大阪市立栄小学校
大阪市立栄小学校 | |
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過去の名称 | 西大組第二十二区小学校 西成郡栄尋常高等小学校 大阪市栄第一尋常高等小学校 大阪市栄国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
併合学校 | 大阪市東栄国民学校 大阪市南栄国民学校 |
設立年月日 | 1872年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒556-0027 |
大阪市浪速区浪速東1丁目1番61号 北緯34度39分31.4秒東経135度29分0.9秒 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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大阪市立栄小学校(おおさかしりつ さかえしょうがっこう)は、大阪市浪速区にある公立小学校。
1872年に創立し、浪速区では歴史の古い小学校の一つである。
校地は現在の大阪人権博物館の場所を経て、1975年に木津川2丁目に移転し、2014年には浪速東1丁目・もと浪速青少年会館敷地に移転した[1]。
目次
1 沿革
1.1 学校創立
1.2 栄第二(東栄)小学校
1.3 有隣小学校
1.4 国民学校
1.5 学制改革以降
1.6 年表
2 通学区域
3 交通
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
沿革
学校創立
当時の西成郡渡辺村(町村制実施で西浜町)の住民が学校設置の要望を出し、1872年に徳浄寺境内にて西大組第二十二区小学校として開校した。1875年9月に竣工した校舎は、学校の記念誌によると当時日本一と称されたと記されている。学校制度の変遷などを経て、1893年には西成郡栄尋常高等小学校と称した。校名は所在地のかつての地名である渡辺村字栄町による。
西浜町は1895年、大阪市の第一次市域拡張により大阪市(南区、1925年分区で浪速区)に編入された。これに伴い大阪市栄尋常高等小学校と称している。
栄第二(東栄)小学校
児童数の増加により、1922年には栄小学校より分離する形で、南区木津北島町(現在の浪速区浪速東1丁目・もと浪速青少年会館、2014年より栄小学校敷地)に大阪市栄第二尋常小学校(のち東栄(とうえい)国民学校)を設置した。これに伴い従来の栄尋常高等小学校は大阪市栄第一尋常高等小学校へと改称している。
栄第二小学校の所在地付近はもともと西浜町ではなく隣接する木津村であり、大阪市編入後も南区木津北島町と呼ばれていた。
昭和時代初期までの大阪市は学区制を敷いていた。ここでの学区制は「校区・通学区域」の意味とは異なり、市内をいくつかの小学校費用負担区域(学区)に分け、小学校設置・運営に関わる諸費用は大阪市の直営ではなく地域の財産として運営する仕組みのことを指す。現在の浪速区界隈では大阪市編入前の旧町村ごとに学区を設置してそれぞれ学校運営にあたっていた。
木津北島町の児童は、本来は木津学区(旧木津村)の小学校(現在の敷津小学校・大国小学校)へ通学することになっていた。
しかし木津北島町周辺の人口の急増は栄学区(旧西浜町)の膨張による要因が大きいことを背景に、木津学区では同地区在住児童に栄小学校への就学をすすめた。一方で栄学区では、学区外にあたる同地域からの栄小学校への受け入れが困難だった。また地域に貧困層が多く集住していた背景もあり、地域での児童の不就学の状況が目立つようになっていた。
不就学を解消するために1921年に木津北島町を栄学区に編入し、小学校を増設することにした。この編入を象徴するかのように、同年、木津北島町は栄町に改称されている。翌1922年に増設された小学校が栄第二小学校にあたる。
有隣小学校
栄小学校校区周辺では、地域の貧困層児童向けの夜間小学校として、1911年に有隣(ゆうりん)小学校が開校している。当時の難波警察署長が学校設置構想を出し、地域で皮革業を営んでいた新田長次郎ら地域の篤志家が寄付金を出して開校にこぎ着けている。
有隣小学校は私立学校として発足したが、1922年に大阪市に移管された。1927年には有隣勤労学校に改編され、小学校に準じた課程を持つ各種学校として運営されることになった。
有隣小学校の敷地は、今宮駅西側(現在の大阪市立浪速第一保育所および市営住宅付近)にあった。
国民学校
1941年の国民学校令施行により、従来の栄第一尋常高等小学校は栄国民学校に、栄第二尋常小学校は東栄国民学校にそれぞれ改称している。
大阪市では国民学校への改編の際、従来「地域名+創立順の番号」で命名されていた学校についてはこれを廃し、地名などを取り入れた学校名へと一斉に変更する方針をあわせて出している。これに伴い栄・東栄の校名となった。
また有隣勤労学校も1941年に国民学校に改編され、有隣国民学校と称した。有隣国民学校は1944年に南栄(なんえい)国民学校へと改称した。1945年6月には高等科単独へ改編されている。
