角筈
角筈(つのはず)は、東京都新宿区にかつてあった地名。町名設置当初は、一丁目から三丁目まであった。現在は、新宿区西新宿、歌舞伎町および新宿の一部。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 地名の由来
2.2 沿革
2.3 町名の変遷
3 参考文献
4 脚注
5 関連項目
地理
新宿区の南西部に位置する。
歴史
角筈の名は戦国時代から見られ、北条氏の家臣綾部荘四郎の領地だった。
江戸時代には、角筈村と呼ばれ、明治維新まで幕府直轄領となった。
一部は、以下の領地となった。
1658年(万治元年) - 旗本の神谷又五郎
1671年(寛文11年) - 御箪笥同心
1672年(寛文12年) - 牛込宗参寺
1707年(宝永4年) - 湯島麒祥院
地名の由来
諸説あるが、新宿区教育委員会では、以下の説を有力としている。
角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で、角にも矢筈にも見えたことから、人々が与兵衛を角髪または矢筈と呼び、これが転じて角筈となった[1]。
沿革
1889年(明治22年)5月1日 - 角筈村は、内藤新宿添地町の飛地[2]とともに、淀橋町大字角筈となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 淀橋区角筈一丁目から三丁目を新設する。
1947年(昭和22年)3月15日 - 新宿区角筈一丁目から三丁目となる。
1948年(昭和23年)4月1日 - 一丁目の一部が歌舞伎町となる。現在の新宿遊歩道公園北側の一画は歌舞伎町とはならず角筈一丁目として存続したため、当該地は、角筈一丁目の飛地となった。
1970年(昭和45年)4月1日 - 一丁目、二丁目および三丁目の各一部が、西新宿となる[3]。
1971年(昭和46年)1月1日 - 一丁目、二丁目および三丁目の各一部が、西新宿となる[4]。
1973年(昭和48年)1月1日 - 一丁目および二丁目の各一部が新宿となる。
1978年(昭和53年)7月1日 - 一丁目の全域および二丁目の全域が歌舞伎町となり[5]、町名の角筈は廃止される[6]。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(特記なければ、各町名の一部) |
---|---|---|
歌舞伎町 | 1948年4月1日 | 角筈一丁目、百人町一丁目、東大久保三丁目、三光町 |
西新宿一丁目 | 1970年4月1日 | 角筈一丁目、角筈二丁目、角筈三丁目 |
西新宿二丁目 | 角筈三丁目、淀橋、十二社 | |
西新宿三丁目 | 角筈三丁目 | |
西新宿四丁目 | 角筈三丁目、十二社、淀橋 | |
西新宿六丁目 | 角筈三丁目、柏木一丁目、淀橋 | |
西新宿七丁目 | 1971年1月1日 | 百人町一丁目、柏木一丁目、角筈一丁目、角筈二丁目、角筈三丁目(全域) |
新宿三丁目 | 1973年1月1日 | 角筈一丁目、角筈二丁目、新宿二丁目、新宿三丁目 |
歌舞伎町一丁目 | 1978年7月1日 | 歌舞伎町(全域)、三光町、百人町一丁目、東大久保三丁目(全域)、角筈一丁目(全域)、角筈二丁目(全域)、柏木一丁目(全域)、新宿三丁目 |
参考文献
- 福田国士『歴史探訪 地図から消えた「東京の町」』祥伝社、1999年、ISBN 978-4396311339
脚注
^ 新宿区教育委員会『新宿区町名誌/地名の由来と変遷』
^ 字渡邊土手際16-27番地に編入。その後甲州街道の拡幅に伴い、道路用地になっている。
^ 同年7月23日、自治省告示第124号
^ 同年1月25日、自治省告示第13号
^ 同年10月4日、自治省告示第174号
^ ただし、都営バス・小田急バス・新宿区WEバス「角筈二丁目」停留所が2012年現在も甲州街道沿いに残る(ただし西行の所在地は渋谷区代々木二丁目になる)。
関連項目
- 角筈ガード
- 角筈橋
- 角筈公園
- 東京都道431号角筈和泉町線
- 角筈地域センター - 新宿区角筈特別出張所・角筈区民ホール・角筈図書館などが同居する複合公共施設