日本神話







































日本神話(にほんしんわ)とは日本に伝わる神話のことである。




目次






  • 1 概要


  • 2 神話の構成


    • 2.1 天地開闢


    • 2.2 国産みと神産み


    • 2.3 天照大御神と須佐之男命の誓約・天岩戸


    • 2.4 出雲神話


    • 2.5 葦原中津国平定(国譲り)


    • 2.6 天孫降臨


    • 2.7 山幸彦と海幸彦




  • 3 人代の神話的伝承


    • 3.1 神武東征


    • 3.2 欠史八代


    • 3.3 日本武尊


    • 3.4 三韓出兵




  • 4 神仏習合と中世神話


  • 5 近世


  • 6 研究


    • 6.1 比較神話学における研究事例


      • 6.1.1 琉球神話との比較


      • 6.1.2 日本開闢神話とポリネシア創世神話






  • 7 関連書籍


  • 8 脚注


  • 9 参考文献


  • 10 関連項目





概要


日本神話と呼ばれる伝承はほとんどが、『古事記』、『日本書紀』および各『風土記』の記述による[1][2]。そのため高天原の神々が中心となっているが[2]、出典となる文献は限られる。
また、地方の神社や地方誌の中にも上記三つの文献には見られない伝承を残している。


本来、日本各地には出雲を始めとして何らかの信仰や伝承があったと思われ、ヤマト王権の支配が広がるにつれていずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」と形を変えられて「高天原神話」に統合されたとされる[3]。また、後世まで中央権力に支配されなかったアイヌや琉球には独自色の強い神話が存在する。なお、日本神話の神々は現代に至るまで連綿と信仰の対象とされ続けており、その点が信仰対象としての性質を失った多くの国々の神話と異なる。


本記事においては主に『古事記』『日本書紀』で語られる神話(記紀神話)について解説する。



神話の構成


この記事では日本神話のあらすじを述べるにとどめ、各神話の詳細は別記事に譲る。


記紀などにおいて神代(神の時代、神話時代)として記された神話は、以下の通りである。神代は、神武天皇の在位する以前までの時代のことである。




天地開闢


天地開闢ののち、高天原に別天津神と神世七代の神々が誕生。これらの神々の最後に生まれてきたのが伊邪那岐神・伊邪那美神の二神である。



国産みと神産み


伊邪那岐命と伊邪那美命は自らがつくった淤能碁呂島に降り、結婚して最初に二柱の子を生むが、失敗したため海に流し、改めて淡道之穂之狭別島が生まれた。次に淡道を含む大八島と呼ばれる日本列島を構成する島々を次々と生み出していった(国産み)。さらに、さまざまな神々を生み出していった(神産み)が、火神の出生により伊邪那美はこの世を去る。どうしても彼女に会いたい伊邪那岐は黄泉の国へ向かうが、結局彼女と永遠に離別することとなり、その後黄泉のケガレを祓う為禊をし、この時もさまざまな神々が生まれた。このとき最後に三貴子と呼ばれる天照大御神、月読命、須佐之男命の三柱の神々を生む[4][5]



天照大御神と須佐之男命の誓約・天岩戸


須佐之男命は根国へ行く前に高天原へと向かう。天照大御神は須佐之男命が高天原を奪いに来たのかと勘違いし、弓矢を携えて須佐之男命を迎えた。須佐之男命は天照大御神の疑いを解くために誓約で身の潔白を証明した(アマテラスとスサノオの誓約)。このとき後に皇室や出雲国造の始祖となる五柱の男神と宗像三女神が生まれた。


しかし、須佐之男命が高天原で乱暴を働いたため、恐れた天照大御神は天石戸に隠れたので、神々は計略で天照大御神を天石戸から出した(天岩戸)。須佐之男命は下界に追放された。



