ヌードシーン
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ヌードシーン(英語:nude scene)は、映画やテレビドラマなどで俳優が全裸(ヌード)もしくは半裸で映るシーンのこと。ヌードシーンのうち、性行為の描写を伴うものは濡れ場(ぬれば)と呼ばれる。
一般映画やテレビドラマでの濡れ場、入浴シーンなどはカメラの写らない部分(濡れ場であれば布団等の中、入浴シーンであれば入浴剤などで着色した浴槽の中)で何らかの衣装を着させている場合があるが、これはあくまで裸に見せかけているだけなので、ヌードシーンには含まれない。
目次
1 歴史
2 作品リスト
2.1 洋画
2.2 日本映画
3 関連項目
4 関連項目
歴史
映画におけるヌードシーンは、長期間にわたって論争の的となっている。サイレント映画時代には、すでにヌードシーンを売りとする映画が複数存在した。これらに対する非難に対し、アメリカ合衆国ではヘイズ・コード[1]と呼ばれる自主規制基準が制定され、1930年代から1960年代までの間はヌード描写が原則禁止された。ただし、1950年代初頭にはヌーディズムに関する半ドキュメンタリー映画がヌーディストの裸体を、また1959年のラス・メイヤー監督『インモラル・ミスター・ティーズ』[2]は、一般のヌードシーンを含んでいた。
ヘイズコードが廃止されるとともに、自主規制が現在のようなレイティング方式に移行すると、多くのアメリカ映画がヌードシーンを売り物にするようになった。しかし、正面からの全裸描写(full frontal nudity、ヘアヌードに類似)、特に男性のそれについてはまだ稀少な存在にとどまっている。この点についてはヨーロッパ映画においての開放・普及がとくに目覚ましく、また、ヌードシーン(性的ではあるが、ポルノではないもの)に対する観客の理解・許容度も深いとされる。
作品リスト
ヌードシーンに関して公開時に話題となった作品と、論争を巻き起こした歴史的に重要な作品のリストである。
洋画
- Inspiration(1915年、George Platt監督、女優:オードリー・マンソン) - ヌードシーンを含む最初の映画
春の調べ(1933年、グスタフ・マハティ監督)
黒い雪(1965年、武智鉄二監督)
欲望(1966年、ミケランジェロ・アントニオーニ監督)
私は好奇心の強い女 (イエロー篇)(1967年、ヴィルゴット・シェーマン監督)
ロミオとジュリエット(1968年、フランコ・ゼフィレッリ監督)
女性上位時代(1968年、カトリーヌ・スパーク主演)
肉体の悪魔(1968年、ケン・ラッセル監督、イギリス)
恋する女たち(1969年、ケン・ラッセル監督)
フレンズ(1970年、アニセー・アルビナ主演)
ふたりだけの恋の島(1971年、オルネラ・ムーティ主演、イタリア)
ラストタンゴ・イン・パリ(1972年、ベルナルド・ベルトルッチ監督)
青い体験(1973年、サルバトーレ・サンペリ監督、イタリア)
愛の嵐(1974年、リリアーナ・カヴァーニ監督、イタリア)- 「エマニエル夫人」シリーズ(1974年 - 1977年、ジュスト・ジャカン監督、フランス)
ソドムの市(1975年、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督、イタリア)
O嬢の物語(1975年、ジュスト・ジャカン監督、フランス)
愛のコリーダ(1976年、大島渚監督、女優:松田英子、フランス)- 聖母観音大菩薩(1977年、若松孝二監督、女優:松田英子、日本)
カリギュラ(1980年、ティント・ブラス監督、伊・米)
上海異人娼館 チャイナ・ドール(1981年、寺山修司監督、女優:イザベル・イリエ)
チャタレイ夫人の恋人(1981年、ジュスト・ジャカン監督、フランス)
ラ・ピラート(1984年、ジャック・ドワイヨン監督)
スペースバンパイア(1985年、トビー・フーパー監督、イギリス)
ZOO(1985年、ピーター・グリーナウェイ監督、イギリス)
ベティ・ブルー(1986年、ジャン=ジャック・ベネックス監督、女優:ベアトリス・ダル)
存在の耐えられない軽さ(1987年、フィリップ・カウフマン監督、女優:レナ・オリン)
真夜中の恋愛論(1990年、ミシェル・ドヴィル監督、女優;マリー・トランティニアン)
美しき諍い女(1991年、ジャック・リヴェット監督・脚本、フランス)
氷の微笑(1992年、ポール・バーホーベン監督、アメリカ)
ピアノ・レッスン(1993年、ジェーン・カンピオン監督、フランス/ニュージーランド/オーストラリア)
プレタポルテ(1994年、ロバート・アルトマン監督、アメリカ)
スピーシーズ 種の起源(1995年、ロジャー・ドナルドソン監督、アメリカ)
愛の誕生(1997年、フィリップ・ガレル監督)
アイズ・ワイド・シャット(1999年、スタンリー・キューブリック監督、アメリカ/イギリス)- ベーゼ・モア(2000年、ヴィルジニー・デパント監督、フランス)
ロマンスX(2001年、女優:キャロリーヌ・デュセイ、フランス)
インティマシー/親密(2001年、女優:ケリー・フォックス)
ドリーマーズ(2004年、ベルナルド・ベルトルッチ監督、女優:エヴァ・グリーン、英、仏、伊)
9songs(2004年、マイケル・ウィンターボトム監督、イギリス)
クリムト(2006年、ジョン・マルコヴィッチ主演)
グラディーヴァ〜マラケシュの裸婦(2006年、アラン・ロブ=グリエ監督)
ショートバス(2007年、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督、アメリカ)
ラスト・コーション(2007年、アン・リー監督、女優:タン・ウェイ、米・中・台・香)
アンチクライスト(2010年、ラース・フォン・トリアー監督、女優:シャルロット・ゲンズブール)
日本映画
日本映画において初めて全裸になったのは、1956年の『女真珠王の復讐』における前田通子であるとされる。ただし該当シーンは女優の背後からの撮影であるため、現代の基準と比較すると非常にソフトな描写であった。また月丘夢路も50年代に脱いでいるが劇場公開の際に画面の大多数に、ぼかしがかかり観客が判別不能であるために、前田通子がヌード1号とされている。
1960年代からは若松孝二の革命的ピンク映画が、新しい映画の表現様式を提示してきた。日活は、1971年からロマン・ポルノ路線を歩んだ。さらに1976年の大島渚監督・松田英子主演の『愛のコリーダ』で、ヌードと性表現はその頂点を迎えることになる。1970年代から1980年代前半にかけては日本映画が斜陽で、地盤沈下を続けていたため、当時清純派と見られていた竹下景子、名取裕子ら若手女優がこぞってヌードになり、世間を驚かせた。
ヘアヌードが事実上の解禁状態となった1990年代以降では、1994年の『愛の新世界』における鈴木砂羽と片岡礼子のヘアヌードが、日本映画における初のヘアヌードである。だが後にCM契約において、イメージを重視する企業側が女優に対してヌードにならないよう要請する場合も出てくるようになり、若手女優のヌードシーンは激減している。前評判との落差で物議を醸した伊東美咲(『海猫』)の例が、これに該当すると報じられている。しかし、ヌードシーンを披露しながらもCM契約を継続できた星野真里(『さよならみどりちゃん』)などのような例もある。
関連項目
- 濡れ場
- ヌード写真
- セミヌード
- ヘアヌード
- ヌード
- ピンク映画
- ポルノ
関連項目
^ http://www.artsreformation.com/a001/hays-code.html
^ http://www.imdb.com/title/tt0052920/