児玉郡







  • 令制国一覧 > 東海道 > 武蔵国 > 児玉郡


  • 日本 > 関東地方 > 埼玉県 > 児玉郡




埼玉県児玉郡の範囲(1.美里町 2.神川町 3.上里町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)


児玉郡(こだまぐん) は、埼玉県(武蔵国)の郡。


人口54,561人、面積109.99km²、人口密度496人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の3町を含む。




  • 美里町(みさとまち)


  • 神川町(かみかわまち)


  • 上里町(かみさとまち)




目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 近代以降の沿革


    • 2.2 町村制以降の沿革


    • 2.3 変遷表




  • 3 脚注


  • 4 参考文献





郡域


発足時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。




  • 本庄市(小和瀬、滝瀬、宮戸および児玉町秋山、児玉町小平を除く全域)

  • 神川町(大字熊野堂、二ノ宮、新宿、池田、中新里、新里、渡瀬、下阿久原、上阿久原)

  • 美里町(大字阿那志、根木、沼上、関、下児玉、南十条、北十条、小茂田)


賀美郡、那珂郡統合後の郡域は、上記3町以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。


  • 本庄市(全域)

以下の地域は隣接する郡から当郡に編入されている。なお、熊野堂村は児玉郡→賀美郡→児玉郡という変遷をたどっている。




  • 榛沢郡 → 児玉郡 : 本庄市小和瀬、滝瀬、宮戸


  • 秩父郡 → 児玉郡 : 神川町大字矢納



歴史



近代以降の沿革


  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。幕府領は木村飛騨守支配所(関東在方掛)、伊奈半左衛門支配所、川田玄蕃支配所が管轄。(2町1宿58村)



















































知行
村数
村名

幕府領
幕府領(木村)
1宿
1村

本庄宿、山王堂村

旗本領
2町
38村
小島村、下野堂村、西富田村、東富田村、北堀村、東五十子村、上仁手村、下仁手村、阿那志村、●栗崎村、小茂田村、田中村、杉山村、上阿久原村、下阿久原村、河内村、稲沢村、元田村、八幡山町、吉田林村、下真下村、熊野堂村、下児玉村、下浅見村、沼上村、蛭川村、四方田村、上真下村、●児玉町、金屋村、●高柳村、宮内村、塩谷村、池田村、●二ノ宮村、新里村、中新里村、保木野村、田端村、入浅見村[1]
幕府領(木村)・旗本領
3村
傍示堂村、南十条村、根木村
幕府領(伊奈)・旗本領
2村
仁手村、新井村
幕府領(川田)・旗本領
1村
北十条村

藩領

上総久留里藩
3村
太駄村、渡瀬村、新宿村
幕府領・藩領
旗本領・久留里藩
6村
西五十子村、久々宇村、高関村、今井村、長沖村、飯倉村
旗本領・上野前橋藩
4村
鵜森村、関村、都島村、沼和田村



  • 慶応4年


    • 6月17日(1868年8月5日) – 関東在方掛の旧岩鼻陣屋に岩鼻県が設置され、幕府領・旗本領を管轄。

    • 久留里藩の領地替えにより、久々宇村が岩鼻県の管轄となる。



  • 明治4年


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が久留里県前橋県となる。


    • 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が入間県の管轄となる。




  • 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併して熊谷県となる。


  • 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、熊谷県が武蔵国の管轄地域を埼玉県に合併して群馬県(第2期)に改称。当郡域は埼玉県の管轄となる。


  • 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、行政区画としての児玉郡が発足。郡役所は本庄宿に設置され、賀美郡・那珂郡とともに管轄。



町村制以降の沿革



1.本庄町 2.藤田村 3.仁手村 4.旭村 5.北泉村 6.東児玉村 7.児玉町 8.青柳村 9.若泉村 10.本泉村 11.神保原村 12.賀美村 13.七本木村 14.長幡村 15.丹荘村 21.秋平村 22.松久村 23.大沢村 A.共和組合村 B.金屋組合村 (紫:本庄市 青:美里町 赤:上里町 橙:神川町)




  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の町村が発足。(2町14村)


    • 本庄町(本庄宿が単独町制。現本庄市)


    • 藤田村 ← 傍示堂村、鵜森村および榛沢郡牧西村、小和瀬村、滝瀬村、宮戸村(現本庄市)


