1981年の野球
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< 1981年 | 1981年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 パシフィック・リーグプレーオフ
1.1.3 日本シリーズ
1.1.4 個人タイトル
1.1.5 ベストナイン
1.1.6 ダイヤモンドグラブ賞
1.1.7 オールスターゲーム
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 4月
2.2 5月
2.3 6月
2.4 7月
2.5 8月
2.6 9月
2.7 10月
2.8 11月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 73 | 48 | 9 | .603 | - |
2位 | 広島東洋カープ | 67 | 54 | 9 | .554 | 6.0 |
3位 | 阪神タイガース | 67 | 58 | 5 | .536 | 8.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 56 | 58 | 16 | .491 | 13.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 58 | 65 | 7 | .472 | 16.0 |
6位 | 横浜大洋ホエールズ | 42 | 80 | 8 | .344 | 31.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 前・後 |
優勝 | 日本ハムファイターズ | 68 | 54 | 8 | .557 | 4・1 |
2位 | 阪急ブレーブス | 68 | 58 | 4 | .540 | 3・2 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 1・3 |
4位 | 西武ライオンズ | 61 | 61 | 8 | .500 | 2・5 |
5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 5・6 |
6位 | 近鉄バファローズ | 54 | 72 | 4 | .429 | 6・4 |
- 優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月7日(水) | 第1戦 | 日本ハムファイターズ | 4-1 | ロッテオリオンズ | 川崎球場 |
10月8日(木) | 第2戦 | 雨天中止 | |||
10月9日(金) | |||||
10月10日(土) | 日本ハムファイターズ | 5-5 | ロッテオリオンズ | ||
10月11日(日) | 第3戦 | ロッテオリオンズ | 1-4 | 日本ハムファイターズ | 後楽園球場 |
10月12日(月) | 第4戦 | ロッテオリオンズ | 11-6 | 日本ハムファイターズ | |
10月13日(火) | 第5戦 | ロッテオリオンズ | 4-8 | 日本ハムファイターズ | |
年間優勝:日本ハムファイターズ |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月17日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 5-6 | 日本ハムファイターズ | 後楽園球場 |
10月18日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 2-1 | 日本ハムファイターズ | |
10月19日(月) | 休養日 | ||||
10月20日(火) | 第3戦 | 日本ハムファイターズ | 3-2 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月21日(水) | 第4戦 | 日本ハムファイターズ | 2-8 | 読売ジャイアンツ | |
10月22日(木) | 第5戦 | 雨天中止 | |||
10月23日(金) | 日本ハムファイターズ | 0-9 | 読売ジャイアンツ | ||
10月24日(土) | 休養日 | ||||
10月25日(日) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 6-3 | 日本ハムファイターズ | 後楽園球場 |
優勝:読売ジャイアンツ(8年ぶり16回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 江川卓 | 巨人 | 江夏豊 | 日本ハム | | |
