PLAYBOY
PLAYBOY | |
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ジャンル | 男性総合誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | アメリカ合衆国ほか |
言語 | 英語を中心に多数 |
出版社 | Playboy Enterprises, Inc. |
発行人 | ヒュー・ヘフナー |
ISSN | 0032-1478 |
刊行期間 | 1953年9月 - |
ウェブサイト | www.playboy.com |
『PLAYBOY』(プレイボーイ)は、1953年にアメリカ合衆国のヒュー・ヘフナーらによってシカゴで創刊された成人向け娯楽雑誌である。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 命名
2.2 ロゴ
2.3 創刊
2.4 都市伝説
2.5 最も売れた号
2.6 現在
2.7 ヌード写真の掲載終了と復活
3 記事
3.1 「プレイメイト」
3.2 写真の修整
3.2.1 モデルへの対価
3.3 「プレイボーイ・インタビュー」
4 販売規制
4.1 アメリカ
4.2 アジア
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
概要
この雑誌の成功により、出版元はあらゆるメディアに広がる Playboy Enterprises, Inc. に成長した。現在、「プレイボーイ」は世界でも最も知られたブランドのひとつであり、合衆国内の旗艦誌に加えて、各国特別版が全世界で発行されている。内容は、女性のヌード写真に加えてファッション、スポーツ、セレブリティのトピックや、アーサー・C・クラークなど著名な作家による短編小説などを掲載。政治上の係争点についてリベラルな見解を表明することでも知られている。
プレイボーイの「趣味のよい」「質の高い」ヌード写真は、プレイボーイのライバル誌である『ペントハウス』とともに、1970年代から創刊された「ハードコア」なポルノ雑誌に対して「ソフトコア」と分類されることもある。
歴史
命名
当初、『Playboy』誌のタイトルは『スタッグ・パーティ』(「男ばかりの会合」の意)になる予定だった。だが、それまでまるで関わりのなかったアウトドア誌『スタッグ』(“男子専科”の意)からヘフナーに接触があり、もしその名前で雑誌を販売するなら、自分たちの登録商標を守るべく法的措置をとるつもりだと告げられる。ヘフナーと、共同設立者であり取締役副社長のエルドン・セラーズは、会ってこの問題を話し合い、これに代わる新しい名前を考えた。
ニューヨーク州バッファローで1947年から1951年まで自動車を製造していた「プレイボーイ自動車会社」に母親が勤めていたセラーズが、新しいタイトルに「プレイボーイ」はどうかと提案した。
ロゴ
タキシードの蝶ネクタイをつけたウサギの横顔を図案化したロゴ(「ラビットヘッド」)は、アートデザイナーのアート・ポールが雑誌2号目のためにデザインしたもの。以来、このロゴは毎号掲載されるようになった。雑誌の表紙やグラビア写真の中にこのロゴをこっそりと忍ばせるお遊びも伝統となっている。ヘフナーは、ウサギには“快活で、遊び心や茶目っ気がある”というイメージから、「ユーモラスであり、セクシーさの象徴」としてウサギをマスコットに選んだと語っている。なお、ウサギは哺乳類の中でもっとも繁殖力の強い生物である。
このラビットヘッドは色々なジャンルのデザインで採用されている事があり、アメリカ海軍のVX-4飛行隊に属するF-14トムキャット、F-4の尾翼にラビットヘッドが描かれた例がある(これに関連して、新谷かおる原作の漫画『エリア88』の登場人物であるアメリカ海軍出身のミッキー・サイモンのパーソナルマークともなっており、作中F-14の水平尾翼にラビットヘッドが描かれていた)。
創刊
創刊号出版にあたり、第2弾が出せるのかヘフナーには確信がもてなかったこともあり、1953年9月に発行された創刊号には日付が入っていない。初めての中綴じグラビア写真はノーマ・ジーン(後のマリリン・モンロー)だった。その写真は彼女がカレンダー用に撮影したヌード写真の流用であり、『プレイボーイ』誌のための撮りおろしではなかったが、創刊号は即座に話題となり、数週間で売り切れとなった。1冊の値段は50セントで、発行部数は53,991部だった[1]。2002年には「新品未使用」もしくは「新品同様」とうたわれた創刊号が5,000ドル以上で売れたこともある[要出典]。
