オートラマ





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オートラマAutorama)とは、かつて日本に存在した自動車販売網ブランド。マツダとフォードが作った、フォード車販売チャネルである。




目次






  • 1 概要・沿革


  • 2 取り扱い車種


    • 2.1 北米製


    • 2.2 欧州製


    • 2.3 アメリカ・AAI製


    • 2.4 日本・マツダ製


    • 2.5 韓国・起亜自動車製


    • 2.6 老舗フォード車輸入・販売会社による取り扱い


    • 2.7 その他




  • 3 その他・マスコミタイアップ


  • 4 脚注





概要・沿革



  • かつては、1974年に設立された「フォード自動車(日本)」が総輸入元になり、近鉄モータース、北海自動車工業、カメイオート、日光社、欧米モータースなどの有力輸入車ディーラーが正規販売店として、日本でのフォード車ビジネスが展開されていた。


  • 1979年、フォードがマツダに資本参加したことを契機に、マツダの第3チャネル(販売系列)を展開するプランが持ち上がった。


  • 1981年、全国オートラマ店の統括会社(ディストリビューター)として「株式会社オートラマ」が設立された。名前は、オートモービルAutomobile)+パノラマPanorama)の造語である。


フォード自動車とマツダの出資で開設する予定であったが、会社の初期資本は全国有力マツダ系ディーラーや損害保険各社からの出資となった。


  • 1982年から全国展開開始。「エンジョイ・カーライフ」「世界一の流通生産性の実現」をコンセプトにし、従来の自動車ディーラーの常識と正反対のビジネスモデルを構築した。ディーラーの形態を「営業所」から「ショップ」という概念に置き換え、オープン当時は店頭誘客を図る為にカーライフグッズ(CLG)をショップに導入。「車に関する全てを取り扱うトータルオートセンターを目指し、新車だけではなく中古車・カー用品なども積極的に取り扱う」「訪問販売ではなく店頭販売」「売れた分だけ発注すればよいので過剰在庫を抱えて値引き乱売する必要はない。その代わりメーカーからのインセンティブは一切なし」[1]。これらの全く新しい営業スタイルを武器として、店舗展開の際、異業種資本の参入を積極的に進めた。そのため、マツダ系ディーラーや古くからのフォード販売会社のみならず、自動車ビジネスと縁もゆかりもない様々な会社がオートラマ販売網に参加した。この方法論は後のユーノス・オートザムの全国展開でも踏襲され、成果をあげた。

参入した異業種会社一例(後にフォード店としてなったものも含む)…

交通:北陸鉄道、滋賀交通、中国バス、東海自動車(東海車輌サービス)、京成電鉄。

商社:三井物産、伊藤忠商事、トーメン。

スーパー:ジャスコ、フジ(フォードフジ)、マルナカ、スーパー大栄、イズミヤ、原信、マルエツ、カスミ、キョーエイ、伊勢甚、フレッセイ、藤越。

ホームセンター:ジュンテンドー、ケーヨー、カンセキ、エンチョー。

その他:エンケイ、共同石油、吉田産業、前田製作所、NTTエステックス、マツダアクセサリーサービス、東方会館。





  • 1982年、広島生産の「フォード・レーザー」「フォード・テルスター」「フォード・スペクトロン」を発売。これらの車種はそれぞれ「ファミリア」「カペラ」「ボンゴ」の姉妹車。全国第1号店として、愛知県のマツダ系の自動車部品販売会社「マツダアクセサリーサービス」(フォード名古屋)が「オートラマ東名・四軒家店」を名古屋市守山区にオープン。


  • 1986年、初の専売車種として「フォード・フェスティバ」が発売される。


  • 1987年、マツダが一部フォード車の正規輸入権を取得し、「フォード・トーラス」の輸入販売を開始する。


  • 1989年、マツダとフォードとでオートラマに出資(39%・34%)


  • 1992年、マツダとフォードとで、オートラマへの出資比率を45.1%で均等にした。輸入権がフォード自動車(日本)に再移管された。


  • 1994年、全国の店舗の名前を「オートラマ店」から「フォード店」に変更する。これにより輸入車ビジネスに興味を持っていた、日産やトヨタの地方ディーラーが続々参入するようになった。そして店舗名の変更に伴い、全国の運営法人の名称も「株式会社オートラマ○○」から「株式会社フォード○○」に変更される。


参入した他社ディーラー例(現在フォード店として営業中のものも含む)…埼玉日産自動車、東京日産自動車販売、トヨタカローラ秋田、名古屋トヨペット、長野日産自動車、ネッツトヨタ神奈川、トヨタ勝又グループ、大阪日産自動車、日産サニー湘南(日産サティオ湘南)、茨城日産自動車



  • 1997年、社名を「フォードセールスジャパン」に変更する。本社を東京都新宿区の新宿センタービルから東京都港区虎ノ門の秀和神谷町ビルに移転した。


  • 1999年3月、マツダが所有するフォードセールスジャパン株がフォードに買い取られ、その他出資企業の保有分もフォードに買い取られ、フォード自動車(日本)と統合して正式に「フォード・ジャパン」が設立された。

  • 同時に、直営販売会社として「フォード・ジャパン・ディーラー・リミテッド」が設立され、のちに東京・千葉・埼玉の一部フォード店、旧フォード関西全店舗(大阪の大手スーパーイズミヤが経営していた)を運営していた。


これ以降はフォード・ジャパンを参照のこと。



取り扱い車種


年号は生産年基準



北米製



  • エクスプローラー

  • マスタング


  • トーラス (en) 1989 - 1997


  • サンダーバード 少数輸入枠 1990-1993


  • リンカーンコンチネンタル 少数輸入枠


  • リンカーンLS 少数輸入枠



欧州製



  • モンデオ

  • Ka

  • フォーカス


  • フォーカスC-MAX (en)