太平洋戦争の戦局悪化により、1944年以降大阪市など大都市の国民学校児童について学童疎開が実施されることになった。疎開方法は縁故での疎開を原則としたもの、縁故疎開できない児童については学校単位で集団疎開を実施することになった。疎開先の府県は各行政区ごとに割り当てられ、浪速区の国民学校では滋賀県への疎開が決定した。栄国民学校の児童は野洲郡守山町(現在の守山市)へ、また東栄国民学校の児童は滋賀郡坂本村(現在の大津市坂本地区)および雄琴村(現在の大津市雄琴地区)へと疎開している。一方で南栄国民学校については、貧困層の児童が多く疎開費用[2]が支払えない家庭も多くあったこともあり、大阪市内で唯一集団疎開の実施が見送られた。
浪速区は1945年の大阪大空襲で大きな被害を受けた。同年3月13日から翌3月14日の第一次大阪大空襲では、東栄・南栄両校の校舎が全焼した。また地域も大きな被害を受け、終戦後の1946年には東栄・南栄の両校を休校(のち正式に廃校)として栄国民学校へ統合している。
学制改革以降
1947年の学制改革により、大阪市立栄小学校となった。1975年には木津川2丁目に移転している。
木津川2丁目にあった当時の校地は約4万6700平方メートル、建物延べ面積は3万1200平方メートルと、平均的な大阪市立小学校4校強に相当する広さを持つ。廊下の幅は7メートル、劇場のような講堂、広大な体育館、1000人収容の食堂、運動場には200メートルトラックを完備し、日本一の小学校といわれた[3]。
一方で栄小学校は児童数の減少傾向が続き、2000代後半時点では1学年1学級の単学級校となり、児童数も百数十人となった。
学校規模と比較して校地が広すぎるため空き教室が30教室以上になっていることや、学校の施設管理・児童の安全管理の面でも支障が指摘されるなどした。そのため学校規模に見合った敷地で効率的な教育活動をおこなうことなどを目的に、栄小学校を2013年度にもと浪速青少年会館敷地(浪速東1丁目)に縮小移転させる[1]計画が、2010年8月に大阪市教育委員会から発表された。現栄小学校跡地は改修・整備の上で2014年度より、入学者の増加による学校過密化が問題化している大阪市立難波特別支援学校を移転させる[4]予定となっていた。
もと浪速青少年会館は一部を栄小学校敷地予定地にして残りを売却することにしたが、売却予定地での土壌汚染が見つかり、汚染状況の調査のために移転時期が1年遅れ、2014年度よりの移転へと変更された。これに伴い難波特別支援学校の移転も2015年度に変更された
[5]。
年表
1871年 - 当時の渡辺村住民が、小学校設置の願いを出す。
1872年 - 徳浄寺境内にて西大組第二十二区小学校として開校。
1875年9月 - 校舎が竣工。
1893年4月1日 - 西成郡栄尋常高等小学校と改称。
1897年 - 西浜町の大阪市への編入により、大阪市栄尋常高等小学校と改称。
1911年 - 地域の篤志家により、私立有隣小学校(のち南栄国民学校)が開校。
1922年 - 大阪市栄第一尋常高等小学校と改称。栄第二尋常小学校(のちの東栄国民学校・廃校)を分離。
1941年4月1日 - 国民学校令により、大阪市栄国民学校と改称。
1946年 - 戦災により東栄国民学校・南栄国民学校を統合。
1947年4月1日 - 学制改革により、大阪市立栄小学校と改称。
1975年 - 木津川2丁目3番30号に校舎が完成し移転。
2000年 - 大阪市教育委員会から「総合的な学習の時間」の研究校に指定され、研究発表を実施。
2004年 - 文部科学省から学力向上フロンティアスクール実施校に指定され、研究発表を実施。
2005年 - 文部科学省から「伝え合う力を養う調査研究事業」研究校に指定され、研究発表を実施。
2014年 - 現在地に移転。
通学区域
- 大阪市浪速区 浪速西1-4丁目、浪速東1-3丁目、芦原2丁目(一部)、久保吉1丁目(一部)、木津川2丁目(一部)
- 卒業生は大阪市立難波中学校へ進学する。
交通
大阪環状線 芦原橋駅 西へ約500m。
南海汐見橋線 芦原町駅 南西へ約300m。
脚注
- ^ ab
大阪市 (2010年8月26日). “大阪市報道発表資料 栄小学校を移転します” (日本語). 2010年8月27日閲覧。
^ 集団疎開には月10円の保護者負担が求められた。
^ 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.136(部落問題研究所、1988年)
^
大阪市 (2010年8月26日). “大阪市報道発表資料 新しい特別支援学校の整備をします” (日本語). 2010年8月27日閲覧。
^
大阪市 (2012年8月6日). “大阪市立栄小学校の移転並びに大阪市立難波特別支援学校の整備を延期します” (日本語). 2015年3月2日閲覧。
参考文献
- 大阪市立栄小学校 『さかえ:栄小学校100周年記念誌』、1972年。
- 赤塚康雄 『消えたわが母校 なにわの学校物語』 柘植書房、1995年。
- 赤塚康雄 『続 消えたわが母校 なにわの学校物語』 つげ書房新社、2000年。
関連項目
- 大阪府小学校一覧
外部リンク
- 公式ウェブサイト