICANノーベル平和賞無視や沖縄基地問題への対応にもNOをリテラ

  44. ^ abNow & Then vol.9


  45. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2002


  46. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2007


  47. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2005


  48. ^ Now & Then vol.8

  49. ^ abマキタ、佐野元春さんと対談!マキタ学級日誌


  50. ^ 佐野元春(Official) 2015年3月12日


  51. ^ 『ロックは語れない』新潮文庫


  52. ^ 全55曲完全収録! 桑田佳祐〈第二回ひとり紅白歌合戦〉のBD/DVD登場 2014年02月20日 タワーレコードオンライン


  53. ^ 【エンタがビタミン♪】桑田佳祐が選ぶ2015年邦楽シングルBEST20、桐谷健太『海の声』に「泣いた」 2015年12月27日 Techinsight


  54. ^ 佐野元春(Official)《佐野元春、同級の桑田佳祐について語る》


  55. ^ Now & Then vol.13


  56. ^ 佐野元春 『レインボー・イン・マイ・ソウル(ライブ 1993)』YouTube


  57. ^ オンライン販売のみでの発売。


  58. ^ オリコンではアルバム扱い。


  59. ^ 「佐野元春MusicUnited.」名義。


  60. ^ 「佐野元春 & 雪村いづみ」名義。


  61. ^ iTunes Store版アルバム『ZOOEY』からの先行配信につき、カタログコードのIDが『ZOOEY』と同じとなっているため、リンク先は『ZOOEY』である。


  62. ^ 当初は、2013年11月27日発売予定だったが、制作の遅れにより発売日が変更された。


  63. ^ 当初は、2018年3月14日発売予定だったが、制作の都合により発売日が変更された。


  64. ^ 1999年2月15日から2月28日まで期間限定でダウンロード販売された。

  65. ^ abcd作曲のみ担当。Holland Rose名義


  66. ^ 作曲のみ担当。


  67. ^ 作詞のみ担当。Holland Rose名義 アルバム『Fight!』に収録

  68. ^ abcdef作詞・作曲。後にセルフカバー

  69. ^ abcdefghij作詞・作曲を担当。


  70. ^ 作詞・作曲・プロデュースを担当。MOTO名義


  71. ^ 作詞・作曲を担当。後に「シーズンズ」とタイトルを変えてセルフカバー


  72. ^ 作詞のみ担当。




外部リンク




  • Moto's Web Server - 公式サイト


  • mofa - 公式ファンクラブ

  • 佐野元春 | SonyMusic

  • 佐野元春 | otonano by Sony Music Direct (Japan) Inc.

  • 佐野元春 | UNIVERSAL MUSIC JAPAN


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