出雲神話



須佐之男命は出雲国に降り、八俣遠呂智を退治し、櫛名田比売と結婚する。須佐之男命の子孫である大穴牟遅神(大国主神)は、八上比売と結ばれるが、それを妬んだ八十神に迫害される。難を逃れ、根之堅洲国で須佐之男命の試練を乗り越えると、須佐之男命の娘である須勢理毘売命を娶って大国主神となる。その後沼河比売や多紀理毘売命と結婚し、多くの御子神を生み、少名毘古那神や三輪の神と葦原中国の国づくりを始めた。


これらの説話は『出雲国風土記』には収録されていない。ただし、神名は共通するものが登場する。
また、全国各地の風土記や神社、地方誌には、独自色の濃い国作り神話が伝わっている。



葦原中津国平定(国譲り)



高天原にいた神々は、葦原中国を統治するべきなのは天照大御神の子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に遣わしたが、いずれも大国主神に寝返ったり、寝返った神に殺されたりと交渉は遅々として進まなかった。最終的に建御雷神ら武神二柱を派遣し、大国主神の子の兄・事代主神に国を譲らせ、果敢に抵抗した弟・建御名方神をも降服させる。御子神二柱が要求に応じたため、大国主神は自らの宮殿建設と引き換えに、天の神に国を譲ることを約束する。



天孫降臨


天照大御神の孫である邇邇芸命は日向に降臨した(天孫降臨)。邇邇芸命は木花之佐久夜毘売と結婚し、木花之佐久夜毘売は御子を出産した。



山幸彦と海幸彦


邇邇芸命の子は山幸彦と海幸彦である。山幸彦は海幸彦の釣り針をなくした為、海幸彦に責められる日々を送るが、海神の宮殿に赴き釣り針を返してもらい、海幸彦に釣り針を返し復讐して従えた。山幸彦は海神の娘と結婚し鵜草葺不合命という子をなした。そして、鵜草葺不合命の子が神倭伊波礼毘古命、後の神武天皇である。



人代の神話的伝承



神武東征


磐余彦尊は兄たちや子と謀ってヤマト(奈良盆地)を支配しようともくろみ、東征(神武東征)をおこなう。ヤマトの先住者たちは果敢に抵抗し、磐余彦尊も苦戦するが、結局はヤマトの平定に成功する。磐余彦尊は橿原宮ではじめて天皇位につく(神武天皇)。


神武天皇の死後、神武天皇が日向にいたときに生まれた子である手研耳命が反乱を起こす。その弟神渟名川耳尊は手研耳命を射殺し、皇位を継ぐ(綏靖天皇)。



欠史八代


綏靖天皇以下の8代の天皇(欠史八代)の事跡は記紀にほとんど伝わらない。



日本武尊


景行天皇の皇子日本武尊は熊襲を遠征し、天皇の命令で東方にも出兵する。しかし、帰還の途中で死亡、白鳥となって飛び去った。



三韓出兵


皇位は日本武尊の弟・成務天皇が継いだが、その崩後は日本武尊の息子が継ぎ、仲哀天皇へと即位した。仲哀天皇はその父と同じように九州へ出兵しようとするが、住吉大神に逆らったため崩御する。その皇后である神功皇后は、住吉大神の助力により三韓を従える(三韓出兵)。



神仏習合と中世神話


日本に仏教が定着すると、日本の神々も人間と同じく苦しみから逃れる事を願い、仏の救済を求め解脱を欲すると認識されるようになった[6]。奈良時代初頭から神社において神宮寺が建立され始め、715年(霊亀元年)には越前国気比大神が、また鹿島神宮、賀茂神社、伊勢神宮などで神宮寺が併設された[6]。また、宇佐八幡神のように神体が菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れた[6]。奈良時代後半には、伊勢桑名郡の現地豪族の氏神である多度大神が、神の身を捨てて仏道の修行をしたいと託宣するなど、神宮寺建立は地方にまで広がり、若狭国若狭彦大神や近江国奥津島大神など、他国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依する意思を示した[6]。こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに神宮寺が建てられ、神前で読経がなされた[6]。また、神の存在は元々不可視であり依り代によって知ることのできるものであったが、神像の造形によって神の存在を表現するようになった[6]


