荒木雅博































































荒木 雅博
中日ドラゴンズ コーチ #88

CD-Masahiro-Araki.jpg
2009年、阪神甲子園球場にて

基本情報
国籍
日本の旗 日本
出身地
熊本県菊池郡菊陽町
生年月日
(1977-09-13) 1977年9月13日(41歳)
身長
体重

180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
二塁手、遊撃手、外野手
プロ入り
1995年 ドラフト1位
初出場
1997年5月31日
年俸
7,000万円(2018年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴




  • 熊本県立熊本工業高等学校


  • 中日ドラゴンズ (1996 - 2018)




コーチ歴



  • 中日ドラゴンズ (2018, 2019 - )


国際大会
代表チーム
日本の旗 日本
五輪
2008年

荒木 雅博(あらき まさひろ、1977年9月13日 - )は、熊本県菊池郡菊陽町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。現在は中日ドラゴンズの二軍内野守備走塁コーチ。現役時代は2008年から中日選手会長、2009年には日本プロ野球選手会副会長を務めた。井端弘和との二遊間コンビは「アライバ」の愛称で親しまれた。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 プロ入り後


    • 1.3 引退後




  • 2 選手としての特徴


    • 2.1 守備・走塁


    • 2.2 打撃




  • 3 人物


  • 4 詳細情報


    • 4.1 年度別打撃成績


    • 4.2 年度別守備成績


    • 4.3 タイトル


    • 4.4 表彰


    • 4.5 記録


    • 4.6 背番号


    • 4.7 登場曲


    • 4.8 出演




  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





経歴



プロ入り前


熊本工業時代は2度春のセンバツに出場。3年生時の夏は県大会準決勝で敗退した[2]


1995年のドラフト会議では、当初中日ドラゴンズは福留孝介を1位指名し、荒木はドラフト4位で指名する方針だった[3]。しかし、福留に続き外れ1位の原俊介までも抽選で外してしまい、監督の星野仙一は「もう勝手にせえ」と憤慨し、外れ外れ1位で荒木が指名され、入団するに至った[3][4]



プロ入り後


1996年(1年目)の4月2日、ウエスタン・リーグ開幕2戦目のダイエー戦で代走として初出場し、二塁から浅い右飛でタッチアップし、トレーニングコーチの三木安司は暴走と感じたものの、セーフとなった[3]。三木は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」と評価しており、2年目の1997年には脚力を生かして外野の守備固め・代走で一軍63試合に出場したが、定着とはならなかった[3]


1998年、二軍監督に就任した仁村徹は未来のレギュラー候補として、内野手で荒木を1から鍛え直すと決めた[3]。仁村は第一歩として、当時最大の武器だった機動力の強化に集中し、出塁すれば必ず盗塁のサインを出し、失敗を重ねつつもセーフになるタイミングを覚えさせた[3]。俊足を生かすべく、同年から2000年にはスイッチヒッターに挑戦していた[5]。1999年5月30日、ウエスタン・リーグのダイエー戦(福岡市雁の巣レクリエーションセンター野球場)で10回2死、二塁走者の荒木は単打で本塁を狙って走塁するが、前進守備の外野からの返球でアウトとなった。仁村は「ここでセーフになれなかったらお前の存在意義がない」と叱責し、その場で二塁から本塁までの走塁練習を50本課した[3]


2001年は課題だった打撃が急成長し、夏場からは1番打者に定着。規定打席には届かなかったものの、3割を大きく超える打率を残して一躍期待の若手として注目される。


2002年からは一年間を通してレギュラーとして出場し続け、2年続けて規定打席に到達した。


2004年は落合博満監督就任の下、リードオフマンとして39盗塁、日本プロ野球記録となる9度の1試合4安打以上[6]を記録し、守備でも井端弘和との二遊間コンビ「アライバコンビ」が落合監督から「井端との二遊間コンビは12球団一、二塁手単独ならメジャーの超トップクラス」と高く評され[7]、自身初のタイトルとなるベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞した。


2005年もリードオフマンとして活躍し、自己最多となる42盗塁を記録した。


2006年は怪我の影響もあり出場試合数は減ったものの、初となる打率3割を記録した。3年連続のベストナインも受賞している。


2007年は不振で二軍落ちも経験した。さらに得意の守備でも一時期送球難に陥るなど苦しんだ。球団としては平野謙以来21年ぶりの盗塁王を獲得したものの打撃不振が響き、チームが日本一となったにも関わらず減俸となった。