    • 仁手村 ← 仁手村、上仁手村、下仁手村、久々宇村、田中村(現本庄市)


    • 旭村 ← 都島村、小島村、沼和田村、山王堂村、新井村、杉山村、下野堂村(現本庄市)


    • 北泉村 ← 北堀村、東五十子村、西五十子村、東富田村、西富田村、四方田村、栗崎村(現本庄市)


    • 東児玉村 ← 阿那志村、根木村、沼上村、関村、下児玉村、南十条村、北十条村、小茂田村(現美里町)


    • 共和村 ← 今井村、蛭川村、高関村、入浅見村、下浅見村、下真下村(現本庄市)


    • 上真下村(単独村制。現本庄市)


    • 吉田林村(単独村制。現本庄市)


    • 児玉町 ← 児玉町、八幡山町(現本庄市)


    • 金屋村 ← 金屋村、長沖村、高柳村、飯倉村、塩谷村、宮内村(現本庄市)


    • 保木野村(単独村制。現本庄市)


    • 田端村(単独村制。現本庄市)


    • 青柳村 ← 二ノ宮村、新宿村、池田村、中新里村、新里村(現神川町)


    • 若泉村 ← 渡瀬村、下阿久原村、上阿久原村(現神川町)


    • 本泉村 ← 河内村、太駄村、元田村、稲沢村(現本庄市)

    • 熊野堂村が賀美郡丹荘村の一部となる。




  • 1892年(明治25年)9月29日 - 金屋組合村(金屋村・保木野村・田端村)が合併して金屋村が発足。(2町12村)


  • 1896年(明治29年)

    • 4月1日 - 児玉郡・賀美郡・那珂郡の区域をもって、改めて児玉郡が発足。下記の村が本郡の所属となる。(2町20村)

      • 旧賀美郡(5村) - 神保原村賀美村七本木村長幡村丹荘村

      • 旧那珂郡(3村) - 秋平村松久村大沢村




    • 8月1日 - 郡制を施行。




  • 1900年(明治33年) - 共和組合村(共和村・上真下村・吉田林村)が、上真下村・吉田林村が共和村に編入されることで再編されて共和村が発足。(2町18村)


  • 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。


  • 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 秩父郡矢納村の所属郡が当郡に変更。(2町19村)


  • 1949年(昭和24年)12月1日 - 若泉村が分村となり、大字渡瀬に渡瀬村、大字下阿久原・上阿久原に阿久原村を設置。(2町20村)


  • 1954年(昭和29年)


    • 5月3日(2町16村)

      • 神保原村・賀美村・七本木村・長幡村が合併して上里村が発足。

      • 丹荘村・青柳村が合併して神川村が発足。



    • 7月1日 - 本庄町・藤田村・仁手村・旭村・北泉村が合併して本庄市が発足し、郡より離脱。(1町12村)


    • 9月1日 - 阿久原村・矢納村が合併して神泉村が発足。(1町11村)


    • 10月1日 - 東児玉村・松久村・大沢村が合併して美里村が発足。(1町9村)




  • 1955年(昭和30年)3月20日 - 児玉町・金屋村・秋平村・本泉村が合併し、改めて児玉町が発足。(1町6村)


  • 1957年(昭和32年)

    • 5月3日 - 渡瀬村が神川村に編入。(1町5村)


    • 7月18日 - 共和村の一部(大字今井)が本庄市、残部が児玉町に分割編入。(1町4村)




  • 1971年(昭和46年)11月3日 - 上里村が町制施行して上里町となる。(2町3村)


  • 1984年(昭和59年)10月1日 - 美里村が町制施行して美里町となる。(3町2村)


  • 1987年(昭和62年)10月1日 - 神川村が町制施行して神川町となる。(4町1村)


  • 2006年(平成18年)


    • 1月1日 - 神川町と神泉村が合併し、改めて神川町が発足。(4町)


    • 1月10日 - 児玉町が本庄市と合併し、改めて本庄市が発足、郡より離脱。(3町)





変遷表




脚注





  1. ^ 「旧高旧領取調帳」には記載なし。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 11 埼玉県

  • 旧高旧領取調帳データベース






Popular posts from this blog

Human spaceflight

Can not write log (Is /dev/pts mounted?) - openpty in Ubuntu-on-Windows?

張江高科駅