北白川宮
北白川宮家 | |
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家祖 | 北白川宮智成親王 (伏見宮邦家親王の第十三王子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 京都(山城国) |
主な根拠地 | 東京府東京市芝区高輪南 (現:東京都港区高輪) |
著名な人物 | 智成親王 能久親王 成久王 成久王妃房子内親王 永久王 永久王妃祥子 |
支流、分家 | 竹田宮家 小松家(侯爵) 二荒家(伯爵) 上野家(伯爵) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
北白川宮(きたしらかわのみや)は、明治の初期に伏見宮邦家親王の第十三王子智成親王が創設した宮家。智成親王が兄宮嘉言親王から継承した聖護院宮(しょうごいんのみや)を改称したもの。
目次
1 系譜
1.1 聖護院宮嘉言親王
1.2 聖護院宮→北白川宮智成親王
1.3 北白川宮能久親王
1.4 北白川宮成久王
1.5 北白川宮永久王
1.6 北白川宮道久王
2 系図
2.1 明治天皇系
3 邸宅
4 脚注
5 外部リンク
系譜
聖護院宮嘉言親王
先代嘉言親王は、1821年(文政4年)に誕生。1831年(天保2年)に出家し雄仁法親王を名乗った。同年光格天皇の猶子となり、1832年(天保3年)に親王宣下。1868年(慶応4年・明治元年)に還俗し聖護院宮を名乗るが、同年に薨去。聖護院宮は、弟宮で元は同じ聖護院預かりとなっていた智成親王が継承した。
聖護院宮→北白川宮智成親王
初代智成親王は、1856年(安政3年)に誕生。慶応2年に親王宣下。聖護院に入る。出家し信仁入道親王と称した。明治維新によって還俗、照高院宮と名乗ったが、その後、兄宮嘉言親王から聖護院宮を譲られる。そののち、北白川宮に改称した。 1872年(明治5年)、17歳で薨去。兄の能久(よしひさ)親王を後嗣とするよう遺言した。
北白川宮能久親王
2代能久親王は伏見宮邦家親王の第9王子で、嘉言親王の弟宮、智成親王の兄宮に当たる。1848年(弘化4年)に誕生。1858年(安政5年)に仁孝天皇の猶子として11歳で親王宣下。上野の輪王寺に入寺得度し、公現入道親王と名乗る。戊辰戦争の時、幕府側に附く。彰義隊に担がれて上野戦争に巻き込まれ、その後 奥羽列藩同盟に擁立され仙台に赴いた(東武皇帝として即位したとする説あり)。維新後、蟄居・伏見宮家預りとなる。
1869年(明治2年)に許されて伏見宮に復帰する。1870年(明治3年)にドイツに留学。1872年(明治5年)に北白川宮を相続し、1877年(明治10年)に帰国した。帰国後は陸軍に勤務。 陸軍中将にまで進む。日清戦争では近衛師団長として出征。戦後、台湾守備の命令を受け、台湾征討軍の指揮にあたったが、1895年(明治28年)、現地で戦病死した。48歳没。
北白川宮成久王
3代成久王は、能久親王の第3王子。1887年(明治20年)に誕生。1895年(明治28年)、父宮の薨去により宮家を相続。1909年(明治42年)に明治天皇の第7皇女・周宮房子内親王と結婚した。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。陸軍砲兵大佐となる。しかし、1923年(大正12年)、パリ郊外で自動車事故のため37歳で薨去。同乗していた妃房子内親王と朝香宮鳩彦王も重傷を負った。
北白川宮永久王
4代永久王は、成久王の第1王子。1910年(明治43年)誕生。1923年、成久王薨去により、宮家を相続した。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業し、父宮の遺志を砲兵畑を歩み陸軍砲兵少佐となる。1935年(昭和10年)、尾張徳川家の流れを汲む男爵 徳川義恕(よしくみ)の娘・祥子(さちこ)と結婚。1940年(昭和15年)、日華事変に出征、蒙疆方面で演習中、軍用機の不時着事故により戦死。31歳だった。
妃祥子は、東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)を卒業。永久王との間に道久王と肇子女王を儲ける。1969年(昭和44年)女官長に就任し、1989年の平成改元後は、皇太后宮女官長として皇太后良子(香淳皇后)に長く仕えた。兄の徳川義寛は侍従長。次兄・津軽義孝は常陸宮妃華子の父に当たる。祥子の弟義恭の親友だった三島由紀夫は17歳の頃、祥子に片思いしていた経験に基づいて短篇小説『玉刻春』を書き、『輔仁会雑誌』168号に発表したことがある[1]。祥子はまた、三島晩年の長篇小説『春の雪』(『豊饒の海』第1部)でも伯爵令嬢綾倉聰子のモデルとなった[2]。
北白川宮道久王
5代道久王は、永久王の第1王子。1937年(昭和12年)に誕生、1947年(昭和22年)GHQの指令により10月14日皇籍離脱し、北白川道久を名乗る。学習院大学卒業後、島津忠承の娘・慶子と結婚。3女を儲ける。前神宮大宮司。2005年(平成17年)11月15日、紀宮清子内親王(現・黒田清子)の結婚式において、斎主を務めた。
能久親王、成久王、永久王と3代続けて不幸が続いたことから、北白川宮家は「悲劇の宮家」と言われた。しかし、一方で戦後の混乱の中、堅実に家柄を守り抜いた。
また、道久王の妹にあたる肇子女王は明仁親王(当時)の、道久王の長女も皇太子徳仁親王の妃候補に名が上がった。
2018年10月20日、死去。81歳没。
系図
北白川宮系図
伏見宮 邦家親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山階宮 晃親王 | 久邇宮 朝彦親王 | 伏見宮 貞教親王 | 小松宮 彰仁親王 | 華頂宮 博経親王 | 北白川宮 1 智成親王 | 伏見宮 貞愛親王 | 閑院宮 載仁親王 | 東伏見宮 依仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北白川宮 2 能久親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
竹田宮 恒久王 | 北白川宮 3 成久王 | (夭折) 延久王 | (臣籍降下) 侯爵小松輝久 | (後胤認定) 伯爵二荒芳之 | (後胤認定) 伯爵上野正雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北白川宮 4 永久王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北白川宮 5 道久王 ↓ 皇籍離脱 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
崇光天皇 | (1)栄仁親王 | (2)治仁王 | 後花園天皇 | 後土御門天皇 | 後柏原天皇 | 後奈良天皇 | 正親町天皇 | A | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(3)貞成親王 (後崇光院) | (4)貞常親王 | (5)邦高親王 | (6)貞敦親王 | (7)邦輔親王 | (8)貞康親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(9)邦房親王 | B | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
