メンフィス (軽巡洋艦)
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1920年10月14日 |
進水 | 1924年4月17日 |
就役 | 1925年2月4日 |
退役 | 1945年12月17日 |
その後 | 1947年にスクラップとして廃棄 |
除籍 | 1946年1月8日 |
性能諸元 | |
排水量 | 7,050トン |
全長 | 555 ft 6 in (169.3 m) |
全幅 | 55 ft 6 in (16.9 m) |
吃水 | 20 ft (6.1 m) |
機関 | ギアード・タービン、4軸推進 |
最大速 | 35ノット |
乗員 | 士官、兵員790名 |
兵装 | 6インチ砲12門 21インチ魚雷発射管6門 |
メンフィス (USS Memphis, CL-13) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。オマハ級軽巡洋艦の1隻。艦名はテネシー州の都市、メンフィスに因む。その名を持つ艦としては4隻目。
艦歴
メンフィスは1920年10月14日にペンシルベニア州フィラデルフィアのウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社で起工した。1924年4月17日にエリザベス・R・ペイン(メンフィス市長ロウレット・ペインの娘)によって命名、進水し、1925年2月4日にフィラデルフィア海軍工廠で艦長ヘンリー・E・ラッキー大佐の指揮下就役した。
2月後半にメンフィスはカリブ海での整調巡航に出航する。4月13日、トリニダードのポートオブスペインでオリバー・ハザード・ペリー代将を追悼する記念碑の奉納式に参加した。ペリー代将は1813年9月10日にエリー湖の戦いでイギリス軍を打ち破り、その6年後にポートオブスペインにおいてフリゲート、ジョン・アダムズ (USS John Adams) の艦上で死去、同地に埋葬されその7年後にロードアイランド州ニューポートに再埋葬された。6月にメンフィスはハワイ州ホノルル沖で偵察艦隊と合流し、9月まで南太平洋を巡航、オーストラリアやニュージーランドを訪問した。1925年10月から1926年4月までメンフィスは西インド諸島で活動し、その後母港のニューヨークに帰還した。
メンフィスはヨーロッパに向けて出航し、6月26日にフランスのサン=ナゼールに到着した。7月4日にアメリカ海軍ヨーロッパ派遣軍司令官旗艦の任務をピッツバーグ (USS Pittsburgh, CA-4) と交代し、1927年までヨーロッパ水域で活動した。1926年7月31日から8月31日までスペインのサンタンデールに停泊する間に、メンフィスは国王アルフォンソ13世の訪問を受けた。
1927年6月3日にメンフィスは、ニューヨーク=パリ間の無着陸飛行を行ったチャールズ・リンドバーグとその乗機をイギリスのサウサンプトンで乗艦させた。翌日フランスのシェルブールを出航し、6月11日にワシントンD.C.に到着、ワシントン海軍工廠でリンドバーグを降ろした。同年の残りは大西洋岸で偵察任務に従事した。
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ウルグアイのフアン・ホセ・デ・アメサーガ大統領およびブラジルのジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス大統領は1944年1月に艦を訪問した。両国は「大西洋の海峡」の封鎖に対して有効的な援助を与え続けた。翌年、メンフィスはヨーロッパへ出航し、1945年1月16日にイタリアのナポリに到着した。27日にヨーロッパ方面軍司令官ハロルド・スターク提督の旗艦となり、メンフィスは2月に開催されるヤルタ会談に先立って行われる連合軍司令官の会議のためマルタ島のバレッタへ向かった。1月末までにメンフィスは2名の重要人物、アーネスト・J・キング元帥およびジョージ・C・マーシャル元帥を乗艦させた。
2月18日、メンフィスはルーズベルト大統領が最後の連合軍首脳会談から帰国する前にアルジェに到着した。続く8か月間、メンフィスは有名なリーダーを受け入れ続けた。メンフィスは8月15日にフランス南部のサンラファエルとサントロペで連合軍上陸の最初の記念式典に、10月27日にはイタリアのナポリで海軍記念日の式典に参加した。その後11月後半にタンジールを出航しペンシルベニア州フィラデルフィアに向かい、同地で1945年12月17日に退役した。メンフィスは1946年1月8日除籍され、12月18日にペンシルベニア州ベスレヘムのパタプスコ・スクラップ社に売却、1947年1月10日に廃棄のため届けられた。
外部リンク
- navsource.org
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。
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