薩摩郡







  • 令制国一覧 > 西海道 > 薩摩国 > 薩摩郡


  • 日本 > 九州地方 > 鹿児島県 > 薩摩郡






この項目に含まれる文字は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。
の文字は公式の表記Kanji for another OS version - satu.svgと異なる可能性があります。


鹿児島県薩摩郡の位置(緑:さつま町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)


薩摩郡(さつまぐん)は、鹿児島県(薩摩国)の郡。


人口21,034人、面積303.9km²、人口密度69.2人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の1町を含む。



  • さつま町(さつまちょう)



目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 近世以降の沿革


    • 2.2 町村制以降の沿革


    • 2.3 変遷表




  • 3 脚注


  • 4 参考文献





郡域


1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、薩摩川内市の大部分(川内川以北かつ湯田町、陽成町、高城町、国分寺町、大小路町以西および城上町・運動公園町・原田町・東大小路町の各一部、祁答院町各町・上甑町各町・里町各町・鹿島町各町を除く)にあたる。



歴史



近世以降の沿革




  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[1]。全域が現・薩摩川内市。(33村)


    • 入来郷 - 浦之名村、副田村


    • 樋脇郷 - 倉野村、塔之原村、市比野村、久住村、中村、楠元村


    • 百次郷 - 百次村、田崎村


    • 山田郷 - 山田村


    • 平佐郷 - 平佐村、天辰村


    • 隈之城 - 東手村、西手村、宮里村


    • 高江郷 - 高江村、久見崎村、寄田村


    • 中郷 - 中郷村


    • 東郷 - 田海村、宍野村、南瀬村、山田村、鳥丸村、白浜村、藤川村、斧淵村、船倉村[2]


    • 串木野郷(一部) - 羽島村


    • 山崎郷(一部) - 白男川村[3]、二渡村[3]、泊野村[3]



  • 明治2年(1869年) - 百次郷と山田郷が合併し永利郷となる。樋脇郷の久住村・中村・楠元村が平佐郷へ移管される。

  • 明治3年(1870年) - 中郷が東郷に編入される。

  • 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。

  • 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての薩摩郡が発足。「宮之城郡役所」が管轄。

  • 明治14年(1881年)7月28日 - 「隈之城郡役所」の管轄となる。

  • 明治10年代(2町33村)

    • 東手村の一部が分立して向田町となる。

    • 平佐村の一部が分立して白和町となる。





町村制以降の沿革



1.隈之城村 2.永利村 3.入来村 4.高江村 5.平佐村 6.樋脇村 7.下東郷村 8.上東郷村 11.東水引村・西水引村 12.高城村 21.山崎村 22.宮之城村 23.鶴田村 24.大村 25.佐志村 26.永野村 27.黒木村 28.藺牟田村 31.上甑村・里村 32.下甑村(紫:薩摩川内市 桃:さつま町)



  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、各郷に隈之城村永利村入来村高江村平佐村樋脇村下東郷村[東郷のうち中郷村・田海村・白浜村]、上東郷村[東郷のうち斧淵村・船倉村・宍野村・鳥丸村・藤川村・南瀬村・山田村]が発足。ただし、串木野郷1村が日置郡串木野村、山崎郷3村が南伊佐郡山崎村のそれぞれ一部となる。(8村)

  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「隈之城郡役所」が管轄する薩摩郡・高城郡・南伊佐郡・甑島郡の区域をもって、改めて薩摩郡が発足[4]。以下の各村が本郡の所属となる。(22村)

    • 旧・高城郡 - 東水引村西水引村高城村(現・薩摩川内市)

    • 旧・南伊佐郡 - 山崎村宮之城村鶴田村(現・さつま町)、大村(現・薩摩川内市、さつま町)、佐志村永野村(現・さつま町)、黒木村藺牟田村(現・薩摩川内市)

    • 旧・甑島郡 - 上甑村下甑村里村(現・薩摩川内市)



  • 明治31年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。


  • 大正9年(1919年)7月1日 - 宮之城村が町制施行して宮之城町となる。(1町21村)

  • 大正11年(1922年)4月1日 - 宮之城町の一部(求名)が分立して求名村が発足。(1町22村)

  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和4年(1929年)5月20日 - 隈之城村・東水引村・平佐村が合併して川内町が発足。(2町19村)

  • 昭和8年(1933年)7月1日 - 西水引村が改称して水引村となる。

  • 昭和15年(1940年)


    • 2月11日 - 川内町が市制施行して川内市となり、郡より離脱。(1町19村)


    • 11月10日 - 樋脇村が町制施行して樋脇町となる。(2町18村)



  • 昭和23年(1948年)10月1日 - 入来村が町制施行して入来町となる。(3町17村)

  • 昭和24年(1949年)


    • 2月1日 - 大村の一部(北方・南方)が分立して中津川村が発足。(3町18村)

    • 4月1日 - 下甑村の一部(藺牟田)が分立して鹿島村が発足。(3町19村)



  • 昭和26年(1951年)4月1日 - 水引村が川内市に編入。(3町18村)

  • 昭和27年(1952年)12月1日 - 上東郷村が町制施行・改称して東郷町となる。(4町17村)

  • 昭和28年(1953年)11月3日 - 山崎村が町制施行して山崎町となる。(5町16村)

  • 昭和29年(1954年)


    • 10月15日 - 佐志村が宮之城町に編入。(5町15村)

    • 12月1日 - 求名村・中津川村・永野村が合併して薩摩町が発足。(6町12村)



  • 昭和30年(1955年)4月1日(6町9村)

    • 黒木村・大村・藺牟田村が合併して祁答院町が発足。

    • 宮之城町・山崎町が合併し、改めて宮之城町が発足。



  • 昭和31年(1956年)9月30日 - 永利村・高江村が川内市に編入。(6町7村)

  • 昭和32年(1957年)4月1日 - 下東郷村が分割し、一部(田海の一部[5])が高城村、一部(田海の一部[6])が東郷町、残部(中郷・白浜および田海の残部)が川内市にそれぞれ編入。(6町6村)

  • 昭和35年(1960年)1月1日 - 高城村が町制施行して高城町となる。(7町5村)

  • 昭和38年(1963年)4月1日 - 鶴田村が町制施行して鶴田町となる。(8町4村)

  • 昭和40年(1965年)4月15日 - 高城町が川内市に編入。(7町4村)


  • 平成16年(2004年)10月12日 - 樋脇町・入来町・東郷町・祁答院町・里村・上甑村・下甑村・鹿島村が川内市と合併して薩摩川内市が発足し、郡より離脱。(3町)

  • 平成17年(2005年)3月22日 - 宮之城町・鶴田町・薩摩町が合併してさつま町が発足。(1町)



変遷表




脚注





  1. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。


  2. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。

  3. ^ abc記載は伊佐郡。


  4. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、Wikisource-logo.svg 原文)


  5. ^ 字五色・宇都川原・枇杷宇都・溝下・枇杷野・石原田・安之木川原・野坂・村友・立花・六地蔵・山下川原・松野・戸川内・川越・時吉・大浦・塩水流・亀割・阿手の木・喜藤田。


  6. ^ 字大中口・井川・賀崎・井川口・大久保・赤崩・寺川内。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県

  • 旧高旧領取調帳データベース






Popular posts from this blog

Human spaceflight

Can not write log (Is /dev/pts mounted?) - openpty in Ubuntu-on-Windows?

張江高科駅