最優秀新人 | 原辰徳 | 巨人 | 石毛宏典 | 西武 | | |
首位打者 | 藤田平 | 阪神 | .358 | 落合博満 | ロッテ | .326 |
本塁打王 | 山本浩二 | 広島 | 43本 | T.ソレイタ 門田博光 | 日本ハム 南海 | 44本 |
打点王 | 山本浩二 | 広島 | 103点 | T.ソレイタ | 日本ハム | 108点 |
最多安打 | J.ライトル | 広島 | 157本 | 藤原満 | 南海 | 154本 |
盗塁王 | 青木実 | ヤクルト | 34個 | 福本豊 | 阪急 | 54個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 掛布雅之 | 阪神 | 243個 | 門田博光 | 南海 | .434 |
最優秀防御率 | 江川卓 | 巨人 | 2.29 | 岡部憲章 | 日本ハム | 2.70 |
最多勝利 | 江川卓 | 巨人 | 20勝 | 今井雄太郎 村田兆治 | 阪急 ロッテ | 19勝 |
最多奪三振 | 江川卓 | 巨人 | 221個 | 村田兆治 | ロッテ | 154個 |
最高勝率 | 江川卓 | 巨人 | .769 | 間柴茂有 | 日本ハム | 1.000 |
最優秀救援投手 | 角三男 | 巨人 | 28SP | 江夏豊 | 日本ハム | 28SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 江川卓 | 巨人 | 村田兆治 | ロッテ |
捕手 | 山倉和博 | 巨人 | 梨田昌崇 | 近鉄 |
一塁手 | 藤田平 | 阪神 | 柏原純一 | 日本ハム |
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 落合博満 | ロッテ |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 有藤道世 | ロッテ |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 石毛宏典 | 西武 |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | テリー.T | 西武 |
J.ライトル | 広島 | 福本豊 | 阪急 | |
田尾安志 | 中日 | 島田誠 | 日本ハム | |
指名打者 | 門田博光 | 南海 |
ダイヤモンドグラブ賞
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 西本聖 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 山倉和博 | 巨人 | 梨田昌崇 | 近鉄 |
一塁手 | 藤田平 | 阪神 | 柏原純一 | 日本ハム |
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 山崎裕之 | 西武 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 藤原満 | 南海 |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 石毛宏典 | 西武 |
外野手 | J.ライトル | 広島 | 島田誠 | 日本ハム |
山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 | |
松本匡史 | 巨人 | 簑田浩二 | 阪急 |
オールスターゲーム
詳細は「1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
第53回選抜高等学校野球大会優勝:PL学園(大阪府)
第63回全国高等学校野球選手権大会優勝:報徳学園(兵庫県)
大学野球
- 第30回全日本大学野球選手権大会優勝:明治大
- 第12回明治神宮野球大会優勝:法政大
東京六大学野球連盟優勝 春:明治大、秋:法政大
東都大学野球連盟優勝 春:亜細亜大、秋:専修大
関西大学野球連合優勝 春:近畿大、秋:近畿大
社会人野球
第52回都市対抗野球大会優勝:電電東京
第8回社会人野球日本選手権大会優勝:富士重工業
メジャーリーグ
詳細は「1981年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ
ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ) (4勝2敗) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
4月
4月1日 - 西武と南海はジム・タイロンと名取和彦のトレードが成立したと発表[1]。
4月4日 - プロ野球がセ・パ同時開幕[2]。
4月6日 - 巨人は島本啓次郎の近鉄への金銭トレードが成立したと発表[3]。
4月8日 - 第53回選抜高等学校野球大会の決勝戦が甲子園球場で行われ、大阪府のPL学園が千葉県の印旛高校を2-1で破り、選抜大会初の優勝[4]。
4月11日 - 巨人の定岡正二が甲子園球場での対阪神2回戦に先発し、初回先頭打者の北村照文に二塁打を打たれるも、後の打者を27人連続で打ち取り1-0で完封勝利を収める「準完全試合」となる[5]。
4月15日 - 南海の阪本敏三が球団事務所を訪ね今後の話し合いをし、任意引退することに[6]。
4月22日 - 阪急の高井保弘が西宮球場での対近鉄3回戦の5回裏に小林晋哉の代打として登場して1号3ラン本塁打を放ち、これで通算の代打本塁打が24本となり、自身が持つプロ野球の代打本塁打の通算記録を更新[7]。
4月28日 - 広島の山本浩二が広島球場での対中日4回戦の1回裏に7号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[8]。
5月
5月2日 - 近鉄の羽田耕一が日生球場での対西武4回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[9]。
5月6日 - 日本ハムの江夏豊が後楽園球場での対阪急5回戦の8回表1死より登板して3セーブ目をあげ、プロ通算100セーブを達成[10]。
5月19日 - 日本ハムの江夏豊が平和台球場での対南海6回戦でリリーフ登板して5セーブ目をあげ、史上はじめてセ・パ全球団からセーブを記録[11]。
5月21日 - 阪急の福本豊が西武球場での対西武9回戦でサイクルヒットを達成[12]。
5月31日 - 阪急の加藤英司が藤井寺球場での対近鉄10回戦の8回表に3号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[13]。
6月
6月3日 - 西武の大田卓司が西京極球場での対阪急11回戦の4回表に12号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[14]。
6月4日 - 大洋の野村収が神宮球場での対ヤクルト10回戦で3勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[15]。
6月8日 - 後楽園球場にて巨人対阪神第11回戦が行われ、巨人が阪神に5-8と敗戦し球団創設以来通算2000敗を記録[16]。
6月18日 - 広島の山本浩二が広島球場での対巨人15回戦の6回裏に二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[17]。
6月25日 - ロッテ対西武の12回戦が川崎球場で行われ、ロッテが西武に2-1と勝利、阪急対日本ハムの13回戦が西宮球場で行われ阪急が0-4と敗戦し、ロッテの前期優勝が決まる[18]。
7月
7月1日 - パ・リーグの前期日程が終了、未消化の試合は後期終了後に行うことに[19]。
7月3日 - パ・リーグの後期が開幕。
7月8日 - 大洋の中塚政幸が横浜球場での対阪神14回戦の4回裏に代打として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[20]。
7月19日
- 日本ハムの柏原純一が平和台球場での対西武3回戦の6回裏に、敬遠気味の高め球を強振し、左中間スタンドに飛び込む7号本塁打となる[21]。
- 広島のアート・ガードナーが横浜球場での対横浜12回戦の4回表に3ラン本塁打を放つも、大洋の捕手の辻恭彦がガードナーは本塁ベースを踏んでいないと球審の鈴木徹にアピールして認められたため、ガードナーがアピールアウトとなり、「3ラン本塁打」は「2点三塁打」となる[22]。
7月21日 - ヤクルトの大杉勝男が浜松球場での対中日16回戦の1回表に二塁打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[23]。
7月23日 - パ・リーグ会長の工藤信一良が脊髄腫瘍(せきずいしゅよう)のため東京都内の病院にて亡くなる[24]。
7月31日
- 南海の門田博光が大阪球場での対西武後期4回戦の3回裏に27号本塁打を放ち、プロ野球の月間最多本塁打数新記録となる16本を達成[25]。
