ニューオーリンズ (重巡洋艦)









































































USS New Orleans (CA-32) underway in Puget Sound on 30 July 1943 (NH 94847).jpg
艦歴
発注

起工

1931年3月14日
進水

1933年4月12日
就役

1934年2月15日
退役

1947年2月10日
その後

1959年にスクラップとして廃棄
除籍

1959年3月1日
性能諸元

排水量
9,950トン
全長
588 ft 2 in (179 m)
全幅
61 ft 9 in (18.8 m)
吃水
19 ft 5 in (5.9 m)
機関

バブコック&ウィルコックス製水管缶8基
ウェスティングハウス製ギヤードタービン4基、4軸推進、107,000hp
最大速
32.7ノット (61 km/h)
乗員
士官、兵員708名
兵装
8インチ砲9門
5インチ砲8門
50口径機銃8門
搭載機
4機

ニューオーリンズ (USS New Orleans, CL/CA-32) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。艦名はルイジアナ州ニューオーリンズに因む。その名を持つ艦としては2隻目。ニューオーリンズ級重巡洋艦の1番艦であるが、もともとは先に建造されていたアストリア (USS Astoria, CA-34) がネームシップとなる予定だった。しかし、アストリアの竣工がニューオーリンズより遅れたため、ネームシップの座もニューオーリンズに譲らざるを得なかった。




目次






  • 1 艦歴


    • 1.1 大戦前


    • 1.2 第二次世界大戦


      • 1.2.1 1942


      • 1.2.2 ルンガ沖夜戦(タサファロング沖海戦)


      • 1.2.3 1943 - 1945




    • 1.3 戦後




  • 2 脚注


  • 3 参考文献


  • 4 外部リンク





艦歴



大戦前


ニューオーリンズは1931年3月14日にニューヨーク海軍造船所で起工する。1933年4月12日にコーラ・S・ジャッキー(海軍次官補の娘)によって命名、進水し、1934年2月15日に艦長アラン・B・リード大佐の指揮下就役した。


1934年5月から6月にかけて北ヨーロッパで整調巡航を行った後、ニューオーリンズは6月28日にニューヨークに帰還した。7月5日にニューオーリンズはルーズベルト大統領の乗ったヒューストン (USS Houston, CA-30) と共に巡航し、パナマ運河の通過と飛行船メイコン (USS Macon, ZRS-5) との演習を行った。巡航は8月2日にオレゴン州アストリアで完了し、ニューオーリンズは直ちにパナマおよびキューバに出航した。


1935年にはニューイングランド沖で訓練を行い、その後ルイジアナ州ニューオーリンズを訪問、続いて第6巡洋艦分艦隊に合流し東太平洋で作戦活動に従事する。ニューオーリンズは1936年8月20日にニューヨークに帰還し、12月7日に太平洋に向けて出航した。1939年の初めにはカリブ海での冬期訓練を行い、その後カリフォルニア州の港を拠点として活動、10月12日にハワイ分艦隊に配属される。戦争が近づくと共に警戒巡航を行った。



第二次世界大戦


1941年12月7日の真珠湾攻撃当日、ニューオーリンズはその真珠湾で入渠中であり、電力は陸上から供給されていた。攻撃が始まると、ニューオーリンズの機関部は大急ぎで機関を始動させたが、電力は欠乏した。5インチ砲砲側の弾薬箱は鍵がかかったままで弾薬が使えず、揚弾機も動かなかったため、手空き総員による手渡しで5インチ砲弾薬を弾庫から運び出し、さらに揚弾し、あるいはライフル銃や拳銃で日本機に応戦した。爆弾1発がニューオーリンズの近くで爆発し多くの乗組員が破片で負傷したものの、ニューオーリンズ自体には大きな損害はなかった。



1942


真珠湾攻撃後、ニューオーリンズは機関修理を切り上げ、4基の内3基を動かしてジョンストン島およびパルミラ環礁への輸送船団の護衛に就いた。その後、新型レーダーと20ミリ機銃の装備のため1942年1月13日にサンフランシスコに回航された。整備が終わると、ニューオーリンズは2月12日にブリスベン行きの輸送船団をヌメアまで護衛した後に真珠湾に向かい、第11任務部隊に合流した。


4月15日、第11任務部隊はニューヘブリディーズ諸島で空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) を基幹とする第17任務部隊(英語版)(フランク・J・フレッチャー中将)と合流。巡洋艦・駆逐艦部隊とともにオーストラリアおよびニュージーランドを突かんとする日本軍の南進を阻むべく行動した。5月7日から8日にかけて発生した珊瑚海海戦では、ニューオーリンズは、被弾して大きく損傷し炎上する空母レキシントン (USS Lexington, CV-2) に横付けしてレキシントンの乗組員を救助した。ニューオーリンズがレキシントンの乗り区民580名を救助し終わって離れた直後、レキシントンは大爆発を起こし如何ともし難い状態になった。ニューオーリンズはヌメアでレキシントンの乗組員を上陸させた後、東ソロモンを経て真珠湾に帰投した。


