黄檗宗
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年8月) |
黄檗宗(おうばくしゅう)は、日本の三禅宗のうち、江戸時代に始まった一宗派[注釈 1]。江戸時代初期に来日した隠元隆琦(1592 - 1673年)を開祖とする[1][2]。本山は、隠元の開いた京都府宇治市の黄檗山(おうばくさん)萬福寺[1]。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 時代背景
2.2 創始
2.3 隆盛
3 鉄眼一切経
4 黄檗唐音
5 黄檗法系略譜
6 寺院
7 脚注
7.1 注釈
7.2 出典
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
概要
黄檗宗の名は、唐の僧・黄檗希運(? - 850年)の名に由来する[3][注釈 2]。
教義・修行・儀礼・布教は日本臨済宗と異ならないとされる[1]。黄檗宗の宗風の独自性は、日本臨済宗の各派が鎌倉時代から室町時代中期にかけて宋と元の中国禅を受け入れて日本化したのに比較して隠元の来日が新しいことと、明末清初の国粋化運動の下で意図的に中国禅の正統を自任して臨済正宗を名乗ったことによるとされる[1]。
黄檗僧が伝える近世の中国文化は、医学、社会福祉、文人趣味の展開とも関係する[1]。
歴史
時代背景
日本の江戸時代元和・寛永(1615年 - 1644年)のころ、明朝の動乱から逃れた多くの中国人、華僑が長崎に渡来して在住していた。とくに福州出身者たちによって興福寺(1624年)、福済寺(1628年)、崇福寺(1629年)(いわゆる長崎三福寺)が建てられ、明僧も多く招かれていた。
創始
承応3年(1654年、中国臨済宗の明僧、隠元隆琦により始まる。隠元の禅は、鎌倉時代の日本臨済宗の祖である円爾(1202 - 1280年)や無学祖元(1226 - 1286年)等の師でもある無準師範(1177 - 1249年)の法系を嗣ぐ臨済禅であり、当初は正統派の臨済禅を伝えるという意味で臨済正宗や臨済禅宗黄檗派を名乗っていた。宗風は、明時代の中国禅の特色である華厳、天台、浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。
隆盛
幕府の外護を背景として、大名達の支援を得て、鉄眼道光(1630 - 1682年)らに代表される社会事業などを通じて民間の教化にも努めた。また元文5年(1740年に第14代住持に和僧の龍統元棟が晋山するまでは伝統的に中国から住職を招聘してきた。こうした活動から次第に教勢が拡大し、萬福寺の塔頭は33ヵ院に及び、1745年の「末寺帳」には、1043もの末寺が書き上げられている。
明治7年(1874年)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二宗と定めたため、強引に「臨済宗黄檗派」(りんざいしゅうおうばくは)に改称させられたが、明治9年(1876年)、黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立することとなった。
鉄眼一切経
隠元の法孫に当たる鉄眼道光は艱難辛苦の末に、隠元のもたらした明版大蔵経を元版とした『鉄眼版(黄檗版)一切経』といわれる大蔵経を開刻・刊行した。これによって日本の仏教研究は飛躍的に進んだばかりか、出版技術も大きく進歩発展した。一方、了翁道覚(1630 - 1707年)は錦袋円(きんたいえん)という漢方薬の販売により、収益金で鉄眼の一切経の開刻事業を援助する一方、完成本を誰もが見られるようにする勧学院を各地に建て、日本の図書館の先駆けとなった。後に鉄眼一切経は重要文化財に指定され、黄檗山万福寺山内の宝蔵院で現在も摺り続けられている。
黄檗唐音
黄檗宗に於ける読経は、現在も古い中国語の発音で行われており、これを「黄檗唐韻(とういん)」と呼ぶ。
黄檗法系略譜
太字は渡来僧・<>は未顕法者・前置きの数字は萬福寺住持世代・イタリック体は渡来せず。
1隠元隆琦 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
