皇太子徳仁親王
























































皇太子徳仁親王

Príncipe Naruhito no Brasil em 2018.jpg

2018年(平成30年)

続柄
今上天皇第一皇子
称号
浩宮(ひろのみや)
全名
徳仁
身位
皇太子・親王
敬称
殿下
お印

出生
(1960-02-23) 1960年2月23日(58歳)
日本の旗 日本 東京都千代田区千代田
皇居・宮内庁病院
配偶者
親王妃雅子(小和田雅子)
子女
敬宮愛子内親王
父親
今上天皇
母親
皇后美智子
役職
日本赤十字社名誉副総裁
国際連合「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁
学習院大学史料館客員研究員
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称号: 皇太子


Japan Koutaisi(son) Flag.svg
敬称
殿下
His Imperial Highness







皇室

Imperial Seal of Japan.svg


天皇 明仁
皇后 美智子



  • 皇太子 徳仁親王
    皇太子 徳仁親王妃 雅子
    • 敬宮 愛子内親王





  • 秋篠宮 文仁親王
    秋篠宮 文仁親王妃 紀子

    • 眞子内親王

    • 佳子内親王

    • 悠仁親王






  • 常陸宮 正仁親王
    常陸宮 正仁親王妃 華子




  • 三笠宮 崇仁親王妃 百合子


  • 寛仁親王妃 信子

    • 彬子女王

    • 瑶子女王







  • 高円宮 憲仁親王妃 久子
    • 承子女王





皇太子徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう、1960年2月23日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第一皇子。母は皇后美智子。御称号は浩宮(ひろのみや)。身位は皇太子(法定推定相続人)、親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は梓(あずさ)。勲等は大勲位。学位は人文科学修士(学習院大学)1988年(昭和63年)。その他、名誉学位・称号として名誉法学博士(ケンブリッジ大学)などがある。皇位継承順位第1位。


住居は東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある東宮御所。




目次






  • 1 人物


  • 2 略歴


    • 2.1 皇孫時代


    • 2.2 皇太子時代




  • 3 年譜


  • 4 外国訪問歴


    • 4.1 昭和


    • 4.2 平成




  • 5 子女


  • 6 系譜


    • 6.1 系図


    • 6.2 皇太子徳仁親王の男系直系祖先




  • 7 皇位継承資格


  • 8 国事行為の臨時代行歴


  • 9 発言


  • 10 逸話


    • 10.1 人物に関するもの


    • 10.2 研究者として


    • 10.3 外遊に関するもの


    • 10.4 国内公務に関するもの


    • 10.5 皇族とのもの


    • 10.6 結婚までの経緯


    • 10.7 雅子妃の親族とのもの




  • 11 栄典


    • 11.1 日本


    • 11.2 外国


    • 11.3 名誉法学博士


    • 11.4 名誉職




  • 12 著作・論文・講演集など


  • 13 脚注


    • 13.1 注釈


    • 13.2 出典




  • 14 関連項目


  • 15 外部リンク





人物


1989年(昭和64年・平成元年)に父・明仁親王(当時)の皇位継承に伴い皇太子(皇位継承順位第1位、法定推定相続人)となり、1991年(平成3年)には立太子の礼が執り行われた。皇太子となって以降、国会・政府の用いる正式表記では皇太子を冠し「皇太子徳仁親王」とされる。


1993年(平成5年)に国際司法裁判所所長・小和田恒の長女小和田雅子と結婚の儀を挙げ、2001年(平成13年)に敬宮愛子内親王をもうけた。


2005年(平成17年)に愛知県で開催された日本国際博覧会(愛知万博、通称「愛・地球博」)では、名誉総裁を務めた。


2007年(平成19年)より国際連合「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任。英語での講演を、スペイン、トルコ、アメリカなどで開かれたフォーラムおよびシンポジウムで行っている[1]


1987年(昭和62年)より2016年(平成28年)現在まで、22回、今上天皇の海外訪問の期間または病気療養の期間、天皇から委任を受け国事行為臨時代行を務めている。2016年(平成28年)1月28日には、平成時代の臨時代行として初の閣僚に対する認証式を行った[2]


男性皇族としては珍しく、歴史学(主に交通史・流通史)を専門とする。またヴィオラ演奏・登山・ジョギングを趣味とし、国民にもその姿をたびたび披露している[3][4]



略歴



皇孫時代





1963年(昭和38年)2月、黒紅御縫御服姿の浩宮徳仁親王(3歳)




お印に用いられた梓(写真は梓とされる樹木の一種・キササゲ)


1960年(昭和35年)2月23日16時15分[5]、皇太子明仁親王と同妃美智子(いずれも当時)の第一皇男子として、東京都千代田区の宮内庁病院で誕生した。


懐妊に際しては母子手帳が発行され、皇居宮殿内の御産殿で出産を行わないなど、それまでの皇室の慣例によらない、戦後初の内廷皇族の親王誕生は、広く国民に注目された。同年2月29日に命名の儀において祖父・昭和天皇が浩宮徳仁(ひろのみや なるひと)と命名した[注 1]。「浩宮」の称号は四書五経のうちの『中庸』第32章にある「浩々たる天」、「徳仁」の名は同じく「聡明聖知にして天徳に達する者」を典拠とする。


皇太子夫妻による子育ても、国民の関心の的となった。中でも、生後7か月の徳仁親王から離れて夫妻が14日間の公務訪米旅行の際に、皇太子妃が世話係へ書き置いた育児メモ「ナルちゃん憲法」は、子供を預けて働く母親たちの子育て指針としても共感を呼んだ。


夫妻は、専任の養育係を置かず、子育てを行った。ただし、東宮侍従の濱尾実が、徳仁親王が1歳3か月の時から初等科5年生まで、専任の養育係に準ずる存在として養育および教育に貢献している。徳仁親王は濱尾を「オーちゃん」と呼び、濱尾家の子ども達とも親しく遊んでいた[6]。両親の下で、弟・礼宮文仁親王、妹・紀宮清子内親王とともに育つ徳仁親王たちの様子は、報道を通じてしばしば公表され、一般国民の感覚に近い戦後の幸せな家庭像を描くとともに、新しい皇室像の形成にも大きく寄与した[要出典]


徳仁親王は、幼稚園から大学まで学習院で学んだ。学習院高等科時代は、正規の授業のほか、御所におけるご進講の形で「歴代天皇の御事跡」や古事記、日本書紀、万葉集、平家物語から比較神話学、文化史、文化人類学、時事問題などを幅広く学んだ。「帝王学」の一環と考えられる[7]。学習院大学では音楽部に所属しヴィオラを担当した。在学中の1980年(昭和55年)2月23日、満20歳で成年式を執り行った。