5月28日、ニューオーリンズはエンタープライズ (USS Enterprise, CV-6)、ホーネット (USS Hornet, CV-8) 基幹の第16任務部隊(レイモンド・スプルーアンス少将)とともに真珠湾を出撃し、6月2日にミッドウェー島北東海上で第17任務部隊と合流。2つの任務部隊は南雲忠一中将率いる第一航空艦隊を中心とする日本艦隊と激突。ミッドウェー海戦が生起した。第一機動部隊の三空母、赤城、加賀、蒼龍がクラレンス・マクラスキーのSBD ドーントレスの奇襲により炎上後、残った飛龍からの攻撃隊がヨークタウンを襲い、3発の爆弾を命中させた。飛龍を撃沈して4空母を壊滅させたが、ヨークタウンも大きく損傷して放棄された。ニューオーリンズは海戦で損傷することもなく真珠湾に帰投した。


7月7日、ニューオーリンズは空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) 基幹の機動部隊を護衛して真珠湾を出撃し、フィジーを経由してソロモン方面に向かった。8月24日から25日にかけては日本機の空襲に見舞われたが、撃退した(第二次ソロモン海戦)。8月26日、ニューオーリンズはガダルカナル島に上陸した部隊の援護に務め、珊瑚海海戦からおよそ2ヶ月ぶりに珊瑚海で行動した。8月31日にサラトガが伊26の雷撃で損傷すると、ニューオーリンズはサラトガを護衛して9月21日に真珠湾に帰投した。



ルンガ沖夜戦(タサファロング沖海戦)





ルンガ沖夜戦で損傷したニューオーリンズ


ニューオーリンズは修理を行い、フィジーを経てエスピリトゥサント島に向かい、11月27日に到着した。ニューオーリンズは他の4隻の巡洋艦および6隻の駆逐艦とともにカールトン・H・ライト少将の第67任務部隊(英語版)に加わった。11月29日、第67任務部隊は出撃し、「東京急行」を封じるべくガダルカナル島沖に急行した。11月30日が終わろうとするその少し前、田中頼三少将率いる第二水雷戦隊の一隊がサボ島の西南方からアイアンボトム・サウンドに進入。第67任務部隊はレンゴ水道からヘンダーソン飛行場寄りのコースで進入した。




ツラギ島にてヤシの木やネットでカモフラージュしたニューオーリンズ


深夜、互いの部隊が相手を探知したことからルンガ沖夜戦が始まった。第67任務部隊の攻撃は相手警戒隊の駆逐艦高波を爆発炎上させたが、第二水雷戦隊の発射した酸素魚雷が第67任務部隊に襲い掛かった。まず先頭を進んでいたミネアポリス (USS Minneapolis, CA-36) には魚雷が2本命中し艦首を吹き飛ばしたが、ミネアポリスは何とか持ちこたえて戦い続けた。ニューオーリンズは2番手を進んでいたが、ミネアポリス同様に魚雷の射線に飛び込み、艦首のガソリンタンク付近に魚雷が命中。ニューオーリンズは二番砲塔より前46メートルを切断し、一番砲塔を含んだ艦首部はニューオーリンズの周囲を漂うばかりだった。艦全体のうち4分の1がなくなったニューオーリンズは、およそ2ノットの速力で戦場を離脱。ニューオーリンズを生かそうと乗組員の懸命の努力と巧みな操艦により、ニューオーリンズは12月1日の夜明け前に自力でツラギ島に入港した。空襲からニューオーリンズを救うため、ヤシの葉でニューオーリンズを覆い、その間に残骸の後始末を行った。


11日後、ニューオーリンズはシドニーのコックトゥー島海軍造船所で応急修理が行われることとなり、損傷したプロペラを換装した上で出港。12月24日に到着後、仮艦首を装着した。1943年3月7日、ニューオーリンズはシドニーを出港してピュージェット・サウンド海軍造船所に回航され、同地でミネアポリスと同時進行で復旧修理が行われた。新しく建造された艦首が取り付けられ、その他の改装も進められた。





仮設艦首を装着して回航するニューオーリンズ


ルンガ沖夜戦では、アメリカ側はノーザンプトン (USS Northampton, CA-26) が沈没し、ニューオーリンズ、ミネアポリスのほかにペンサコーラ (USS Pensacola, CA-24) も大きく損傷し、戦術面では日本側の勝利ではあったが、ガダルカナル島の日本軍に対する補給作戦は、事実上これが最後だったため、アメリカ側は戦略的勝利を得たこととなった。