2008年はさらに打撃が低迷、出塁率も3割に届かないなど不振が続いた。同年6月21日の試合で、史上250人目となる1000本安打(1075試合目)を達成。この間毎年ゴールデングラブ賞を受賞し続けており、守備面は変わらず安定していた。2008年には選手会長に就任した。この年のオールスターゲーム第2戦ではMVPを獲得している。


2009年シーズンより、井端の二塁手コンバートにあわせて荒木は遊撃手を務める予定であったが、井端の調整が目の不調により遅れたことに加え、荒木自身も開幕直前に足を痛めたことで見送られた[8]
シーズン前半は1番打者とされていたが打撃の調子が上がらず、すぐに2番に変えられた。2番に起用されてからは徐々に復調し持ち前の粘り強いバッティングが戻ってきた。打率.270に対して、得点圏打率は.343と、チャンスの場面での勝負強さを見せ付けた。福地寿樹と盗塁王を争っていたが、左手首を痛めて試合を欠場したこともあり、タイトル獲得はならなかった。同年限りで選手会長を退任し、森野将彦に譲った。


2010年は、再び井端と共にコンバートに挑戦。開幕前に左前脚を負傷し、1999年以来11年ぶりに開幕一軍から外れた。4月5日に復帰し、遊撃手へのコンバートが実現した。シーズンは復帰後の全試合で1番打者としてスタメン出場した。打撃はフォーム変更が効いたのか夏場から調子を上げ、打率.294でシーズンを終えた。守備では20失策を記録し、盗塁数も20にとどまり、7年連続のゴールデングラブ賞の受賞と30盗塁の達成はできなかった。


2011年はシーズン中盤に欠場する試合があったものの一年通して1番打者を務めた。打率.263はチーム内の規定打席到達者では最高だった。300盗塁を達成したものの、全体では盗塁数は18と前年をさらに下回った。


2012年、二塁手に再コンバートされた。これに伴い井端もショートに戻った。シーズン途中から1番を大島洋平に譲り、2番に固定された。7月10日の阪神戦で左太もも裏を痛めて途中交代、検査の結果肉離れが判明し登録を抹消された。オールスターゲームに監督選抜で選ばれた。


2013年はシーズンを通して不調に終わり、スタメンから外される試合も多くレギュラー獲得以来では最低の成績に終わる。また、12年ぶりに規定打席に到達しなかった。


2014年は交流戦で死球による骨折で約1ヶ月半の戦線離脱があったものの、主に2番打者として出場し2年ぶりに規定打席に到達した。9月16日には史上17人目、球団では高木守道に次いで史上2人目となる通算350盗塁を達成した[9]


2015年はソフトバンクから移籍してきた亀澤恭平と併用される形になり、出場機会が減少。15年ぶりに100試合出場と二桁盗塁に到達しなかった。


2016年、8月6日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で盗塁を成功し、高木守道が記録していた369盗塁を抜く球団新記録の370盗塁を達成した。


2017年、6月3日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ナゴヤドーム)で史上48人目の2000本安打を達成した。その際、入団当時の監督であった星野仙一楽天球団副会長兼シニアアドバイザー[10]と、1学年下で共に選手会長の経験がある森野将彦から花束を受け取った[11]。中日生え抜きの選手の達成は高木守道、谷沢健一、立浪和義に次いで史上4人目[11][12]。なお、22年目での達成は中村紀洋に並び、25年目に達成した谷繁元信に次いで遅い。通算33本塁打は2000本安打達成者で最少になる。また、中日の選手では移籍してきた選手を含めても初めてホームゲームで2000本安打を達成したことになる。


2018年からは内野守備・走塁コーチ兼任となったが[13]、セ・リーグのアグリーメント上ベンチ入りできるコーチ人数に限りがあることから、ペナント開始前である3月17日にコーチ職を解かれた[14]。コーチ職は解かれたもののチーム内での役割は変わらない模様。9月27日、今季限りで引退することがメディアにおいて報じられた[15]。10月6日、引退会見の場で正式に引退を表明した[16]。10月13日の阪神戦に同じく今季限りで引退する岩瀬仁紀との引退試合が行われ、1番・二塁手でスタメンフル出場した。1打席目は初回竹安大知から右前安打、2打席目は3回遊ゴロ併殺打、3打席目は6回元同僚高橋聡文から右飛、そして最終打席と思われた4打席目は8回能見篤史から右前安打を放った。しかし思わぬ守備のミスで9回に同点に追いつかれ延長に突入する、そして迎えた11回現役最終打席を迎えラファエル・ドリスから三ゴロに終わり現役生活を終えた。名誉熊本県民として表彰された。12月2日、自由契約公示された。