- ヤクルトの大杉勝男が神宮球場での対大洋15回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[26]。
8月
8月1日 - 日本ハムの高橋一三が札幌円山球場での対近鉄後期5回戦で10勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[27]。
8月2日
第52回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場での行われ、東京都代表の電電東京が川崎市の東芝を3-2で下し、大会初優勝[28]。- 広島の山本浩二が広島球場での対中日19回戦の1回裏に31号本塁打を放ち、プロ通算1000打点を達成[29]。
8月4日 - 阪神の小林繁が横浜球場での対大洋16回戦の4回裏に屋敷要から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[30]。
8月5日 - 巨人はナゴヤ球場での対中日17回戦の1回表に得点を挙げ、セ・リーグ新記録となる144試合連続得点を達成[31]。
8月6日 - ロッテの村田兆治が宮城球場での対日本ハム後期6回戦で17勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[32]。
8月7日 - 阪神の掛布雅之がナゴヤ球場での対中日17回戦の第一打席から第三打席まで3打席連続で安打を放ち、5日の対大洋17回戦の第二打席から10打数連続安打のプロ野球タイ記録。第四打席でショートゴロに倒れ記録は10でストップ[33]。
8月10日 - 西武の山崎裕之が西武球場での対ロッテ後期5回戦の3回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[34]。
8月11日 - 阪急の中沢伸二が日生球場での対近鉄4回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[35]。
8月21日 - 第63回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場で行われ、兵庫県代表の報徳学園が京都府代表の京都商を2-0で破り初優勝[36]。
8月26日
- 阪急の山田久志が西武球場での対西武後期7回戦の1回裏に西武の山崎裕之から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[37]。
- 阪急の福本豊が西武球場での対西武後期の九回表に二盗、三盗を決め、プロ通算850盗塁を達成[38]。
- 大洋の福島久晃が広島市民球場での対広島14回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[39]。
8月27日 - 阪神は大阪市内の球団事務所で記者会見し、江本孟紀を任意引退選手にしたと発表。さる26日の甲子園球場での阪神対ヤクルト19回戦に先発して降板後に報道陣に対し「ベンチがアホだから野球ができない」と首脳陣を批判するコメントを出し、27日、球団代表の岡崎義人が江本を呼びこの件について事情聴取したが、江本はこの席で退団を申し入れたのを球団に認められたため[40]。
8月29日 - 阪急の加藤英司が西宮球場での対南海後期6回戦5回表に安打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[41]。
9月
9月1日 - 日本ハムの間柴茂有が後楽園球場での対近鉄後期11回戦で勝利投手となり、これで開幕から12連勝となり、1965年に南海の林俊宏のパ・リーグ記録と並ぶ[42]。
9月5日 - 大洋の田代富雄がナゴヤ球場での対中日24回戦4回表に25号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[43]。
9月6日 - 西武の田淵幸一が対ロッテ10回戦の9回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算400本塁打を達成[44]。
9月7日 - 日本ハムの間柴茂有が後楽園球場での対南海後期13回戦で勝利投手となり、これで開幕から13連勝のプロ野球タイ記録[45]。
9月9日 - 阪神の江本孟紀が午後、大阪市北区の阪神球団事務所を訪れ、任意引退の手続きを行う[46]。
9月11日 - 中日の大島康徳が広島球場での対広島23回戦の3回表に二塁打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[47]。
