芝中学校・高等学校
芝中学校・高等学校 | |
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過去の名称 | 芝中學校(旧制) |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人芝学園 |
校訓 | 遵法自治 剛毅敬虔 |
設立年月日 | 1906年(明治39年)3月 |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
中高一貫教育 | 完全一貫制 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(高等学校) |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13524A |
所在地 | 〒105-0011 |
東京都港区芝公園三丁目5番37号 北緯35度39分37.0秒東経139度44分47.0秒 | |
外部リンク | 芝中学校・芝高等学校 |
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芝中学校・高等学校(しばちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都港区芝公園三丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[1]。校長は武藤道郎、理事長は小林正道。
目次
1 概要
2 沿革
3 校風・カリキュラム
4 交通アクセス・周辺環境
5 校舎等
6 制服等
7 学校行事
8 部活動
8.1 生徒会
8.2 運動系
8.3 文化系
9 著名な出身者
10 芝学園校歌
11 提携校
12 関連項目
13 脚注および参照
14 外部リンク
概要
浄土宗増上寺が1906年(明治39年)私立芝中学校として設立。戦前より名門の進学校[2]として知られ、各界で活躍する幾多の人材を輩出してきた。校訓「遵法自治」の下に自由で大らかな校風を特徴としている。
生徒募集は、中学校(男子280名)のみで、高等学校からの募集は行わない完全中高一貫校である。2006年に創立100周年を迎えた。愛知県にある東海中学校・高等学校は兄弟校であり、転校生の相互受け入れを行っている。
沿革
13世紀頃 - 増上寺に浄土宗教育担当部局として存在する。この増上寺とのかかわりは校歌でも「三縁山(増上寺の山号)内伽藍の後……芝学園の甍(いらか)は高し」と歌われている。- 明治初期 - 宗学校として再編される。
1887年(明治20年) - 浄土宗東京支校となる。
1906年(明治39年)3月 - 芝中学校(旧制中学校)として設立。
1907年(明治40年)3月 - 第1回生14名が卒業する。- 1907年(明治40年)11月 - 校長、文学博士荻原雲来就任。
1910年(明治43年)7月 - 校旗・校歌制定。
1911年(明治44年)9月 - 校長、ドクトル・フィロソフィー渡辺海旭就任。
1916年(大正5年)2月 - 校舎が全焼する。この際に校旗も燃えてしまったため、生徒からの募金で新校旗が調製される(平成まで使用された)。
1918年(大正7年)3月 - 校舎(3階建)竣工。
1919年(大正8年)3月 - 講堂竣工。
1925年(大正14年) - 軍事教育訓練が始まる。
1931年(昭和6年)3月 - 武道場新設。
1933年(昭和8年)1月 - 校長渡辺海旭、病気のため急逝。- 1933年(昭和8年)1月 - 藤原寛随校長事務取扱。
- 1933年(昭和8年)4月 - 校長藤原寛随就任。
1934年(昭和9年)7月 - 千葉県竹岡に臨海寮開設。
1939年(昭和14年) - 校庭拡張。
1945年(昭和20年)3月 - 戦災により校舎が全焼。麻布中学校・芝商業学校の教室借用。- 1945年(昭和20年)3月 - 第39回生・第40回生が同時に卒業する。