都市伝説
表紙にプリントされていたある「印」のおかげで、ヘフナーとその号の表紙を飾ったプレイメイトに関する都市伝説が始まった。「印」とは、『PLAY - 』の「P」という文字の中や周囲に印刷されていた★(星)のことであり、1976年に半年だけ途切れたが、1955年から1979年までの間、表紙に印刷され続けた。噂や勝手な憶測によると、この星の数はその号の表紙を飾るプレイメイトに対してヘフナーが与えた評価・格付けであり、その子がどれだけ魅力的か、あるいは彼女と寝た回数、またはベッドでどのぐらいよかったかの点数だと言われた。だが、0から12まであったその星の数は、実際はその号の国内、海外への広告地域を示していた。
最も売れた号
『プレイボーイ』で過去に最も売れたのは1972年11月号で、716万1561冊を記録した。また、この号に含まれていたレナ・ショブロムのヌード写真はその一部がスキャンされて画像圧縮アルゴリズムの評価用テスト・イメージとして標準的に使用されるようになった。この画像は同分野では単に「レナ」として知られている。
現在
1970年に販売のピークを迎えると、『プレイボーイ』誌は部数的にも文化的意義や適合性という見地でも下降が見られるようになる。1970年代に現れた『ペントハウス』やそれに続く『Oui』や『Gallery』といった同フィールドでの競合誌、1980年代に現れたポルノビデオ、近年では『Maxim』や『FHM』、『Stuff』などの青年誌の台頭も原因だった。
その現実に対して、『プレイボーイ』は以前つかんでいた18 - 35歳男性という購買層に対して再主張するべくページのつくりを多少変更し、「プレイボーイ・インタビュー」にヒップホップのアーティストを登場させるなど、読者に適切な人選と内容に焦点をあてることで対応している。
1988年、ヒュー・ヘフナーの娘であるクリスティー・ヘフナーが「プレイボーイ」社のCEOに就任。現在は取締役会長も務める。本誌は、2004年1月号で50周年記念を迎えた。このイベントを祝って、1年を通してラスベガス、ロサンゼルス、ニューヨーク、モスクワで記念式典が開催された。
2010年、1953年の創刊号から2009年12月号までの全ての記事を収録した250GBハードディスクが、299ドル95セントで発売された。収録号は650を超え、総ページ数は10万以上になるという[2]。
なお、日本版を発行する集英社は、2008年11月下旬に発売された2009年1月号を以って日本版「月刊プレイボーイ」を休刊した。不況による広告収入の減少や、インターネットや携帯電話などの普及により、雑誌離れが進んでいることが休刊の理由とされる。
ヌード写真の掲載終了と復活
2015年10月、スコット・フランダース最高経営責任者は、翌2016年3月号を以て、同誌の看板ともいえる女性のフルヌード写真の掲載を中止することを発表した。インターネットが普及し、裸の画像が容易に閲覧出来る2015年現在では、ヌード写真は「時代遅れ」と判断された結果である。2016年1月/2月号の『最後のフルヌード写真モデル』は、48歳のパメラ・アンダーソン(プレイメイト掲載14回目)が務めた[3][4]。
掲載停止から1年後となる2017年2月13日、CCOのクーパー・ヘフナーは「ヌードを止めたのは間違いだった」との声明を出し、ヌード写真を紙面に復活させる意向を表明した[5]。
記事
「プレイメイト」
最大の売り物で、かつ雑誌のアイデンティティとも言われるのが、若い女性のヌードグラビアである。グラビアに採用されたモデルは「プレイメイト」と呼ばれ、このグラビアに登場することを登竜門に出世していくモデルも多い。
写真の修整
『プレイボーイ』が掲載写真に対して行っているエアブラシ修正(近年ではソフトウェア修正)には議論が起きている。一部の読者は、この種の修正行為は写真からリアリティを奪い、写真を不自然なものにしてしまうと提言している。
モデルへの対価
時期 | 金額(米ドル) |
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1959年 – 1960年 | $500 |
1961年 – 1965年 | $1,000 |
1966年 – 1967年 | $2,500 |
1968年 – 1969年 | $3,000 |
1970年 – 1977年 | $5,000 |
1978年 - 1983年 | $10,000 |
1984年 – 1989年 | $15,000 |