9月12日 - 日本ハムの江夏豊が西宮球場での対阪急後期10回戦の10回裏にリリーフ登板し、プロ通算700試合登板を達成[48]。
9月23日
- セ・リーグは、2位の広島がナゴヤ球場での対中日26回戦で5-6で中日に破れ、巨人のリーグ優勝が決定[49]。
- パ・リーグは、2位の阪急が西武球場での対西武後期12回戦で3-4で西武に敗れ、日本ハムの後期優勝が決定[49]。
9月24日 - 大洋漁業の社長の中部藤次郎が記者会見し、「長島茂雄氏に対して監督就任を要請した」と発表[50]。
9月25日 - 大洋は監督の土井淳が休養し、投手コーチの山根俊英が監督代行となることを発表[51]。
10月
10月2日 - 近鉄の監督の西本幸雄が、大阪の上本町の近鉄本社にオーナーの佐伯勇を訪ね、シーズンの報告と、健康上の問題から辞任を申し入れ、受理される[52]。
10月4日
- パ・リーグは後期最終戦の西武対ロッテ戦と、前期の残り試合の近鉄対阪急ダブルヘッダーの2試合が行われ、パ・リーグの全日程が終了[53]。
- この日日生球場で行われた近鉄対阪急のダブルヘッダーは「西本監督勇退サヨナラ試合」として内外野席が無料開放され、試合終了後西本は近鉄・阪急両ナインから胴上げされる[54]。
10月5日 - 巨人の河埜和正が後楽園球場での対ヤクルト26回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[55]。
10月6日 - 近鉄は上本町の近鉄本社にて午後3時より記者会見し、打撃コーチだった関口清治が新監督に就任したと発表[56]。
10月13日 - パ・リーグのプレーオフの第5戦が後楽園球場で行われ、日本ハムがロッテを8-4で破り、1962年の東映時代以来19年ぶり2度目のパ・リーグ優勝[57]。
10月14日
- 広島球場にて広島対ヤクルトの26回戦を消化し、これでセ・リーグの全日程が終了[58]。
- 東京・数寄屋橋のニュートーキョーにて正午より東京運動記者クラブの沢村賞選考委員会による沢村賞の選考が行われ、巨人の西本聖が選出される[59]。
10月23日 - 阪神は大阪市北区のホテル阪神にて午後2時から記者会見し、二軍監督の安藤統男の新監督就任を発表[60]。
10月25日 - 日本シリーズの第6戦が後楽園球場にて行われ、巨人が日本ハムを8-1と破り対戦成績を4勝2敗として、1973年以来の日本一を達成[61]。
10月27日 - 1981年度のセ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決めるプロ野球記者投票が午前10時から東京・銀座のコミッショナー事務局で開票。最優秀選手にセ・リーグは江川卓、パ・リーグは江夏豊が選出される。最優秀新人にセ・リーグは巨人の原辰徳、パ・リーグは西武の石毛宏典が選出される[62]。
10月28日 - 【MLB】ワールドシリーズのロサンゼルス・ドジャース対ニューヨーク・ヤンキースの第6戦がニューヨークのヤンキースタジアムで行われ、ドジャースが9-2でヤンキースに勝利し、1965年以来球団史上5度目のワールドチャンピオンとなる[63]。シリーズの最優秀選手にペドロ・ゲレーロ、ロン・セイ、スティーブ・イェーガーの3名[64]。
10月29日
- 西武は午後3時から東京・池袋の球団事務所にて野球評論家の広岡達朗が監督に就任したと発表[65]。
- ロッテの監督の山内一弘が西新宿のロッテ本社に球団社長の松井静郎を訪ね今季限りでの辞任を申し入れ了承される[66]。
11月
11月4日 - 大洋は午後5時より横浜市のニューグランドホテルにて臨時株主総会を開き、球団社長が武田五郎が退任し塩谷政徳を選出、球団代表の別当薫が退任し柴山二郎を選出[67]。
11月6日 - 大洋は午後4時から横浜市のニューグランドホテルにて記者会見し、関根潤三が監督に就任したと正式に発表[68]。
11月13日 - ロッテは錦糸町のロッテ会館にて近鉄の一軍打撃コーチの山本一義が監督に就任したと正式に発表[69]。
誕生
1月
1月8日 - ジェフ・フランシス
1月11日 - 土居龍太郎
1月13日 - ダレル・ラズナー
1月18日 - 實松一成
1月25日 - 許竹見
1月30日 - 久保田智之
1月31日 - 森本稀哲
2月
2月4日 - トム・マストニー
2月16日 - ロドリゴ宮本
2月18日 - 矢口哲朗
- 2月18日 - アレックス・リオス
2月21日 - 和田毅
2月23日 - ホセ・アンヘル・ガルシア
2月28日 - ブライアン・バニスター
3月
3月3日 - 沈鈺傑
3月4日 - 酒井順也
3月9日 - リッキー・バレット
3月11日 - 潘武雄
3月12日 - 井生崇光
3月13日 - マイク・アビレス
