ワシントン合意 (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
ワシントン合意(ワシントンごうい、ボスニア語・クロアチア語:Washingtonski sporazum、英語:Washington Agreement)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1994年3月1日にボスニア・ヘルツェゴビナ政府と、同国のクロアチア人勢力・ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国、およびクロアチア共和国との間で交わされた和平協定[1][2]。アメリカ合衆国のワシントンD.C.にて交わされた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ政府の首相ハリス・シライジッチ(Haris Silajdžić)、クロアチア共和国政府の外相マテ・グラニッチ(Mate Granić)、そしてボスニア・ヘルツェゴビナ国内で事実上独立していたヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の大統領クレシミル・ズバク(Krešimir Zubak)によって調印された[2]。合意では、ボスニア・ヘルツェゴビナの領土のうち、ボシュニャク人主導のボスニア・ヘルツェゴビナ政府と、クロアチア人勢力の統制下にある地域に、地方分権的な10の県を設置し、10の県からなるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦を創設するとされた。県の区分けは、一方の民族が他方に対して支配的とならないように選ばれた[2]。
脚注
^ 佐原徹哉 (2008年3月20日). ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化. 日本、東京: 有志舎. ISBN 978-4-903426-12-9.
- ^ abc“Washington Agreement: Bosnia and Herzegovina: Peace Agreements: Library and Links: U.S. Institute of Peace” ((英語)). United States Institute of Peace (2000年2月14日). 2006年5月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年12月21日閲覧。
関連項目
デイトン合意 - 1995年12月14日、セルビア人勢力も含めたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の最終和平合意
外部リンク
米国平和研究所: ワシントン合意
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