1982年(昭和57年)3月に学習院大学文学部史学科を卒業した(文学士)。その後、同大学大学院人文科学研究科博士前期課程に進学。それまでの皇族が、生物学を中心とした自然科学を専攻したのに対して、徳仁親王は史学、中世の交通史・流通史という人文科学・社会科学に近い分野を専攻した。


1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)にかけて、オックスフォード大学マートン・カレッジに留学して、テムズ川の水運史について研究[8]。1988年(昭和63年)には、学習院大学大学院人文科学研究科の博士前期課程を修了した(人文科学修士)。この間、1987年(昭和62年)10月3日から10月10日には、昭和天皇の病気療養と皇太子明仁親王の外国訪問が重なり、初めて国事行為臨時代行に就いた。


昭和時代の末より、親王妃候補について様々な憶測が報道されるようになり、1986年(昭和61年)10月18日、来日中のスペイン王女の歓迎パーティーに出席した際、外務省に勤める小和田雅子と知り合う(後述→#結婚までの経緯)。



皇太子時代




皇太子旗





2008年(平成20年)6月18日、ブラジル連邦議会にて


1989年(昭和64年)1月7日、祖父・昭和天皇の崩御を受け、父・皇太子明仁親王が即位した。これに伴い、皇位継承順位が1位となり、徳仁親王は皇太子(法定推定相続人)となった。また、それまで家族と同居していたがこれを機に別居、独立した。


今上天皇の即位の礼などを経て、1991年(平成3年)2月23日、満31歳となった日に立太子の礼が執り行われた。また同日、皇太子の印とされる「壺切御剣」を今上天皇から親授された。


1993年(平成5年)1月19日、皇室会議において婚姻の相手に小和田雅子を内定。同年6月9日に結婚の儀が執り行われた。


8年後の2001年(平成13年)12月1日、雅子妃との間に長女・敬宮愛子内親王が誕生した。


皇太子となってからは、たびたび外国を訪問し、皇室外交の進展を図っている。また、公務の傍ら1991年(平成3年)9月には、ケンブリッジ大学から名誉法学博士号を授与されている。そして1992年(平成4年)4月からは学習院大学史料館客員研究員の委嘱を受け、日本中世史の研究を続けている。学習院女子大学国際文化交流学部の授業では、「北米文化の源流・イギリスの社会と文化」や「オックスフォードにおける学生生活」について講義を行い、名誉総裁として臨席した世界水フォーラムの開会式では、「京都と地方を結ぶ水の道」や「江戸と水運」と題した講演を行なっている。


2004年(平成16年)5月10日、欧州3か国歴訪を前にした会見内で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言した(いわゆる人格否定発言)。同発言は、皇太子一家と皇室・宮内庁の間に不和があることを浮き彫りにし、大きな反響を呼んだ。同年7月に雅子妃が療養している事実が正式に発表され、以後徳仁親王は単独で公務・祭祀を行うことがほとんどとなった。


2007年(平成19年)3月27日、定期健康診断で十二指腸にポリープが発見された。同年5月には良性と診断されたが、同年6月6日に十二指腸ポリープの内視鏡による切除手術を東京都文京区の東京大学医学部附属病院で受けた。同年11月1日、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任。日本の皇族が国連などの常設の国際機関の役職に就くのは初である[9]


2009年(平成21年)11月8日から11月20日まで来日した彭麗媛が団長を務める中国人民解放軍総政治部の歌舞団が東京と札幌で中国歌劇『木蘭詩編』を学習院大学で公演した際に皇太子は私的に会場を訪れて2階VIP席で彭麗媛と隣り合わせの席で観劇して言葉を交わしており、彭麗媛の夫の習近平の天皇特例会見と同じ中華人民共和国による皇室の政治的利用と批判されることになった[10][11]


2013年(平成25年)3月6日、米国ニューヨークの国連本部で開かれた「水と災害に関する特別会合」で、英語で基調講演を行った。同会合は、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)など世界的な水災害の増加を受け国連で初めて開催された会合である[12]


2016年(平成28年)1月28日、今上天皇がフィリピン訪問のために不在であったことから、第3次安倍第1次改造内閣で経済財政担当大臣が甘利明から石原伸晃へ交代したことに伴う閣僚の認証官認証式を臨時代行の形で執り行った[13]



年譜




  • 1960年(昭和35年)2月23日 - 宮内庁病院にて誕生


  • 1964年(昭和39年)10月29日(4歳) - 着袴の儀


  • 1980年(昭和55年)2月23日(20歳) - 成年式(皇居宮殿・春秋の間)


  • 1982年(昭和57年)3月(22歳) - 学習院大学文学部史学科を卒業(文学士)

  • 同年4月 - 学習院大学大学院に入学。専攻は史学・中世の交通・流通史。


  • 1988年(昭和63年) - 学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程を修了(人文科学修士)


  • 1989年(昭和64年)1月7日(28歳) - 父・明仁親王(当時)が今上天皇として即位したことに伴い、事実上の皇太子(皇位継承順位第1位、法定推定相続人)となる。


  • 1991年(平成3年)2月23日(31歳) - 立太子の礼(皇居宮殿・松の間)。壺切御剣親授(皇居宮殿・表御座所・鳳凰の間)。


  • 1993年(平成5年)1月19日(32歳) - 皇室会議にて、妃に小和田雅子が内定。

  • 同年4月12日 - 納采の儀(小和田邸)

  • 同年6月9日 - 結婚の儀(宮中三殿・賢所)


  • 2001年(平成13年)12月1日(41歳) - 第一女子・敬宮愛子内親王が誕生。



外国訪問歴



昭和













































































昭和 [14]
出国 帰国 訪問地 同行 備考
1974年
(昭和49年)
8月16日 8月30日
オーストラリアの旗 オーストラリア
旅行
1976年
(昭和51年)
8月7日 8月18日
ベルギーの旗 ベルギー、スペインの旗 スペイン
旅行
1980年
(昭和55年)
12月20日 12月29日
タイ王国の旗 タイ
旅行

1982年
(昭和57年)
10月3日 10月18日
ブラジルの旗 ブラジル(メキシコの旗 メキシコ立寄り)
国際親善
1983年
(昭和58年)
6月20日 10月31日
イギリスの旗 イギリス(留学)・リヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタイン・スイスの旗 スイス・サンマリノの旗 サンマリノ・バチカンの旗 バチカン・チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア・アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国など16カ国

マートン・カレッジ

1986年
(昭和61年)
7月20日 7月27日
イギリスの旗 イギリス

アンドルー王子結婚式参列

1987年
(昭和62年)
3月10日 3月25日
ネパールの旗 ネパール・ ブータン・インドの旗 インド(タイ王国の旗 タイ立寄り)
国際親善
11月6日 11月3日
西ドイツの旗 西ドイツ
ベルリン日独センター開会式臨席


平成






























































































































































































































































































































































































平成[15][16]