1948年(昭和23年)3月 - 旧制中学校として最後の第43回生が卒業する。- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により新制中学校・高等学校に改組される。
- 1948年(昭和23年)6月 - 復興祭開催。
- 1948年(昭和23年)10月 -PTA創設。
1951年(昭和26年) - 学校法人芝学園を設立する。
1952年(昭和27年)3月 - 校舎増築(旧校舎)、校庭拡張。
1953年(昭和28年)4月 - 生徒会設置、校庭拡張。
1960年(昭和35年)5月 - 校庭拡張。
1965年(昭和40年)7月 - 水泳プール竣工。
1966年(昭和41年)10月 - 現講堂竣工。
1973年(昭和48年)6月 - プール跡地に現体育館が竣工。
1981年(昭和56年) - 校庭が全天候型ウレタン舗装となる。
1982年(昭和57年) - 高校入試廃止。
1986年(昭和61年) - 校長小篠守正就任。
1991年(平成3年) - 高校生の白鞄着用が自由化される。千葉県竹岡臨海寮が消防署の警告により建て替えられる。
1992年(平成4年)4月 - 全館冷房化される。
1998年(平成10年)4月 - 校長助川幸彦就任。現校舎竣工。ニュージーランド研修が初めて実施される。
1999年(平成11年)3月 - 芸術棟竣工。
2002年(平成14年) - 中学生の制帽着用が自由化される。
2007年(平成18年)6月 - 理事長服部正中就任。
2011年(平成23年)4月 - 校長春日利比古就任。
2013年(平成25年)4月 - 理事長小林正道就任。- 2013年(平成25年)8月 - 全天候型校庭改修工事が完了する。
2016年(平成28年)9月 - 「芝ミュージアム」が開設される。
2017年(平成29年)4月 - 校長武藤道郎就任。
校風・カリキュラム
真理を拠り所とし、自らの力により自己を治めることを説く校訓『遵法自治』の下に、自由で伸びやかな校風を特徴としている。学校は仏教主義に基づく豊かな人格の養成の場として位置付けられており、全ての生徒の個性や自主性が尊重され、生徒は「法律を犯さない」「他人に迷惑をかけない」「他人に不快感を与えない」範囲で自由に行動することができる。したがって、校風はよく、自由でのびやかと評される(詰めの甘いぬくぬく教育という誤った解釈から「芝温泉」という冷やかしもあるが、あくまで生活面の教育であり、実際は妥協のない学習カリキュラムが構成されている《当項第3段落目参照》)。
また、芝は家族主義の学校であり、生徒、教員、OB、保護者は全て芝学園という中の家族であって、互いに愛し合い支えあって生きて行くという考え方が根底に流れている。したがって、特に学校は生徒を如何なる場合でも大切にし、守って行かなければならないという姿勢がある。
学習カリキュラムは完全中高一貫校という特色を活かし、高2までの5年間で各教科の履修内容をほぼ終了させ、高3の1年間で大学受験の本格的な準備を行うという体制が整えられている。古くからの進学校としての歴史・伝統があり、戦後の新学制発足時から東京大学をはじめとする難関大学の合格者を多数輩出し続けている。2016年度、2017年度と続けて18名の東大合格者を輩出しており、2017年度の早稲田大学の合格者は122名、慶應義塾大学は75名であった[3]。
制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個の黒学ラン(標準型学生服)。以前には制帽(学帽)も制定されていた。
交通アクセス・周辺環境
東京メトロ日比谷線神谷町駅 徒歩5分
東京メトロ銀座線虎ノ門駅 徒歩15分
都営地下鉄三田線御成門駅 徒歩7分
都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅 徒歩10分
都営地下鉄浅草線大門駅 徒歩15分
付近には増上寺や東京タワー、NHK放送博物館などの観光名所も存在している。芝公園に隣接した緑豊かな環境だが、一方で、愛宕グリーンヒルズなどのオフィスが集まるビジネス街が周囲に位置している。
校舎等
