ダスティ・スプリングフィールド
ダスティ・スプリングフィールド(Dusty Springfield、1939年4月16日 - 1999年3月2日)は、イギリス出身のミュージシャン。本名はメアリー・イソベル・キャサリン・バーナデット・オブライエン(Mary Isobel Catherine Bernadette O'Brien)。
「ローリング・ストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第35位[1]にランクインしている。
また、「Q誌選定の歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第29位[2]。
目次
1 バイオグラフィ
2 代表的な作品
3 脚注
4 関連項目
バイオグラフィ
ロンドン生まれ。1960年に2人の兄(ディオン、ティムフィールド)との3人でザ・スプリングフィールズを結成。そのツアー中に訪れたアメリカ・テネシーでモータウン・サウンドに感化され、以後彼女の作品に大きく影響を残すことになる。
1963年にグループ脱退後、ソロ歌手として「I Only Want To Be With You」(日本語題:「二人だけのデート」)でデビュー。この曲は全英のみならず全米でもTOP5に入る大ヒット曲となり、以後数年はヒットチャート上位の常連となる。
1968年9月、全曲リズム・アンド・ブルースのアルバムを作ることを目論んだスプリングフィールドはテネシー州メンフィスで地元の腕利きのミュージシャンとレコーディングを行う。同年11月に発売されたシングル「プリーチャー・マン(Son of a Preacher Man)」は全米10位、イギリスで9位を記録した。翌1969年発売のアルバム『Dusty in Memphis』は批評家からも高い評価を受けるも、商業的には成功しなかった。また彼女自身の問題(製作現場でのトラブル、ドラッグ・アルコール依存、バイ・セクシャル発言)もあって、作品は製作するも以後長い間彼女はスランプ状態に陥ることになる。
1986年、彼女を敬愛していたイギリスのポップス・バンド、ペット・ショップ・ボーイズが彼女との共演を申し込む。彼らとレコーディングされた「What Have I Done To Deserve This?」(日本語題:「とどかぬ想い」)が全米、全英で大ヒットを記録し復活を遂げる。その後も、アルバム『レピュテーション』など、ペット・ショップ・ボーイズと組んで自らの作品を製作し、話題となったが、1994年に乳癌と診断され、1999年3月2日に59歳で亡くなった。
同年ロックの殿堂入りを果たした。
2006年には、彼女の半生を描いたミュージカル「Dusty」が上演された。
代表的な作品
- 「I Only Want to Be With You」(日本語題:「二人だけのデート」) 後にベイ・シティ・ローラーズがカバーしたことで有名。
- 「I Just Don't Know What To Do With Myself」(日本語題:「恋のとまどい」)
- 「Wishin' and hopin'」(日本語題:「ウィッシン・アンド・ホーピン」
- 「You Don't Have to Say You Love Me」(日本語題:「この胸のときめきを」) カンツォーネのカバー。エルビス・プレスリーのヒット曲でも知られるほか、日本では大鵬薬品工業の『チオビタドリンク』のCMソングとして使用されたこともある。
- 「The Look of Love」(日本語題:「恋の面影~カジノ・ロワイヤル」)
- 「Son of a Preacher Man」(日本語題:「プリーチャー・マン」) 後に映画『パルプ・フィクション』のサントラに使用される。
- 「Dancing in the Street」(日本語題:「ダンシング・イン・ザ・ストリート」) 1984年にミック・ジャガー&デビッド・ボウイがカバーしてヒットする。
- 「What Have I Done to Deserve This?」(日本語題:「とどかぬ想い」)/ペット・ショップ・ボーイズ によるプロデュース
脚注
^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers:Dusty Springfield”. 2013年5月26日閲覧。
^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
関連項目
- ペット・ショップ・ボーイズ