引退後


2018年10月29日に、中日の二軍内野守備走塁コーチに就任した[17]



選手としての特徴



守備・走塁



井端弘和と守備で二遊間、打順では1・2番を組んでいたことから、井端と共に「アライバコンビ」と呼ばれた[18]。井端と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞した二塁守備の評価が高く、遊撃手から再コンバートされた2012年はトンネルやファンブルといった失策も目立ったが[19]、この年はそれでも守備イニング1000以上の二塁手で両リーグ3位のUZR6.8を記録[20]。上述のように落合博満からも高く評された鉄壁の守備でセンターラインを固め、右翼方向へのゴロ打球の守備に不安が残る一塁手のカバー役も担う。一方で肩を痛めた影響もあり、スローイングには若干不安定な面もある[21]。プロ入り当初は外野手として起用されることが多く、時折(主に他の選手との守備位置の兼ね合いから)外野で出場した。


走塁面では一塁到達まで速くても4.0秒と盗塁王経験者としてはずば抜けて速いわけではないが[22]、牽制さえなければ盗塁をほぼ成功することができる優れた盗塁技術を持ち[23]、初めて30盗塁を達成した2004年から2009年まで6年連続30盗塁を記録している。走塁技術にも長け、足でプレッシャーをかける存在としてはリーグ屈指と評される[24]。なお牽制球に対してヘッドスライディングで帰塁することが多く、それが肩を痛めた原因であるという指摘がある[25]



打撃


プロ入り当初は右打者だったが、入団3年目の1998年からは両打ちに挑戦した。2001年に再び右打ちに戻したが、2003年までは両打ちとして登録していた[26]
典型的な短距離打者であり、シーズン本塁打のキャリアハイは2001年と2008年に記録した4本で、2000安打達成者では達成時点でシーズン2桁本塁打を一度も記録していない初めてかつ唯一の選手でもある。また、シーズンで50打点に達したこともなく(最高は2004年の44打点)、これも2000安打達成者で初めてかつ唯一である。



人物






『踊る大捜査線』のファンで、DVDを全て所有している。また『踊る』シリーズに出演している柳葉敏郎との親交が深く(2008年1月に横浜スタジアムにて行われた野球イベントの控え室で、かねてより柳葉のファンであった荒木の方からグラブを贈ったのがきっかけとのこと[27][28])、2010年7月3日の試合で柳葉が始球式を務めた際にビジターの1番打者だった荒木が打席に立った。


2012年の開幕戦より、柳葉が1980年代に所属していたユニット「一世風靡セピア」の『前略、道の上より』に打席登場曲を変更した。


シーズンオフも講演会やトークショーにも頻繁に参加しファンサービスにも努めている。


2011年まで監督であった落合博満を尊敬しており、「監督に無理だと言われれば、いつでもユニフォームを脱ぐつもりだった」と発言している。その落合は「(荒木は)繊細でキレやすい。ボールの球をストライクと言われると、その日はもう全部打てない」と評している[29]


自身はプレイした経験こそないものの、ドラゴンズがナゴヤ球場を一軍本拠地としていた時代のドラフト会議にて指名を受け、入団した選手としては最後に引退した選手であった。



詳細情報



年度別打撃成績






































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1997

中日
63 74 67 9 12 2 0 0 14 2 12 4 5 0 1 1 1 16 1 .179 .203 .209 .412

1998
7 1 1 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000

1999
16 4 4 4 1 0 0 0 1 0 1 3 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500