1943 - 1945




真珠湾でのニューオーリンズ。左はソルトレイクシティ、中はペンサコーラ。1943年


ニューオーリンズは復旧修理が終わると、8月31日に演習のため真珠湾に戻った。次いで第14任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)[1]に合流し、10月5日から7日にかけて行われたウェーク島への攻撃に加わり、日本の雷撃機を撃退した。11月10日に真珠湾に帰投後、10日後の11月20日にガルヴァニック作戦に参加してギルバート諸島に向かった。同方面で機動部隊の護衛にあたったが、12月4日のマーシャル諸島沖航空戦で空母レキシントン (''USS Lexington, CV-16) が雷撃機の攻撃で損傷したため、ニューオーリンズはレキシントンを護衛し真珠湾に向かい、12月9日に到着した。


ニューオーリンズは1944年1月29日からのクェゼリンの戦いでは砲撃任務にあたり、マジュロも制圧した。2月17日から18日に行われたトラック島空襲にも参加。かつてニューオーリンズもいた第16任務部隊を率いてミッドウェー海戦に勝利し、今や第5艦隊司令長官であるスプルーアンス大将は、トラック諸島内にいまだ有力艦船が多数残っていると考え、空襲後には外に出てくるだろうと推測した[2]。どうしても先頭を切って戦いたかった[2]スプルーアンス大将は、脱出してきた有力艦船との砲戦を念頭に、これまでの第5艦隊旗艦インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35) から乗り換え、配属されたばかりの戦艦ニュージャージー (USS New Jersey, BB-62) を新たな第5艦隊旗艦にしたのである[2]。ニューオーリンズはミネアポリスとともにロバート・C・ギッフェン少将に率いられ[3]、スプルーアンス大将直率の戦艦ニュージャージーおよびアイオワ (USS Iowa, BB-61)、駆逐艦4隻とともにトラック諸島の外を一周。午後もだいぶ経った頃、部隊は艦載機の空襲により航行不能になっていた軽巡洋艦香取と駆逐艦舞風、および脱出を図る駆逐艦野分を発見。スプルーアンス大将は戦艦の目標を野分に、ニューオーリンズとミネアポリスの目標を香取にと割り振った[3]。野分は脱出に成功したが、香取と舞風は射撃を続けながら沈没していった。また、この戦いの前後に特設駆潜艇および駆潜艇を砲火で撃沈した。第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)はトラックに続いてマリアナ諸島を攻撃した後、マジュロを経て真珠湾に帰投した。


ニューオーリンズは引き続き第58任務部隊を護衛し、3月のカロリン諸島攻撃および4月のホーランディアへの攻撃に参加した。4月22日、空母ヨークタウン (''USS Yorktown, CV-10) の艦載機がニューオーリンズのメインマストに衝突し、砲架に当たった後海中に転落した。転落した際爆発が起こり、ニューオーリンズは水しぶきを浴びた。これにより、1名の乗組員が行方不明となり、何名かの乗組員が負傷した。ニューオーリンズはニューギニア沖に続いてトラックとサタワン環礁への空襲を支援したほか、4月30日にサタワン環礁を砲撃した。5月4日、ニューオーリンズはマジュロに帰投した。整備を行った後、ニューオーリンズはマリアナ諸島攻撃に向かうため6月10日にクェゼリン環礁を出撃した。


6月15日から16日にサイパン島に対して艦砲射撃を行う一方、第58任務部隊は反撃してきた小沢治三郎中将率いる機動部隊とマリアナ沖海戦を戦ったが、艦載機と潜水艦の攻撃により空母3隻を撃沈し、395機の日本機を撃墜した。第58任務部隊に接触したわずかな日本機は、ニューオーリンズ他の対空砲火で蹴散らされた。これを所謂「マリアナの七面鳥撃ち」と言う。マリアナ沖海戦以降、この方面での日本機の活動は見られなくなった。8月までサイパン島とテニアン島への攻撃に参加した後、ニューオーリンズは8月13日にエニウェトク環礁に帰投。整備の後、8月28日に出撃して第38任務部隊(ミッチャー中将)の小笠原諸島と硫黄島への空襲を支援し、9月1日と2日には硫黄島に対して艦砲射撃を行った。パラオへの空襲の後マヌス島に一旦帰投したニューオーリンズは、沖縄島、台湾および北部ルソン島の日本の航空基地への攻撃のため出撃。10月20日に行われたレイテ島への上陸を支援し、これに対抗して出撃してきた日本艦隊を迎え撃った(レイテ沖海戦)。