出国日
帰国日
訪問/旅行国
立寄国
同行者
訪問/旅行理由
1989年
平成元年
9月23日
10月1日

ベルギーの旗 ベルギー

フランス

ユーロパリア日本祭開会式
1990年
平成2年
8月17日
8月27日

ベルギーの旗 ベルギー

ルクセンブルク
アメリカ合衆国


第10回国際経済史学会
1991年
平成3年
1月28日
2月1日

 ノルウェー


故オーラヴ5世国王葬儀
9月11日
9月24日

モロッコの旗 モロッコ
イギリスの旗 イギリス

フランス

国際親善
ジャパンフェスティバル1991開会式
1992年
平成4年
7月18日
8月4日

スペインの旗 スペイン
ベネズエラの旗 ベネズエラ
メキシコの旗 メキシコ

アメリカ合衆国


セビリア万国博覧会並びにバルセロナオリンピック
国際親善
国際親善
1994年
平成6年
11月5日
11月15日

サウジアラビアの旗 サウジアラビア
 オマーン
カタールの旗 カタール
バーレーンの旗 バーレーン

タイ

雅子妃
国際親善
国際親善
国際親善
国際親善
1995年
平成7年
1月20日
1月28日

クウェートの旗 クウェート
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
ヨルダンの旗 ヨルダン

シンガポール
雅子妃
国際親善
国際親善
国際親善
1999年
平成11年
2月8日
2月9日

ヨルダンの旗 ヨルダン

雅子妃
故フセイン1世国王葬儀
12月3日
12月7日

ベルギーの旗 ベルギー

雅子妃

フィリップ王太子結婚式
2001年
平成13年
5月18日
5月25日

イギリスの旗 イギリス


「JAPAN2001」開幕行事
2002年
平成14年
1月30日
2月4日

オランダの旗 オランダ



ウィレム=アレクサンダー王太子結婚式
12月11日
12月19日

 ニュージーランド
オーストラリアの旗 オーストラリア

雅子妃
国際親善
国際親善
2004年
平成16年
5月12日
5月24日

 デンマーク
ポルトガルの旗 ポルトガル
スペインの旗 スペイン



フレデリック王太子結婚式
国際親善
フェリペ王太子結婚式
9月8日
9月11日

ブルネイの旗 ブルネイ



ビラ王太子結婚式
2005年
平成17年
8月3日
8月4日

サウジアラビアの旗 サウジアラビア


故ファハド国王弔問
2006年
平成18年
3月15日
3月21日

メキシコの旗 メキシコ

カナダ

第4回世界水フォーラム全体会合基調講演
8月17日
8月31日

オランダの旗 オランダ

雅子妃
愛子内親王
静養(ベアトリクス女王からの招待によるもの)
9月18日
9月20日

トンガの旗 トンガ

ニュージーランド

故トゥポウ4世国王葬儀
2007年
平成19年
7月10日
7月17日

モンゴルの旗 モンゴル


国際親善
2008年
平成20年
6月16日
6月27日

ブラジルの旗 ブラジル

アメリカ合衆国


日本人ブラジル移住100周年記念
7月16日
7月23日

スペインの旗 スペイン


サラゴサ国際博覧会
7月30日
8月3日

トンガの旗 トンガ

オーストラリア


トゥポウ5世国王戴冠式
2009年
平成21年
2月10日
2月15日

 ベトナム


外交関係樹立35周年
3月14日
3月20日

トルコの旗 トルコ

ドイツ

第5回世界水フォーラム
2010年
平成22年
3月6日
3月15日

 ガーナ
 ケニア

イギリス
イタリア


国際親善
国際親善
6月17日
6月21日

 スウェーデン



ヴィクトリア王太子結婚式
2011年
平成23年
6月21日
6月25日

ドイツの旗 ドイツ


日独交流150周年
10月26日
10月27日

サウジアラビアの旗 サウジアラビア


故スルターン王太子弔問
2012年
平成24年
6月20日
6月21日

サウジアラビアの旗 サウジアラビア


故ナーイフ王太子弔問
6月25日
7月1日

タイ王国の旗 タイ
カンボジアの旗 カンボジア
ラオスの旗 ラオス


国際親善
国際親善
国際親善
10月18日
10月27日

ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク



ギヨーム大公世子結婚式
2013年
平成25年
3月5日
3月8日

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国



国際連合の旗 国連「水と災害に関する特別会合」基調講演(皇族として初)[17][18]
4月28日
5月3日

オランダの旗 オランダ

雅子妃

ウィレム=アレクサンダー国王即位式
6月10日
6月16日

スペインの旗 スペイン


交流400周年
12月9日
12月11日

 南アフリカ共和国


故マンデラ元大統領追悼式
2014年
平成26年
6月17日0
6月23日0

スイスの旗 スイス


国交樹立150周年
2015年
平成27年
1月25日
1月26日

サウジアラビアの旗 サウジアラビア


故アブドラ国王弔問
7月2日
7月6日

トンガの旗 トンガ

雅子妃

トゥポウ6世国王戴冠式[19]
11月17日
11月2日

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国



国際連合の旗 国連「水と災害に関する特別会合」
2017年
平成29年
4月13日
4月17日

マレーシアの旗 マレーシア


外交関係樹立60周年
6月15日
6月21日

 デンマーク


外交関係樹立150周年
2018年
平成30年
3月16日
3月22日

ブラジルの旗 ブラジル

アメリカ合衆国

第8回世界水フォーラム
9月7日
9月15日

フランスの旗 フランス


日仏友好160周年




ブラジルのルーラ連邦共和国大統領と(2008年6月18日)




スウェーデンのヴィクトリア王太子の結婚式で(2010年6月19日)



0



子女


雅子妃との間に1子がいる。第125代今上天皇の皇孫にあたる。



















読み
生年 / 年齢

御称号

続柄

愛子内親王
あいこ

平成13年(2001)12月1日(17歳)

としのみや
敬宮
第1女子


系譜































徳仁親王

父:
第125代:今上天皇

祖父:
第124代:昭和天皇

曾祖父:
第123代:大正天皇

曾祖母:
貞明皇后

祖母:
香淳皇后

曾祖父:
邦彦王(久邇宮)

曾祖母:
俔子

母:
美智子 (皇后)

祖父:
正田英三郎

曾祖父:
正田貞一郎

曾祖母:
正田きぬ

祖母:
正田富美子

曾祖父:
副島網雄

曾祖母:
副島アヤ


系図




















































































































































































































































































































 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

122明治天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

123大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

124昭和天皇
 
秩父宮雍仁親王
 
高松宮宣仁親王
 
三笠宮崇仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

125今上天皇
 
常陸宮正仁親王
 
寛仁親王
 
桂宮宜仁親王
 
高円宮憲仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇太子徳仁親王
 
秋篠宮文仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
悠仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