2000
40 12 10 11 2 0 0 0 2 3 3 0 0 2 0 0 0 4 0 .200 .167 .200 .367

2001
111 304 272 53 92 12 1 4 118 23 13 9 10 1 20 0 1 48 3 .338 .384 .434 .818

2002
131 445 406 43 105 7 1 2 120 18 16 4 25 2 9 0 3 59 8 .259 .279 .296 .574

2003
133 472 417 42 99 13 5 3 131 41 16 8 24 3 25 6 3 68 6 .237 .283 .314 .598

2004
138 640 602 93 176 23 1 3 210 44 39 9 7 3 26 0 2 87 7 .292 .322 .349 .671

2005
145 674 623 88 181 22 3 2 215 41 42 11 6 4 36 0 5 74 13 .291 .332 .345 .677

2006
112 506 464 69 139 19 1 2 166 31 30 7 15 0 26 1 1 49 8 .300 .338 .358 .696

2007
113 510 457 66 120 15 0 1 138 25 31 6 30 1 22 0 0 55 8 .263 .296 .302 .598

2008
130 591 538 64 131 15 2 4 162 28 32 7 15 1 35 0 2 81 8 .243 .292 .301 .593

2009
140 631 582 80 157 21 1 2 186 38 37 14 19 1 25 0 4 70 14 .270 .304 .320 .624

2010
136 625 579 65 170 29 5 3 218 39 20 8 5 1 38 1 2 73 8 .294 .339 .377 .716

2011
135 593 543 58 143 20 2 2 173 24 18 9 10 1 36 0 3 73 4 .263 .312 .319 .631

2012
129 569 510 50 128 21 1 3 160 31 12 4 36 2 19 0 2 65 4 .251 .280 .314 .593

2013
105 384 338 35 75 9 0 0 84 19 12 6 18 2 25 1 1 33 10 .222 .276 .249 .524

2014
109 471 395 46 106 17 2 1 130 21 17 1 33 1 39 1 3 63 7 .268 .338 .329 .667

2015
97 238 211 23 53 10 0 0 63 13 9 1 6 1 20 0 0 31 1 .251 .315 .299 .613

2016
93 321 289 25 71 8 1 1 84 16 13 0 14 0 15 0 3 39 9 .246 .290 .291 .581

2017
85 267 249 17 62 6 1 0 70 8 5 0 5 0 13 0 0 41 8 .249 .286 .281 .567

2018
52 84 82 11 22 6 0 1 31 3 0 2 1 0 1 0 0 13 2 .268 .277 .378 .655

NPB:22年
2220 8416 7639 954 2045 275 27 34 2476 468 378 114 284 26 431 11 36 1043 129 .268 .309 .324 .633

  • 各年度の太字はリーグ最高


年度別守備成績
































































































































































































































































































































































































































































一塁 二塁 三塁 遊撃
外野





























































1997
1 0 0 0 0 ---- 2 0 1 0 0 1.000 - 16 12 16 1 2 .966 44 37 0 0 0 1.000
1998
- - 1 0 1 0 0 1.000 - 5 3 0 0 0 1.000
1999
- 1 1 0 0 0 1.000 - - 12 5 0 0 0 1.000
2000
- - - - 34 12 1 0 0 1.000
2001
1 2 0 0 0 1.000 50 104 120 5 14 .978 - 1 0 0 0 0 ---- 59 71 1 2 0 .973
2002
- 114 201 268 7 38 .985 - 1 0 1 0 0 1.000 28 36 0 0 0 1.000
2003
- 129 255 341 6 54 .990 - 9 7 13 0 1 1.000 -

2004
- 138 320 402 6 91 .992 - - -

2005
- 145 410 496 7 114 .992 - - -

2006
- 103 256 293 12 47 .979 - - 8 11 0 0 0 1.000

2007
- 113 284 345 9 69 .986 - - -

2008
- 130 329 415 11 74 .985 - 1 2 0 0 0 1.000 -

2009
- 140 358 450 11 80 .987 - - -
2010
- 3 5 12 0 1 1.000 - 134 226 383 20 69 .968 -
2011
- 26 33 30 0 8 1.000 - 127 200 387 17 67 .972 -
2012
- 129 389 401 15 85 .981 - - -
2013
- 99 242 274 7 57 .987 - - 2 2 1 0 0 1.000
2014
- 108 279 284 6 77 .989 - - -
2015
- 76 141 142 4 27 .986 - - 2 0 0 0 0 .000
2016
- 83 185 200 3 43 .992 - - -
2017
- 71 147 178 2 41 .994 - - -
2018
- 27 31 47 0 6 1.000 - - -
通算
2 2 0 0 0 1.000 1687 3970 4699 111 926 .987 1 0 1 0 0 1.000 289 447 800 38 139 .987 192 177 3 2 0 .989