平安時代になり、日本の神は護法善神とする神仏習合思想が生まれ、寺院の中で仏の仮の姿である神(権現)を祀る神社が営まれるようになった。


また、『太平記』などの軍記物、歌学書やその注釈、寺社縁起などで『日本書紀』によりながら内容が大きく異なる中世神話(中世日本紀)が発達した。中世神話では本地垂迹説により記紀の神々が仏教の尊格と同一視されたり、あるいは対等に扱われる。記紀にはない神格やアイテムが登場したり、地方神話、民間伝承や芸能の要素の混入もみられる。記紀神話のように内容を統一する文献は編纂されなかったため、バリエーションは豊富である。中世神話は現在では国文学方面で研究されており、神話学などではあまり扱われない。



近世


近世になると、本居宣長が古事記の本格的解明を目指し『古事記伝』を著し、日本神話といえば『日本書紀』の内容が主に伝わっていたのが一変し、『古事記』の内容が主に伝えられるようになった。


また、少数ではあるが、キリシタンや幕末の新宗教の教説にも独自の神話がみられる。



研究



江戸時代までは官選の正史として記述された『日本書紀』の方が重要視され、『古事記』はあまり重視されていなかった。江戸中期以降、本居宣長の『古事記伝』など国学の発展によって、『日本書紀』よりも古く、かつ漢文だけでなく日本の言葉も混ぜて書かれた『古事記』の方が重視されるようになり、現在に至っている。


現在は、神話学、比較神話学、民俗学、考古学、人類学、歴史学等の領域で研究などがされている。また、日本神話の原形となったと思われる逸話や、日本神話と類似点を持つ神話はギリシャ神話など世界中に多数存在する。日本における古墳期-奈良期にかけての国の勢力関係をも知る上での参考資料ともなっている。


明治以降は、比較神話学の観点から、高木敏雄(1876-1922)が昭和18年に『日本神話伝説の研究』(平凡社東洋文庫、全二巻)にまとめられた研究をすすめた。高木は柳田國男や折口信夫らとも交流があり、柳田・折口らによる民俗学においても日本神話の研究が展開した。日本の神話学においてはほかに松村武雄、松本信広らの研究がある。


戦後の代表的な研究者には、大林太良、吉田敦彦らがいる。



比較神話学における研究事例


吉田敦彦は、1974年に刊行した『ギリシァ神話と日本神話 比較神話学の試み』[7]『日本神話と印欧神話』[8]をはじめ、以降、『日本神話の源流』[9]、『ヤマトタケルと大国主 比較神話学の試み3』[10]、『アマテラスの原像 スキュタイ神話と日本神話』[11]、『日本の神話伝説』[12]などの一連の比較神話学研究において、日本神話を他の国・地域の神話と比較分析している。




  • 神武東征とトゥアサ・デー・ダナンのアイルランド征服神話[13]


  • 応神天皇伝説とインド=ヨーロッパ語族神話の太陽神生誕神話[14]

    • オセットのソスラン誕生神話とオシホミミ[15]




琉球神話との比較



日本神話と琉球神話との比較は伊波普猷によってはじめられた。伊波は、明治37年(1904年)に発表し昭和17年(1942年)に改稿した「琉球の神話」の中で、『中山世鑑』の起源神話と『古事記』の淤能碁呂島神話、『宮古島旧記』の神婚説話と三輪山神話などの類似を指摘している[16]。伊波の研究は後述する松本信廣のポリネシア神話との比較研究を経て、大林太良らによって展開された。


