八丈島


































八丈島

Landsat Hachijojima Island.jpg
衛星写真(左は八丈小島)

所在地
日本の旗 日本(東京都)
所在海域
太平洋(フィリピン海)
座標
北緯33度06分34秒
東経139度47分29秒
座標: 北緯33度06分34秒 東経139度47分29秒
面積
69.11 km²
海岸線長
58.91 km
最高標高
854.3 m
Izu islands.png

Project.svg プロジェクト 地形
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八丈島

雨温図(説明)
































1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

 

 

190

 

13

8


 

 

203

 

13

8


 

 

309

 

16

9


 

 

227

 

19

13


 

 

251

 

21

16


 

 

381

 

23

19


 

 

225

 

27

23


 

 

179

 

29

24


 

 

339

 

28

22


 

 

466

 

24

18


 

 

251

 

20

14


 

 

183

 

16

10

気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁



































八丈島(はちじょうじま)は、伊豆諸島の島。行政区分は東京都八丈町。隣の八丈小島と区別するため、八丈本島もしくは八丈大島と呼ばれることもある。日本の気象庁による火山活動度ランクCの活火山である。1964年、富士箱根伊豆国立公園に指定された。




目次






  • 1 地理


  • 2 歴史


  • 3 方言


  • 4 行政機関


  • 5 交通


    • 5.1 空港


    • 5.2 航空路


    • 5.3 海路




  • 6 温泉


  • 7 海水浴場


  • 8 特産品


  • 9 その他


  • 10 出身者


  • 11 八丈島が舞台となっている作品


  • 12 備考


  • 13 脚注


  • 14 関連項目


  • 15 外部リンク





地理


東京都の本州島側地域の南方海上287キロメートル、御蔵島の南南東方約75キロメートルにあり、東山(別名:三原山・標高701メートル)と西山(別名:八丈富士・標高854メートル)のふたつの火山が接合した北西-南東14キロメートル、北東-南西7.5キロメートルのひょうたん型をした島。面積は山手線の内側とほぼ同じ。(面積の比較)




地形図
上が西山(別名:八丈富士)
右が東山(別名:三原山)


富士火山帯に属する火山島で、東山は約10万年前から約3700年前まで活動し、約4万年前にカメソウノ鼻火砕流、鴨川火砕流を噴出した噴火で山頂部に6×4.5kmの東山カルデラを形成したと考えられている。完新世内では約4千年前と約6.6千年前に規模の大きな噴火が発生している。最終噴火は有史以前であり歴史記録上の噴火はない。西山は数千年前から活動を始めた新しい火山で、山頂に直径約500メートルの火口がある。1487年12月、1518年2月、1522年 - 1523年、1605年10月、1606年1月に噴火が記録されており、特に1606年の記録には、海底噴火によって火山島ができたとされる。


東山と西山の間にある低地には、20以上の側火山(寄生火山)があり、海岸近くには神止山などのマグマ水蒸気爆発による火砕丘がある。17世紀までに数回活動した記録があるが、規模は大きくなかったと考えられている。


気候は、暖流である黒潮の影響を受け、海洋性気候となっている。年平均気温は17.8℃となっており、高温多湿。年間を通して風が強く、雨が多いのが特徴。そのため、「常春の島」とも言われている。なお、雪は全く降らないというわけではなく数年に一度の頻度で降る[1]










































































































































