皇太子徳仁親王の男系直系祖先

























































































































































































1 神武天皇

2 綏靖天皇

3 安寧天皇

4 懿徳天皇

5 孝昭天皇

6 孝安天皇

7 孝靈天皇

8 孝元天皇

9 開化天皇

10 崇神天皇


11 垂仁天皇

12 景行天皇
日本武尊
14 仲哀天皇

15 応神天皇
稚野毛二派皇子 意富富杼王 乎非王 彦主人王
26 継体天皇


29 欽明天皇

30 敏達天皇

押坂彦人
大兄皇子

34 舒明天皇

38 天智天皇
志貴皇子
49 光仁天皇

50 桓武天皇

52 嵯峨天皇

54 仁明天皇


58 光孝天皇

59 宇多天皇

60 醍醐天皇

62 村上天皇

64 円融天皇

66 一条天皇

69 後朱雀天皇

71 後三条天皇

72 白河天皇

73 堀河天皇


74 鳥羽天皇

77 後白河天皇

80 高倉天皇

82 後鳥羽天皇

83 土御門天皇

88 後嵯峨天皇

89 後深草天皇

92 伏見天皇

93 後伏見天皇

北1 光厳天皇


北3 崇光天皇

栄仁親王(伏見宮)

貞成親王(伏見宮)

102 後花園天皇

103 後土御門天皇

104 後柏原天皇

105 後奈良天皇

106 正親町天皇
誠仁親王
107 後陽成天皇


108 後水尾天皇

112 霊元天皇

113 東山天皇

直仁親王(閑院宮)

典仁親王(閑院宮)

119 光格天皇

120 仁孝天皇

121 孝明天皇

122 明治天皇

123 大正天皇


124 昭和天皇

125 今上天皇
皇太子徳仁親王
































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































 
 
 
 
 
 
 
 
歴代天皇
 
歴代皇后
 
親王
 
内親王・女王
 
臣籍降嫁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正天皇
 
貞明皇后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇
 
香淳皇后
 
秩父宮
雍仁親王
 
勢津子
 
高松宮
宣仁親王
 
喜久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮
崇仁親王
 
百合子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
 
久宮
祐子内親王
 
鷹司和子
(孝宮)
 
池田厚子
(順宮)
 
今上天皇
 
皇后美智子
 
常陸宮
正仁親王
 
華子
 
島津貴子
(清宮)
 
近衞甯子
 
寬仁親王
 
信子
 
桂宮
宜仁親王
 
千容子
 
高円宮
憲仁親王
 
久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇太子
徳仁親王
 
雅子
 
秋篠宮
文仁親王
 
紀子
 
黒田清子
(紀宮)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王
 
瑶子女王
 
 
 
 
 
承子女王
 
千家典子
 
守谷絢子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮
愛子内親王
 
 
 
眞子内親王
 
佳子内親王
 
悠仁親王
 
 
 
 
 





皇位継承資格

































































皇位継承順位 (平成28年〈2016年〉10月27日-


順位
皇位継承資格者
読み
性別
生年月日/現年齢

天皇から見た続柄
 
1位

皇太子徳仁親王

なるひと
男性
1960年02月23日
(昭和35年)
58歳

親等1/第1皇男子
2位

秋篠宮文仁親王
あきしののみや
ふみひと
男性
1965年11月30日
(昭和40年)
53歳

親等1/第2皇男子
3位

悠仁親王

ひさひと
男性
2006年09月06日
(平成18年)
12歳

親等2/皇孫 / 秋篠宮文仁親王第1男子
4位

常陸宮正仁親王
ひたちのみや
まさひと
男性
1935年11月28日
(昭和10年)
83歳

親等2/皇弟 / 昭和天皇第2皇男子

現在の皇位継承順位は第1位であり皇太子である。将来自らより上位の継承権を持つ人物が生まれる可能性がない法定推定相続人のため、自身が薨御するか、皇室会議で順序を変えられない限り、[20]次期天皇となることは確定している。
天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づいて、2019年4月30日に今上天皇が退位し、5月1日に皇太子徳仁親王が即位する。これは今上天皇が譲位前に崩御しない限り確定事項である。



国事行為の臨時代行歴


2016年(平成28年)1月現在、昭和天皇在位中に皇孫として1回、今上天皇即位後に皇太子として21回、天皇から委任を受け国事行為臨時代行を務めている。
































































































































































































  • 「委任年月日」は官報に掲載された代行開始期日。

  • 天皇の訪問国は明仁#外遊歴を参照



発言



  • 「美しいものを見たときに、それを美しいと評価できる人」

  • 「これからはある程度の外国語が話せたほうが良い」

  • 「ニューヨークのティファニーに行ってあれやこれや買うような方では困る」
    • 以上、1985年(昭和60年)、留学先のイギリスから帰国後の記者会見で、「どのような方を妃として望むか」という質問に対して。


  • 「人の心情、悩み、苦しみを推し量って、思いやれる人が良い」
    • 以上、1986年(昭和61年)、誕生日記者会見でお妃の理想像を聞かれて。


  • 「すぐ手の届くところに中世が存在する」
    • 1983年(昭和58年)留学した、オックスフォード大マートンコレッジ 1264年創について。


  • 「自分の意見をはっきり述べ、服装も(日本の女性と比べて)気取らず地味なのに感心しました」
    • 留学して半年後、昭和58年12月の記者懇談で、英国の女子学生について。


  • 「寮の部屋ごと、記念に持って帰りたい心境です」
    • 1985年(昭和60年)10月オックスフォード大での留学を終えての感想[21]


  • 「心から祝福いたします。川嶋紀子さんは以前からよく遊びに来ており、妹のような気持ちで接しておりました(中略)弟と紀子さんとは非常によく合うと思います」

  • 「川嶋家に色々問い合わせが来て、二人の間が不安定になっているのはよくないということもありました。二人の結婚は私も強く勧めたところです。私についてはマイペースでやっていきたいと考えております」
    • 以上、1989年(平成元年)9月21日、記者会見にて、文仁親王の婚約についての質問に対して[22]


  • 「立太子宣明の儀が行われ、誠に身の引きしまる思いであります。皇太子としての責務の重大さを思い、力を尽くしてその務めを果たしてまいります」
    • 1991年(平成3年)2月23日、立太子の礼にて[23]


  • 「皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」
    • 1992年(平成4年)11月後半に交際中の雅子にかけた言葉、婚約内定の記者会見にて雅子妃が披露した[24]


  • 「外交官としての雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」[25]
    • 2004年(平成16年)、訪欧前の記者会見で。いわゆる人格否定発言。


  • 「皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出したこと、そしてその内容については、私も承知しています。親としていろいろと考えることもありますが、それ以上の発言は控えたいと思います」[26]
    • 2006年(平成18年)2月21日、誕生日に際する記者会見にて、皇室典範改正問題についての質問に対して。