慧門如沛 | 2木庵性瑫 | 即非如一 | <独立性易> | 3慧林性機 | 龍渓性潜 | 4独湛性瑩 | 大眉性善 | 独照性円 | 南源性派 | 独吼性獅 | 独本性源 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5高泉性潡 | 法雲明洞 | <化林性偀> | 6千呆性侒 | 柏巌性節 | 桂巌明幢 | 化霖道龍 | 8悦峰道章 | 梅嶺道雪 | <霊海>[4] | 月譚道澄 | 鉄梅道香 | 大仙道覚 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大随道亀 | 了翁道覚 | <卓峰道秀> | 9霊源海脈 | 別伝道経 | 香国道蓮 | 10旭如蓮昉 | 12杲堂元昶 | 衝天天統 | 19仙巌元嵩 | 香林元椿 | 16百癡元拙 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
百拙元養 | 道本寂伝 | 円浄道覚[5] | <月海元昭>[6] | 大潮元晧 | 13竺庵浄印 | 蘭谷元定 | 覚天元郎 | 23蒲庵浄英 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
月船浄潭 | <革叟>[7] | 20伯珣照皓 | 21大成照漢 | 晦翁元暠 | 22格宗浄超 | 悟心元明 | 無染浄善 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鉄牛道機 | 慧極道明 | 潮音道海 | 7悦山道宗 | 鉄文道智 | 慈岳定琛 | 鉄眼道光 | 喝禅道和 | 鉄心道胖 | 雲巌道巍 | 梅谷道用 | 宝洲道牕 | <雪機定然> | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14龍統元棟 | 南嶺元勲 | 東瀾宗沢 | 岳宗元璋 | 17祖眼元明 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
終南浄寿 | 喝浪方浄 | 11独文方炳 | 海眼浄光[8] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全巌広昌 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
15,18大鵬正鯤 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寺院
萬福寺 - 大本山。
大年寺 - 仙台藩主伊達氏の菩提寺。黄檗宗三大叢林。
東光寺 - 長州藩主毛利氏の菩提寺。黄檗宗三大叢林。
興禅寺 - 鳥取藩主池田氏の菩提寺。黄檗宗三大叢林。
崇福寺 - 長崎三福寺。
福済寺 - 長崎三福寺。
興福寺 - 長崎三福寺。
聖福寺 - 長崎三福寺に加えて長崎四福寺とする。- 祥應寺
弘福寺 - 江戸における鳥取藩主池田氏の菩提寺。
禅林寺 - 太宰治墓所。
瑞聖寺 - 黄檗宗系単立。 青木重兼(開基)、木庵性瑫(開山)
紹太寺 - 春日局墓所、小田原藩主稲葉氏の菩提寺。
永慶寺 - 柳沢吉保および柳沢氏の菩提寺。
法雲寺 - 狭山藩主後北条氏の菩提寺。
仏日禅寺-麻田藩青木氏の菩提寺。太田牛一菩提寺。
福聚寺 - 小倉藩主小笠原氏の菩提寺。
福厳寺 - 柳川藩主立花氏の菩提寺。
普明寺 - 佐賀藩の支藩鹿島藩主鍋島氏の菩提寺。- 少林山達磨寺
脚注
注釈
^ 三禅宗は他に臨済宗、曹洞宗。
^ 黄檗希運は臨済義玄(? - 867年)の師である。
出典
- ^ abcde中村元ほか(編) 『岩波仏教辞典』 岩波書店、2002年10月、第二版、109頁。
^ “隠元(インゲン)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年8月11日閲覧。
^ 鎌田茂雄『中国仏教史』[要追加記述]
^ 尾形乾山
^ 後水尾法皇
^ 売茶翁
^ 伊藤若冲
^ 鶴亭
参考文献
- 図録『黄檗の美術 江戸時代の文化を変えたもの』 京都国立博物館、1993年
関連項目
普茶料理(黄檗料理)- 煎茶道
- 黄檗美術
- 長崎派
- インゲンマメ
- 福清
- 福州語
- 河口慧海
外部リンク
- 日本の禅 臨済宗・黄檗宗の公式サイト 臨黄ネット
- 黄檗山大本山萬福寺
- 京都府宇治市|黄檗宗大本山塔頭宝善院
- 日本大百科全書(ニッポニカ)『黄檗宗』 - コトバンク
- デジタル大辞泉『黄檗宗』 - コトバンク
|
|