八丈島(1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

最高気温記録 °C (°F)
20.7
(69.3)
21.9
(71.4)
22.4
(72.3)
26.3
(79.3)
27.4
(81.3)
30.4
(86.7)
31.9
(89.4)
33.5
(92.3)
33.2
(91.8)
29.8
(85.6)
26.3
(79.3)
22.8
(73)
33.5
(92.3)
平均最高気温 °C (°F)
12.7
(54.9)
13.3
(55.9)
15.5
(59.9)
18.7
(65.7)
21.2
(70.2)
23.4
(74.1)
27.2
(81)
29.3
(84.7)
27.5
(81.5)
23.6
(74.5)
19.7
(67.5)
15.7
(60.3)
20.7
(69.3)
日平均気温 °C (°F)
10.1
(50.2)
10.2
(50.4)
12.2
(54)
15.6
(60.1)
18.3
(64.9)
20.9
(69.6)
24.9
(76.8)
26.3
(79.3)
24.5
(76.1)
20.7
(69.3)
16.7
(62.1)
12.7
(54.9)
17.8
(64)
平均最低気温 °C (°F)
7.5
(45.5)
7.5
(45.5)
9.0
(48.2)
12.9
(55.2)
16.0
(60.8)
19.0
(66.2)
22.9
(73.2)
23.9
(75)
22.2
(72)
18.3
(64.9)
13.9
(57)
9.7
(49.5)
15.2
(59.4)
最低気温記録 °C (°F)
−1.8
(28.8)
−2
(28)
1.5
(34.7)
4.5
(40.1)
8.7
(47.7)
14.1
(57.4)
16.6
(61.9)
19.8
(67.6)
15.1
(59.2)
12.0
(53.6)
7.0
(44.6)
1.4
(34.5)
−2
(28)

降水量 mm (inch)
190.0
(7.48)
202.9
(7.988)
308.6
(12.15)
226.8
(8.929)
251.2
(9.89)
380.5
(14.98)
224.6
(8.843)
179.3
(7.059)
338.9
(13.343)
465.9
(18.343)
250.7
(9.87)
182.9
(7.201)
3,202.4
(126.079)
平均降水日数 (≥ 0.5 mm)
15.8
15.0
18.3
13.8
14.5
15.6
12.5
12.4
15.6
17.4
14.3
14.8
180
% 湿度
71
68
69
80
86
96
92
86
86
82
73
70
80
平均月間日照時間
85.7
83.8
122.3
133.5
135.6
91.8
118.5
170.0
134.2
106.8
108.1
108.2
1,398.5

出典 1: 気象庁

出典 2: 年ごとの値


歴史


考古学的には縄文時代に人が住んでいたことが、湯浜遺跡や倉輪遺跡から確認されている。[2]


律令制度においては東海道駿河国に当初含まれていた。


平安時代に伊豆大島へ流罪となった源為朝が渡来し、八丈小島で自害した伝説が残っている[3]。しかし、庶子であった二郎丸は生き延びのちに源頼朝より戦での功績として八丈島を領地として賜り、それから約1,000年、源為朝の子孫が暮らし続けている。八丈島の公式な流人第一号は、慶長5年関ヶ原の戦いに西軍石田三成方に属した宇喜多秀家である。


秀家の子孫は、秀家の正室であった豪姫の実家である加賀藩前田氏の援助を受けながら数家に分かれて存続し、明治維新後の1869年に至ってようやく赦免された。赦免と同時に直系の者は島を離れて板橋宿の加賀藩下屋敷跡に土地を与えられて移住したが、数年後に島へ戻った子孫の家系が現在も秀家の墓を守っている。


最後の流人(最後まで流刑状態にあった人物)は北方探検で知られる旗本近藤重蔵の嫡男、近藤富蔵である。1826年(文政9年)に殺人を犯して八丈島に遠島となり50年以上もの間、島で流人としての日々を送った。1880年(明治13年)にようやく明治政府により赦免。彼が流人生活の間に記した『八丈実記』は島の研究の資料として東京都文化財に指定されている。


また、吉村昭の『漂流』は、野村長平ら鳥島への漂着者を題材にした小説だが、彼らが青ヶ島を経由して生還した地が八丈島であり、五か村四千戸が地役人を中心に統治され本土との連絡も緊密な様子が終盤に描写されている。





靖国神社の軍事博物館「遊就館」の回天一型


太平洋戦争の際には、連合軍の南方からの侵攻に備えるべく、小笠原諸島が陥落した際の次なる防衛拠点とされていた。1945年春時点では民間人口を大きく上回る陸軍・海軍の守備隊が配置されていた[4]。東日本では唯一の回天基地も造られた。1944年7月以降に島民の本土疎開が進められて人口の7割にあたる5,853人が、外国人疎開地に指定されていた長野県軽井沢町などに避難したが、その途中で疎開船「東光丸」がアメリカ軍に撃沈されて島民約60人を含む149人が死亡する事件も起きた。島は空襲にもしばしばさらされ、民間人の人的犠牲として11人が死傷した[5]。結局八丈島での地上戦闘は起こらなかったものの、「防衛道路」や「鉄壁山」などに防衛拠点化の跡が残っている。