  • 「昨年9月の悠仁親王の誕生を心から喜ばしく思います。御所で、また、秋篠宮邸で、そしてまた、この赤坂御用地を弟夫妻が散歩で連れている折などに会うことがありますけれども、健やかに成長しているようで嬉しく思っております」[27]
    • 2007年(平成19年)2月21日、誕生日に際する記者会見にて、悠仁親王誕生についての質問に対して。


  • 「両陛下のこれまでの歩みについては、常に深くご尊敬申し上げており、両陛下のご活動の一つ一つから多くを学んでまいりました」
    • 2009年(平成21年)2月20日、誕生日に際する記者会見にて、今上天皇、皇后のこれまでの歩みについての質問に対して[28]


  • 「花園天皇の言われる『学問』とは、単に博学になるということだけではなくて、人間として学ぶべき動議や礼儀も含めての意味で使われた言葉です。私も五十歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています」
    • 2010年(平成22年)2月、誕生日に際する記者会見にて「誡太子書」に言及して。[29]


  • 「若い世代が国の内外で自信を持って活躍し、女性・高齢者・障害者を含め全ての人々が、社会に積極的に参画できるような活力のある社会を構築するために、(中略)私自身、今年も、国の内外で若者やボランティアの方々など多くの方にお会いしたいと思っています」
    • 2013年(平成25年)2月21日、誕生日に際する記者会見にて、前年6月に20年ぶりに開催された「国連持続可能な開発会議」に言及して[30]


  • 「過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。同時に、これまで行われてきている公務を踏まえつつ、将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて、公務に対する社会の要請に応えていくことが、重要であると考えております。私としても、常に学ぶ姿勢を忘れずに、他人への思いやりの心を大切にしながら、世の中のためにできることを心掛けてやっていきたいと思っております」
    • 同記者会見にて、将来天皇となる立場から、公務をどのようなものと考えているのかという質問に対して。


  • 「私、それから秋篠宮が折に触れて、陛下の所で、陛下のご意見を伺ったり、あるいはいろいろな意見交換をするということは、非常に私自身も大切なことだと思いますし、私自身も大変有意義な一時を過ごさせていただいております。陛下と折に触れてご質問の象徴天皇の在り方について、具体的にどういうことを話しているかは申し上げられませんけれども、陛下ご自身がいろいろ思われていること、あるいは体験されてきたことなどをお話しくださるので、私としても本当にいろいろと参考にさせていただいておりますし、大変有り難いことだと思っております」
    • 同記者会見にて、御所での今上天皇と皇太子徳仁親王と秋篠宮文仁親王との懇談についての質問に対して




逸話



人物に関するもの



  • 幼少時(2歳頃)の徳仁親王は、身体は活発だが器用な方ではなかった。しかし、何事にも非常に粘り強く頑張る性格で服のボタン留めなども丁寧にやりとげていた。幼稚園時代、自転車をマスターする時にも、倒れて涙を見せても自分の力で立ち上がり自転車を起こしていた。しかし、4歳の時、なぜ自分には苗字がないのかと寂しそうに尋ねた。7歳の時には自分の立場を自覚し、一人で歓迎の人達に向かって挨拶をした。「男の子は泣くものではありません」としつけられていたため、弟の文仁親王が生まれベビーベッドで泣いていたとき「アーヤは赤ちゃんだから泣いてもいいんだよね」と言ってかばった[31]


  • 趣味はスポーツと音楽を中心に幅広く、特に日本各地の登山とヴィオラの演奏はしばしば国民の目をひく。登山に関しては、登山専門誌『岳人』や『山と渓谷』などに、幾度かエッセイも寄稿している。このエッセイでは、父と山に登ったときの思い出なども書かれ、文中では一般の敬語の原則に従い、天皇を「父」、皇后を「母」と呼んだ。登山のほかにはテニスとジョギングを好む。普段は赤坂御用地内を走っているが、皇居を周回するジョギングコースで市民ランナーとともに走ったことが過去に3回ある。2007年(平成19年)は約10km(2周)を51分前後で走破し、その健脚ぶりを披露している。


  • ヴィオラは、友人知人や演奏家を招いた際などに私邸で演奏するほか、学習院OB演奏会のオーケストラなどで演奏することもある。元来ヴァイオリンを弾いていたが、学習院大学入学を機にヴィオラに転じた。

  • 皇太子になる前には、歌手の柏原芳恵のコンサートに赴いたこともある。1986年(昭和61年)10月19日、新宿東京厚生年金会館でのコンサートに行き話題となる。出迎えた柏原がレコードと写真集をプレゼントした。そのお礼に彼女にオレンジ色のバラを贈っている。(父皇太子明仁親王邸である)東宮御所に咲く(エリザベス女王が皇太子妃美智子に送ったバラ)「プリンセス・ミチコ」であった。カラオケで柏原の曲「ハロー・グッバイ」を歌うこともあった。

  • 小学生の頃は読売ジャイアンツのファンで、そのユニフォームを着て野球に興じる姿を映した映像も残っている。末次利光を贔屓にしており、観戦した1971年の日本シリーズ第4戦で末次が満塁本塁打を放った際には大いに喜んだ[32]。また、長嶋茂雄のファンでもあった[33]。1988年(昭和63年)の夏の甲子園の第70回全国高等学校野球選手権大会では開会式後の始球式を務めた[注 2]この大会については良い思い出として記憶していると語っていたことが雑誌記事に掲載され、21年後の2009年(平成21年)夏の甲子園の第91回全国高等学校野球選手権大会では開会式に出席し、お言葉を読み上げた。


  • 阪神・淡路大震災に際しては被災者を見舞い、「春になればいいことがありますよ」と言葉をかけたと伝わる。地震の発生メカニズムについても興味を示し、地震研究所を訪問したと伝わる。この直前にはクウェート、アラブ首長国連邦、ヨルダンを外遊中であり、外遊を継続する予定であったが、外遊先ヨルダンのフセイン国王の勧めで急遽予定を切り上げ、帰国した。ハーシミーヤ宮殿で会見し「訪問の約束は果たさなければと思っていましたが、はざまで難しかった」と語っている。その後、2010年(平成22年)までに、阪神・淡路大震災被災地訪問を12回行い[34]、15周年の追悼式典には療養中の雅子妃を伴って訪れた[35]



研究者として




  • 歴史学(交通史、流通史)を専門としたきっかけは、幼少時、美智子妃(当時)と共に御用地を散策中に石碑を見つけたことだという。のちに「そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる「道」についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえよう。」と回想している[36]