3月14日 - ボビー・ジェンクス
3月16日 - カーティス・グランダーソン
3月17日 - 館山昌平
3月19日 - ホセ・カスティーヨ
3月20日 - 衣川篤史
3月23日 - 加藤健
3月25日 - 林恩宇
- 3月25日 - 陽森
3月26日 - 妹尾軒作
3月28日 - 石川雅実
3月30日 - 工藤隆人
ここまでの選手については松坂世代を参照
4月
4月3日 - ライアン・ドゥーミット
4月5日 - ホルヘ・デラロサ
4月8日 - 呉本成徳
- 4月8日 - 山崎敏
- 4月8日 - 山本賢寿
4月9日 - A.J.エリス
- 4月9日 - クリス・スミス
- 4月9日 - デニス・サファテ
4月10日 - 上野弘文
4月11日 - 鶴岡慎也
4月12日 - 岩隈久志
- 4月12日 - 新里賢
4月14日 - 岩舘学
4月16日 - 七野智秀
4月18日 - 中本和希
4月19日 - 比嘉寿光
4月28日 - ヨスラン・エレラ
5月
5月1日 - 林英傑
- 5月1日 - マニー・アコスタ
5月4日 - 裵英洙
5月6日 - 中村公治
5月7日 - 長崎元
5月9日 - ビル・マーフィー
5月10日 - 岸田護
- 5月10日 - 徐錚
5月12日 - 細見直樹
5月15日 - 鈴木寛樹
- 5月15日 - ジャスティン・モルノー
5月16日 - 野口祥順
5月20日 - 新井亮司
- 5月20日 - 岡本篤志
- 5月20日 - 田中賢介
- 5月20日 - 藤井淳志
5月21日 - ジョシュ・ハミルトン
5月26日 - ベン・ゾブリスト
5月28日 - ダニエル・カブレラ
5月31日 - ジェイク・ピービー
6月
6月1日 - 石川賢 (1981年生の投手)
- 6月1日 - カルロス・ザンブラーノ
6月3日 - 川崎宗則
6月5日 - 松村豊司
- 6月5日 - 眞山龍
6月8日 - 條辺剛
- 6月8日 - 末永真史
6月11日 - 朝倉健太
6月15日 - 大島裕行
6月16日 - ジョー・ソーンダース
6月21日 - ギャレット・ジョーンズ
6月26日 - 鳥谷敬
6月28日 - ブランドン・フィリップス
7月
7月4日 - 石井裕也
7月5日 - ジェシー・クレイン
7月7日 - 塀内久雄
7月9日 - 覚前昌也
- 7月9日 - 南竜介
7月11日 - ブレイン・ボイヤー
7月14日 - 古谷拓哉
7月20日 - 由田慎太郎
7月24日 - 野村宏之
7月31日 - 糸井嘉男
- 7月31日 - アダム・バス
8月
8月2日 - 朱尉銘
8月3日 - 岡本浩二
8月5日 - カール・クロフォード
8月6日 - 村西哲幸
8月11日 - 森山周
8月13日 - ランディ・メッセンジャー
8月15日 - オリバー・ペレス
8月19日 - 福沢卓宏
8月24日 - トム・ブライス
8月27日 - 南和彰
8月30日 - アダム・ウェインライト
8月31日 - ラモン・ラミレス (1981年生の投手)
9月
9月9日 - 川島亮
9月10日 - キャメロン・ロー
9月15日 - 佐々木貴賀
9月19日 - スコット・ベイカー (右投手)
9月22日 - 苫米地鉄人
- 9月22日 - アレクセイ・ラミレス
9月29日 - 藤崎大輔
10月
10月2日 - 宮本大輔
10月3日 - マット・マートン
10月5日 - 筒井和也
- 10月5日 - 中東直瑛
10月13日 - 一輝(嶋村一輝)
10月16日 - 郭岱琦
10月28日 - 田中一徳
10月29日 - 小松聖
- 10月29日 - 吉原道臣
10月31日 - マイク・ナポリ
11月
11月3日 - 正田樹
11月4日 - 脇谷亮太
11月13日 - 高谷裕亮
- 11月13日 - 吉川輝昭
11月16日 - 高山久
11月26日 - 青木高広
11月30日 - リッチ・ハーデン
12月
12月4日 - 金子洋平
- 12月4日 - 高宮和也
12月6日 - 牛田成樹
- 12月6日 - 佐藤賢
12月8日 - 馬原孝浩
12月14日 - ショーン・マーカム
12月16日 - ナタナエル・マテオ
12月20日 - ジェームズ・シールズ
12月22日 - 迎祐一郎
12月25日 - ウィリー・タベラス
12月26日 - オマー・インファンテ
死去
2月18日 - 藤本定義(*1904年)
5月6日 - 浜崎真二(*1901年)
5月23日 - 畑福俊英(*1913年)
6月22日 - 加藤喜作(*1908年)
7月23日 - 工藤信一良(*1906年)
8月22日 - 田川豊(*1918年)
9月6日 - エディ・エインスミス(*1890年)
10月25日 - ピート・ライザー(*1919年)