戦後の八丈島は観光産業が発達し、1960年代にはその温和な気候から、首都圏からの新婚旅行先としても人気が高かった(当時の八丈島は「日本のハワイ」と呼ばれていた)が、海外旅行の制限が廃止され、本物のハワイが身近になった1970年代以降観光客の入込数は減少傾向にある。ただし現在でも観光が島にとって重要産業であることに変わりはない。



方言



上代東国方言の名残を残している独自の八丈方言を使用している。八丈島の方言は流人によって伝えられたものも多くあるが、くに(内地)から来た殿上人、宇喜多秀家ら主従の影響も強く残る。その多くは公家言葉を偲ばせるが、旧所領であった岡山の方言に通ずるものも少なくない。2009年、国際連合教育科学文化機関から危機に瀕する言語と指定された。



行政機関




東京都庁八丈支庁


東京都庁教育庁八丈出張所


東京地方検察庁八丈区検察庁


東京地方裁判所八丈簡易裁判所


警視庁八丈島警察署



  • 三根駐在所

  • 川向駐在所

  • 大賀郷駐在所

  • 樫立駐在所

  • 中之郷駐在所

  • 末吉駐在所

  • 空港警備派出所



交通



空港


  • 八丈島空港


航空路


固定翼機

現在、全日本空輸 (ANA)が1日3便すべてを運航。大島空港経由便は利用低迷を理由に2009年9月末で廃止され、羽田との便は1便減便された形となった。
2017年現在の使用機材はボーイング737やエアバスA320といった単通路機である。かつては、エアーニッポンがYS-11・ボーイング737-200, 400, 500型機を運航していた。なお、ボーイング737-400型機の愛称はアイランドドルフィンで、八丈島路線のためにリース導入された機体であった。機体側面にイルカが描かれているのが特徴だった。


また、2005年10月より「東京国際空港線の運賃1割値下げ」を公約した八丈町長(当時)の浅沼道徳の念願が叶い、同年上期には片道あたり12,250~13,050円[6]だった運賃が条件付きで片道あたり10,200円[7]まで引き下げられた。条件は、半年間で1万人以上の利用者増というものであったが、これを達成し2006年4月以降も値下げ継続となった。その後は運賃の改定を繰り返して、2017年春ダイヤ現在は往復運賃の片道あたりの運賃は14,900~15,000円[8]となっている。


2017年9月1日からは有人国境離島法により航空運賃の軽減措置が実施されることとなり、2017年春ダイヤ現在の往復運賃の片道あたりの運賃は14,900~15,000円であるところが、八丈町に住民登録をしている場合は片道13,790円[9]まで軽減されることとなった。通称「アイきっぷ」


回転翼機(ヘリコプター)

伊豆諸島を結ぶヘリコミューターである東京愛らんどシャトルの拠点となっており、青ヶ島および御蔵島への路線が運航されている。



海路




底土港と八丈富士(西山)
(かめりあ丸船上より)


東海汽船が貨客船さるびあ丸や橘丸を、伊豆七島海運が貨物船を定期運航している。主に島北東部の底土港へ着岸するが、時化で使用できない時は南西部の八重根港へ着岸する事もある[10][11]


竹芝桟橋と小笠原諸島の父島間にテクノスーパーライナーが就航した場合におがさわら丸を竹芝 - 八丈島航路向けに転用する、という計画があった。しかし、2005年、小笠原航路へのテクノスーパーライナー導入計画そのものが、折からの燃料費高騰等を理由に暗礁に乗り上げてしまった。さらに、これを受けて東京都が代替策として小笠原での空港建設の検討を進めており、おがさわら丸の八丈島航路転用計画は実質、頓挫した状態になっている。