  • 第5回世界水フォーラムトルコでの開会式では、トルコ語で最後の呼びかけを行い会場は割れるような拍手に沸いた。一方、基調講演では、弥生時代の「唐子・鍵遺跡」の環濠集落や、徳川家康が治水上の安全を根本的に向上させるために実施した「利根川の東遷」の事例を引いて水問題を歴史の視点から語った。「殿下は水と人との関係を、開催国の歴史と日本の伝統を踏まえて具体的な事例を示して講演されるので、開催国と日本の間に「伝統の継承」という美しい橋を架ける」と尾田栄章は評している[37]



外遊に関するもの




  • 1984年(昭和59年)オックスフォード大学への留学中、ロンドンサミット出席のため訪英していた中曽根康弘首相(当時)に、女王の夫君エジンバラ公は「浩宮殿下は完全にロイヤル・ファミリーの一員となっています」と伝えた[38]


  • 2007年(平成19年)の モンゴル訪問においては、到着翌日に日本人抑留者の慰霊碑に供花した。シベリア抑留者のうち1万4,000人がモンゴルに移送され、約2,000人亡くなっていることに思いをよせたためという。このことに感謝した日本モンゴル協会の人々は、大きな日の丸を振って殿下の車列を迎え、見送った[39]


  • 2017年(平成29年)のデンマーク訪問のときには、同国首都コペンハーゲン市民の自撮りに応じた[40]



国内公務に関するもの




  • 1986年(昭和61年)金沢市における全国高校相撲選手権大会で、原稿なしで堂々たるスピーチをされ大きな拍手が涌き起こった。「お言葉」を読み上げる以上の熱意を観衆が感じたためと思われる[41]

  • 沖縄県からの子ども達による記者「豆記者」の受け入れを、平成になってからは皇太子殿下と同妃が引き継がれており、毎年8月に東宮御所でお会いになり、一人一人に声をかけている[42]



皇族とのもの




  • 高円宮家とは家族ぐるみで親しく交際していた。高円宮憲仁親王は皇太子と年が近く兄のような存在で、結婚後も二人の心の支えとなった。夫妻は結婚当日、赤坂御用地で家族そろってパレードを終えた二人を迎えた。憲仁親王は愛子内親王の誕生をことのほか喜び、出産時の見舞いに先に妃たちだけが行くことになったのを非常に悔しがったという。皇太子夫妻が憲仁親王と最後に会えたのは、1週間前に愛子内親王を連れて高円宮邸を訪れたときだった。[43]


  • 2006年(平成18年)9月6日、秋篠宮妃紀子が愛育病院で悠仁親王を出産した際は、秋篠宮からの電話連絡を受け、「ご無事のご出産おめでとう。妃殿下の手術が無事に終わることを祈っています。両殿下も親王殿下もお身体をお大切に」と祝意を述べた。北海道で公務中だった天皇・皇后の還幸(9日)と見舞い(10日)の後、自らは11日に雅子妃・愛子内親王を伴って見舞いに訪れた。

  • 徳仁親王は2007年(平成19年)の誕生日会見で、「(愛子内親王が)両陛下とお会いする機会を作っていきたい」と表明したが[44]、翌2008年(平成20年)2月13日の定例会見で羽毛田信吾宮内庁長官に天皇皇后両陛下への参内(訪問)の回数が増えていないことを指摘された[45]。その直後の誕生日会見では羽毛田長官の発言に対し、参内を心がけたいとして、それ以上の内容は“プライベートな事柄”として発言を控えた[46]



結婚までの経緯



1986年(昭和61年)10月18日、東宮御所で催されたスペイン国王フアン・カルロス1世の娘エレナ王女歓迎の茶会に、外務省条約局長だった小和田恆とともに招かれた、恆の長女で外務公務員I種試験に合格して間もない小和田雅子と初対面を果たす。1987年(昭和62年)4月25日には、高円宮憲仁親王・同妃久子が高円宮邸に徳仁親王と小和田雅子を招き、親交を深めるきっかけを作った[47]


こうして親王妃候補の一人となった雅子の母方の祖父・江頭豊は銀行員であったが、四大公害病の筆頭である水俣病を引き起こした日本窒素株式会社のメインバンクから水俣病患者の保証部門として新設されたチッソに派遣されその後、社長に就任したことやメディアスクラムの被害、雅子自身の外交官の仕事への熱心さから、親王妃候補から外れた。しかし、この間も徳仁親王の念頭には雅子の存在があり、他の妃候補が同様のメディアスクラムの被害を受けるなどして次々と辞退したことと徳仁親王の希望もあり他の親王妃候補と平行して話が進んだ。宮内庁内の反対の流れを大きく変えたのは元最高裁判所判事であり当時宮内庁参事であった団藤重光の「江頭氏は再建のため日本興業銀行からチッソに入った。再建できなければ被害者への補償も不可能になった。水俣病の発生について法的責任はない」との見解であった。前宮内庁長官の富田朝彦は後に「和解案を裁判所が提出するとか、前向きの形といいますか、取り組みといったものが出てまいりまして、それでいまの藤森昭一長官ともその情勢をいろいろと話し合って、もうここまでくればいつまでも見守るという態勢ではないだろうと。そろそろいい時期にきたかなと、こういうふうになってきたのが大体の経緯です」と述べている[48]


また、今上天皇と皇后は「皇太子が選んだ相手との話を進めてもらいたい」との意向を宮内庁に伝えたとされる[49]。小和田雅子が英国留学から帰国した後に、藤森昭一宮内庁長官の依頼を受けた[50]、元外務次官柳谷謙介が宮内庁と小和田家の仲介役を務め、1992年(平成4年)8月16日、柳谷邸にて徳仁親王と雅子が再会し、交際も再開した。同年10月3日に宮内庁新浜鴨場でのデートで徳仁親王が求婚した。小和田家側は辞退したが、徳仁親王は雅子に「天皇皇后両陛下も温かくお迎えするとおっしゃって下さっている[51]」旨を伝えた。そして12月12日に東宮仮御所において雅子は婚約の受諾を伝えた。12月25日に東宮仮御所で、徳仁親王は雅子を今上天皇と皇后に紹介し歓談した。


翌1993年(平成5年)1月6日午後8時45分、報道協定が解除されたため、テレビ各局は通常番組を中断して雅子が皇太子妃に内定したことを報道した。同年1月19日、皇室会議において徳仁親王と小和田雅子の婚姻が全員一致で可決され、同日二人による記者会見が行われた。翌日からは多数の企業が祝賀広告を新聞に掲載するなど国民は祝賀ムードに包まれた。同年4月12日の納采の儀(婚約)を経て、同年6月9日に結婚の儀が執り行われた。


同日、午前8時30分から2時間55分にわたってNHKが中継した結婚の儀の平均視聴率は30.6%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録した。そして成婚パレードの沿道には約19万人が集まり、そのテレビ中継の最高視聴率は79.9%を記録するなど、盛大な祝福を受けた[52]。また当日は、「皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律」が制定されて休日となった。また各地で神輿・山車が繰り出され、提灯行列や花火の打ち上げや餅つき、国営公園の無料開放などが行われた。