A | 誠仁親王 | 後陽成天皇 | 後水尾天皇 | 霊元天皇 | 東山天皇 | 中御門天皇 | C | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
B | (10)貞清親王 | (11)邦尚親王 | (閑院宮1)直仁親王 | D | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(12)邦道親王 | (16)邦忠親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(13)貞致親王 | (14)邦永親王 | (15)貞建親王 | (18)邦頼親王 | (19)貞敬親王 | E | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
C | 桜町天皇 | 桃園天皇 | 後桃園天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(17)貞行親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
D | (閑院宮2)典仁親王 | (閑院宮3)美仁親王 | (閑院宮4)孝仁親王 | (閑院宮5)愛仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
光格天皇 | 仁孝天皇 | 孝明天皇 | 明治天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
E | (20/23)邦家親王 | (山階宮1)晃親王 | (梨本宮2/山階宮2) 菊麿王 | (山階宮3)武彦王 (皇籍離脱) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(梨本宮1)守脩親王 | (久邇宮1)朝彦親王 | (賀陽宮1)邦憲王 | (賀陽宮2)恒憲王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(久邇宮2)邦彦王 | (久邇宮3)朝融王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(梨本宮3)守正王 | 香淳皇后 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
多嘉王 | 今上天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(21)貞教親王 | (朝香宮)鳩彦王 (皇籍離脱) | 昭和天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(東久邇宮)稔彦王 (皇籍離脱) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小松宮彰仁親王 | (竹田宮1)恒久王 | (竹田宮2)恒徳王 (皇籍離脱) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(北白川宮2)能久親王 | (北白川宮3)成久王 | (北白川宮4)永久王 | (北白川宮5)道久王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小松輝久 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(華頂宮1)博経親王 | (華頂宮2)博厚親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(北白川宮1)智成親王 | (25/華頂宮3) 博恭王 | 博義王 | (26)博明王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(22/24)貞愛親王 | 邦芳王 | (華頂宮4) 博忠王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(閑院宮6)載仁親王 | (閑院宮7)春仁王 (皇籍離脱) | 華頂博信 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(東伏見宮)依仁親王 | 伏見博英 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明治天皇系
明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正天皇 | 竹田宮恒久王 | 昌子内親王 | 北白川宮成久王 | 房子内親王 | 朝香宮鳩彦王 | 允子内親王 | 東久邇宮稔彦王 | 聡子内親王 | 昭和天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和天皇 | 竹田恒徳 | 永久王 | 朝香孚彦 | 盛厚王 | 成子内親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今上天皇 | 竹田恒正 | 北白川道久 | 朝香誠彦 | 東久邇信彦 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現皇族 | 竹田家 | 北白川家 | 朝香家 | 東久邇家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
邸宅
北白川宮邸は明治17年にジョサイア・コンドルの設計で本格的な洋館として建てられた[3]。洋館は287坪のフレンチゴシックのレンガ造り2階建てで、和館に関しては記録がない[3]。
洋館は大正13年に朝鮮王朝の李王家に下賜され、昭和5年(1930)に宮内省内匠寮の設計でイギリス16世紀のチューダーゴシック様式の邸宅となり、戦後西武グループ創始者の堤康次郎が購入し、赤坂プリンスホテル(現:ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町)の別館となった[4]。同ホテル営業終了後は結婚式場「赤坂プリンス クラシックハウス」として利用されている。
明治45年には北白川宮成久の成婚祝いとして、港区高輪に宮内省内匠寮木子幸三郎設計で新しい邸宅が建設された[3]。700坪の御所風の和館と200坪のレンガ造り2階建て洋館から成り、戦前までの皇族和風邸宅の中では最大規模であり、最良の質を誇った[3]。同邸宅も戦後、堤が購入し、新高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル新高輪)が建てられた。
脚注
^ 安藤武『三島由紀夫の生涯』p.63(夏目書房、1998年)ISBN 4931391397
^ 安藤武『三島由紀夫の生涯』p.64(夏目書房、1998年)ISBN 4931391397
- ^ abcd 第3節 皇族邸宅と明治宮殿 a)皇族の系譜と邸宅の特徴『明治・大正昭和戦前期における和風大邸宅の変容と展開に関する史的研究 : 近代和風建築史確立のための基礎的研究』大川三雄、2000、国立国会図書館
^ 李王家邸(赤坂プリンスホテル別館)JAPANESE MODERN ARCHITECTURE
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、北白川宮に関するカテゴリがあります。
- 北白川宮家御家族の写真アルバム
- 宮家(近現代)-北白川宮-
- 伏見宮系図
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