校舎は地上8階・地下1階建てで、地下1階から地上6階までが吹き抜けになっている。また、各階に赤エレベーター・青エレベーターが設置されて、縦長の校舎において、移動の便の役を果たしている。また階段も傍のエレベーター色に対応して赤階段、青階段と呼ばれる階段がある他、2〜7階で各学年E組隣(1階は体育館前、8階は第2生物室を通る)に非常階段が設置されている。
- 8階
- 第一生物室
- 第二生物室
- 生物研究室
- 男子トイレ(行事の際は女子トイレ)
- 飼育室
- 暗室
- 第一化学実験室
- 第二化学実験室
- 化学研究室
- テラス
- 7階
- 高校3年教室[4]
- 男子トイレ
- テラス
- 6階
- 高校2年教室[4]
- 社会科教室
- 男子トイレ(行事の時は女子トイレ)
- テラス
- 5階
- 高校1年教室[4]
- 理科講義室
- 物理実験室
- 地学実験室
- 男子トイレ
- テラス(物理実験室に併設)
- 4階
- 中学3年教室[4]
- 多目的室A〜C
- MM教室(パソコンルーム・視聴覚室)
- MM準備室
- 男子トイレ(行事の時は女子トイレ)
- 3階
- 中学2年教室[4]
- 図書室
- 自習室
- 男子トイレ
- 2階
- 中学1年教室[4]
- 職員室(印刷室・放送室併設)
- 面談室A・B
- クラブ掲示板
- 第二音楽室(芸術棟)
- 男子トイレ(行事の時は女子トイレ)
- 教員トイレ
- 1階
- 校長室
- 理事長室
- 同窓会室
- 会議室A〜C
- 事務所(生徒用、来客用、教師用)
- 保健室
- 相談室
- 第二美術室(芸術棟)
- 来客・教員トイレ
- 地下1階;
- 技術室・家庭科室
- 生徒会室
- 売店
- 地下ホール
- 第一音楽室・第一美術室(芸術棟)
- 男子トイレ
- 教員用トイレ
他に教育用施設として、臨海寮(臨海学校)が1934年以来千葉県富津市荻生の竹岡に設置されている。芝学園にはプールがないため水泳の教育ができない。そのため中1は毎年、夏休み初めに臨海寮のある竹岡の海で水泳指導を受ける。112,113回生(2011,2012年)は、2011年に発生した福島原発事故による放射能汚染の懸念から、臨海学校は中止となり、113回生は代替として奥多摩での研修が行われた。
制服等
制服の冬服は、黒の詰襟の5つボタン標準的な学生服(いわゆる「学ラン」) で、中学生は右襟に学年、左襟にクラスの記号のバッジを付ける。高校生は左襟に学年により地の色が違う「Shiba」のバッジを付ける(1年生が赤、2年生が緑、3年生が青)。そのほか、学級の三幹事(学級委員に相当する)は桜のバッジを付ける。放送委員・図書委員もバッジを付ける。夏服は、ワイシャツに、中学生はグレー、高校生は黒のズボンとなる。
また、中学生は伝統ある「芝ブランド」を継承する白い布製の肩掛け鞄を着用する。なお、現在は中学生・高校生ともに制帽は廃止されている。
戦時中は、制服の色が国防色になったり、国民服に近い折り襟型になったこともあった。
また、体操服は入学時に各学年で、青、緑、紺のどれかの地色のものを購入し、6年間その色は変わらない。つまり、中1と高1(2014年度:緑)、中2と高2(2014年度:紺)、中3と高3(2012年度:青)が同じ色となる。
※2007年度より、30年以上続いた体操着が廃止となり、ミズノ製になった。新中1は全員が新ジャージとなるが、その他の学年の生徒は自由に購入とされる。
学校行事
- 学園祭
- 例年9月の第2土曜日・日曜日の2日間にわたって、秋の学園祭シーズンのトップバッターとして開催され、関東の高校の学園祭におけるベンチマーク的存在である。例年、来場者数は1万5000人に上る。
- 運動会
- 毎年5月のゴールデンウィーク期間直前にとしまえんにて開催される。これは校舎が東京タワーの真下にあり、周囲にオランダ大使館をはじめとする在外公館が立ち並んでいるという極めて特殊な立地条件のため、校庭が狭く、保護者などの見学スペースがないばかりか、競技進行のスペースにも事欠くという止むを得ない事情によるものである。2005年には第50回記念大運動会が催された。