温泉



温泉施設も多く入浴料も安いため、温泉目的で訪れる旅行客も多い。



  • ふれあいの湯

  • やすらぎの湯

  • 裏見ヶ滝温泉

  • ブルーポート・スパ・ザ・BOON

  • みはらしの湯

  • 洞輪沢温泉

  • 足湯きらめき



海水浴場


荒々しい岩場の海岸が多く、砂浜の海岸は少ない。



  • 底土海水浴場 - 島内で唯一の砂浜の海水浴場。透明度が高くシュノーケリング・ダイビングスポットとしても人気

  • 旧八重根港 - 入り江の入り口に消波ブロックを設置したタイドプール型の海水浴場

  • 神湊海水浴場 - 神湊漁港の隣にある小さな砂場と磯の海水浴場

  • 乙千代ヶ浜 - 2つの入り江と人工タイドプールがある海水浴場。潮流の速い外洋との境界が無いため注意が必要

  • 藍ヶ江漁港 - 漁港の堤防内が夏季に海水浴場として開放される

  • 横間海水浴場 - 夏季に海水浴場として、人工タイドプールが開放される



特産品




露地栽培されるシンノウヤシ。2017年11月八丈島三根地区。



  • くさや

  • 明日葉


  • 焼酎 - この島産の焼酎は、薩摩からの流人が伝えたといわれる。大半が麦焼酎で、芋焼酎と称しているものもあるが実際は芋・麦の混合である。

  • 黄八丈


  • シンノウヤシ(フェニックス・ロベレニー)。八丈島の人は普段はロベと呼んでいる。

  • フリージア

  • パッションフルーツ


  • ぶど - 海藻を煮出して味付けした八丈島独自の郷土料理。

  • 島寿司



その他


離島が舞台になっている映画やドラマのロケ地として使われることがたびたびあり、主な作品に、映画『処刑の島』、『サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜』、『バトル・ロワイアル』、『トリック劇場版2』、『るにん』、『今日も嫌がらせ弁当』、CMに『ペプシコーラ』桃太郎篇、『乳酸菌ショコラ』などがある。


また、島に関する書籍としては、浅沼良次『流人の島 - 八丈風土記』(1959年、日本週報社)がある。


作曲家の團伊玖磨は、この島の風土を気に入り、1963年に別荘(一度倒壊して、現存するものは2度目に建てられたものである)を建設し、毎年長期間に渡り滞在していた。八丈島での出来事は連載随筆『パイプのけむり』などで記され広く知られている。没後も團の名を被せたコンサートが開かれるなど、八丈島との縁は深い。



出身者




  • 玉置半右衛門 - 実業家


  • 畑中葉子 - 歌手


  • 杉浦双亮 - お笑い芸人(360°モンキーズ)


  • 奥山武宰士 - サッカー選手(アルビレックス新潟)


  • 岡本賢一 - 小説家


  • 山本清史 - 映画監督


  • 菊池義郎 - 政治家


  • 浅沼美智雄 - 政治運動家


  • 浅沼一 - 将棋棋士


  • 浅沼良次 - 郷土史家


  • 天野花 - シンガーソングライター


  • 奥山恵二 - レスリング選手



八丈島が舞台となっている作品



  • 丹那婆伝説 - 八丈島の始祖伝説のひとつ。大津波で唯一助かった妊婦が、後に生まれてきたわが子と交合し、子孫を増やしたという内容。


  • 椿説弓張月 - 曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本。文化4年(1807年)から同8年(1811年)にかけて刊行。


  • 流され者 - 1980年代の羽山信樹の小説。甲良幹二郎の作画による同名劇画の原作者自身によるノベライズ。

  • 海鳴りやまず 八丈流人群像 - 藤井素介の小説。1997年発表。

  • るにんせん - 團紀彦の小説。奥田瑛二監督の映画『るにん』の原案にあたる。


  • 八丈島と、魔女の夏 - 2012年の小椋正雪作、水月悠イラストのライトノベル[12]


  • 夏色キセキ - 2012年のテレビアニメ。作中では明言されていないが八丈島観光協会によると、第8話・第9話で登場した「東京都の島」は八丈島であるという[13]


