ルディ・トムヤノビッチ













































































ルディ・トムヤノビッチ
Rudy Tomjanovich


Rudy T Space and Missile Center Feb 26, 2009.jpg
2009年2月のトムヤノビッチ

引退
永久欠番
ロケッツ  45 
ポジション(現役時)
フォワード
背番号(現役時)
45(永久欠番)
身長(現役時)
203cm (6 ft 8 in)
体重(現役時)
99kg (218 lb)
基本情報
本名
Rudolph Tomjanovich, Jr.
愛称
Rudy-T
ラテン文字
Rudy Tomjanovich
誕生日
(1948-11-24) 1948年11月24日(70歳) 

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
ミシガン州ハムトランク
出身
ミシガン大学
ドラフト
1970年1巡目2位サンディエゴ・ロケッツ 
選手経歴
1970-81
サンディエゴ/ヒューストン・ロケッツ
指導者経歴
1983-1992
1992-2003
2004-2005

ヒューストン・ロケッツ(AC)
ヒューストン・ロケッツ
ロサンゼルス・レイカーズ
受賞歴

選手時代



  • 4×NBAオールスターゲーム出場:1974~1977, 1979

  • No.45 ヒューストン・ロケッツ永久欠番


コーチ時代



  • NBAチャンピオン:1994, 1995


ルディ・トムヤノビッチRudolph Tomjanovich, Jr.、1948年11月24日 - )は、元NBAのバスケットボール選手で引退後は指導者となる。 ニックネームはRudy-T。アメリカ合衆国ミシガン州ハムトランク生まれ[1][2]。身長203cm、体重99kg。ポジションはパワーフォワード。ヘッドコーチとして1994年、1995年にヒューストン・ロケッツを優勝に導く。




目次






  • 1 キャリア


  • 2 コーチ時代


  • 3 ヘッドコーチ成績


  • 4 脚注


  • 5 外部リンク





キャリア





ミシガン大学時代


1967年からミシガン大学で3シーズンプレーした後、1970年のNBAドラフト2位でサンディエゴ・ロケッツに指名される。71年ヒューストンで迎えた最初の試合で28得点17リバウンドを記録。以後ロケッツのスター選手になる。平均17.4得点、通算得点13383得点、平均8.1リバウンド、通算6198リバウンド。FG成功率.501、オールスターゲームには1974-1977年、1979年出場。プロ生活1970-1981年。背番号45はロケッツで永久欠番となる。



コーチ時代


ロケッツでスカウトを2年、アシスタントを9年経験してロケッツの1991-92シーズン中、残り30試合でドン・チェイニーの後を受けてヘッドコーチに就任した。就任後、アキーム・オラジュワンのトレードを思い留めて、インサイドはオラジュワンに、アウトサイドは3ポイントシューターに徹底させる戦術で1994、1995年にロケッツはNBAファイナル2連覇を経験した。チーム史上、初の優勝経験だった。ロケッツのヘッドコーチは1992-2003年まで勤めて、503勝397敗。勝率.559を記録。プレイオフでは、51勝39敗、勝率.567だった。1998年バスケットボール世界選手権代表チームのヘッドコーチに就任する。ロックアウトでNBA選手が参加せずCBAの選手を中心に銅メダルを獲得。2004-05年にはロサンゼルス・レイカーズのヘッドコーチを勤めるが41試合後に健康状態の問題のため辞任。そのあとはレイカーズのスカウトやコンサルタントに転身。2016-17シーズン終了後に退任した[3]



ヘッドコーチ成績


























NBAヘッドコーチ実績表略号説明
レギュラーシーズン
G
試合数
W
勝利数
L
敗戦数
W–L %
レギュラーシーズン勝率
ポストシーズン
PG
試合数
PW
勝利数
PL
敗戦数
PW–L %
プレイオフ勝率



















































































































































































































チーム シーズン

G

W

L

W–L%
シーズン結果

PG

PW

PL

PW–L%
最終結果

ヒューストン・ロケッツ

1991–92
30 16 14 .533 3rd in Midwest
不出場
ヒューストン・ロケッツ

1992–93
82 55 27 .671 1st in Midwest 12 6 6 .500
カンファレンスセミファイナル敗退
ヒューストン・ロケッツ

1993–94
82 58 24 .707 1st in Midwest 23 15 8 .652

チャンピオン
ヒューストン・ロケッツ

1994–95
82 47 35 .573 3rd in Midwest 22 15 7 .682

チャンピオン
ヒューストン・ロケッツ

1995–96
82 48 34 .585 3rd in Midwest 8 3 5 .375
セミファイナル敗退
ヒューストン・ロケッツ

1996–97
82 57 25 .695 2nd in Midwest 16 9 7 .563
カンファレンスファイナル敗退
ヒューストン・ロケッツ

1997–98
82 41 41 .500 4th in Midwest 5 2 3 .400
1st.ラウンド敗退
ヒューストン・ロケッツ

1998–99
50 31 19 .620 3rd in Midwest 4 1 3 .250
1st.ラウンド敗退
ヒューストン・ロケッツ

1999–00
82 34 48 .415 6th in Midwest
不出場
ヒューストン・ロケッツ

2000–01
82 45 37 .549 5th in Midwest
不出場
ヒューストン・ロケッツ

2001–02
82 28 54 .341 5th in Midwest
不出場
ヒューストン・ロケッツ

2002–03
82 43 39 .524 5th in Midwest
不出場

ロサンゼルス・レイカーズ

2004–05
43 24 19 .558 (resigned)


キャリア
943 527 416 .559 90 51 39 .567


脚注


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  1. ^ Robert Bajruši (2004年3月16日). “Mislio sam da sam Poljak dok mi roditelji nisu rekli sa smo Hrvati [I thought I was Polish until my parents told me we were Croats]” (Croatian). Nacional (weekly). オリジナルの2012年7月4日時点によるアーカイブ。. https://www.webcitation.org/68u03CIWz?url=http://www.nacional.hr/clanak/13762/mislio-sam-da-sam-poljak-dok-mi-roditelji-nisu-rekli-sa-smo-hrvati 2012年7月4日閲覧。 


  2. ^ Michael Wallis (1978年11月13日). “Severely Injured by a Rival Player's Punch, Rudy Tomjanovich Enjoys An Amazing Comeback”. People (magazine). http://www.people.com/people/archive/article/0,,20072182,00.html 2013年1月19日閲覧。 


  3. ^ Lakers, Rudy Tomjanovich part ways




外部リンク




  • ClutchFans.net Profile - Houston Rocket Fan Site

  • University of Michigan Profile


  • ルディ・トムヤノビッチ --- 略歴と通算成績 --- NBA日本, NBA (英語) Basketball-Reference (英語)















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