  • フィエスタ


  • フォード・ギャラクシー (en) 1995 - 2006



アメリカ・AAI製



















外観
車種名
初登場年
販売終了年
世代数
備考

Early Ford Probe GT JP.jpg
Probe
(写真は初代)

プローブ
1988年
1997年
2代



日本・マツダ製



























































































外観
車種名
初登場年
販売終了年
世代数
備考

Ford Telstar 501.jpg
TELSTAR
(写真は5代目)

テルスター
1982年
2001年
5代

マツダカペラ、クロノス、MS-6のバッジエンジニアリング車。
4ドアセダン、5ドアハッチバック、ワゴンが設定された。

1994 Ford TelstarII 01.jpg
TELSTARII

テルスターII
1994年
1997年
1代
6代目マツダカペラのバッジエンジニアリング車。
4ドアセダンが設定された。
販売当時テルスターも併売されていた。

KH Laser S Jap Spec 1993 02.jpg
LASER
(写真は3代目)

レーザー
1982年
2000年
5代

マツダファミリアのバッジエンジニアリング車(3代目除く)。
3ドア・5ドアハッチバック、4ドアセダンが設定された。
3代目はファミリアと異なる外板だった。

Ford Festiva 003.JPG
Festiva
(写真は初代)

フェスティバ
1986年
1997年
2代
3ドアハッチバックが設定された。

1996 Ford Festiva Miniwagon.JPG
Festiva MINIWAGON

フェスティバミニワゴン
1996年
2002年
1代

デミオのバッジエンジニアリング車。
5ドアステーションワゴンが設定された。

FORD IXION 2.jpg
IXION

イクシオン
1999年
2003年
1代

プレマシーのバッジエンジニアリング車。
5ドアステーションワゴンが設定された。

1984 Ford Spectron XLT van (2009-07-23).jpg
SPECTRON

スペクトロン
1983年
1997年
1代

ボンゴのバッジエンジニアリング車。

Ford Freda 001.JPG
FREDA

フリーダ
1995年
2002年
1代

ボンゴフレンディのバッジエンジニアリング車。

Ford J80.jpg
J80

J80
1983年
1997年
1代

ボンゴバン・トラックのバッジエンジニアリング車。

J100

J100
1983年
1997年
1代

ボンゴブローニイバン・トラックのバッジエンジニアリング車。


韓国・起亜自動車製



























外観
車種名
初登場年
販売終了年
世代数
備考

Ford Festiva 1.3 GL 1993 (14790105165).jpg
Festiva5

フェスティバ5


1代

キア・プライドを日本に導入。
5ドアハッチバックが設定された。

Ford Festiva β 001.JPG
Festivaβ

フェスティバβ


1代

キア・プライドを日本に導入。
4ドアセダンが設定された。


老舗フォード車輸入・販売会社による取り扱い


オートラマ販売網展開に当たっては、戦前や戦後直後から自らフォード車を輸入・販売を行ってきた、所謂「老舗」のフォードディーラーも多数参加している。


近鉄モータースもオートラマ販売網に参加したが、近鉄モータースは自身でリンカーン・マーキュリーの輸入権を保有し自社の販売網も構築していたことで、両方の販売網に参加している販売会社は、リンカーン・マーキュリー車も併売していた。



その他


沖縄県でも老舗フォードディーラーの「コーラルアイルモータース」がオートラマ車を扱ってきたが、1980年代後半(詳細不明)以降、1991年末に「フォード沖縄」(2000年代後半に廃業)が設立されるまで、オートラマ系列の店舗は設置されなかった。その間、地元中古車販売業者[2]、地元マツダ販売会社[3]の2社がフェスティバを扱ってきたが、その他オートラマ車については不明。



その他・マスコミタイアップ



  • 初期のキャッチコピー:「クルマとぼくらの衣食住」

  • 『オートラマへ愛に恋。』のキャッチコピーが有名で、これは90年代前半まで使われていた。(いつから使用されなくなったかは不明だが、1991年10月発行のテルスターのカタログの背表紙の左下に使用されているが、1992年3月発行のテルスターV6のカタログでは使用されていない)

  • プロモーション活動にはセイントフォーが起用された。
    • 映画『ザ・オーディション』に協賛し、実際の店舗がロケに使われた。


  • CMソングその1:尾崎亜美「愛に恋 Love Is Gonna Get You」

  • CMソングその2:本田美奈子.「7th Bird "愛に恋"」…開業7周年記念CMソング

  • 映画『プロ野球を10倍楽しく見る方法』に協賛し、アニメーション部分には「オートラマ球場」や「Autorama」の看板も登場した。

  • TVドラマ『超新星フラッシュマン』(フェスティバを劇用車提供)

  • TVドラマ『真夏の刑事』(テルスター・レーザーを劇用車提供)

  • 映画『悲しい色やねん』(テルスター・レーザー・トーラスを劇用車提供)

  • 映画『82分署』(マスタングコンバーチブル、エクスプローラー、フェスティバを劇用車提供)

  • 映画『ウホッホ探険隊』1986年(初代フェスティバ・キャンバストップを劇用車提供)



脚注




  1. ^ 1982年10月5日日経産業新聞記事より


  2. ^ 「オートラマ」としてでは無く“フォードフェスティバ 沖縄総代理店”。社員名刺にもその様に記載されており、看板には「FORD FESTIVA」のロゴだけが描かれていた。


  3. ^ 同社が主催した沖縄コンベンションセンターを貸し切った大商談会においてフェスティバが展示されていたり、カメラのキタムラが1990年頃に全国で行ったフェスティバ撮影会の沖縄地区会場は、同社本社営業所だった。











































































































































































































































































































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