11月9日 - 山川武範(*1922年)
12月18日 - 桝嘉一(*1908年)
脚注
^ 毎日新聞1981年4月2日14面「タイロン、南海入り 開幕直前、名取と交換」毎日新聞縮刷版1981年4月p54
^ 毎日新聞1981年4月5日17面「黄金ルーキー合格デビュー」毎日新聞縮刷版1981年4月p157
^ 毎日新聞1981年4月7日16面「巨人島本、兄のいる近鉄へ」毎日新聞縮刷版1981年4月p212
^ 毎日新聞1981年4月9日1面「PL学園 初優勝 印旛無念、九回逆転負け」毎日新聞縮刷版1981年4月p263
^ 毎日新聞1981年4月12日19面「定岡が“準完全試合” 初打者以外 27人連続ナデ切り」毎日新聞縮刷版1981年4月p381
^ 毎日新聞1981年4月16日19面「阪本が任意引退」毎日新聞縮刷1981年4月p499
^ 毎日新聞1981年4月23日15面「高井、24本目の代打アーチ」毎日新聞縮刷版1981年4月p713
^ 毎日新聞1981年4月28日17面「山本浩が350号」毎日新聞縮刷版1981年4月p917
^ 毎日新聞1981年5月3日17面「1000試合出場」毎日新聞縮刷版1981年5月p79
^ 毎日新聞1981年5月7日19面「江夏、100セーブ達成」毎日新聞縮刷版1981年5月p155
^ 毎日新聞1981年5月20日15面「火消江夏にまた勲章 初めて全球団からセーブ」毎日新聞縮刷版1981年5月p549
^ 毎日新聞1981年5月22日19面「13年目、足でかせいだ初の勲章」毎日新聞縮刷版1981年5月p617
^ 毎日新聞1981年6月1日19面「阪急、首位を奪取 加藤英"千金"250号 近鉄に逆転勝ち」毎日新聞縮刷版1981年6月p19
^ 毎日新聞1981年6月4日15面「通算100号本塁打」毎日新聞縮刷版1981年6月p105
^ 毎日新聞1981年6月5日19面「野村やっと100勝」毎日新聞縮刷版1981年6月p149
^ 毎日新聞1981年6月9日19面「巨人、通算2,000敗」毎日新聞縮刷版1981年6月p269
^ 毎日新聞1981年6月19日19面「通算3000塁打」毎日新聞縮刷版1981年6月p593
^ 毎日新聞1981年6月25日19面「ロッテ、執念の前期V2」毎日新聞縮刷版1981年6月p787
^ 毎日新聞1981年7月1日19面「“熱パ”前期日程終わる 未消化試合は後期終了後に」毎日新聞縮刷版1981年7月p59
^ 毎日新聞1981年7月9日19面「1500試合出場」毎日新聞縮刷版1981年7月p287
^ 毎日新聞1981年7月20日17面「真夏の夜…アーチ珍事 敬遠のボールを2ラン 柏原」毎日新聞縮刷版1981年7月p639
^ 毎日新聞1981年7月20日17面「“幻の3ラン”で逆転 ガードナー 本塁踏み忘れ2点三塁打に」毎日新聞縮刷版1981年7月p639
^ 毎日新聞1981年7月22日15面「大杉が2000本安打 テスト生、17年目の金字塔」毎日新聞縮刷版1981年7月p699
^ 毎日新聞1981年7月20日17面「パ・リーグ振興に貢献」毎日新聞縮刷版1981年7月p737
^ 毎日新聞1981年8月1日15面「門田、月間アーチ日本新 16本目、満塁で飾る」毎日新聞縮刷版1981年8月p15
^ 毎日新聞1981年8月1日15面「2000試合出場」毎日新聞縮刷版1981年8月p15
^ 毎日新聞1981年8月2日18面「高橋一、17年目の150勝 『敗戦処理』から見事な復活」毎日新聞縮刷版1981年8月p48
^ 毎日新聞1981年8月日夕刊1面「東京・電電が初優勝 都市対抗野球」毎日新聞縮刷版1981年8月p55
^ 毎日新聞1981年8月3日夕刊6面「山本浩千打点」毎日新聞縮刷版1981年8月p60
^ 毎日新聞1981年8月1日15面「小林、完投勝ち 1000奪三振」毎日新聞縮刷版1981年8月p111
^ 毎日新聞1981年8月6日19面「巨人、セ新の144連続試合得点」毎日新聞縮刷版1981年8月p143
^ 毎日新聞1981年8月7日19面「村田、完封で150勝」毎日新聞縮刷版1981年8月p183
^ 毎日新聞1981年8月8日15面「掛布の季節 やった10打数連続安打 日本タイ」毎日新聞縮刷版1981年8月p211
^ 毎日新聞1981年8月11日15面「300二塁打」毎日新聞縮刷版1981年8月p289
^ 毎日新聞1981年8月12日14面「1000試合出場」毎日新聞縮刷版1981年8月p316
^ 朝日新聞1981年8月22日1面「栄冠は報徳学園に 京都商を抑え初優勝 全国高校野球」朝日新聞縮刷版1981年8月p709