1990年 – 2015年 | $20,000 |
Year | Amount |
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1960年 – 1963年 | $500とボーナス$250 |
1982年 – 1997年 | $100,000と自動車1台 |
「プレイボーイ・インタビュー」
セレブリティを招いて収録される「プレイボーイ・インタビュー」は、その攻撃的なスタイルと取材・撮影に通常7時間から10時間程度かける手間をかけたプロセスが有名になっている。
1962年9月号(9巻9号)のマイルス・デイヴィスの回から始まり、以後、
- ヤーセル・アラファート
- モハメド・アリ
- 石原慎太郎
- ラリー・エリソン
- オーソン・ウェルズ
- ジョージ・ウォレス
- カート・ヴォネガット
- マダリン・マーレー・オヘア
- フィデル・カストロ
- ジミー・カーター
- マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
- アーサー・C・クラーク
- ジャン=ポール・サルトル
- スティーブ・ジョブズ
- カール・セーガン
- サルバドール・ダリ
- ロバート・デ・ニーロ
- ラルフ・ネーダー
- スティーヴン・ホーキング
- マルコムX
- バートランド・ラッセル
- アイン・ランド
- ジョン・レノン
- ジョージ・リンカーン・ロックウェル
といったセレブリティが招かれている。なお、過去に起用されたインタビュアーにはアレックス・ヘイリーやアルビン・トフラーなどがいる。
販売規制
アメリカ
1986年にアメリカ合衆国のコンビニエンスストア大手の「セブン-イレブン」は、キリスト教右派を始めとした、各方面からの圧力を受けて『プレイボーイ』の取り扱いを取り止めたが、結局2003年末頃に販売を再開した。
アジア
『プレイボーイ』は、中華人民共和国やミャンマー、マレーシア、タイ、シンガポール、ブルネイなどのような、政治的、もしくは宗教的観点から表現の自由が規制されているアジアの多くの地域のみならず、韓国や中華民国、インドのような表現が比較的自由な民主主義国でも販売、流通が禁じられている。
また、ほぼ全てのイスラム国家でも上記のアジア諸国同様に禁止状態であるが、2006年3月に『プレイボーイ』インドネシア版が立ち上げられようとした。しかし、第1号の発行前から論争が巻き起こった。インドネシア版は日本版同様に何らかの変更が加えられたものになるとされていたが、インドネシア政府はポルノ規制を行うための法的手段などを利用して発行に対抗しようとした。なお、サウジアラビアやアラブ首長国連邦、シンガポールは、名指しで持ち込み自体が禁止されている。
しかし一方で、もともとはイギリスの植民地で、現在は中華人民共和国の特別行政区である香港では制限を受けておらず、また日本では、女性器の写った写真を削除した独自版が、集英社によって発行されていた。
脚注
^ Playboy Collector's Association Playboy Magazine Price Guide
^ http://www.playboyarchive.com/shop/Products_pages-HardDrive.htm?aspxerrorpath=/shop/Products_pages-HardDrive.htm/
^ “P・アンダーソン、米プレイボーイ誌「最後のヌード」に起用” (日本語). ロイター. (2015年12月4日). http://jp.reuters.com/article/playboy-nude-idJPKBN0TN00T20151204 2016年3月31日閲覧。
^ バネッサ・バーフォード (2015年10月16日). “アメリカが夢中になった「プレイボーイ」なぜ変わるのか” (日本語). BBCワールド (英国放送協会). http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34546851 2016年3月31日閲覧。
^ “米プレイボーイ誌、ヌード復活へ 掲載停止から1年”. CNN (2017年2月15日). 2019年2月24日閲覧。
関連項目
月刊プレイボーイ - PLAYBOY日本版- プレイボーイチャンネル
オオシマ・ヒロミ - 日本人初のプレイメイト
- バニーガール
- Playboy U
- プレイボーイ (パチスロ)
外部リンク
- 公式ウェブサイト