大林は、日本神話と奄美や沖縄の島々に伝承されている民間説話について、流れ島、天降る始祖、死体化生、海幸彦に関する伝承神話を比較検討し[17]、南西諸島の神話伝承は、基本モチーフ、構造においては記紀神話と大幅な一致を見せるが、神名等においては一致しないことから、記紀にまとめられる前の共通の神話体系の母胎から分れて、南西諸島において保存された可能性を指摘している。


伊藤幹治は、日本と琉球の神話を比較し、漂える国(島)や天界出自の原祖、ヒルコ、穂落としなどのモチーフが共通して認められるとしながら、風による妊娠、原祖の地中からの出現、原祖の漂着、犬祖などは琉球神話にしか見られず、また穀物神話の死体化生モチーフは日本神話にしか見られないと指摘している[18]


遠藤庄治は、宮古列島の来間島豊年祭の由来譚が日光感精による処女懐胎であることを説明し、『日本書紀』神代巻冒頭の天地が分かれる以前は鶏子のごとくであったとする条と天日槍伝承に見られる卵生のモチーフが、来間島では豊年祭の由来として現在も語り継がれていると指摘している[19]



日本開闢神話とポリネシア創世神話


昭和6年(1931年)、松本信廣は『日本神話の研究』の中で、ローランド・ディクソン[20]がポリネシアを分類するために設定した2つの図式「進化型」と「創造型」を用い、日本開闢神話をポリネシア創世神話の「進化型」と「創造型」の複合形であり、イザナギ・イザナミ神話から以降は「創造型」の形式を受け継いでいるものではないかとの説を発表した。



  • 進化型は「系図型」ともいわれ、最初独化神が連続し、これが宇宙の進化の各段階を象徴する。後に夫婦神が現れて、最後に生まれた陰陽二神より万物が誕生したという筋の神話の型である。

  • 創造型は、最初神々は天上の世界に住み、その下には広々とした大海が横たわっているのみである。そこへある神が石を投げ込むと、それが最後には大地となり、その上に天上の者が下り、ついで人間が現れるという筋の神話の型である。


なお、松本はポリネシアと日本神話を比較する上で琉球の神話も重要視し、琉球の古神話がイザナギ・イザナミ神話の一異体であり、日本神話が琉球を通して遠く南方の創造型神話と関連を持っているとした[21]。松本による日本神話と汎太平洋神話との比較は日本の比較民族学上の定説になっている[22]


また、岡正雄による日本の宇宙開闢神話の研究は日本神話の系譜に関する歴史民族学的な研究を活発化し、その後大林太良によって具体的に展開された[22]。大林によれば、開闢神話以外のオオゲツヒメ・モチーフや海幸彦・山幸彦モチーフも南西諸島の神話に存している[23]


その他、以下の事例がこれまでに指摘されている。




  • アレキサンダー大王の説話と神武天皇の遠征の類似。

  • イザナギとイザナミは兄妹であるが、人類の始祖たる男女が兄妹であったとする神話は南アジアからポリネシアにかけて広くみられる。

  • イザナミは「最初の死人」となり「死の国を支配する神」となったが、「最初の死人」が「死の国を支配する神」となる話は古代エジプトのオシリスやインドのヤマなどにみられる。

  • イザナギが黄泉の国から帰ってきたときに筑紫の日向にて行った禊のときに左目を洗うとアマテラス(太陽)が、右目を洗うとツクヨミ(月)が誕生したという話の類似例としては、中国神話において創造神たる盤古の死体のうち左目が太陽に、右目が月に化生したとされる話が見られる[24]


  • 因幡の白兎が海を渡るのにワニ(サメ)を騙して利用する話があるが、動物が違えど似た内容の昔話が南方の島にある。


  • アポロンのカラスと八咫烏、中国の金烏は、いずれも太陽神の使い、元は白い、星図によっては烏座が3本足のものもあるなど類似。



関連書籍


  • 藤田ミツ『かみさまのおはなし』(数学研究社、1966年、全三巻)(赤橋幼稚園)


