三論宗
三論宗(さんろんしゅう)は、中国・東アジアの大乗仏教宗派の1つで、インド中観派の龍樹の『中論』『十二門論』、その弟子提婆の『百論』を合わせた「三論」を所依の経典[1]とする論宗[2]である。空を唱える事から、空宗とも言う。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もある。日本仏教における三論宗は、南都六宗の一つ[3]。
目次
1 概要
1.1 相承
1.2 所依典籍
2 四論宗
3 注釈・出典
4 関連項目
5 参考書籍
概要
中国隋代に嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が三論宗を大成した[4]。吉蔵の『三論玄義』は三論宗の立場で書かれた仏教概論である。唐代には、天台宗や華厳宗、法相宗の隆盛の陰に隠れ、宗風が振るわなくなり、学問としてのみ存在するようになった。寓宗として成実宗があった。
日本への伝来には、下記の3系統がある。
625年(推古33年)に高句麗の僧の慧灌が伝えた元興寺流。
智蔵(慧灌の弟子、呉出身)が入唐して伝えた法隆寺の空宗。
718年(養老2年)、道慈(智蔵の弟子)が伝えた大安寺流。
元興寺・大安寺の2流は、日本三論の2流と称し、奈良時代には南都六宗の1つとして栄えた。
三論宗の中興の祖とされる聖宝(832年 - 909年)は、元興寺流の出身である。
近年に於いては、2000年2月25日に韓国の大韓佛教三論宗洪慧岩宗正より、当時韓国三論宗布教部長であった早川春海が日本での三論宗開山の任命牌を受け、日本での三論宗開山を行った。
相承
- 鳩摩羅什
- 僧嵩
- 僧淵
- 法度
- 僧朗
- 僧詮
- 法朗
- 吉蔵
所依典籍
- 三論
- 中論
- 十二門論
- 百論
四論宗
三論宗が所依の経典とする中論・十二門論・百論に、大智度論をも加えて教理の基本とした四論宗も中国において成立したが、後に三論宗に融合した[4]。
注釈・出典
^ 依り所(よりどころ)とする仏典をいう。
^ 経を所依とせず、論を所依とする宗派。
^ “南都六宗(なんとろくしゅう)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年8月3日閲覧。
- ^ ab中村元 『龍樹』 講談社〈講談社学術文庫〉、2005年7月、434-435頁。ISBN 4-06-159548-2。
関連項目
- 龍樹
- 提婆 (僧)
- 中観派
- 南都六宗
参考書籍
- 『三論玄義』 三枝充悳訳(大蔵出版〈佛典講座〉、1971年、新版2006年)ISBN 978-4804354576
- 『三論玄義』 金倉圓照訳(岩波文庫、初版1941年、復刊1987年)ISBN 978-4003333112
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