空母千代田


ニューオーリンズはこの海戦では第38.4任務群(ラルフ・E・デヴィソン少将)に属し[4]、空母の直衛にあたっていた。10月24日、第3艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼー大将は、栗田健男中将率いる艦隊の進撃に備えてこれまで空母の直衛にあたっていた戦艦や巡洋艦、駆逐艦を以って第34任務部隊を編成し、司令官にウィリス・A・リー中将を任命した[5]。ハルゼー大将は当初、第34任務部隊をサンベルナルジノ海峡付近に待機させたが、南を行く西村祥治中将の艦隊は第7艦隊(トーマス・C・キンケイド中将)指揮下の砲撃部隊で対処でき、栗田艦隊が空襲で引き返し再び東進しても、これも第7艦隊の砲撃部隊で対処できるだろうと考え、当面の撃破目標を北の小沢艦隊に絞って北上した[6]。翌10月25日、戦況はハルゼー大将のシナリオとは全く異なる様相を示した。栗田艦隊がサマール島沖に出現して護衛空母部隊を追いかけまわし、キンケイド中将の泣き言に加え太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将からの「第34任務部隊はどこにいるか、世界が訝っている」の電文を受けショックを受けたハルゼー大将は[7]、空母部隊のうち1個任務群と第34任務部隊のうちの戦艦と軽巡洋艦、駆逐艦を南下させ、ニューオーリンズは残る空母部隊とともに北上した[8]


午後遅く、ニューオーリンズは重巡洋艦ウィチタ (USS Wichita, CA-45)、軽巡洋艦サンタフェ (USS Santa Fe, CL-60)、モービル (USS Mobile, CL-63) および駆逐艦群とともにローレンス・T・デュボース少将に率いられ北上を続けていた。その時、レキシントンの艦載機がサンタフェ近くを飛行し、「近くに空母が放置されている」と報告[9]。16時25分、ニューオーリンズは目当ての空母千代田を発見し、ウィチタとともに砲撃を開始[10]。サンタフェ、モービルも砲撃し、千代田は一方的に撃たれ続けた後沈没していった。レイテ沖海戦でアメリカ海軍は日本艦隊を叩きのめし、空前の勝利を収めた。




メア・アイランドで1945年に撮られたニューオーリンズ


ウルシー環礁での補給後、ニューオーリンズは引き続きミンドロ島侵攻に先立つフィリピンに対する航空攻撃を行う第38任務部隊の護衛を行い、その後ハワイに戻って同地で訓練を行い、12月後半にはオーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に向かった。ニューオーリンズは1945年4月18日にウルシー環礁に帰投し、沖縄島への艦砲射撃任務のため2日後に出撃し、4月23日に到着した。沿岸砲台との砲撃戦を行う。2ヶ月近くを沖縄戦の戦場で過ごし、その後補給と修理のためフィリピンに向かう。8月15日の終戦時、ニューオーリンズはスービック湾にあった。



戦後


ニューオーリンズは8月28日に巡洋艦駆逐艦部隊と共に中国および朝鮮半島の港に向けて出航した。青島で日本軍艦艇の接収、連合軍捕虜の収容、中国および朝鮮での占領軍の上陸支援を行い、11月17日に帰還兵を乗せて帰国の途に就く。帰還兵は佐世保でさらに乗り込み、12月8日にサンフランシスコで上陸した。1946年1月に同様の任務でグアムに向かい、その後パナマ運河を通過し、ルイジアナ州ニューオーリンズに10日間の訪問を行った後、フィラデルフィア海軍工廠に向かい3月12日に到着した。ニューオーリンズは同地で1947年2月10日に退役し、1959年3月1日に除籍、1959年9月22日にメリーランド州ボルチモアのボストン・メタルズ社にスクラップとして売却された。


ニューオーリンズは第二次世界大戦の戦功で17個の従軍星章を受章した。



脚注





  1. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II

  2. ^ abcブュエル, 358ページ

  3. ^ abブュエル, 363ページ


  4. ^ Commander Task Force 34 Action Report: Leyte Gulf、ポッター, 463ページ


  5. ^ ポッター, 469ページ


  6. ^ ポッター, 474ページ


  7. ^ ポッター, 487、488ページ


  8. ^ Commander Task Force 34 Action Report: Leyte Gulf


  9. ^ 木俣『日本空母戦史』773ページ


  10. ^ 木俣『日本空母戦史』774ページ




参考文献



  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年

  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年

  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4

  • 「世界の艦船増刊第36集 アメリカ巡洋艦史」海人社、1993年

  • トーマス・B・ブュエル/小城正訳『提督スプルーアンス』学習研究社、2000年、ISBN 4-05-401144-6

  • 「世界の艦船増刊第57集 第2次大戦のアメリカ巡洋艦」海人社、2001年



外部リンク







  • history.navy.mil: USS New Orleans

  • navsource.org: USS New Orleans (CL/CA-32)

  • USS New Orleans (CA-32) Reunion Association

  • Navy photographs of New Orleans (CA-32)

  • この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。





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