  • 各年度の太字はリーグ最高


  • 太字年はゴールデングラブ賞受賞



タイトル



  • 盗塁王:1回 (2007年)


表彰




  • ベストナイン:3回 (2004年 - 2006年)


  • ゴールデングラブ賞:6回 (2004年 - 2009年)


  • JA全農Go・Go賞:2回 (好捕賞:1998年6月 好走塁賞:2005年4月)


  • スピードアップ賞 :1回(2005年)


  • オールスターゲームMVP:1回 (2008年 第2戦)


  • 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2007年)


  • 菊陽町町民栄誉賞 (2017年) ※受賞者第1号[30]

  • セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2018年)



記録


初記録


  • 初出場:1997年5月31日、対ヤクルトスワローズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に遊撃手として出場

  • 初先発出場:1997年6月1日、対ヤクルトスワローズ10回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・遊撃手として先発出場

  • 初安打:1997年6月11日、対広島東洋カープ10回戦(広島市民球場)、5回表に高橋建から右前安打

  • 初盗塁:1997年6月29日、対読売ジャイアンツ14回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に二盗(投手:木田優夫、捕手:柳沢裕一)

  • 初打点:1997年8月8日、対読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)、9回表に木田優夫から右前適時打

  • 初犠打:1997年8月9日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム)、1回表に岡島秀樹から

  • 初本塁打:2001年6月5日、対読売ジャイアンツ10回戦(東京ドーム)、3回表にダレル・メイから左越先制2ラン


節目の記録


  • 1000試合出場:2007年9月24日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、2番・二塁手として先発出場 ※史上423人目

  • 200盗塁:2007年9月26日、対読売ジャイアンツ24回戦(東京ドーム)、2回表に二盗(投手:高橋尚成、捕手:阿部慎之助) ※史上66人目

  • 1000安打:2008年6月21日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にブライアン・シコースキーから右中間三塁打 ※史上250人目

  • 250盗塁:2009年7月1日、対阪神タイガース7回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に二盗(投手:福原忍、捕手:清水誉) ※史上40人目

  • 300盗塁:2011年6月28日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、1回表に二盗(投手:ルイス・ゴンザレス、捕手:武山真吾) ※史上27人目

  • 1500試合出場:2011年8月18日、対読売ジャイアンツ12回戦(ナゴヤドーム)、1番・二塁手として先発出場 ※史上171人目

  • 1500安打:2011年9月11日、対横浜ベイスターズ22回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に藤江均から左前安打 ※史上111人目

  • 200犠打:2012年9月4日、対広島東洋カープ18回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に野村祐輔から一塁前犠打 ※史上34人目

  • 350盗塁:2014年9月16日、対横浜DeNAベイスターズ21回戦(横浜スタジアム)、4回表に二盗(投手:山口俊、捕手:黒羽根利規) ※史上17人目

  • 2000試合出場:2016年4月9日、対読売ジャイアンツ2回戦(ナゴヤドーム)、2番・二塁手として先発出場 ※史上49人目

  • 2000安打:2017年6月3日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に美馬学から右前安打 ※史上48人目


その他の記録


  • シーズン623打数(2005年) ※セ・リーグ記録


  • オールスターゲーム出場:5回 (2005年、2008年、2009年、2011年、2012年)



背番号




  • 2 (1996年 - 2018年)


  • 88 (2019年 -)



登場曲



  • 「前略、道の上より」一世風靡セピア(2012年 - )

  • 「LUCKY STAR」黒岩唯一(2010 - 2011年)

  • 「RUN&RUN」黒岩唯一(2009年)



出演


CM


  • JAあいち豊田(2009年 - 。東海ラジオ ガッツナイター限定。ガッツナイター以外の自社制作のワイド番組の放送中にもこのCMが放送されることがある。共演者の女性と話がかみ合わないというバージョンや、荒木が年寄りのモノマネをするというものもあり、2010年からモノマネのバージョンが放送されている。年配のリスナーを中心に『年金受取の金融機関はJAあいち豊田に』という意味合いが元となっている)

その他



  • トーカ堂・ほっと青汁(同僚の井端弘和とともに、同社のテレビショッピングやネットショッピングに起用されている。)


  • 大塚製薬・「アミノバリューW」井端とともに広告ポスターに出演。2000年代中盤ごろ。


  • チア・スポ(東海ラジオ、2012年4月 - 。「月例報告」として18時台前半に月1回の割合で出演。目標を設定し、達成できなければプレゼントを提供している)