雅子妃の親族とのもの


皇太子妃雅子の祖母に当たる江頭寿々子が病床にあったときは、愛子内親王を伴って見舞いに訪れており、2006年(平成18年)に雅子の祖父・江頭豊が死去した際には雅子に同行、葬儀に参列している。



栄典


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セラフィム


セラフィム勲章(英語版)員としての紋章



カルロス


カルロス3世勲章(スペイン語版)員としての紋章





日本



  • 大勲位菊花大綬章(受章時は浩宮)


外国




  • オーストリアの旗 オーストリア: オーストリア共和国勲章 - AUT Honour for Services to the Republic of Austria - 1st Class BAR.png (1999年) [53]


  • バーレーンの旗 バーレーン: アール・ハリーファ勲章


  • ベルギーの旗 ベルギー: レオポルド勲章 - Grand Crest Ordre de Leopold.png[54]


  • デンマークの旗 デンマーク: エレファント勲章 - Orderelefant ribbon.png(2004年)[55]


  • ギリシャの旗 ギリシャ : 救い主勲章 - GRE Order Redeemer 1Class.png


  • ハンガリーの旗 ハンガリー: ハンガリー共和国功労勲章(英語版) - HUN Order of Merit of the Hungarian Rep (civil) 1class BAR.svg(2000年)


  • イタリアの旗 イタリア : イタリア共和国功労勲章 - Cordone di gran Croce di Gran Cordone OMRI BAR.svg


  • マレーシアの旗 マレーシア: ラム・クラウン勲章 - MY Darjah Utama Seri Mahkota Negara (Crown of the Realm) - DMN.svg(2012年)[56]


  • オランダの旗 オランダ: クラウン勲章 - Order of the Crown (Netherlands).svg(1991年)


  • ノルウェーの旗 ノルウェー: 聖オーラヴ勲章 - St Olavs Orden storkors stripe.svg(2001年)


  • フィリピンの旗 フィリピン: シカツナ勲章 - PHL Order of Sikatuna - Grand Cross BAR.png(2002年)[57]


  • ポルトガルの旗 ポルトガル : キリスト騎士団(1993年)[58]


  • カタールの旗 カタール : 勲功勲章


  • スペインの旗 スペイン : カルロス3世勲章(スペイン語版) - ESP Charles III Order GC.svg(2008年)[59]


  • スウェーデンの旗 スウェーデン : セラフィム勲章(英語版) - Order of the Seraphim - Ribbon bar.svg(2007年)[60]


  • トンガの旗 トンガ :

    • トンガ王冠勲章 - Order of the Crown of Tonga - ribbon bar.gif(2008年)[61]


    • ジョージ・トゥポウ5世戴冠メダル(2008年)[62]


    • トゥポウ6世戴冠メダル(2015年)




  • アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦: ザーイド勲章(1995年) - Order Zayed rib.png[63]



名誉法学博士


  • オックスフォード大学


名誉職




  • 日本赤十字社名誉副総裁[64]


  • 国際連合事務局「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁


  • ボーイスカウト日本連盟きじ章 - Golden Pheasant Award ribbon.svg(1989年)[65]



著作・論文・講演集など


特記のないものは「徳仁親王」名義。



  • 「兵庫北関入船納帳の一考察-問丸を中心にして」、『交通史研究』第8号、交通史学会、1982年

  • H.I.H PRINCE NARUHITO THE THAMES AS HIGHWAY (交通路としてのテムズ川)、Oxford University Press、1989年

  • 「室町前中期の兵庫関の二、三の問題」、安田元久先生退任記念論集刊行委員会編『中世日本の諸相・下巻』、吉川弘文館、1989年、ISBN 4642026290

  • 「18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について」、『地学雜誌』第100巻第1号、公益社団法人東京地学学会、1991年

  • 『テムズとともに -英国の二年間-』学習院総務部広報課〈学習院教養新書〉1993年

  • 「皇太子さまが綴られた野の花,山の花への思い 山の花随想」、『岳人』1997年6月号(通号600)

  • 「西園寺家所蔵「河瀬清貞山城国美豆牧代官職請文」について」、『学習院大学史料館紀要』第10号、学習院大学史料館、1999年

  • (木村真美子共著)「史料紹介 西園寺家所蔵『公衡公記』」「『西園寺家車図』諸本の研究--附、宮内庁書陵部所蔵九条本『西園寺家車図』翻刻」、『学習院大学史料館紀要』第11号、学習院大学史料館、2001年3月

  • 「関銭-兵庫関 兵庫北関代官職請文」、『東大寺文書を読む』堀池春峰監修・綾村宏:編、思文閣出版、2001年5月、ISBN 4-7842-1074-1

  • (木村真美子共著)「忘れられた車図--陽明文庫所蔵『納言大将車絵様』および『車絵』について」、『学習院大学史料館紀要』第12号、学習院大学史料館、2003年

  • (木村真美子共著)「『九条家車図』の成立をめぐって : 附、学習院大学史料館所蔵飛鳥井本『九条家車図』解題および翻刻」、『学習院大学史料館紀要』第14号、学習院大学史料館、2007年

  • (木村真美子共著)「東山御文庫所蔵「立倚子政記」」、『学習院大学史料館紀要』第15号、学習院大学史料館、2009年

  • 「史料館講座講演録 目白キャンパスの思い出」、『学習院大学史料館紀要』第16号、学習院大学史料館、2010年

  • 「水災害とその歴史」、『東日本大震災復興を期して-知の交響(ハーモニー)』、学習院女子大学編、東京書籍、2012年、ISBN 978-4-487-80729-1

  • 「江戸と水」、『地学雑誌』Vol.123(2014) No.4 - 2009年日本アジア協会総会で行なった講演の日本語訳。



脚注


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注釈





  1. ^ 「浩宮」は称号であり、名は「徳仁」のみ。


  2. ^ 打者は第一試合に出場した茨城県代表・常総学院高等学校(対戦相手は長崎県代表・長崎県立小浜高等学校)の1番打者であった仁志敏久(元横浜ベイスターズ)である。




出典





  1. ^ 宮内庁HP皇太子殿下のご講演


  2. ^ “皇太子さまが認証式臨時代行” (日本語). ロイター. 共同通信 (トムソン・ロイター). (2016年1月28日). http://jp.reuters.com/article/idJP2016012801001922 2016年1月28日閲覧。 


  3. ^ MSN産経 2008年3月11日「殿下がんばれ」 皇太子さまが都心でジョギング


  4. ^ MSN産経 2009年5月10日皇太子さま、ビオラで「第九」をご演奏


  5. ^ <a href="http://showa.mainichi.jp/news/1960/02/post-9a3e.html">浩宮徳仁親王(現皇太子)誕生</a>