  • ガンヘッド - 舞台となる「無人島8JO」は八丈島をモデルとしている。


  • ウルトラマンタロウ -第7話で近海にタガールとガンザ出現、その後ガンザは八丈島に上陸、ZATやタロウと戦闘に⋯。設定、セット撮影のみでロケ等はなかった模様。

  • 今日も嫌がらせ弁当

  • 武田泰淳『流人島にて』



備考



  • 軍記物である『小田原北条記』巻五には、伊豆国の領土となった経緯を次のように記している。八丈島を発見したのは延徳年間(15世紀末)で、伊豆国加茂の住人の朝比奈六郎知明が島があるという噂を聞き、大船一艘に大勢で乗り、下田より出航し、島の民家に「永久に伊豆国の領域である」と申し渡し、北条早雲にこの件を報告したところ、喜んだ。そして褒美として下田郷を与えた。氏政の代で、岡江雪に島の統治が命ぜられたが、どうせ島の女と偏見を抱いていたところ、島民女性は色白で姿もあでやかで類稀だったので驚いたことが記述されている。

  • 『八丈島年代記』の記述では、明応7年(1498年)の明応地震の際、代官の長門路七郎左衛門が入部の途中、新島ナカクラにて地震津波に襲われ、船と荷物を失い、その時、水夫1人も死亡したと記録される(『八丈島年代記』においても「伊豆国八丈島」と記される)。



脚注


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  1. ^ 八丈島で降雪=東京から290キロ南 時事通信社(2018年1月26日)2018年1月26日閲覧


  2. ^ 八丈町公式サイト


  3. ^ 為朝の八丈島での自害については、『保元物語』に記述がみられる。


  4. ^ 八丈町教育委員会(編著) 『八丈町誌』 八丈町、1993年、改訂増補版、257頁。


  5. ^ 前掲八丈町教育委員会(1993年)、262-263頁。


  6. ^ “運賃一覧(2005年4月1日~2005年9月30日搭乗分)” (PDF) (プレスリリース), 全日本空輸, https://www.ana.co.jp/pr/05-0103/pdf/05-010-2.pdf 


  7. ^ “運賃一覧(2005年10月1日~2006年3月31日搭乗分)” (PDF) (プレスリリース), 全日本空輸, https://www.ana.co.jp/pr/05-0709/pdf/05-104.pdf 


  8. ^ “2017年3月26日~2017年10月28日ご搭乗分 各種運賃一覧” (PDF) (プレスリリース), 全日本空輸, https://www.ana.co.jp/group/pr/pdf/20161222-2.pdf 


  9. ^ (PDF) 航空路旅客運賃の島民割引が始まります!, 東京都八丈町, http://www.town.hachijo.tokyo.jp/info/wp-content/uploads/2017/06/H290701.pdf 


  10. ^ 八丈島・青ヶ島へのアクセス,東京都総務局


  11. ^ 八丈島観光協会


  12. ^ 八丈島と、魔女の夏☆八丈島聖地巡礼においで! (1) 八丈島観光協会ブログ 2012年6月2日 2012年9月閲覧


  13. ^ 夏色キセキ☆八丈島聖地巡礼においで! (2) 八丈島観光協会ブログ 2012年6月11日 2012年9月閲覧




関連項目











  • 八丈町

  • 伊豆諸島

  • 流罪

  • 島寿司

  • みずほ銀行#地域的基盤


  • キョン - 『がきデカ』の主人公のギャグに「八丈島のキョン!」というフレーズがある。ただし実際には八丈島にキョンは生息していない。


  • 八丈(海防艦)‐旧日本海軍の海防艦。占守型海防艦の3番艦。艦名は本島に由来する。


  • はちじょう (掃海艦)‐海上自衛隊の掃海艦。やえやま型掃海艦の3番艦。



外部リンク




  • 八丈島 - 気象庁


  • 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 八丈島 (PDF) - 気象庁


  • 日本の火山 八丈島火山群 - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター


  • 海域火山データベース 八丈島 - 海上保安庁海洋情報部


自治体


  • 八丈町

  • 東京都八丈支庁


観光

  • 八丈島観光協会










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