部活動
生徒会
- 生徒会ボランティア
運動系
- 硬式テニス部 - 2002年に新設
ソフトテニス部 - 2003年に100周年を迎えた
バドミントン部
硬式野球部 - 中学生から硬式野球を行う
軟式野球部 - 関東大会出場(2002,2006,2008年)
スキー部 - たびたび関東大会への出場経験がある。
水泳部
卓球部
サッカー部
バスケット部
バレーボール部
少林寺拳法部
陸上競技部 - かつてはインターハイ出場選手を輩出していた。
剣道部
柔道部- 山岳部
ワンダーフォーゲル部 - 学期ごとに数回山登りを行う。
文化系
高いパフォーマンスや伝統、OB との堅い結束を誇る部活が多い。最近ではウェブサイトを持つ部活やOB会が増え始めた。
- ギター部 - 全国1位をたびたび獲得している。現役生と OB の交流が深く演奏会の中には「OB合奏」と呼ばれるものも存在している。
吹奏楽部 - かつての音楽部(2006年改名)
将棋部 - 麻布、桐朋に次ぐ強豪。伝統ある八中学リーグ(芝、麻布、桐朋、開成、早稲田、慶應義塾中等部、慶應義塾普通部、駒東)および関東高校リーグ(芝、麻布、桐朋、開成、武蔵、慶應義塾)で活躍中。
生物部 - 毎年の学園祭で多岐にわたる生き物の展示を行っている。- 理化部 - 学園祭では科学実験の実演を行い好評を博している。元々、技術工作部、天文気象部、生物部などと同じ部だった。
ラジオ部 - CG作成、DTM、C言語によるプログラミングなどを行っている。
落語研究部 - 写真家、篠山紀信が部の基礎を形作ったとの伝説があり、学園祭では毎年好評を博している。- 技術工作部 - 自動車班、鉄道班、船舶・飛行機班に分かれる。5インチゲージのきかんしゃトーマスで有名。テレ東のアド街の取材を受けたことがある。
天文気象部 - 学園祭では部員自作のドームを使いプラネタリウムを披露する。
写真部
考古学部
歴史部
美術部 - かつての絵画部
釣り研究部
アカペラ部
料理部
弁論部 - 2008年に復活した。こども国会や仏教主義学校連盟主催の弁論大会等に参加している。
漫画研究部 - 2008年に同好会として復活。2013年、まんが甲子園決勝出場などの活躍を見せ、部に昇格した。- 交通研究同好会 - 2014年新設。2018年に全国高校生地方鉄道交流会の企画部門で優勝した。
- 過去にあった部活&同好会または現在活動休止中の部活
新聞部 - 北方謙三が所属していた部だが、3号で廃止になったという(ナツイチ2007より)。- バルッチャ(バルーンアート)同好会 - バルーンアートによるボランティア活動を行っていた。また、学園祭にも一度参加していた。
著名な出身者
渡辺海旭 - 第3代校長、カルピスの名付け親。正門に銅像がある。
柴田徳次郎 - 4回生、国士舘創設者
南部修太郎 - 5回生、文学者
多忠亮 - 8回生、「宵待草」作曲者
板垣守正 - 12回生、立憲民政党の政治家。板垣退助の孫。
郡祐一 - 13回生、元参議院議員、自治庁長官、郵政大臣、法務大臣
磯村英一 - 14回生、東京都立大学名誉教授、元東洋大学学長
加瀬俊一 - 外交官、戦艦ミズーリ降伏調印団一員、サンフランシスコ講和条約時の国連大使。後、府立一中(現・日比谷高校)へ
阪本越郎 - 17回生、詩人
小沢栄太郎 - 20回生、俳優
田中一村(本名は田中孝) - 20回生、日本画家
青木英五郎 - 21回生、元判事、元弁護士・八海事件・狭山事件等の弁護人、冤罪関係の著書多数
今井正 - 23回生、映画「青い山脈」監督
青山杉雨(本名は青山文雄) - 24回生、謙慎書道会初代理事長、文化功労者、文化勲章受章
堀米庸三 - 24回生、東京大学教授、西洋史学者
吉田善彦 - 24回生、画家
鵜川昇 - 桐蔭学園 理事長・学校長
武田考玄 - 本名は土屋達一郎、四柱推命研究
中川順 - 31回生、元東京12チャンネル(現テレビ東京)社長、元日本民放連会長
加藤寛 - 元政府税制会長、慶應義塾大学名誉教授(元総合政策学部長)、千葉商科大学名誉学長
土田将雄 - 上智大学元学長