脚注


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  1. ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2017年11月17日閲覧。


  2. ^ 2 荒木 雅博(あらき・まさひろ)スポーツニッポン 2016年5月13日閲覧

  3. ^ abcdefg『中日新聞』2017年6月5日朝刊スポーツ面19面「荒木2000本安打 トラの巻(上)『走塁技術 大成の原点』」


  4. ^ 二宮清純レポート 中日ドラゴンズ 荒木雅博 内野手34歳 「名手の誇り、職人の意地」現代ビジネス 2016年5月13日閲覧


  5. ^ 荒木、スイッチ打者への再挑戦 立浪兼任コーチ、軌道にホレた!中日スポーツ 2009年2月8日


  6. ^ それまでの記録は1996年にオリックス・ブルーウェーブのイチロー(現マイアミ・マーリンズ)の8試合


  7. ^ ドラゴンズHOTスタジオ2009年2月7日放送分より。


  8. ^ スポニチ 2009年4月1日 中日・荒木、井端、黄金の二遊間コンバートお預け(2009年4月8日閲覧)


  9. ^ スポニチ 2014年9月16日 荒木 350盗塁に到達!史上17人目、現役選手最多(2015年5月30日閲覧)


  10. ^ 翌年1月4日に死去。

  11. ^ ab中日・荒木が2000安打達成 史上48人目 恩師星野氏の祝福に感極まる スポーツニッポン 2017年6月3日


  12. ^ 谷繁元信と和田一浩も中日で達成したが、前者は横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ、後者は西武ライオンズに在籍していたことから対象外とした。


  13. ^ “中日が来季スタッフ発表…荒木、岩瀬がコーチ兼任”. サンケイスポーツ. (2017年10月31日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20171031/dra17103119470002-n1.html 2018年3月17日閲覧。 


  14. ^ “【中日】岩瀬と荒木、コーチ職解かれる…NPB登録のみ「ベンチ8人枠」影響”. スポーツ報知. (2018年3月16日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180316-OHT1T50216.html 2018年3月17日閲覧。 


  15. ^ 中日 投打の顔が引退へ 岩瀬「競ったところで投げてない」荒木は出場激減 - スポーツニッポン 2018年9月27日


  16. ^ http://dragons.jp/news/2018/18100601.html


  17. ^ “来季コーチングスタッフのお知らせ”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. (2018年10月29日). http://dragons.jp/news/2018/18102902.html 2018年11月3日閲覧。 


  18. ^ 落合監督「アライバ」に喝!日刊スポーツ 2008年10月12日 (2008年10月12日閲覧)


  19. ^ 『野球太郎 No.004 プロ野球12球団選手名鑑』 廣済堂出版、2013年、40頁。ISBN 978-4-331-80228-1。


  20. ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』 水曜社、2013年、37頁。ISBN 978-4-88065-319-8。


  21. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、78頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。


  22. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクトムック、2007年、252頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。


  23. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、344頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。


  24. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、78頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。


  25. ^ 2008年まで打撃コーチだった宇野勝が2011年4月3日の東海ラジオでの解説において発言


  26. ^ 荒木、スイッチ打者への再挑戦 立浪兼任コーチ、軌道にホレた!中日スポーツ 2009年2月8日


  27. ^ 【独占手記】柳葉敏郎 “弟分”中日・荒木の2000安打を祝福東スポWeb 2017年6月6日配信


  28. ^ 荒木雅博を語る<4> 柳葉敏郎さん中日スポーツ 2017年6月8日付


  29. ^ “落合「中日のタブー暴露」講演会を実況中継(2)「選手の性格で指導を変えた」 - http://www.asagei.com/” (日本語). sportsnavi.com. 2012年2月2日閲覧。


  30. ^ “中日の荒木選手、初の授与へ /熊本”. 毎日新聞 地方版. (2017年9月2日). https://mainichi.jp/articles/20170902/ddl/k43/040/353000c 2017年12月3日閲覧。 




関連項目



  • 熊本県出身の人物一覧

  • 中日ドラゴンズの選手一覧



外部リンク








  • 個人年度別成績 荒木雅博 - NPB.jp 日本野球機構

  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube


  • 荒木雅博オフィシャルブログ - Ameba Blog











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