  6. ^ 浜尾実『殿下とともに』角川出版


  7. ^ 河原敏明『美智子妃』講談社文庫、P.160。


  8. ^ 1993年(平成5年)に、留学記『テムズとともに 英国の二年間』(学習院教養新書)を出版している。


  9. ^ 皇太子さま、国連諮問委の名誉総裁に=「水と衛生」、皇族で初、時事通信、2007年11月1日[リンク切れ]


  10. ^ 産経新聞(2009年11月21日)【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(236)


  11. ^ 読売新聞(2009年12月15日)『特例会見、中国では「次の最高指導者」周知の意図』


  12. ^ YOMIURI ONLINE 2013年3月7日皇太子さま、国連本部で講演…津波被害に言及


  13. ^ 皇太子さまが認証式臨時代行 Reuters Japan 2016年1月28日閲覧


  14. ^ 『皇族 天皇家の近現代史』 小田部雄次 中公新書 2011


  15. ^ 天皇・皇族の外国ご訪問一覧表(平成21年以降)


  16. ^ 『皇族 天皇家の近現代史』 小田部雄次 中公新書 2011


  17. ^ MSN産経 2013年3月17日「災害に強い社会へ強い意志」 皇太子さま国連ご講演の要旨


  18. ^ 国連水と災害に関する特別会合における皇太子殿下基調講演、宮内庁HP。


  19. ^ トンガご訪問(平成27年)(2015年6月12日)、宮内庁、2015年7月4日閲覧


  20. ^ 皇室典範第3条


  21. ^ 以上3点「プリンス浩宮」薗部英一 日本映像出版


  22. ^ 朝日新聞 1989年9月22日


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  24. ^ 読売新聞 1993年1月20日


  25. ^ 宮内庁. “皇太子殿下の記者会見 デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際し(平成16年)”. 2009年11月14日閲覧。


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  27. ^ 宮内庁. “皇太子殿下の記者会見 皇太子殿下お誕生日に際し(平成19年)”. 2009年11月14日閲覧。


  28. ^ 皇太子殿下の記者会見 皇太子殿下お誕生日に際し(平成21年)


  29. ^ 『皇太子殿下 皇位継承者としてのご覚悟』明成社 21ページ


  30. ^ 皇太子殿下の記者会見 皇太子殿下お誕生日に際し(平成25年)


  31. ^ 浜尾実『殿下とともに』角川出版


  32. ^ 「浩宮さまは背番号38」朝日新聞1971年10月17日23頁


  33. ^ 読売新聞1971年7月21日11頁


  34. ^ 『皇太子殿下 皇位継承者としてのご覚悟』明成社124ページ


  35. ^ 宮内庁HP阪神・淡路大震災15周年追悼式典で献花台にご供花になる皇太子同妃両殿下


  36. ^ 『テムズとともに』徳仁親王、学習院総務部広報課、p150。


  37. ^ 『皇太子殿下〜皇位継承者としてのご覚悟』明成社、p46 - 54


  38. ^ 「プリンス浩宮」 薗部英一 日本映像出版


  39. ^ 『皇太子殿下〜皇位継承者としてのご覚悟』明成社、p94 - 97


  40. ^ 皇太子さま、市民とご交流 ビール勧められ「次の機会に」 デンマークで運河沿いご散策産経新聞2017年6月17日(2018年5月21日閲覧)


  41. ^ 河原敏明『美智子皇后』講談社、pp303 - 304。


  42. ^ 『皇太子殿下〜皇位継承者としてのご覚悟』明成社、pp133 - 134。


  43. ^ この部分の出典。高円宮妃久子 『宮さまとの思い出』 扶桑社、2003年、初版第一刷、272-284頁。ISBN 4-594-04248-1。


  44. ^ “皇太子殿下お誕生日に際し(平成19年)”. 宮内庁. 2013年10月20日閲覧。


  45. ^ [1][リンク切れ]


  46. ^ “皇太子殿下お誕生日に際し(平成20年)”. 宮内庁. 2013年10月20日閲覧。


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  48. ^ 毎日新聞 1993年6月10日


  49. ^ 毎日新聞 1993年1月18日


  50. ^ 読売新聞 1993年1月7日夕刊


  51. ^ 朝日新聞 1993年1月20日


  52. ^ MSN産経【皇室ウイークリー特別編】お写真で振り返る皇太子ご夫妻の15年


  53. ^ “Reply to a parliamentary question about the Decoration of Honour (pdf)” (German). p. 1299. 2012年6月13日閲覧。


  54. ^ Guillaume and Stephanie of Luxembourg’s religious wedding Ceremony, Prince Naruhito, having no Luxembourgish decoration, has worn the ribbon bar of Grand Cordon of the Order of Leopold


  55. ^ www.borger.dk, Persondetaljer - Hans Kejserlige Højhed Naruhito


  56. ^ “Semakan Penerima Darjah Kebesaran, Bintang dan Pingat Persekutuan.”. 2012年6月13日閲覧。


  57. ^ “Filipino recipients of Japanese decorations and Japanese recipients of Philippine decorations”. Official Gazette of the Republic of the Philippines. 2012年6月13日閲覧。


  58. ^ Cidadãos Estrangeiros Agraciados com Ordens Portuguesas” (ポルトガル語). presidencia.pt. 2012年6月13日閲覧。


  59. ^ Boletín Oficial del Estado


  60. ^ “Wedding Of Swedish Crown Princess Victoria & Daniel Westling - Arrivals”. Getty Images (2010年6月19日). 2016年12月2日閲覧。


  61. ^ “Glittering Royal Events Message Board: Coronation in Tonga” (2015年6月15日). 2015年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月2日閲覧。


  62. ^ Ito, Kazuya (2015年7月4日). “Crown Princess Masako completes first duties abroad in more than 2 years”. The Asahi Shimbun. オリジナルの2015年7月5日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20150705051734/http://ajw.asahi.com/article/behind_news/social_affairs/AJ201507040031 2016年12月2日閲覧。 


  63. ^ Upi


  64. ^ Japanese Red Cross


  65. ^ reinanzaka-sc.o.oo7.jp/kiroku/documents/20140523-3-kiji-list.pdf




関連項目







  • 水の危機 - 国連水と衛生に関する国連諮問委員会の主題。


外部リンク



  • 宮内庁ホームページ


  • 皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律(Wikisource-logo.svg ウィキソース)

  • 皇太子徳仁親王の婚姻を記念するための五万円の貨幣の発行に関する法律


  • 誕生時のニュース映像 - British Pathe


  • NHKアーカイブス 皇太子さま・雅子さまご結婚(1993年) - 日本放送協会(NHK)












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