^ 毎日新聞1981年8月27日19面「山田1500奪三振 福本850盗塁 阪急が後期『西武球場1勝』」毎日新聞縮刷版1981年8月p769
^ 読売新聞1981年8月27日17面「福本、輝く850盗塁」読売新聞縮刷版1981年8月p959
^ 朝日新聞1981年8月27日17面「大洋の福島、千試合出場」朝日新聞縮刷版1981年8月p903
^ 読売新聞1981年8月28日17面「阪神・江本、突然の退団 首脳陣批判が問題に」読売新聞縮刷版1981年8月p1007
^ 毎日新聞1981年8月30日19面「1500本安打」毎日新聞縮刷版1981年8月p875
^ 毎日新聞1981年9月2日15面「“無傷の男”間柴 パ・タイ 12連勝」毎日新聞縮刷版1981年9月p47
^ 毎日新聞1981年9月6日19面「150本塁打」毎日新聞縮刷版1981年9月p183
^ 毎日新聞1981年9月6日19面「田淵、アダ花400号 7人目快記録遅かった」毎日新聞縮刷版1981年9月p203
^ 毎日新聞1981年9月8日19面「間柴、開幕13連勝 “転がり込んだ” 日本タイ ハム、土壇場大逆転サヨナラ」毎日新聞縮刷版1981年9月p235
^ 読売新聞1981年9月10日17面「江本、引退表明」読売新聞縮刷版1981年9月p375
^ 毎日新聞1981年9月12日19面「1000本安打」毎日新聞縮刷版1981年9月p379
^ 毎日新聞1981年9月13日19面「通算700試合登板」毎日新聞縮刷版1981年9月p411
- ^ ab読売新聞1981年9月24日夕刊1面「巨人 4年ぶり優勝 セ・リーグ パ・リーグ後期は日本ハム」読売新聞縮刷版1981年9月p929
^ 毎日新聞1981年9月25日19面「強気の“長島獲得宣言” 大洋漁業社長『いい線』“二浪”でも 代理監督で待つ」毎日新聞縮刷版1981年9月p767
^ 毎日新聞1981年9月26日19面「土井監督が休養 大洋、代行に山根コーチ」毎日新聞縮刷版1981年9月p813
^ 読売新聞1981年10月3日17面「西本監督(近鉄)ついに勇退 挑戦8度『日本一』ならず 20年、2663試合 1382勝」読売新聞縮刷版1981年10月p105
^ 読売新聞1981年10月5日16面「落合、初の首位打者 ソレイタは二冠 江夏セーブ王」読売新聞縮刷版1981年10月p176
^ 読売新聞1981年10月5日16面「西本さん最後のユニフォーム」読売新聞縮刷版1981年10月p176
^ 読売新聞1981年10月6日19面「巨人・河埜和正内野手が1000試合出場」読売新聞縮刷版1981年10月p227
^ 読売新聞1981年10月7日17面「『近鉄の力は落ちていない』関口新監督」読売新聞縮刷版1981年10月p269
^ 読売新聞1981年10月14日1面「パ覇者は日本ハム 巨人と日本シリーズ 17日から」読売新聞縮刷版1981年10月p533
^ 読売新聞1981年10月15日17面「セ・リーグ全日程終了 山本浩が連続二冠 本塁打王 打点王 盗塁王は青木」読売新聞縮刷版1981年10月p597
^ 読売新聞1981年10月15日17面「沢村賞に“熱投”西本 江川と3票差 優勝の足固めを評価」読売新聞縮刷版1981年10月p597
^ 読売新聞1981年10月24日17面「阪神『安藤監督』発表」読売新聞縮刷版1981年10月p997
^ 読売新聞1981年10月26日1面「巨人8年ぶり日本一 日本シリーズ MVPに西本投手」読売新聞縮刷版1981年10月p1049
^ 読売新聞1981年10月28日17面「MVPに江川 江夏 新人王は原、石毛」読売新聞縮刷版1981年10月p1165
^ 読売新聞1981年10月30日17面「ドジャース16年ぶり優勝 Wシリーズ ヤンキースを逆転、4連勝」読売新聞縮刷版1981年10月p1257
^ 読売新聞1981年10月30日17面「MVPに史上初の3人」読売新聞縮刷版1981年10月p1257
^ 読売新聞1981年10月30日17面「広岡氏、西武と契約(5年) 破格の待遇 優勝に自信満々」読売新聞縮刷版1981年10月p1257
^ 読売新聞1981年10月30日17面「山内ロッテ監督辞任」読売新聞縮刷版1981年10月p1257
^ 読売新聞1981年11月5日17面「球団社長は塩谷氏」読売新聞縮刷版1981年11月p171
^ 読売新聞1981年11月7日17面「『関根・大洋監督』を発表 『長島君へ喜んでタッチ』」読売新聞縮刷版1981年11月p259
^ 読売新聞1981年11月14日19面「ロッテ新監督 山本一義氏に」読売新聞縮刷版1981年11月p523
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