佐藤定幸 - 37回生、一橋大学名誉教授、大東文化大学元学長
峰島旭雄 - 39回生、早稲田大学名誉教授、元理事長
吉沢京夫 - 45回生、演出家、俳優
鈴木良一 - 46回生、警察庁長官
加納時男 - 48回生、参議院議員
吉川良 - 作家
中島誠之助 - 51回生、骨董屋「からくさ」店主、「開運!なんでも鑑定団」出演。
清水眞澄 - 53回生、成城大学文芸学部教授(東洋・日本美術史)
佐藤行雄 - 53回生、財団法人日本国際問題研究所理事長
篠山紀信 - 54回生、写真家
山田邦明 - 57回生、創価学会副会長
工藤元司郎 - 58回生、元競輪選手
新田和長 - 59回生、実業家、レコードプロデューサー
北方謙三 - 61回生、作家
山口祐一郎 - 70回生、 ミュージカル俳優
長浜博行 - 72回生、参議院議員。第18代環境大臣、元衆議院議員
杉崎泰一郎 - 73回生、中央大学大学院文学研究科教授(西洋史学)、博士(史学)
友部謙一 - 74回生、一橋大学大学院院経済学研究科教授。元慶應義塾大学経済学部教授、博士(経済学)
松本秀夫 - 75回生、ニッポン放送アナウンサー[5]
樋口尚文 - 76回生、 電通社員、映画評論家
伊東貴之 - 76回生、国際日本文化研究センター教授(中国思想史・日中比較文学思想)
読谷山洋司 - 77回生、宮崎県延岡市長
石川淳 - 立教大学経営学部教授、博士(経営学)
はんつ遠藤 - 80回生、フードジャーナリスト
竹内健 - 中央大学理工学部電気電子情報通信工学科教授
大松達知 - 84回生、歌人
矢柴俊博 - 85回生、俳優
渡辺憲司 - 86回生、NHKアナウンサー
井林辰憲 - 90回生、衆議院議員、元国土交通官僚。環境大臣政務官兼内閣府大臣政務官
山村明嗣 - 90回生、参議院議員、元品川区議会議員
松苗竜太郎 - 104回生、NHKアナウンサー
芝学園校歌
作詞:杉田省三、作曲:島内英雄、補作:芳賀矢一
- 一
- 汝の学校 いづこにあるぞ
- 三縁山内 伽藍の後
- 松柏凋まぬ 緑の中に
- 芝學園の 甍は高し
- 二
- 汝の校旗よ 何をかかざす
- 日本國民 世界に誇る
- 櫻の花をば 染めたり赤く
- その色即ち 我等が心
- 三
- 汝の希望よ 如何にぞ語れ
- 日進月歩の 御國(みくに)の為に
- いさをし立ててぞ 名乘らむ我等
- 芝學園の 卆業生と
提携校
東海中学校・高等学校(愛知県名古屋市東区)
- 転校生の相互受け入れを行っている。
- 伝統的に交流がある学校
暁星中学校・高等学校(東京都千代田区)
関連項目
- 東京都中学校一覧
- 東京都高等学校一覧
- 旧制中学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (東京都)
- 日本の男女別学校一覧
- 日本の仏教系高等学校一覧
脚注および参照
^ 芝中学校の学校情報 - 中学受験パスナビ(旺文社)の冒頭に「※系列高校での募集はない。」と記されている。
^ 第二次世界大戦前は、開成・麻布・芝(後に武蔵)というように東京私立中学の御三家の位置づけであった。
1926年(大正15年/昭和元年)に武田芳進堂から出版された「東京府各学校入学試験問題集」の巻末には私立35校中志願者の多い順で麻布(1378人)、開成(1180人)、芝(1092人)と記載されている。また、当時は官立・公立中の方が概して志願者が多く、府立六中(現・新宿高)、市立一中(現・区立九段中等教育学校)、府立八中(現・都立小山台高校)、府立一中(現・都立日比谷高校)、府立五中(現・都立小石川中等教育学校)、東京高等学校尋常科(現・東大附属中等教育学校)などは志願者が1000人を超える「人気校」であった。
^ “芝高等学校進学実績”. 2017年6月2日閲覧。
- ^ abcdef学年のクラス数の変動から、記事の学年と階が対応しない場合もある。
^ 主にプロ野球中継などの実況を担当
外部リンク
- 芝中学校・芝高等学校
- 芝学園関係者ホームページ
- 芝学園天文気象部
- 芝学園ギター部
- 芝学園技術工作部
- 芝学園陸上競技部
- 芝学園写真部