脚注


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  1. ^ 井上順孝 『神道』 54頁。

  2. ^ ab上田正昭 『世界大百科事典』23巻、411頁。


  3. ^ 上田正昭 『世界大百科事典』23巻、411-412頁。


  4. ^ 井上順孝 『神道』 60-61頁。


  5. ^ 戸部民夫 『日本神話』 16-42頁。

  6. ^ abcdef伊藤聡 『神道とは何か』(中公新書 2012年)


  7. ^ みすず書房 (1974)


  8. ^ 弘文堂 (1974)


  9. ^ 講談社現代新書 (1976)、講談社学術文庫(2007)


  10. ^ みすず書房 (1979.1)


  11. ^ 朝日出版社 (1980.8、新装1987.6)


  12. ^ 青土社 (1996年) - 古川のり子と共著


  13. ^ 『ヤマトタケルと大国主 比較神話学の試み3』みすず書房 (1979.1)


  14. ^ 『ヤマトタケルと大国主 比較神話学の試み3』みすず書房 (1979.1)


  15. ^ 『ヤマトタケルと大国主 比較神話学の試み3』みすず書房 (1979.1)


  16. ^ 「琉球の神話」は伊波普猷が明治37年(1904年)に『史学界』に発表した後、明治37年(1904年)に『古琉球』へ所載された。『古琉球』の第4版を出すに当たり昭和17年(1942年)改稿。『伊波普猷全集 第1巻』1974年に所収。


  17. ^ 「記紀の神話と南西諸島の伝承 六、結論」より。「記紀の神話と南西諸島の伝承」は『日本神話』1970年に所収。


  18. ^ 「日本神話と琉球神話」『日本神話と琉球』1977年。


  19. ^ 「琉球の宗教儀礼と日本神話」『日本神話と琉球』1977年。


  20. ^ Roland B. Dixon


  21. ^ 『日本神話の研究』の「我が国天地開闢神話にたいする一管見」より。『日本神話の研究』1971年

  22. ^ ab伊藤幹治「日本神話と琉球神話」講座日本の神話編集部 『日本神話と琉球』 有精堂〈講座日本の神話〉、1977年所収。


  23. ^ 「記紀の神話と南西諸島の伝承 六、結論」より。「記紀の神話と南西諸島の伝承」は『日本神話』1970年に所収。


  24. ^ 大林太良「神話学入門」中公新書




参考文献







  • 井上順孝 『神道』 ナツメ社〈図解雑学〉(原著2006年12月4日)、初版。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 9784816340628。2009年5月4日閲覧。


  • 上田正昭 (1972-04-25). “日本神話”. 世界大百科事典. 23 (1972年 ed.). 平凡社. 

  • 大林太良『神話学入門』(中公新書、1966年)

  • 同『神話の系譜 日本神話の源流をさぐる』(青土社、1986年)(のち講談社学術文庫)

  • 高木敏雄『日本神話伝説の研究』(平凡社東洋文庫、全二巻)

  • 戸部民夫 『日本神話…神々の壮麗なるドラマ』 神谷礼子画、新紀元社〈Truth In Fantasy〉(原著2003年10月26日)、初版。
    ISBN 9784775302033。2009年12月3日閲覧。

  • 古川のり子・吉田敦彦共著『日本の神話伝説』青土社 (1996年)

  • 松本信廣『日本神話の研究』(平凡社東洋文庫180、昭和46年)

  • 吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話 比較神話学の試み』みすず書房 (1974)

  • 吉田敦彦『日本神話と印欧神話』弘文堂 (1974)

  • 吉田敦彦『日本神話の源流』講談社現代新書 (1976)、講談社学術文庫(2007)

  • 吉田敦彦『ヤマトタケルと大国主 比較神話学の試み3』みすず書房 (1979.1)



関連項目







  • 日本の神の一覧

  • 古史古伝






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